パルティアーノの招待状
「…あれ?」
ペリエ城に向かって走る馬を見つけてリオーネは思わず声を上げた。馬上の騎士の背に王冠を配した紋章が施されている…パルティアーノ家の使者だ…
「公爵様がお母様にまた花束を?」
リオーネは拍車をかけて追い越した。道で考えれば行き先はペリエ城に違いない。
先回りして迎えねばと思った。きっと何かあるはずだ…
ペリエ城に到着して広場で馬を降り、馬丁に馬を預けて城の中へと入る。
廊下を抜けた場所には大広間があり、アーチを描く入り口から中を覗くと、黒い瞳と視線が合った。
「ただいま戻りました。お父様。」
リオーネは軽く膝を折って微笑んだ。
馬上で槍を手にする『漆黒の狼』…精悍な鎧姿だが、その表情は穏やかだ…
「公爵様の使者が来ているの…お母様のお迎えかな?」
シャリナに対するフォルトの想いは有り余るもの…それはカインも自分も痛いほどに理解している…
本音を言えば、リオーネ自身もユーリにはまだ生きていて欲しかった。先代のグスターニュ公クグロワの様に、老いて自ら馬を降りるくらいまでは存命でいて貰いたかった。
リオーネは軽くため息を吐くと再び歩き出した。奥の居間にはシャリナとバレルがいるはずだ。
「戻りました。お母様。」
日当たりの良い居間に入ると、シャリナがバレルを抱いて立っていた。バレルはぐっすり眠っているらしく、祖母の胸に顔を埋めている…
「早かったわね…アノック卿はお元気だった?」
「ええ、いつもの様に湖畔の風景を描いていたわ。ここへは来週に訪ねたいそうよ。」
「助かるわ…彼は庭園の造形を考えてくれるから…」
「セオ様は芸術家だもの…そう言うことが得意なのよ。」
リオーネはシャリナからバレルを引き取って、愛おしげに頬を寄せた。バレルは大人しい子で、殆どむずかることがなく、シャリナにとても懐いていた。
「途中の道で馬車を見たの…もうすぐ到着すると思うわ。」
壁際にある小さなベッドにバレルを寝かせながらリオーネは言った。
シャリナが長椅子へと腰を下ろしてその様子を見遣る。
「馬車?」
「パルティアーノ家のね。」
「まあ…」
シャリナは声を上げて目を丸くした。
「先日、新しいドレスが届いたばかりよ...今度は何のご用かしら...」
…お母様のお迎えかもね。
リオーネは心の中で呟いた。
カインによれば、独身であるパルティアーノ公爵はシャリナとの再婚を切望しており、結婚は秒読みだとの噂が絶えないらしい…
ユーリを失ってからのシャリナの憔悴は著しく、ふっくらとしていた顔は肉が削げてやつれてしまった。身につけていた衣服のサイズが合わなくなったため、フォルトが新しいドレスを新調するように命じたほどだ。
…お父様が言ってたの。お母様の背中を押すのは娘である私の役目だぞ…って。
「公爵様がこんなに心配性だなんて…ちょっと意外。」
「フォ…いいえ、パルティアーノ公は昔から責任感の強い立派な方よ。意外だなんて口にするものではないわ。」
シャリナはピシャリと嗜めたものの、その口元はわずかに緩んでいた。きっと嬉しいに違いない…
「あら、セレン…」
いつの間にか入り口に立っている少女に気づき、リオーネは振り向いて声をかけた。少女は膝を折って挨拶し、声なき言葉と手振りで何かを告げる。
「ああ、うん。解った。」
リオーネは笑顔で応え、シャリナに向かって手を差し伸べた。シャリナも微笑みながらその手を取って立ち上がる。
「セレン…少しの間、バレルの見守りをお願い。」
リオーネの言葉に、セレンティアは頷き、すぐに揺り籠の傍へと駆け寄る。ふわふわとした栗毛が躍り、膝下丈のドレスがなびいた。
「…この服、私のお下がりよね?」
リオーネがシャリナに尋ねた。
「ええ。セレンは貴女より小柄だから、だいぶ寸法を直したのよ。」
「よく似合ってる…セレンは可愛いもんね。」
リオーネは片目を閉じてふわふわな栗毛を撫でた。セレンは恥ずかしそうに頬を染めてバレルを見つめている…
アーレスの『養い子』ではあるものの、今はシャリナが引き取り、我が子のように接しているセレンティア…発声することも文字を書くこともできないため、シャリナが新たにその名を授けた。
賢い少女で、城での礼儀作法をシャリナに学び、すっかり『小さな貴婦人』に変身してしまった。
「リオン姉様が着てくれなかったドレスを代わりに着てくれているのよ。ね、セレン?」
「…ああ、それは言わないで、お母様。」
リオーネが言いながら天井を仰ぐと、その応酬を聞いたセレンが笑顔を浮かべる。すみれ色の瞳の貴婦人達はとても優しい。自分は本当に幸せ者だと、セレンは心から感謝するばかりだった。
セレンにバレルを託して、リオーネとシャリナはエントランスに向かった。
使者はすでに城内に居り、二人の姿を見ると深く頭を垂れながら膝を折る。
「遠路の往復、ご苦労様。」
シャリナは慣れた様子で彼に言った。
「今日のご用向きは?」
「書状をお持ちしました。アーレス様よりのものです。」
「アーレス?」
シャリナは書状を使者から受け取り、押された封蝋を確認した。
確かにアーレスの印だ。
「…珍しいわね。」
リオーネは言いながら後ろに控えている家令を促し、使者に礼金を握らせた。当然、荷物はそれだけではなく、馬車には花束や贈り物が積まれているに違いない。
リオーネが受け取りのために召使い達と共に外へと出て行ったので、シャリナは使者に休息を取るよう告げてから、バレルとセレンの待つ居間に戻った。
「アーレスからお手紙が届いたのよ。」
セレンティアに微笑みかけながらシャリナは言った。彼の名を聞いてセレンの瞳が輝き、表情が明るくなる。
封蝋を解き、シャリナは内容に目を走らせた。書状は二通あり、一枚目は日頃の感謝を書き記したもの、そして二枚目は招待状だ。
「…まあ、フォルトのお誕生祝いに…槍試合を?」
思わず大きな声を出してしまい、セレンが目を丸くしたのでシャリナは口に手を当てた。『馬上槍試合』という響きはとても久しぶりで、ユーリが存命であった時期も、もうほとんど催されてはいなかったのだ。
「パルティアーノが主催であれば、ルポワドの騎士はこぞって参加するはず…これは大変なお祭りだわ。」
“試合にはむろん父上も参戦します。どうかご出席をご検討下さいますよう…“
末尾はそう結ばれていた。ユーリを失ってからはペリエ城を離れたことがなく、アーレスはそのことを慮っているのだろう…
「公爵家からのご招待…まして、フォルトの誕生を祝う席なら、直接お祝いと感謝を申し上げるべき…お断りはできない。」
シャリナの不安な様子を感じ取り、セレンが表情を曇らせている…
…迷ってはいられない。
意を決しなければ…とシャリナは思った。ユーリを失った悲しみは尽きないけれど、私には護らなければならないものがある。
「このままではバレルがシセルの顔を忘れてしまう…彼に申し訳ないわ…」
リオーネは自分を慮ってペリエ城に帰郷している。グスターニュ城にいるシセルはバレルに会えず、さぞかし寂しい思いをしているに違いない…
「準備を始めなくては…」
独り言を呟いたシャリナは顔を上げ、セレンの側に歩み寄った。
「あなたも一緒に行きましょう。今の貴女を見たら、きっと驚くわ。」
シャリナに優しく抱き寄せられた少女は瑠璃色の瞳を輝かせた。
意味はよく理解できなかったが、アーレスに会えるのだけは確かな様だった…
ルポワド王都
アーレスが王城を訪れると、昼下がりの馬場で、カインがリュシアンに馬術と槍の手解きをしていた。
王太子は馬上におり、脇に立つカインが声を出して指示を出している。
周囲を巡らした柵の外には貴婦人の姿も見えた。置かれた椅子に座り、二人の様子を眺めている。その容姿は遠目から見ても可憐で、それがマリアナ妃であることは明らかだった。
「…まあ、アーレス様」
歩み寄る自分に気付いたマリアナが顔を向けて微笑む。
「あなたが馬場に現れるなんて珍しい…何か急用でも?」
アーレスはマリアナに向かって跪き、細い指先にキスをした。礼儀とは言えマリアナは素手であり、直接触れることが少し躊躇われる…
「いえ、急用ではありません。カインがここに居ると聞き及んだもので…」
「カインならリュシアンに付きっきりよ…殿下はもうずっと彼を独占しているの…」
穏やかな口調の中に不満を垣間見せつつマリアナは言った。妃殿下がこの場にいると言うことは、王太子がカインに会う許可を与えたに違いない。
「…訓練はだいぶ前から?」
「ええ。だから私は待ちぼうけ…せっかくカインに会えたのに…」
肩をすくめる妃殿下に、アーレスも思わず口角を上げた。
結婚当初は頑なにカインと妃の接触を拒んでいたリュシアンだったが、最近ではそれもかなり緩めになり、時々は三人で食事をする日もあると聞いている。
「…ちょうど良いわ。カインも疲れているだろうし、休憩を促してくるわね。」
マリアナはそう告げると立ち上がり、アーレスの静止も聞かずに柵の中へと入って言った。スカートの裾を持ち上げ、小走りに二人のもとへと近づいていく…
「カイン…」
マリアナが囁くような声で呼ぶと、カインがすぐに振り返った。絶対に聞こえないはずなのに彼はいつでもそうする…本当に不思議だ。
「妃殿下…」
カインはマリアナへと向き直って微笑んだ。視線が合い、お互いの瞳に光が宿る。
「アーレスが来ているの…貴方に用事があるそうよ。」
「アーレス?」
カインは反問してマリアナの後方を見遣った。柵の向こうに騎士の姿が見える。炎のような赤い髪、確かにアーレスだ。
「殿下に任せていたらいつまでも休めないでしょ?彼の相手は私がするから、少し休憩して。」
「ですが…」
躊躇うカインの肩越しに馬上のリュシアンが見える…向き合う二人の姿に気がついたようだった。
「さあ、早く…リュシアンが声を上げる前に。」
「マリアナ…」
カインは一瞬、愛おしげな眼差しでマリアナを見つめた。マリアナも応えて微笑みを浮かべる…
「…では、お言葉に甘えさせていただきます。」
カインが脇をすり抜け行ってしまうと、マリアナはリュシアンの方へと顔を向けた。「リュシアン」と名を呼び、小走りに駆け寄る。
「走るな!」
リュシアンは大声で命じた。瞬時に馬を降り、真っ直ぐに迎えに来る…両腕を差し伸べ優しく体を抱き止めると、額と額を押し付けながら言った。
「転んだらどうする…そなたは身重だ。」
「まだ決まったわけじゃないわ…多分よ。」
「…母上は間違いないと喜んでいたぞ。」
「きっとそうだと思うけど…」
「やっぱりだ。」
「だけど転んだりはしないわ、子供じゃないもの。」
「そうだが…」
リュシアンの訝しげな表情を見てマリアナは可笑しくなった。初めての子供を授かって、リュシアンは本当に喜んでいる。髪型を変えたせいもあるが、以前に比べて大人っぽくなり、父親になることを強く意識するようになっていた…
「今後は気をつけるわ…」
マリアナは応えると、指先でリュシアンの頬に掛かる髪を祓う。
「…ところで、アーレスが来たのよ。カインにご用があるらしいから、お話が済むまでリュシアンも少し休憩して。」
「…お、まことだ。」
リュシアンは一瞥したものの、マリアナから手を離さず、あえて二人に背を向けた。
「椅子をこれへ!」
手で合図を送ると近衞の騎士たちが椅子を運んで来る。リュシアンと並んで座ったマリアナは、彼が始めた馬の自慢話に耳を傾け、背後にいるカインをさりげなく意識するに留めた。ヤキモチ焼きのリュシアンが不機嫌にならない様に配慮しなくてはならなかった。
「馬上槍試合?」
カインは意外そうに反問した。
「久しぶりにその名称を耳にしたな。」
「うん。父上もそう言っておられたよ。調べたところでは、十年前に開催されたのが最後だ。」
「確か、父上が参加した試合がその頃だったと思う…俺はまだ子供で参加資格がなかった。…最も、資格があったとして、母上の猛反対に遭っただろうが…」
「今なら、夫人も君の参加を反対なさらないと思うか?」
「…しないさ。戦に出るよりは遥かにマシだ。」
カインは一笑した。両手をあげて賛成はしないまでも、母は『ペリエの黒騎士』の実力を熟知している。
「それを聞いて安心したよ。『漆黒の狼』の息子である君の参加なくしては盛り上がらない…黒騎士は試合の花形だからね。」
「…いや、真の花形はパルティアーノ公爵だ。そして『炎の貴公子』はその血を受け継ぐ者…それこそ注目の的だろう?」
二人は渋面になって互いを見つめた。試合の勝敗はどうでも、公に姿を晒せば否応なく注目される…大量の貴婦人の袖が会場に舞うだろう…
「開催にあたって、一先ず諸侯に触れ書きを撒こうと思う。父上の名は当然として、私と、それに君の名を出場者に連ねたいんだが、許可をもらえるかい?」
「勿論だ。恩人である公爵閣下の誕生を祝う席に、俺が参加しない訳がない。ブランピエールとして、全面的に協力させてもらうよ。」
アーレスは笑顔を浮かべた。カインが断らない事は判っていたが、この企てに彼の存在は必須であり、最重要人物であることは歪めない事実だった。
「感謝する、ブランピエール公爵。」
微笑みを浮かべて頷くカイン…穏やかな表情だが、どことなく憂いを帯びている様に感じる。
…原因は、まあ、そうか…
アーレスは密かに同情を抱いたが、カインにそれを気付かれない様に気を配った。人を思う気持ちはそう簡単に払拭できるものでは無い…それは自分が一番よく知っていることだ…
「…実は、これから国王陛下にもお話申し上げる予定なんだ。場合によっては、陛下のご観閲もあり得るかもしれない。…で、あれば、リュシアン殿下にも話しておくべきだな…うん、良いタイミングだ。」
アーレスは王太子夫妻の方へと視線を移しながら告げた。
「悪いが、訓練はこれで終了して欲しい。私は殿下と一緒に陛下のところへ行くから、妃殿下を城内までお送りしてくれないか?」
「え…急に、何を…」
戸惑いを隠せず、カインは眉根を寄せた。アーレスが悪戯っぽく口角を上げている。その意図は明々白々だ…
「今日は散歩するのに適している…陽はまだ高いし、遠回りするのも悪くないと思うが?」
軽く言葉を投げた後、アーレスは呆然とするカインをその場に置いて歩き出した。リュシアンのお守りはお手のもの…僅かな時間だが、妃殿下を解放して差し上げられるだろう…
つづく