馬上槍試合の開幕
「感謝するわ、アーレス。」
二人の従者に甲冑の装着を手伝って貰いながらリオーネは満面の笑みを浮かべた。
アーレスはすでに支度を終えており、壁際に立って薄く微笑んでいる。
「夫君に何を言われるかハラハラしたよ…何しろ突然の決定だったからね。」
「これは競技ではなくて単なる余興なんだから、旦那さまも文句のつけようがないはずよ。」
「余興と言っても、開会を告げる大舞台だ…君の技量を観客も騎士も見定めるだろうし、妻が皆の注目を浴びるのだから、バージニアス子爵の心中は気が気じゃないよ、きっと。」
「そうなのかなぁ…」
「君はそういうことに無頓着過ぎるんだよ。」
アーレスは肩をすくめて嗜めた。リオーネのそういうところはユーリにそっくりだ。
「…まあでも、こんな機会は一度限りだろうし、とにかく公爵様に恥をかかせない様に最善を尽くすよ。」
支度を終えたリオーネが向き直り、真っ直ぐにアーレスを見つめた。実に凛々しい表情だが、シャリナと同じ色の瞳が美しい…
「…素敵だ。こんなに美しい騎士は他にいない。」
「やだ…やめてアーレス、赤面しちゃうでしょ!」
リオーネは朗らかに笑うと、アーレスに歩み寄り、隣に並んだ。
「美辞麗句も騎士の嗜みではあるけど、それは貴婦人に向けるべきもの…騎士である私には不要よ。」
「これは美辞麗句じゃないさ。率直な感想だよ。」
嫌味を感じさせないアーレスの言葉にリオーネは眉を跳ね上げた。
「そんな口説き方をされたら、心が揺れるじゃない…」
「本当に?」
「あるいは…ね。」
不敵な笑みを浮かべながら二人は小声で囁いた。幼馴染だからこその冗談だが、周囲に聞かれれば誤解を招くこと請け合いだ…
「…と、いう訳で…行ってくるわ。」
リオーネは顔を上げ、あっさりと言った。
「健闘を祈る。」
アーレスも答え、支度部屋を出ていくリオーネの背中を黙って見送った。
華やかな武具を身につけたリオーネが会場に登場すると場内の観客からどよめきが上がる。
全身漆黒の装具、頭を覆うのは羽飾り付きのヘルムで、黒毛の牝馬にもリオーネ同様、揃いの装具が着せられていた。
会場の中央、王族が座る席に進み出て、馬上のまま一礼する。
「国王陛下及び王妃殿下、並びに、王太子殿下、妃殿下。
そして、本日、生誕日を迎えられたパルティアーノ公爵閣下にご挨拶を申し上げます。」
リオーネの口上、張りのある声が会場に響き渡る。
「…ごらんなさい、バレル。あなたのお母様よ。」
シャリナは大人しく膝の上に座っているバレルに言った。バレルはつぶらな瞳でシャリナを見上げた後、不思議そうに黒い騎士を見つめる。
「立派だわ…この姿、ユーリにも見せてあげたかった。」
シャリナが言いながら涙を浮かべる...すると隣にいたセレンティアがすぐに自分のハンカチでそれを拭った。心配顔で見つめるその目にもうっすら涙が浮かんでいる…
「ありがとうセレン…」
シャリナはセレンを片手で引き寄せて言った。
「…きっとバレルと一緒に彼も観ている…そうに違いないわ。」
それでも、ユーリがここに居てくれたらと思う…
…もっともっと長く生きていて欲しかった…あなたと歓びを分かち合いたかった。
…もうお前は一人じゃない...そうだろう?
「解ってる…」シャリナは頷いた。
あなたが遺してくれたもの…その面影と精神は二人の子供と幼いバレルに引き継がれているもの...
「正騎士リオーネ・ド・バージニアス、開式にあたり、槍による演目を興じさせていただきます!」
リオーネは口上すると、従者から装飾が施された細身の槍を受け取った。先端に紋章が描かれた旗が付けられており、ひらひらとなびいている…
「リオーネは何をするつもりだ…?」
リュシアンが呟いたので、隣の席からマリアナが彼を見遣った。
「リュシアンにも解らないの?」
「知らぬ…何も聞いておらぬぞ…」
「…さて、あの破天荒が何をするのか…」
リュシアンの隣にいたマルセルも口角をあげた。
…リオーネさん…素敵。
マリアナは以前からリオーネを尊敬していた。
王と王太子が予想できないほど彼女は意外性に富んでいる...逞しく、堂々としていて、いつでも眩しく輝いているのだ。
…私もリオーネさんみたいになりたい…この子が生まれたら、何か武術を教えてもらおうかな...
マリアナがそんなことを思っている間に、リオーネが持っていた槍を見事な手さばきで回転させ始めていた。
右側で回転させたかと思えば頭上に掲げ、さらに美しい八の字を描きながら回転させる... まるでリオーネの手に張り付いているかの様に、槍は見事な高速で回され続けた。
「おお...」
マルセルとリュシアンが唸りを上げる…主人公であるフォルトも珍しく声を上げて感心していた。
どよめきの中、やがて高速回転を止めたリオーネは、槍を右手に馬を走らせ旋回させた。現れた小姓が「的」を素早く運び込み地面に据え置いて場外に退避する。
「さあ、正念場よ」
リオーネは気合を入れた。的から遠く距離をとって馬を止め、「旗」を槍から外して従者に預けた。
鉄の矢尻のついた槍を右手にリオーネが構える…
「まさか...あの的に当てるつもりか?」
リュシアンがついに身を乗り出した。
観客も皆固唾を飲んで見つめる。
「はああっ!」
リオーネは雄叫びを上げると、馬上で大きく上体を逸らしながら持っていた槍を高々と投げ放った。
槍は勢いよく上空へと飛び上がり、弧を描いて地上へと落ちていく...置かれた的は小さく、射抜くのは限りなく不可能に近い。
「当たれえっ!」
リオーネは叫んだ。
密かに地道な練習を重ね、正確性を高めてきた…槍の重さや形状を工夫し、失敗に失敗を重ね、時に落馬しそうになりながら、上体の筋肉を鍛えあげた…
「...おおっ‼︎」
リュシアンが大声で叫んだ。
「射抜いた!ど真ん中だ!」
王太子の言葉通り、槍は見事に的の中央を貫いていた。会場内が驚きとともに歓声に包まれる。
「リオーネさま!」
一人の貴婦人が声をあげてドレスの袖を会場に投げた。すると、次々に他の貴婦人達の袖が舞った。
「...私も!」
マリアナが立ち上がる。投げる袖がなかったので、持っていたハンカチを勢いよく放り投げた。
「はぁ⁉︎」
リュシアンが眉根を寄せて妃を見上げる。
「それは僕に投げるべきものだぞ!」
「...だって、リオーネさんとっても格好良いんだもの...」
瞳を輝かせる妃にリュシアンは呆れて腐った。例えリオーネが女であっても、自分を差し置いて熱い視線を送るなど許せない。
…僕の方が何倍も格好いいことを証明してやる…
リュシアンは憤然と決意した。なんとしても妃に“素敵“と言わせなければならない!
リオーネは馬を再び旋回させて国王とフォルトの前に進み出ると馬を降り、膝を折って丁寧にお辞儀をした。
「見事だ。水晶の騎士!」
フォルトが笑みを浮かべて言った。
「素晴らしい余興を見せて貰った。感動したぞ!」
「お褒めの言葉…光栄です、公爵閣下。」
リオーネも満面の笑顔を浮かべた。フォルトは自分を騎士として鍛えてくれた恩師。
…喜んでくれて本当に良かった。
リオーネは袖ではない上質のハンカチを見つけると、それだけを拾い上げて会場を後にした。美しき騎士の姿に会場内が再び歓声と拍手に包まれる…リオーネの企ては大成功だった。
「大した余興だったな...」
幕間に控えていたカインが不敵な笑みを浮かべてリオーネを出迎えた。
「俺も感動したよ。」
「それは何より。」
リオーネはあっさりと返してから、カインの隣にいるシセルに向き合った。シセルは穏やかな表情で妻を見つめる。
「隠していて御免なさい。」
リオーネは頭を深く下げながら言った。シセルに無断でアーレスに頼み、隠れて練習していた事への謝罪だった。
「リオーネ...」
シセルは静かに言った。
「君のした事は結果的に悪くはない...が、私的には複雑だ。」
「...はい、解ってます。」
素直なリオーネに、シセルが顔を近づける...耳もとに口を寄せ、穏やかな口調で囁いた。
「今夜はお仕置きだ…覚悟しなさい。」
「えっ⁉︎」
リオーネは目を丸くした。
「お仕置き...」
『柔和』だと評判のシセル….彼の本性は妻である自分以外きっと誰も知らない..,
「あは...は」
リオーネは覚悟を決めた。彼がそう決めた以上、もう逃れようもなかった…
「ママ...」
リオーネが側に戻って来ると、バレルは喜んでリオーネに抱きついた。リオーネは息子の小さな体をしっかりと抱きしめ頬を寄せる...
「いい子にしてた?バレル。」
「うん...ママ、ちゃっちゅよかっちゃ..」
「それを言うならカッコよかっただよ…ありがと、次はパパの番だからね…一緒に応援しよう。」
「うん、パパおーえん!」
可愛いバレルに周囲が微笑む...解放されたシャリナも優しく微笑んで立ち上がり「公爵閣下に声をお掛けして来るわね。」と告げてからその場を離れた。
「…シャリナ。」
フォルトはシャリナの姿を見つけると、瞬時に周囲の者を遠ざけながら歩み寄った。
「会場へ行くのね?」
「うむ。」
「一言、申し上げてもよろしいかしら。」
「何なり申せ。」
目を細めて応えるフォルトにシャリナは微笑んだ。
試合の前とは思えないほど、彼はとても冷静だった。
「私が差し上げられる物は、もう『袖』ではないと思って…」
シャリナは持っていたハンカチをそっと差し出した。
「これを私に?」
「…ええ。貴方の名前を刺繍したの...お嫌じゃなければ受け取って.。」
「嫌などであろうはずがない!」
フォルトはシャリナの手ごとハンカチを握ると唇に引き寄せた。
「フォルト...」
「これを受け取ったからには負けられぬ...必ずや頂点に立って見せようぞ…」
「信じているわ...貴方の勝利を。」
二人は見つめ合い、瞬く間、時が止まった。
「全ての勝利をそなたに捧げる...」
やがてフォルトは低い声で告げると、シャリナの頬にキスをした。
シャリナに応える猶予も与えず、フォルトはすぐさま踵を返すと、その場を離れ足早に階段を下りて行った。
観客席に囲まれた広い会場に騎士達が居並ぶ…
シュベール騎士団及びグスターニュ騎士団、そして参加する全ての騎士達が集結していた。
シセルはグスターニュの騎士団長として…そしてカインとアーレスは並んで参加騎士達の先頭に立っている。
皆それぞれの武具を身にまとい、ある者は煌びやかに、また、ある者は強固な甲冑姿でもあった。様々ないでたちは観客達を歓喜させる。貴婦人達は彼らの値踏みを怠らず、場合によっては彼らを囲って従僕とし、出資を約束してパトロンとなる…高名な騎士のみならず『美しさ』や『強さ』を主張できれば、そのまま出世に繋がる可能性すらあるのだった。
「参加する全ての騎士に申しおく!」
口上役が口火を切った。
「今日の競技大会はパルティアーノ公爵閣下の誕生を祝す為に開催されたものであり、私欲、私怨、私情をいっさい挟まず、騎士として真摯なる闘いを公爵閣下に捧ぐものである。
対戦は一試合に一度のみ。…ただし、双方落馬せぬ場合は引き分けとし、再戦を行うものとする。
祝いの宴に死者を出すは不粋だ。賭け事による揉め事も重罪とする。国王陛下並びに王妃殿下の御前である事を忘れず、正々堂々の闘いをせよ!」
彼が言い終えると、騎士達が一斉に膝を地につけて国王に恭順の意を示した。
「フォルト・パルテイアーノ・ダ・ルポワダ公爵閣下、ご入場!」
声とともに騎乗したフォルトが入場し、カインとアーレスの前に立った。首を垂れる騎士を眼下に、悠然とそれを眺めたフォルトは、やがて威厳のある声で告げた。
「これより試合を始める…騎乗せよ!」
7話につづく