フォルトの願い
騎乗を終えたフォルトが馬を軽く走らせスタート地点へと向かう...
その身のこなしは優雅であり、並いる上位騎士の中でも群を抜いて気品に満ちていた。
アーレスが華やかさを演出する一方、フォルトの装飾は極めて質素。代わりに、上質なマントを羽織っており、純白の絹織物が陽射しを受けて観客の目には眩しく映る…
「久しく見るお姿だが、若い頃と比べて何の遜色も感じられない『流麗なる騎士』はまだ健在だ…」
「いや…気迫はむしろ若い頃以上の様に思うぞ。此度の試合には件の貴婦人が来ている…そのためであろう。」
貴族達が噂を口にしながら客席のシャリナを垣間見る。
“この機において公爵がシャリナとの再婚に踏み切る“との見方が貴族の大多数に及んでおり、彼らの関心は専ら“次の公爵夫人“に注がれているのだった。
「…あからさまな視線は公爵様の不興を買うわよ。」
リオーネは目を細めて呟いた。
「あの方がどんなにお母様を大切に思っているか…貴方達には解らないでしょうね。」
騒然とした中ではその言葉も掻き消されてしまうものの、セレンティアは不思議そうにリオーネを見上げた。
…アーレス様が仰っていた…シャリナ様は自分と父上にとって一番大切な人なんだよ…と
自分も同じだと思う。両親の顔さえ知らないけれど、夫人はいつも母のように抱きしめてくれる…とても大切で、大好きな人だ。
…リオーネ姉様みたいに…私もシャリナ様の子供ならよかったのに。
馬上の公爵を見つめているシャリナに視線を移すと、セレンティアは深くため息を吐いた。考えるのもおこがましいことだったが、
どうしてもそう思ってしまうのだった…
「赤、西ルポワド、フォルト・ド・パルティアーノ公爵閣下!」
その名が口上されると、観客達から盛大な拍手が上がる。フォルトがそれを好まないため、貴婦人も大人しく見守るに留まっていた。
やがて、定位置に着いたフォルトがマントを外す。
従者がそれを受けとり、代わりにランスを手渡した。
ヘルムの隙間からシャリナの姿を見遣る…シャリナの眼差しはいかにも不安気だった。胸の上で指を組み、じっと自分を見つめている。
「あの日もそうであったな…」
フォルトは目を眇めて言った。
「少女のそなたは狼に夢中だった…あの男だけを見つめ、不安そうにあの男の身を案じていた…そなたを見つめる私になど気付きもせず…」
…だが、今は違う。
フォルトは口角を上げた。
…その瞳に映るは我が姿…他の誰でもありはしない!
「青、ゼネブドバドラーヤ国、サー・アル・ファザム!」
その名が呼ばれると、対峙している騎士がランスを頭上に高く掲げた。その聞き慣れない名もさることながら、身に付けている甲冑にも皆が違和感を覚える…鈍色の武具には不思議な紋様が描かれていた。それは文字の様にも絵の様にも見える…
「異国の者か…」
フォルトは顔をしかめた。
「得体の知れぬ相手だ。」
旗役の腕が上がる…
会場が静寂に包まれた。
「フォルト…」
シャリナが口を開く…
フォルトは瞬間を見逃さなかった。
二頭の馬が走り出す。拍車をかけ勢いを増しながら疾走する。
フォルトはランスを構えた。異国の騎士も同様の姿勢で迫った。
…刹那、激しい衝突音が会場に響き渡った。
フォルトとファザム、互いのランスが弾け飛び宙を舞った。
「おお…なんと!」
マルセルが思わず声をあげた。
「あのフォルトからランスを手放させるとは…こんなことは初めてぞ!」
「…引き分け?」
リュシアンも憮然となって唸った。
「なんということだ…」
フォルトは舌打ちした。ファザムは『的』を狙わなかった…突き出したランスでフォルトの矛先を跳ね除け、意図的に引き分けに持ち込んだとしか思えなかった。
「異国人め…ふざけた真似を!」
フォルトは振り返り、ファザムを睨んだ。ファザムもこちらを見ていたが、ヘルムの中の表情は窺い知ることはできなかった。
「り…」
審判役が狼狽しながら口火を切る。
「…両者、落馬なし…再戦とする。」
場内がざわめき始めた。公爵の引き分け試合は初であり、皆その動揺を隠せなかったのだ。
「新しいランスを持て!」
フォルトは大声で従者に命じた。次いで、ファザムを見遣ると厳然とした口調で告げる。
「異国の騎士に申し遣わす!ジョストは騎士にとって崇高なる競技
だ。ランスを突かずして薙ぎ払うは礼儀に反する。そなたも騎士であるなら、臆せず堂々の戦いをせよ!」
嗜めの言葉にもファザムは終始無言だった。観客はその無礼を口々に罵り、会場が不穏な空気に包まれる。
「いけない…」
シャリナは周囲に圧倒されながらも席を立ち、フォルトの近くまで移動した。
何ができるわけではないが、彼を傍で励ましたいと思った。
シャリナが傍まで近づくと、フォルトはすぐに気づいて馬を寄せ
た。
…不安げな表情…私を案じて来てくれたのか?
「フォルト」
シャリナは言った。
「どうか冷静に…」
その言葉に満面の笑みを浮かべる。
シャリナの思いやりが何より嬉しかった。
「案ずるな…私は冷静ぞ。」
「…本当?」
「もちろんだ…そなたが居るのだからな。」
「それなら良いのだけれど…」
「ここで観ておれ…瞬時に終わらせよう。」
「ええ。」
短い会話を交わした後、フォルトは再びスタート位置へと戻って行った。
シャリナは安堵し、その場に留まって試合の再開を待った。
新しいランスが用意され、それぞれの騎士に手渡される。
長さ、太さ、ともに同程度のものであり、形状に格差はなかった。
「…ランスに差がなくば勝敗を決めるのは速度と技術…さて、次はいかがする?」
フォルトは問いかけた。
「まだ戯れるつもりであれば容赦はせぬ…勝利を全てシャリナに捧げると誓ったのだ…生ぬるい勝利は生涯の恥となろう。」
勝利を強く意識する…自分だけを見るシャリナ…一刻も早く抱きしめたい。
「あれがルポワド国王の自慢の騎士…」
ファザムは目を細めて呟いた。
「さすがに陽動には乗ってこぬか…」
手渡された真新しいランスを右手に握り、再び位置に着く…ファザムにとっては試合の勝敗など目的ではなかった。
客席に視線を移し、ひときわ明るい髪色をした貴婦人を見遣る…王族達の中央に座る彼女の美しさに、ファザムは思わず目を眇めた…
「いかなる騎士も参加を許されると聞き、馬上槍試合の参戦を決めた…この機会を逃せば、そなたを目視することは不可能だった。」
「両者、構え!」
旗役が腕を上げる。
…この国を訪れ、初めてジョストというものを知った。それゆえ経験は浅いが、手応えはまずまずといえよう…
旗が振り下ろされる。瞬間に馬の腹を蹴った。
迫り来る公爵はルポワド騎士の頂点…相手にとって不足はない。
ファザムはすれ違いざま、ランスを公爵の『盾』に向かって突き入れた。同時に激しい衝撃に襲われる…鬼神と思しき一撃に視界が歪んだ。体が宙に浮き上がり、青い空が見えた…
フォルトはファザムの落馬を確認するとゴールまで駆け抜けた。
胸当てにできた突き痕と僅かながらの痛みに眉を寄せる…
異国の騎士は強者だった。負けはしたものの、『的』はしっかりと貫いていた。
「あの者…いったい何者ぞ。」
客席からの拍手と喝采を浴びながら、フォルトは訝しげに表情を曇らせた。異国の民であるならば、身元を調べる必要があると感じた。
その後も次々に試合は進み、会場は歓喜と落胆を繰り返す。
『バルド戦役の英雄』は健闘するも『炎の貴公子』に敗北。
アーレスは決勝戦に進むことになり、いよいよ試合は大詰めを迎える
ことになった。
「次は父上とカインの対決…最大の盛り上がりだな…」
アーレスは従者による武具の再調整を受けながら呟いた。
…カインが勝てば私と父上との勝負は実現しない。賭けは成立しないが、私の不戦勝だ。
「…カインは公爵様に勝てるかしら。」
傍に立つリオーネが言った。
「あら…でも、カインが勝っちゃったら父子対決が見られないよ。」
「…そういうことになるね。」
アーレスは穏やかな口調で言った。
リオーネの目にはアーレスが何かに迷ったり思い悩んでいる様子は見受けられない…本気でお母様に求婚するつもり?と今すぐにでも問い正したかった。公爵と母の相愛ぶりはよもや動かない事実だというのに…
「ところで、さっきから視線が気になるんだが…」
「えっ⁉︎」
アーレスの指摘にリオーネが目を丸くした。
「私…そんなに変な目で見てた?」
「いや、君のことじゃなくて…」
アーレスはリオーネの肩越しに目をやった。
視線の先にバレルがいる…すでに甲冑を脱いだシセルに抱かれていて、アーレスを恨めしげに見つめていたのだ。
「とても友好的には見えない。」
アーレスは微笑みながら言った。
「あー」
リオーネは苦笑して肩をすくめた。
「パパの負けがショックだったみたい…あの後、しばらく泣き止まなかったのよ。」
「ああ…なるほど。」
アーレスは納得した。幼いバレルにとって父は英雄…よほどショックだったに違いない。
「ごめんな…バレル。」
バレルはそっぽを向いてシセルにしがみついた。どうやらすっかり嫌われてしまったらしい。
「…参ったな。何とか仲直りをしないと…」
「一晩寝たらすぐに忘れてしまうわよ。」
「まことに申し訳ありません…」
息子の非礼を謝るシセルに、アーレスは笑顔で頷いて見せた。
『漆黒の狼』の血を継ぐ者…
カインは皆の期待を一身に受け、まさにパルティアーノ公爵に対峙していた。
偉大だった父…その唯一の好敵手であった公爵…
「俺もアーレスも二世として期待される身だが、もうその事実は無効としなければならん。」
実力を誇示し証明することは重要だった。馬上槍試合はその千載一遇の機会、ユーリもきっとそれを望んでいるはずだ。
シャリナの姿を目視する…すぐ傍にいて、複雑な表情をしていた。「アーレスの企てを知ったら、母上は卒倒しそうだ。」
杞憂は捨てきれないが、カインはすぐに襟を正した。シセルの言う通りにこれはパルティアーノ家の問題…成るようにしかならないだろう。
口上役の紹介が終わり、会場内が静まり返った。
ジョストの勝負は一瞬で終わる、まばたきさえも許されない。
「はあっ!」
合図を機にカインが飛び出した。
速度を上げて目標を定める。フォルトの矛先は正確だった。当たれば間違いなく落馬…力を逃さなければ!
「確かに黒騎士の実力は驚くばかりではある…だが!」
フォルトはわずかに姿勢を下げた。拍車をかけ、さらに速度を上げる…疾走しながらランスの角度を上げ、カインの胸当てへと確実に突き入れた。
「がっ!」
カインは衝撃の強さにたじろいだ。
上手く避けたつもりがそうはいかず、まともに突きを喰らった。長身の体躯がぐらつき手綱から手が離れる…争う暇もなく馬から落ちたものの、体制を維持しながらなんとか着地した。かろうじて両足を踏ん張り、ぶざまな姿をマリアナに見せずに済んだ。
「勝者、パルティアーノ公爵閣下!」
すかさず、審判が赤の旗を高く上げた。
会場内が拍手と歓声に包まれる…フォルトは右腕を上げて応えた。次いで微笑むシャリナを見遣り、ゆっくりと彼女に歩み寄った。
「惜しい試合でしたね。」
控えの場所に帰ってきたカインに向かってシセルが労った。バレルを抱いており、同じ色をした四つの瞳がこちらを見ている…
「惜しい?とんでもない!」
カインは首に手を当てながら言った。
「まったく歯が立たなかったよ…絶対的な経験の差だ。」
「そんな風には見えませんでしたが…」
「手合わせをしてみれば解るさ…閣下の槍さばきは尋常じゃない。父上が一目置くワケだ。」
「ジョストに関してはそうだね…」
リオーネも頷きながら言った。
「…とすると、アーレスに勝機はある?」
すでに騎乗しているアーレスに、リオーネが想いを巡らせる…
「まったく予想がつかん。」
「そうだね…」
「バレたんはどう思う?」
母の問いに、バレルがキョトンとしながら応えた。
「パパ…ちゅよい?」
次の試合に向け休憩を取るあいだ、シャリナはフォルトに呼ばれて傍にいた。右の的当てにへこみがあるのを認めると「損傷しているわ…」と心配になって口を開いた。
「…痛みはないの?」
「多少はあるが問題はない。」
「まあ…」
シャリナはフォルトの顔を覗き込んだ。
「連戦なのよ。手当をしなくても大丈夫?」
「…手当?」
フォルトは聞き返した。
「手当ならもうしている…だからそなたを呼んだのだ。」
「もう…こんな時に揶揄わないで。」
「揶揄ってなどおらぬ…真実だ。」
困惑するシャリナに手を伸ばしつつ、フォルトは微笑んだ。
「残る試合はあと一つ…相手はアーレスだ…心配は要らぬ。」
「そうだけれど…」
「それよりも…告げておきたいことがある。」
彼はそう言うと椅子から立ち上がった。
見上げるシャリナの頬を手で触れ目を細める…
「試合が終われば今夜は晩餐会…そのおり、私はそなたとの婚約を諸侯に公言しようと考えている…ここで同意してはくれぬか?」
シャリナの目が大きく見開かれる…いきなりでは当然だ。
「シャリナ…今度こそあの日の約束を果たそう。私の妻になってくれ…私にはそなたが必要だ。」
「フォルト…」
答えを待たず、フォルトはシャリナの唇にキスをした。幼い日にした無邪気なキスではなく、長く深いキスだった…
9話に続く