冬の陽だまり
「シャリナを賭けの報酬にするなど不埒千万ぞ。」
肘付きの椅子にもたれかかってフォルトを眺めていたマルセルは嗜めた。
「親子喧嘩の果てに決闘…あげく、その有り様とは…」
フォルトの右胸がわずかではあるが赤く腫れている…今は召使いが周囲を取り囲んでいて、傷の治療と着替えのために忙しく動いている最中だった。
「親子喧嘩などではありませんし、この傷は異国の騎士との一戦で負ったもの…誤解しないで頂きたい。」
フォルトは訝しげに否定した。
皮肉ばかり言うこの義兄が今なぜここに居座っているのか理解できない…さっさと着替えを済ませてシャリナのもとへ行きたいというのに…
「さりとて、アーレスの負傷はそなたによるものであろうが。シャリナがどれほど心配しておったことか…」
「お言葉ですが、試合を望んだのはアーレスです。それに怪我の程度も大したことはない…加減はしたつもりです。」
淡々と受け答えながらも不機嫌な様子の義弟…マルセルは密かにほくそ笑んだ。苛立ちはごもっとも…一秒でも早くシャリナに会いたいに違いない。
「…何だこの服は?」
ブラウスに袖を通した後、差し出された上着を見てフォルトが言った。
「…晩餐の場には不釣り合いぞ。」
初めて見る上衣は随所に華美な装飾が施されており、夜会ならまだしも、日頃清楚なシャリナの腕を取るにしてはあまりに派手だった。
「それで良い。」
マルセルは言った。
「この服はエミリアが用意したもの…しのごの言わず、黙って袖を通せ。」
「…姉上が?」
不審な表情の公爵に不安げな従者達だったが、国王のお墨付きを貰うと安堵し、次の仕事を進めた。
華やかな上衣の上に公爵の象徴である胸飾りがかけられる。
「どういうことぞ、これではまるで…」
フォルトがついに声を上げた。
「うむ…なかなかの男前ぞ。」
フォルトの疑問を無視してマルセルが立ち上がる。
「前回とは全く違う…良い顔つきだ。」
「…前回?」
「そうとも...そなたがよだれを垂らしてもの欲しそうにしておるを見兼ね、とうとう王妃が強行に及んだのよ。」
「は?」
「シャリナを奪いたくて仕方がないのであろう?露骨に顔に表れておるぞ…」
「...な」
フォルトは愕然として目を剥いた。なんと下劣な発言だ!
「…だが、その憂いも今夜で終わる…婚儀を済ませれば解決だ。」
「…婚儀?」
「フォルト・パルティアーノ・ダ・ルポワド…余の自慢の騎士にして親愛なる弟よ。今こそ切なる願いを叶える時ぞ、ついて参れ!」
言い放ったマルセルが背を向け扉へと歩き出す...どこへ行こうとしているのか教えようともせずに。
…この狐め。
マルセルへの苛立ちは覚えるものの、それでも、フォルトの心は躍っていた。全ては王妃の企て…優しき姉の配慮に違いなかった。
…だとすれば、シャリナも…
フォルトは義兄の後を追って部屋を出た。
輝ける未来への第一歩...妻となる愛しい
者に会うために。
暁の間に誘われたシャリナは、満面の笑みを浮かべるエミリアに迎えられた。
今夜の王妃の装いは上品で、頭上には冠が乗せられている…社交の場に縁遠かったシャリナは、エミリアが戴冠している姿を見るのは初めてだった。
「急いで支度をしなくてはならないわ...挨拶は無しよ。」
エミリアは前触れもなく告げ、控えている侍女達に向けて目配せをした。自身は後ずさってシャリナから離れる。
「失礼いたします…」
有無を言わさず、集まった侍女達は猛然と動き始めた。茫然としているシャリナの衣服を容赦なく剥ぎ取り、結われていた髪を解いて素早く漉いていく…
爪を磨く者、化粧を施す者、王妃付きの女官は優秀で、シャリナは為すがままに従うしかなかった。
「このドレスは私からのお祝いよ。」
侍女二人がかりで運んで来たドレスを見ながらエミリアが告げる。
純白の絹織物…金と銀の刺繍に加えて、胸元には大きな真珠の胸飾りが施されている。見たこともない豪華な衣装に、さしものシャリナも異変を察し、微笑みながらこちらを見つめているエミリアに視線を移した。
「貴女が私たちの親族となる記念に、マルセルと一緒に選んだの。」
「親族…?」
「内緒にしていて御免なさい。こんな強引なやり方は良くないとは思ったのだけれど、弟があまりに不憫で放って置けなかった…今日この日にあの子を最高の歓びで満たしてあげたかったの。」
「エミリア様…」
「フォルトは幼い頃から気難しい子だった…お父様もそれには杞憂を抱いていらしたし、お母様も心配していたのよ…けれど、貴女に出逢って変わった。「立派な公爵になってシャリナを迎えに行く」と宣言して、それはそれは努力したのよ。」
「フォルトが…私のために?」
「…でも、そんな彼も運命には逆らえなかった。貴女がユーリと結婚してしまったことで失望し、意にそわない結婚をしてしまった…私が選んだ相手は、あの子を不幸にするだけだった…」
エミリアの目に涙が浮かぶ…その気持ちは痛いほど理解できた。
…フォルトもアーレスも、ずっとそのことに苦しんでいた…私がユーリとの幸せな時間を過ごしているその瞬間も…
「なんて綺麗なのかしら…」
エミリアがシャリナの頭に薄絹のヴェールを乗せて言った。
「これでフォルトは幸せになれる…もちろん、貴女もね。」
エミリアの笑顔に心を打たれる…
愛し続けてくれたフォルト…今こそ彼の愛に報いたい。
「さあ、行きましょう。フォルトが待ちわびているわ。」
エミリアはシャリナの手を握った。
この美しい花嫁こそが、弟にとって最高の贈り物となるに違いなかった。
回廊を進むシャリナを見た人々が目を見開く。
パルティアーノ公爵の突然の結婚に、シュベール城は騒然となった。
結婚の儀が執り行われるとの布告がなされると、婚儀を一目見ようとする貴族達が続々と誓いの間に押し寄せる。
会場は城の中でも相当な広さを誇る儀式用の広間ではあったが、それでも溢れ出た貴族たちが廊下に列をなして並ぶほどの盛況ぶりとなった。
「とうとうこの日が来ちゃった…」
リオーネが隣に並ぶカインに向かって言った。
「結婚はもう少し先だと思ってたんだけど…」
「うん、それは否めない。」
カインは静かに頷いてみせる。
「俺はまだ複雑だよ…」
対岸でリュシアンと話しているマリアナを見遣る…理解はしていても、心の整理はできていなかった。
…本音を吐露してしまえば角が立つ。黙して語らずが一番だ。
母の幸せを最優先に考えねばならないというのに、器の小さい自分が嫌になる…
…「黒騎士」が「漆黒の狼」になるまでには、まだまだ修行が必要だ。
双子の姉と弟は、それぞれ複雑な思いを胸に、シャリナが現れるのを静かに待つのだった。
「ああ、シャリナ…」
フォルトが踵を返して歩み寄り、シャリナを両腕で抱きしめる。
「美しい…ルポワド一の花嫁ぞ…」
「あなたも…とても素敵よ。」
「驚いたであろう…?前触れもなく挙式を行うなど、あの二人の強引ぶりには困ったものぞ…」
耳元に口を寄せてフォルトが囁く…もちろん、誰にも聞こえない程度の小声ではあったが…
「驚いたのは間違いないけれど、良い案だったとも思うわ。」
「なぜそう思う?」
「だって、今日はあなたの誕生日…この日に結ばれるなら、素敵な思い出になるでしょう?」
「シャリナ…」
フォルトは唸った。
頭に血が上って体が熱くなる…邪な感情が湧き上がり、欲望が全身を支配する…
…こんな時に何を想像しているのだ…私は!
「いい加減にせぬか!」
マルセルが呆れ声で嗜めた。
「戯れ合うのは婚姻を済ませてからにせよ。余は空腹でたまらぬのだ…早く終わらせて晩餐会を始めるぞ!」
国王の言葉に周囲からの失笑が漏れる。フォルトは眉根を押せたが、シャリナは小さく笑って前を向いた。
「国王の名において、公爵第一位であるパルティアーノ家当主、シュベール公フォルト・パルティアーノ・ダ・ルポワド公爵と、ペリエ領主、シャリナ・デ・アンペリエールの婚姻を認め、ここに署名するものとす。」
マルセルが手早く婚姻許可証に署名し、フォルトへと手渡した。
受け取ったフォルトが跪き、国王への口上を告げる。
「親愛なる国王陛下…ルポワドの王族として、我が妻シャリナとともに、その繁栄に尽力致すこと、ここにお誓い申し上げます。」
フォルトが告げおわると、シャリナも深く膝を折って首を垂れる。
「…うむ、ここへ至るまでには長い時間を要した…『狼』もさぞかし安堵しておろう…これよりは二人、仲睦まじく生きよ…」
「おめでとうフォルト。シャリナを大切になさいね。」
エミリアも目頭を押さえながら言った。
「御意。」
フォルトは立ち上がり、涙ぐむシャリナを優しく抱き寄せた。
諸侯と貴族が祝福の拍手を贈る。
シャリナとフォルトは口付けを交わし、永遠の愛を誓った。
結婚を誓った幼い恋…遠い日の約束…
「随分と遠回りをした。」
「ええ、本当に。」
「偽りが嫌いだから申すが…」
「…え?」
「今宵の舞踏会には参加せぬぞ。」
「…なぜ?」
「…もう待てぬ。」
「まあっ...」
シャリナは頬を染めた。
子供の頃からまっすぐなフォルト…今もそれは変わらない…
「もう、あなたったら…」
フォルトの腕をとってシャリナは言った。
「じゃあ、いつかみたいに抜け出して、あなたの部屋に行きましょう。」
「そうか!」
妻の悪戯っぽい微笑みにフォルトの心が躍った。
…シャリナの愛を感じる。
フォルトは声を出して笑った。
ようやく手に入れた至福の瞬間だった。
翌年秋、シュベール城
「母上、ここでしたか…」
暖炉の前に座るシャリナを見つけてアーレスが声をかけた。
手には編み物を持っていて、毛糸玉が膝の上に置かれている...
「あら…帰っていたの、アーレス?」
シャリナはアーレスに視線を移して微笑んだ。
「はい、風が強くなってきたので早めに切り上げて帰って参りました。」
「そのようね。髪が乱れているもの...」
「ああ…」
アーレスは髪に手を当て、立っている赤毛を撫でつける…
「寒くはありませんか?肩掛けを持って来させましょうか?」
「寒くはないわ…それよりも...」
シャリナが立ち上がってアーレスの髪を撫でる…癖のある毛が乱れ.絡まってしまっていたのだ。
「丁度良かったわ。帽子を編み終えたところだったの…大きさは合っているかしら?」
「...帽子?」
「ええ、寒くなる前にと思って,..」
シャリナは持っていた帽子をアーレスの頭へと被せた。形を工夫して見た目を良くし、風除けの耳当てをつけたものだ。
「形はまずまずね…きつくはない?」
「はい。」
「よかった…じゃあ仕上げをしてしまうわね。」
暖かな室内とシャリナの微笑み…自分のために編み物をしてくれていたのだと思うだけでアーレスの体が温まる…冬を迎えつつあるというのに、今年のシュベール城はまるで春の陽だまりのように穏やかな光に包まれているのだった。
「てっきり父上のものと思っていました。」
「彼の分はこの後に編むつもりよ。」
「私が先と知ったら、父上が不機嫌になるのでは?」
「その心配はないわ…そうしろと言ったのはフォルトだもの。」
「父上が…?」
「そうよ、過去には色々あったけれど、今の彼は貴方をとても大切に思っている…あれは優れた騎士だ、自慢の嫡子ぞ!って、自慢しているわ。」
「…まさか。」
「本当よ。」
シャリナは軽く頷くと、再び椅子に座って編み物を始めた。
困惑しながらアーレスも並び、母を見詰める。シャリナが嘘を言うわけはないし、真実なら驚くべき事実だ。
…母上のお腹にいる子が男子なら、父上は弟を嫡子としたいのではないのか?
アーレスは密かにそう思っていた。何より切望していたシャリナの懐妊…父の『希望』はその一点であると…
「さあ、これでいいわ。」
シャリナは最後の処理を終えて毛糸を切り、帽子をアーレスの頭に被せた。
「似合いますか?」
「ええ、そう思うわ。」
耳当てがふんわりとして暖かい…まるでシャリナそのものだ…
「感謝します母上、大切に使わせて頂きます。」
アーレスは笑顔を浮かべて言った。
どんな高価な品よりも、貴重で嬉しい贈り物だった。
「随分と大きくなった…」
シャリナのお腹を撫でながらフォルトは言った。
「もう少しで動き始めるわ…」
「...そうなのか?」
意外そうなフォルトに、シャリナは驚いて彼を見つめる。
「初めてじゃないでしょう?」
「..前の妻とはそんな話をしたことがない。」
「まあ...フォルト...」
臆面もなく言うフォルトに、シャリナが向き直る。
「こんなに慈しんでくれる貴方なのに…信じられない。」
「私はそなたしか欲しくなかった…前の結婚は嫡子を必要としていたからに他ならず、妻を愛したことは一度も無い。」
「私のことを…ずっと思っていてくれたの?」
「思っていた...ずっとそなただけを...」
フォルトはシャリナにキスをして抱きしめた。
「私の口説きをこの子も聞いておろうか?」
「ええ、全てね。」
「ではそなたの悦びもわかっているのだな...」
「そうよ。」
「父と母が愛し合ってそなたができたと...もっと伝えねば....」
「もう...あなたったら、愛し合ったばかりなのに...」
「...いやか?」
「いいえ..とても嬉しいわ」
「...良くぞ言った。」
フォルトの囁きにシャリナが応える…その時だった。
「フォルト....」
シャリナは言った。
「動いてるわ...」
「なに...」
手を掴まれ、フォルトはシャリナのお腹に手を置いた。掌に確かな感じる胎動...小さく僅かに動いている...
「おお...」
フォルトは声を上げた。
「...確かに動いているぞ!」
「この子も嬉しかったのね。…さあ、赤ちゃん...これがあなたのお父様よ。声が聞こえるでしょう?」
シャリナは優しく問いかけた。
フォルトがお腹に顔を寄せたからだった。
「我が子よ。父は早くそなたに会いたい…無事に生まれてくるのだぞ…」
フォルトの優しい言葉にシャリナは涙を浮かべた。
…ユーリもそう言ってくれた…彼はいつでも慈しみと労わりを惜しまなかった...
「...なぜ泣く?」
フォルトが顔を上げて尋ねた。
「嬉しいの...また赤ちゃんを産めるなんて思ってもみなかったから...」
「シャリナ...」
「花の芽吹く頃には会える...アーレスの兄弟よ。」
「うむ...この子はパルティアーノの宝…アーレスと同じ、大切な家族ぞ。」
フォルトの手の下でまた胎児が動く…まるで父に応えているかのように...
フォルトは微笑み、愛おしげにシャリナの腹部を撫でた。
じきにアーレスも戻って来る…共に名を考えるのも良いだろう…
フォルトは思案を巡らせた。
春の訪れが待ち遠しかった…
「勝利を君に」
おしまい…
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「勝利を君に」を
最後までお読みくださり
ありがとうございました。
失望から始まったフォルトの愛…
シャリナへの思いを一途に守り続けた、華麗なる騎士の物語…
いかがでしたでしょうか?
嫡子を得るためだけに意に沿わぬ結婚をしたフォルトと、その子、アーレス…
不幸せだった二人のパルティアーノにとって、シャリナは何よりも大切で「必要」な存在でした。
この作品を通して「愛とは何か」を理解した様な気がします。
どうか読者の皆様にもこの想いが届きます様に。
…では、また次回作にて。
ヴェルネt・t




