表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/15

 知っているようで知らない人が僕の目の前に居た。ここは田舎のはずだ。なのに、その知っていそうで知らない人は、「ここは東京だよ」と、何を馬鹿なことをほざいているのだと呆れ顔で言った。そういうときは大抵、いつの間にか時間が経過していて、部屋の中にいたはずなのにいきなり車に乗っていたりする。だが、部屋から車に乗るまでの経緯がすっぽりと抜け落ちているのだ。かといって瞬間移動したようにも思えない。そこの間の記憶がないだけで、時間の経過は否応なしに感じられる。


 なぜ僕は瞼を開いたのか。なぜ僕はそんな夢を見たのか。その夢の中に出てきた人物が誰だったのか。なぜ関わりのない共通の知人が交わっているのか。僕がいた部屋はどこだったのか。誰の車の中にいたのか。それらを目を覚ましてやっと疑うことができる。それが夢だということがそこで確立する。


 薄い青の広がった空だった。だだっ広い空が見える。その下でいくつもの定型のない石碑が天に届かず泣いている。緑の上で目を覚ます僕は、幼少の頃に何度か訪れた霊園だということを理解した。


 頭痛に頭をくらませ、無造作に触れた額には、凝固した血液の塊がついていた。指先に付着したそれが、僕の想像を巡らせた。墓地で暴力なんて夏祭りの神社かよって。


 また目覚めてしまった。そう思うまでもなく、僕は立ち上がる。


 つっかけていたサンダルのせいで、足の甲は露出していた。青い雑草が皮膚に触れて絡まった。音を立ててその草たちを踏んでいった。


 そこに立っている墓石。この墓石。そっちの墓石。歩きながら見ているだけなのに、どれも個性があることがわかった。色が違う。石の性質が違う。光の通し方も違う。上質な墓石の隣に、他と比べて小さい石が置いてあるだけの墓。花弁のなくなった芯だけの束。


 想いは溶けて行ったのだろう。時代の速度と気候によって風化され消えていった。誰にも気づかれずに。


 なんだ。僕と同じじゃないか。僕もいずれそうなるんだよ。そう強かな風に乗せて、知りもしないもういない相手に向かって弔いの言葉を置いて回った。



 歩くのは好きだった。どこまでも一人でいられるから。僕の横を颯爽と過ぎ去る車が、まだ時代は回っていて僕が生きているということを無意識に誇張してくれた。横に枝分かれしないその一本のアスファルトの上が、僕にはちょうど良かった。この道に乗ってしまったら君がたどり着ける場所は一つしかない。そう言われているような気がして、声には出さないが、道そのものが友達のように思えた。こいつだけはずっと僕に寄り添ってくれるって確信があったから。それが、死という友達だったとしてもだね。



 どれだけ歩いたろう。太陽は西の山へと隠れてしまって形を認識できなくなっていた。その光だけを視界に残して、僕は進んだ。


 ここへきて初めて腹が鳴った。下っ腹がへこんでいる感覚がある。辺りは暗くなり始めていて、車の通りも穏やかになっていた。一人ぽつんと人生の道中で残されているような気さえした。


 もう日は落ちた。真っ暗だ。こんな山道に街灯なんてない。だが、だからこそ、一つの灯火がより輝いて見えるのだ。


 僕の人生の到達点。それが数百メートル先に見えていた。こんな山奥で賑わいを見せる宿なんて天国と同じくらい憧憬の念が抱かれる。この真っ暗な道中なんて誰も声を出さないのに、あの灯火一帯では、幾人かの人影がわらわらと群がっている。そんな僕の横を、一台のワゴン車が過ぎ去っていった。


 きっとあの車に乗った人も、人生の到達点へと誘われているんだ。僕みたいな人がいっぱいいるんだ。


 はじめて自分の置かれた環境を卑下したくなった。


 いいじゃないか。それだけ苦しんだんだから。


 いや、苦しんでなんかいないよ。充実した生活だった。


 お前の友人たちは、土日になると市街に出て遊ぶんだぞ?


 そういうの、言い訳にしたくない。


 みんな遊んでいるのに、お前は遊びたくないのか?


 ああ。僕は遊びを知らない。


 恋愛は?


 恋愛って何?


 誰かに自分を許容してもらいたくないのか?


 あんまり人に自分のことを話すのは得意じゃないな。


 お前、誰のために生きているんだよ。


 そんなこと考えたこともないな。


 人は一人じゃ生きられないことぐらい、お前だってわかっているだろう。


 金……か。


 ああ。誰かに媚びてみるのもいいんじゃないか?


 それなら意外と得意かもしれないな。


 ああそうだ。乞食になったって、媚びるのに本性なんかさらけ出す必要はない。


「そうやって、君の両親も生きているのよ」


 ああ。本当に天国のような場所に来たのだと思った。僕の心をすべて知ったような奴が、脳内で僕の脳味噌を蝕んでいる。そんな絶対的な存在が、身近に感じられる。神は遥か遠く上の方にいるはずだ。だが、僕は今その遥か遠く上の方に来て、神と肩を並べているのだ。


「何が食べたいですか?」


 何を食べてもいいのか、ここは。贅沢な場所だな。


「はい。なんでもありますよ」


 なんでも? そう言われても、高尚な大人の食べる料理の名前なんか知らねえよ。


「ラーメンはどうですか?」


 ラーメンか。最後に食べたのなんていつだったっけ。カップラーメンしか思い出せないよ。


「煮干しと味噌カレー牛乳、どちらがお好きですか?」


 変な組み合わせだな。やっぱり僕みたいな人間には、庶民の味がお似合いだな。


「味噌カレー牛乳ラーメン。美味しいですよ?」


 え?


 僕は地面に寝ころんでいた。大きな灯火が見える。ああ、たどり着けたんだ。なんか白い袴を着た女性が見える。


「貴調さん! お仕事です」


 ああ、なんだ。やっぱり夢か。交わるはずがない二人が交わっている。もうすぐ目が覚めるはずだ。時計を見たら五時で、朝ご飯作って、また遅れて学校に行って菜月にいろいろ言われるはずだ。


「え!」


 あ、菜月がこっち向いた。赤い袴着てる――。


 き、ちょう?


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ