【友達】
ぼくは訳も分からず父に連れていかれる。一か月に一回。決まって第三土曜日。何があってもその日は、父に家から連れ出された。
どこに向かっているかと言うと、正確にはぼくにもわからない。ぼくにわかっているのは、星原霊園のもっと向こう。峠を越える直前の辺り。そこの建物に行って、同年代かちょっと上ぐらいの女の子と遊ぶことだった。
最初に会ったのは、小三の春だった。
ぼくは朝が弱い。友達の祐也も傑も恵美ちゃんも、みんな朝早く起きれるという。この間なんて、「一緒にママと朝ご飯作るんだー」なんて自慢してきた。「パパ、おいしそうに食べるの」なんて恵美ちゃんも言う。
そんな周りのことも知っていたせいか、ぼくは朝が弱いということを周りに言い出せなかった。
四月も始まって二週間ぐらい経った。小三になってもクラス替えはなかった。今まで通り祐也もいたし、傑も恵美ちゃんも同じクラスだった。休み時間は校庭でサッカーしたり、体育の授業で縄跳びをやったときは、その日の休み時間は縄跳び。西の空が暗くなっているのも忘れて、放課後も縄跳びに明け暮れた。いろんな跳び方を習得して、みんなに見せあって自慢しあっていた。
授業を終えて家に帰ると、いつもくたくただった。たまに帰ってくる母さんは、「なんでそんなにくたくたなの?」なんて言って、居間で寝ていたぼくを引っ張り起こす、ときもあった。
母さんはたまにしか返ってこない。理由は知らない。前に父さんに聞いたら、「母さんはな、仕事で忙しいんだよ。だから夜は遊びに行くんだ」
「どこに遊びに行ってるの?」
「遊園地だな」
「ぼくも行きたい」
「俺たちはいいんだ。二人で十分だろ。それともなんだ。父さんと二人じゃ嫌か?」
そんなことを父さんに言われ、ぼくはしぶしぶ引き下がる。父さんは嫌いじゃないから。
でも、たまにしか返ってこない母さんは嫌いだった。帰って来たら来たらでぼくをひっぱたく。「そんなんじゃ大人になったら生きていけないよ」毎回言われるけどよく意味が分からない。前に一度考えてみたことがあったけど、気づいたら寝ていた。そんな母さんでも、会いたくないかって言われるとそうでもない。
「母さんはな、すごい人なんだよ。父さんもな、昔助けられた」
父さんの口癖だ。決まってこんなことを言う。その顔にはいつも笑顔があって、おでこには横に三本皺が寄る。そんな父さんが好きだった。
その日、ぼくはいつもより早めに寝た。明日の朝、祐也たちと遊ぶ約束があって早く起きたかったからだ。
しっかりと目覚まし時計をかけておいたおかげで、時間通りに目覚めることができた。早く起きられたのがうれしかったのもあって、父さんに早くこのことを伝えたかった。
隣にあった布団の中に父の姿は見られなかった。だから、台所で朝ご飯を作っているか、洗面所にいるのだと思った。最初に台所に行くと、いなかった。洗面所に行くと、そこにはやっぱり父さんがいた。
「父さん! ちゃんと起きれた!」
ぼくは自慢げに言った。でも言った後でなんかちょっと変だなと思う。そこにいた父さんは怒っているような雰囲気だったから。
「歪。これからちょっと出かけるから準備しろ」
「え? 今日は駄目だよ。祐也たちと縄跳びする約束したって言ったじゃん」
「いいから着替えて車に乗ってくれ」
「いやだよ。もう約束しちゃったし」
「頼むから車に乗ってくれ!」
ぼくは慄いてしまった。声を張り上げた父さんが怒っているのだと思った。笑顔の父さんを知っている分、怖く見えた。
少し迷ったが、しょうがなくぼくは着替え、車に乗り込んだ。
「父さんどこに行くの?」
「ねえ」
「ねえってば」
ぼくの言葉を全然聞いてくれなかった。ぼくは仕方なくシートにもたれかかり、じっと外を眺めていた。じっと眺めていると、すごく気持ちが落ち着く気がした。でも心の中ではモヤモヤして、父さんにどこに行くか聞きたいという気持ちが少し、少しだけどあった。
車が止まったのはコンビニだった。
「なんだ、コンビニじゃん。朝ご飯コンビニでってことね」
ぼくは、大好きなあの海苔のパリパリしたおにぎりが食べられると思ってウキウキしながら車を降りようとした。でも、父さんに止められた。
「車で待ってろ」
ぼくはまた、シートにもたれかかった。
早く家に帰りたかった。今から車で向かったとしても、集合時間には間に合いそうもなかった。今から行くのもめんどうくさくなってしまった。月曜日に学校に行ったらなんて言い訳しよう。祐也と縄跳びの二重飛びでどっちが多く飛べるか競争しようと約束していたのに。恵美ちゃんは許してくれそうだけど、祐也は「お前逃げたな」なんて言われそうでちょっと嫌だった。
そんなことを考えていると、父さんが車に戻って来た。
「何買ってきたの?」
ぼくが袋の中身を探ろうと身を乗り出すと、父さんはハンドルの前に袋を持って行って、ぼくに届かないようにしてしまった。袋の中から父さんはおにぎりを一つ取り出した。
「これ食え」
そう言ってぼくに手渡した。あのパリパリが食べられる。ぼくは興奮を抑えきれず、すぐにビニールをはがして食べた。
食べ終わってからだった。
「ねえ父さん。飴ないの?」
「ない」
「お菓子は?」
「……」
「ジュースは?」
ぼくはまたシートにもたれかかった。窓の外を見た。多分寝た。
どのくらい寝たか、起きると父さんの顔があった。
「行くぞ」
そう言って父さんは、車を降りてぐんぐん進んでいった。ぼくははぐれちゃいけないと思ってすぐに車を飛び降りた。
不気味だった。歴史の教科書で見た、昭和の店みたいな建物だった。
「お、おお、え、なんて読むんだ。大なんとか」
屋根の下に横長の看板があった。
「ここで待ってろ」
そう父さんは言って、その建物の中に入って行った。
ぼくは、その屋敷みたいなところを眺めていた。手前に石の壁があって、奥は古びた料亭? まだ明かりもついていないそこに、父さんは入って行った。
多分、今日の父さんは機嫌が悪いだけだ。そう思っていると、中から音がした。
出てきたのは父さんと知らない女の子だった。身長が同じくらいで、歳もぼくと同じくらいだと思う。ほっかぶりの袴のような服を着ていた。
「この子と遊んでやれ」
父さんはそう言って、彼女の背中を押してぼくの方へと近づけた。
「えっと、よろしくお願いします」
ぼくは、女の子がお辞儀をする姿を見ていた。
「ほら、歪も挨拶しろ」
そう言われてぼくも挨拶する。
「あ、ええと、小笠原歪です。小三です」
「私は、きちょうって言います」
変な名前だった。
「じゃあ、あとのことは貴調に任せてあるから。俺が迎えに来るまで一緒に遊んでやれ」
そう言い残して、父さんは車に乗って行ってしまった。
車の音が消え、二人だけ取り残された。
とりあえず話しかけてみる。
「えっと、きちょうちゃん?」
「はい」
その顔は、どこか、学校の先生のような顔をしていた。恵美ちゃんとは全然違う。もっとこう、きりっとしたというか、少なくともぼくの周りにいる友達の中に、そんな顔の人はいなかった。
「ここに住んでるの?」
「はい。ずっとここで働いています」
「なんかちょっとここ怖くない?」
「そうですか?」
「うん。もっと明るいとこ行かない?」
そう言ってぼくらは歩き出した。
周りは木でいっぱいだった。右には岩の壁が見える。その上に木が立っている。左も気でいっぱい。とにかく、暗い雰囲気だった。
「この辺り知ってるの?」
「はい。昼間は多少歩き回ったりしますので。もうちょっと先に行くと公園があります。そこならもう少し明るいと思います」
ぼくたちは、車が四台横一列に並んで走れるような広さの道を歩いた。左右どちらにも岩が顔を出していて、この間、理科で習った地層みたいだった。その地層の上には、木が生い茂っていて、空が少ししか見えなかった。まるでぼくたちよりも大きい誰かが、雑草の生えた地面をしゃべるでまっすぐ掘ったような、そんな道を進んでいるようだった。
ぼくもよくそんな遊びをした。公園の砂場でしゃべるで道を作って、そこに水を流したりして。だからそのことをきちょうに話した。まるで誰かがしゃべるで掘った道みたいだね、ぼくも友達とやったことがあるんだ。そんな話を真剣に彼女は聞いてくれた。
新鮮な感覚だった。恵美ちゃんや傑と話すときはこんなこと思わないんだ。ただしゃべっている。すると傑が自慢を始める。そしてなんとなく走ったり、遊んだり。傑たちとはいつもそうやって話していた。
彼女はなんだかちょっと違った。ぼくの話を真面目に聞いているだけで、ちっとも彼女自身が話さないじゃないか。
だから、ぼくは聞いた。
「なんで、きちょうちゃんは話さないの?」
「え? そんなことないですよ。私も話します」
「嘘だ。だって、ぼくの話聞いてるだけじゃん」
彼女は不思議そうな顔をした。首をかしげて。なんだかおもしろい子だった。逆に興味がわいてくる。
歩いていると、彼女の言った通り、公園があった。赤い滑り台が見える。シーソーもある。車でずっと退屈な時間を過ごしたせいか、ぼくはそれにすぐにでも乗りたかった。
「滑り台がある!」
「そうね」
ぼくは、走ろうとした。走った。でもやめた。だって、きちょうがついてこないんだもの。
「早く行こうよ。走ろう?」
「私は後から行きます。歪様は、先に行ってください」
「さ、さまって何?」
「え?」
「くんとかさんなら呼ばれたことあるけど、様なんて初めて。ひずみでいいよ。ぼくもきちょうちゃんって呼びづらいから」
ぼくがそう言うと、彼女はまた困った顔をする。何が何だかさっぱりだった。きちょうは困ったちゃんなのか。
「もういいから行くよ」
そう言ってぼくは彼女の手を引っ張って走った。彼女は走るのが遅かった。いつもなら傑や祐也と、誰が一番早く公園に着けるか勝負しているところなのに。
ぼくはちょっと足を緩めながら、
「きちょうって走るの遅いね」
「よく言われます。どんくさいって、お姉さま方からも」
「ふーん。じゃあ早く走る方法教えてあげるよ。これでぼくも早くなって、傑にも勝てるようになったんだ」
「どうやるんですか?」
「あのね、足の中指に輪ゴムをひっかけて、一回捻って踵にも引っ掛けるんだよ。簡単でしょ?」
「そんなことで早くなるんですか?」
「なるなる。いつも負けてた傑にこの方法で勝ったんだから」
そう言った直後だった。ぼくは何かに躓き、転んでひっくり返った。ぼくが痛がっていると、きちょうがしゃがんでぼくのことを見ていた。
「大丈夫ですか?」
その顔が、何とも言えなかった。
ぼくたちは父さんが来るまでずっと遊んだ。最初はブランコに乗って、どっちが高く漕げるかってのをやろうとしたけど、
「私はゆっくり乗ります」
なんてきちょうは言う。
「じゃあ、靴飛ばしは?」
「やったことないです」
靴飛ばしをやったことない奴なんて、初めて見たわ。
滑り台も一緒にやろうって言ってもやらないし、シーソーだって断られた。なんなんだこの子は、って思ったけど、別にぼく一人で遊んでいても楽しかったから無理には誘わなかった。でも、滑り台の上からずっとブランコに乗りっぱなしのきちょうを見て、つまらなくないのかなと思った。
「なんでずっとブランコに乗ってるの?」
「私はこれでいいんです。怪我してもいけないから」
「怪我なんかしないよ。滑り台なんて滑るだけじゃん」
ぼくがこっち来なよと呼んでも彼女は来なかった。しょうがなく、ぼくも彼女の隣のブランコに座った。
「いつもブランコに乗りっぱなしなの? もっと遊べばいいのに」
「いえ、私は身分が違うので」
「みぶん?」
「はい。私は下っ端なので、いつも掃除とかしてます」
「勉強しないの?」
「あ、勉強はしますよ」
「今、何習ってる?」
「生きていくための、術?」
「何それ。難しい。なんか大人っぽいね」
そうぼくが言ったのは、母さんがそう言っていたからだ。たまに帰ってきてぼくをひっぱたく母さんは、「寝てる暇があるなら、もっと生きる術を学びなさい」ってそんなことを言う。
「ぼくの母さんも生きる術を習えって言うんだよ。でも、国語とか算数は知ってるけど、生きる術っての学校で習ってないからよくわからないんだよね」
そう言うと、彼女はケタケタとちょっと笑った。笑いながら、
「生きる術は科目じゃないですよ。もっとなんていうか、どうしたら社会に出て自分を守ることができるかとか、どうしたら人に喜んでもらえるかってことです」
「ああなんだ。社会のこと? それならこの間社会科見学に行ったよ。近くのパン工場に行った」
「へえ、そんなことするんですね」
「行ったことないの?」
「はい。なんか楽しそうですね」
「うん。パン貰って食べたらおいしかった」
そのときのことを思い出して、ぼくは意気揚々ときちょうに話した。でも、気づくとやっぱり彼女はぼくの話を頷きながら聞いているだけで。それはそれで悪い気はしないのだけれど。
「きちょうのことも教えてよ」
「え、私ですか?」
「うん。だって、なんにも自分のこと話さないじゃん。傑とか、すぐ自慢話するよ。父さんに自転車買ってもらったーとか」
きちょうは、止まっていたブランコを少し漕ぎだした。ゆらゆらと揺れるのを見て、ぼくも少し漕いでみる。
「私はですね、いつも雑巾がけをします」
「あ、それならぼくもするよ。教室の床を、木目に沿ってしろって言われた」
「はい。そんな感じです。長い廊下をまっすぐ走ってやることもありますし、個室の中を箒ではいたりもします」
「廊下やるやる。疲れちゃうんだよね」
「そうですね。私も途中で疲れて止まっちゃうんです。そうすると怒られちゃうんですよね」
「へえ。雑巾がけ止まっただけで怒られるんだ。遊んでると怒られるけど、ちゃんとやってれば先生何も言わないけどな」
ぼくもきちょうも、ゆっくりとブランコを漕ぎながら、そんなことを話した。ぼくはひたすらに楽しいことを話し続けた。で、時折彼女も自分のことを話すようになっていた。なんだか普通の友達みたいだった。友達ができた気がした。
「ブランコ押してあげよっか?」
「え、いいですいいです。怖いですから」
「そんなことないって」
そう言ってぼくは彼女の背後に回った。彼女の背中をグイッと前に押した。前に出て、返ってきた彼女の背中をまた押した。
次第に、彼女の背中は前後に高く行ったり来たりするようになった。あれだあれ。この間理科でやった、振り子ってやつみたいに。
「これどうやって止めるんですか!?」
高く勢い良く振れていたブランコに乗っていたきちょうは小さく叫ぶ。
「大丈夫大丈夫。そのうち止まるから。いや、止まらないかも」
そんなことをぼくが言うと、彼女は「教えてくださいー」なんて、さっきとは全然違う声の大きさで言った。それがぼくは楽しくてしょうがなかった。
「教えなーい」
少し勢いが落ちてくると、ぼくはまた彼女の背中を押した。
「もう押さないでー!」
そのとき、彼女のことが恵美ちゃんのように見えた。恵美ちゃんも最初はこんな感じだった。怖い怖いと言っていた恵美ちゃんを、ぼくと祐也で何度も何度も押した。そしたら、最初は怖いって言っていたのに、だんだん楽しいって言うようになった。次の日から公園に行こうってうるさくて、ぼくも祐也も、たまに傑も、何度も恵美ちゃんの背中を押した。
そうなる気がした。きちょうも、そのうち楽しいって言うような気がしたんだ。
ぼくが押さなくなったことで、ブランコの勢いは弱まった。地面に足を付いたきちょうは、ブランコを降りた。
「どうだった?」
「……ちょっと楽しかったかも」
やっぱり、とぼくは思った。
その後、ぼくが「滑り台もやろうよ」と言うと、彼女は一緒について来た。最初こそ怖がっていたけど、躊躇う彼女の背中をぼくが押すと、彼女は滑って行った。
「どう? 楽しいでしょ?」
そう言うと、
「うん! 楽しい」
ってきちょうは言うんだ。
シーソーもやった。鉄棒もやった。坂が上がりを見せてあげると、「すごい!」って言ってくれた。学校で練習した甲斐があった。
そんなことをずっとしていると、あっという間に日は暮れていた。「そう言えば、お昼ご飯食べてないね。お腹減った」ってぼくが言うと、「私もです。忘れちゃうくらいこんなに楽しかったの初めてかもしれないです」ってきちょうが言う。
そのときぼくは気づいたんだ。
「わかった。なんかおかしいと思ったら、そのしゃべり方だよ。です、ってつけるから大人っぽく見えるんだ。やめなよそのしゃべり方」
「いえ、そういう訳にもいかないんです」
「じゃあぼくと話すときだけやめれば? っていうか、ぼくが嫌なんだよ。なんか気持ち悪い。友達じゃないみたい」
「友だち?」
「え? だって……」
それを言い終える前に、いつの間にか来ていた父さんが、「おーい。帰るぞー」てこっちに呼びかけていた。ぼくはまた、困った顔をするきちょうの手を引っ張って、父さんのところまで走って行った。
きちょうとは、最初に父さんが入って行った建物で別れた。「ここに住んでるんだっけ?」って聞くと、「はい。多分大人になるまではずっといます」って言ってた。
不思議な子だったけど、友達が増えたことがぼくはうれしかった。また遊べるんじゃないかってことがうれしかったんだ。