アーレスの挑発
ペリエ城の雇われ城主
↓約束の輪舞
↓ペリエ城の荊姫
↓ペリエの黒騎士
勝利を君に
という順番でストーリーが展開しています。
フォルトとシャリナの愛情物語です。
過去
ルポワド王宮大広間、舞踏会場
「僕はそなたと結婚する…迎えに行くから待っているのだぞ。」
「…結婚ってなに?」
「シャリナと僕が一緒に暮らすことだ。」
「フォルトと一緒に?」
「そうだ。一緒に食事をしたり、毎日ダンスをする。」
「毎日?」
「僕は大人になったら公爵になる。そうしたらシャリナのために舞踏会を開けるぞ。」
「ぶとうかい?」
「…そうさ。たくさんの貴族を呼んで、その中で踊るんだ。」
「楽しそう…でも…疲れちゃうかも…」
シャリナは言いながら大きなあくびをした。
その答えにフォルトは少しがっかりしたものの、シャリナはまだ幼く小さいので仕方がないと思った。
「眠いのか?」
「うん…」
「じゃあ僕の部屋で眠ろう…僕も少し疲れた。」
「…うん。フォルトと一緒に行く…」
無邪気に頷くシャリナの小さな手を握り、フォルトは歩き出した。
幼い二人が会場を後にしても関心を向ける者など一人もいない。
父のパルティアーノ公爵はマルセル王太子と話しているし、母も社交に夢中で自分には目もくれない。シャリナの祖母、アンペリエール夫人も忙しそうだった。
目をこすりながら大人しく着いてくるシャリナの手を引きながら、フォルトは誰もいない廊下を歩いて行った。
回廊を歩き、階段を登り、子供にとって長い道のりだったが、どうにか無事に部屋までたどり着くことができた。
「フォルトのお部屋、大きいね…」
シャリナは菫色の瞳を輝かせて言った。
「ペリエのお城と全然違う…」
「…そうか?」
フォルトは自然に微笑んでいた。シャリナが自分の部屋にいるのが斬新で嬉しい…
「このベッドで眠ろう…僕も一緒に寝るから。」
「うん…」
シャリナは靴を脱ぎ、ベッドへと登った。
「とってもふかふかね…」
羽枕の感触が心地よく、シャリナは枕に顔を埋めて微笑んだ。
「僕と結婚したら…毎日ここで寝られるぞ。」
フォルトも隣に横たわり、シャリナの顔を覗き込んだ。
「…本当?」
「僕は嘘つきじゃない。」
「…じゃあ、フォルトと結婚する。」
「まことか?」
「うん…まこと。」
「じゃあ、誓いのキスをしよう。」
「いいわ。」
フォルトはドキドキしながらシャリナの口にキスをした。シャリナは無邪気に受け入れると瞼を閉じる…すぐに夢の世界へと入って行ってしまった。
「…約束ぞ。」
シャリナの寝顔を見つめながら、フォルトもまもなく眠りに就いた。二人は毛布に包まれ、身を寄せ合って眠った…
「まあ、ご覧なさいアンテローゼ…」
メラーニ・パルティアーノ公爵夫人は部屋に入ってきたアンテローゼを手招きしながら囁くような小声で言った。
アンテローゼが言われるがままにベッドを覗き込むと、小さな二人の子供が身を寄せ合って眠っている…
「なんて可愛いのかしら…気難しいフォルトが誰かをこんなに気に入るなんて初めてよ…」
「とんでもないご無礼を…」
アンテローぜは困惑し、眠っているシャリナに向かって手を伸ばそうとしたが、メラーニはその手を制して口角を上げる。
「ぐっすり眠っているわ…目を覚ますまでこのままにしておきましょ」
「…はい、公爵夫人。」
アンテローぜは恐縮し、下がりながら膝を折った。
「ねえ、アン。貴方の弟、クグロワは公爵だわ。彼は独身で、もう再婚はしないと公言してる…だったら、シャリナをブランピエール公爵家の子にしてしまいなさいな…そうすればフォルトと婚約させられるし、シャリナはパルティアーノ夫人になるわ。」
「光栄です…夫人。」
「クグロワは素晴らしい人…彼と縁組みをすれば、パルティアーノにとっても良いことよ。きっとルポワドに新たな英雄が生まれるに違いないわ。」
鳶色の瞳を輝かせる夫人に、アンテローぜは頷き、微笑んだ。
メラーニはクグロワを慕い続けている…弟もそれを承知していた。戦ばかりに没頭するあまりに子種を失い、結婚を諦めることになってしまったが…
「いずれ夫に話してみましょう。貴女も賛成してくれるわね?」
「もちろんですわ。」
アンテローぜは頷いた。
むろん、それは当分先の話…フォルトはまだ9歳、シャリナは4歳なのだから…
〜〜〜〜〜〜〜〜 ○ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ○ 〜〜〜〜〜〜〜
「…あなたの手をとることはできない。」
一度は見開かれた菫色の瞳…
刹那の輝きもすぐに消え、シャリナは哀しげに首を振った。
「貴方のような方が跪くなんていけないことだわ…」
シャリナは差し伸べた手を掴むことなく背を向けた。
咄嗟に愛を告げてしまったが、ユーリを失って間もなかっただけに、断るのは当然のことであっただろう…
あの日から一年以上が過ぎ、フォルトはシャリナに会うことも儘ならず、憂鬱な日々を過ごしていた。
ただ時間を費やし、気持ちを逃がすだけで埒が開かない。
頑な心を開くには何をすればいいのか…どうすれば、彼女に希望を与えられるのか…そればかりを思案していた。
「父上…食事が冷めてしまいますよ。」
考え事を中断され、フォルトはふと顔を上げた。正面にいるアーレスと視線が合う。彼は眉をひそめていた。
「…それを片付けてしまわないと、次の料理が出せないのです。」
フォルトは我に帰って彼の皿を見遣った。乗せられていたはずの料理はすでに無くなっており、テーブルには次の皿が置いてある…
「そうであった…」
フォルトは応え、ようやく料理に手をつけた。食事は単独で摂ることが多いフォルトだが、今夜はアーレスが帰って来ており、珍しく夕食を一緒に摂っているところだったのだ。
…父上はなぜ躊躇っておいでなのだろう
そんなフォルトの様子を垣間見ながら、アーレスは密かにほぞを噛んでいた。ペリエ男爵が亡くなった後、彼の遺言によって夫人の後見人となった父…変わらぬ想いを募らせて来ただけに、すぐにでも行動を起こすものと思っていたのだが…
…夫人の気持ちを慮れば時期尚早なのかも知れない。しかし、リオーネとカインの話によれば、寡婦となってからの夫人は失意の底にあり、身体も痩せてペリエ城に引きこもりがちだという…
…父上からの贈り物や花束が届いた時はとても嬉しそうにしているとリオーネが言っていた。カインも見解は同じ…夫人は父上に心を寄せている…ただ、男爵への強い想いに囚われているだけなのだと。
…あなたがパルティアーノになる…それは叶わぬ願いでしょうか?
シャリナに対する思いなら父には負けない。夫人にまたあの穏やかな笑顔を取り戻して欲しいと誰よりも心から願っている…
…否
アーレスは否定した。これまでは父の命に従い、抗うことなく生きてきた…しかし、この件に限っては別だ。
「欲しいものは自ら手を伸ばして引き寄せる。」
この父の信条を、今こそ自らが実行すべき時だ…
「…申し上げても宜しいでしょうか。」
アーレスは言った。
「…申せ。」
食事を続けながらフォルトが応えた。視線だけをアーレスに差し向ける…
「再来月の父上の誕生祝いの余興に、馬上槍試合を開催したいと考えているのですが、いかがでしょうか。」
「…槍試合?」
フォルトは反問した。
「はい。大会の覇者であったユーリ閣下を偲ぶ意味でも、無二の好敵手である父上が主催されてはいかがかと…」
「…確かに、グスターニュ公が存命の頃には盛んに開催されていたが、昨今は主催する領主も少なくなったな。」
「催しは騎士の指標にもなります。試合に向けて鍛錬する者も多くなるでことでしょう。ふた月あれば準備は間に合いますし、諸侯への布告も可能です。」
「なるほど…祝いの余興としては悪くない。」
「ご同意をいただけますか?」
「まあ、良いだろう。」
アーレスは思わず口角を上げた。期待に胸が躍る…父の許可さえあれば、事を一気に進めることができる。
…パルティアーノ家はルポワド貴族の頂点、父上の誕生祝いであれば、アンペリエール夫人も招待を断らないだろう。
だが、それだけでは足らない。もっと決め手が必要だ。
「もう一つお許しを頂きたいことが。」
アーレスは意を決して告げた。
「…まだ何かあるのか?」
フォルトは眉根を寄せた。アーレスは微笑んではいなかった。瑠璃色の瞳を真っ直ぐに差し向け、固く表情を引き締めている…
「試合には父上もご参加いただけますね?」
「当然であろう。私は国王自慢の騎士…臆すれば国中の笑い者ぞ。」
「安堵しました。」
アーレスは頷くと、姿勢を正した。
「この試合、欲しいものを賭け、私は父上に挑もうと思います。」
「賭け?」
「はい。」
「欲しいものとは…なんだ。」
「シャリナ・アンペリエールです。」
「…は」
フォルトは我が耳を疑った。
「今…なんと申した?」
「父上に勝利したら、私は彼女に求婚します。」
「な…そなたが…シャリナに…求婚?」
不測の事態に動揺し、フォルトは頭が真っ白になった。
「何を言い出す…冗談にも程があるぞ、アーレス…」
「冗談ではありません。私は本気です。」
父とは対照的に、アーレスは冷静だった。
「愛する女性を賭けの対象とするのは胸が痛みますが…結婚に際しては父上が所持している夫人の後見の権利を譲り渡して頂かねばなりません。ですからどうかそのご承諾を…」
「…馬鹿を申すでない!」
フォルトは叫び、憤然と立ち上がった。
「そのようなことを承諾できると思うか!事実をシャリナが知れば私はそれこそ軽蔑されよう…だいいち、シャリナが頷く訳がないではないか!」
「そうでしょうか?それは夫人が選択することであり、決めつけるべきではないと存じます。父上がこの勝負を拒まれたとて結果は同じ…阻止したいのならば、私に勝利することだ。」
淡々と告げるアーレスに、フォルトは低く唸った。従順だった息子の挑発…こんな事は初めてだ。
「はっ…」
フォルトは笑った。
「勝負を拒む…?侮るでないぞ。そなたに負けるなどあり得ぬ!」
猛然となって荒ぶる父を、アーレスは静かに見上げた。
「そこまで言うなら受けて立とう。無論、私が勝利すればこの話は反故だ。結婚に関するシャリナへの発言は生涯禁ずる!」
アーレスを直視しながらフォルトは告げた。衝撃の強さに目眩がする…なんということだ!
「承知しました。」
アーレスは頷いた。
「お約束します。父上こそ約束をお忘れなきよう。試合等の準備は全て私にお任せください。素晴らしい祝賀会にしてご覧に入れます。」
アーレスは抑揚なく告げると席を立った。フォルトに背を向け、出口に向かった。
…父上を承諾させることには成功した。この先はいろいろと根回しをしなければならないな…
悲しみの中にいるシャリナ…彼女を思う時、アーレスの心は激しく揺れる…
…貴方をきっと幸福にして見せる。
慈愛に満ちた優しい眼差し…アーレスは思わず頬を赤らめた…
「…なんと言うことだ。」
一人になったフォルトは深くため息を吐いた。
「アーレスがシャリナを…」
どうにも腑に落ちない…いつからその様な思いを抱いていたのだろう…母の様に慕っているものとばかり思っていたが…
賭けはジョストの勝敗で決まる…要するに勝てば問題は生じず…杞憂を感じる必要はない。
…いずれにせよ、その考えがどれほど軽率で愚かであるかを思い知らさねばならぬ。そなたに勝機などはない…漆黒の狼亡き今、私に勝てる者などルポワドには存在せぬ。
「…だが、万が一シャリナがアーレスに傾倒すれば…」
あらぬ妄想が首をもたげた…若いアーレスが真剣に口説けば、シャリナの心が動くかも知れない…
「いや…あり得ぬ!」
フォルトは大股で広間を後にした。
「シャリナは…愚かではない。」
襟を正すべきだと己を律した。
過信は禁物であり、油断は敗北につながる…
「狼が無敗の覇者であったのは自らの評価に対して驕り高ぶることがなかったからだ。」
誰よりも誇り高い騎士だった『漆黒の狼』…
フォルトは深くため息を吐いた。
「ルポワドの英霊となったあの男から、私はシャリナを奪えるのだろうか…」
つづく