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【プロローグ】

 


 なぜ私は赤ん坊を抱きながら、「殺される」と呟いたのか。その意味をずっと探していた。






 私は太宰の生まれた県に足を踏み入れる。


 今でこそ青森を通り過ぎ、青函トンネルを通って北海道まで新幹線が走るが、以前は盛岡までしか特急列車は通っていなかったと聞いたことがある。乗り換えるために多くの人々がホームに足音を立てる。

ホームには駅弁屋だけではなく、生そばを立ちながら食べることができる屋台があった。発泡スチロールの簡素な器に、温かい汁とこしのある麺が乗る。私鉄が来るまでの間に立ちながら食べるという人々が多く見られた。


 ジリリとホームに鳴り響く音を聞いて、人々は麺を啜る勢いを早める。列車が到着し扉が開いて閉まるまでの間に、麺を啜り切って列車に乗らなければならない。食べきれずに屋台に汁の減った器を置き、忙しなさを残しながら列車に搭乗すれば、どっとそばの暖かさが胸に染み、人々は皆温かい溜息をついた。

そんな名残は、このホームから今は見て取れない。


「簡素だ」と言えば確かにそうだと思う。しかし、それは昔とは全く別次元のものだ。シンプルさは感じられるものの、鉄筋コンクリートはより明るい色へと姿を変え、隅に置かれていたゴミ箱は鉄製の角ばったものへと変わった。その隣に置かれている自動販売機は時代の流れを感じさせ、頭上に見える電光掲示板が列車の到着を知らせるとなれば、それはもう、時代の変化を感じない訳にはいかなかった。



 大宮から東北新幹線へと乗り換え、そこから三時間の窮屈な旅だった。背後では、幼子の騒がしさを聞いて取れるが、それは微笑ましく思えた。時期がお盆のせいか、家族連れが多いのだろう。


 私は隣に座る父には目もくれず、ひたすらにスマートフォンの画面をなぞっていた。友人から軽量のパソコンを借りられる予定だったのにもかかわらず、今はこうして比較的小さくなった画面で我慢している。


 長い時間背中をシートに預けているせいで、だんだん指を動かす速度は遅くなっていき、次第に私の動作は惰性と化していった。元々、何か考え事をしたり、脳を動かしていると眠くなってしまうという人癖がある故、数分しては眠り、指を動かし、眠り、と繰り返していた。


 幾度かそれを繰り返し、再び目覚めた私は、音楽でも聴こうかと足元にあるバッグの中のイヤホンに手を伸ばそうとするのだが、妙な静けさにちょっぴり感嘆した。シートの隙間から後ろの座席を窺えば、先ほどまで私の背もたれに振動を与えていた人物はいなくなっていた。視野を広げて反対側の座席も見てみると、微笑ましい声や機械音を響かせていた幼子たちも皆いなくなっていた。


 物憂げで何か物足りなさを感じたのは一瞬で、今は居心地の良さを感じている。幼子がいれば微笑ましく思うのに、いなくなればなったで居心地の良さを実感する。


 この性格はどうにかならないものか。


 新青森に着く頃には、そんな感情は元からなかったかのように消え、これから足を踏み入れるだろう非日常的な場所への安価な期待で溢れていた。コンクリートの上を歩くということだけは、遠かろうが近かろうが何ら変わりないというのに、この期待は何処から生まれるのか。


 知らない。



 駅に車掌の姿が見当たらなくなったのはいつ頃からだろうか。私はただカードを(かざ)せば通り過ぎることができる現代の改札を目指す。当然視界に車掌など映らない。改札を抜けると、父の兄弟、私から見れば叔父にあたる人物がそこで待っていた。叔父の口から発された響きは、標準語を話す私にとって久々に聞いた津軽弁だった。隣に居る父も、久々に会った兄弟と話すときは津軽弁になる。今まで標準語を話していたのにもかかわらず。不思議だった。


 長いゆっくりと進むエスカレーターに乗って三人で降りていった。叔父の車が立体駐車場に置いてあるということで、向かった。立体駐車場のエレベーターに乗り込み四階まで上昇すると、開いた扉のすぐそこに見えたのが叔父の車だった。自然と会話が進んでいた父と叔父の後ろを私は歩く。父が助手席に、叔父が運転席へと乗り込んだ。歩いているときの位置と同じように、私は後部座席に乗った。


 駐車場を出て、市街地へと車は走り出した。新しくできた駅とあって、ここら一帯は比較的新しい一軒家や、ラーメン屋などが見られた。普段都会で過ごしている分、やっぱり田舎のように思えた。道路の幅は広いが、視界を塞いでしまうような高いビルは見られず、低い山並みが萌えていた。


 父と叔父が会話する中、私は一人、そんな窓の外を眺めていた。



 星原霊園。そこに私の祖母が埋まっている。アメリカと違い、肉体は埋まっていない。遺骨は入っているのだろう。何の儀式なのか。祖母の顔など数えるほどしか見なかった。おまけにそれは写真だったせいか、親近感が沸かず、祖母の墓参りという儀式の意味を見出せていなかった。ただ何となく父に、「今年の夏は青森行くから」と久々の電話にもかかわらず、いきなりそう言われた。断ろうと思えばおそらく断れた。父も深追いまではするような人ではないはずだった。だが、どういう訳か私はついて来たのだ。「どうせ暇なんだろ?」という父親の口調からするに、見透かされているのだろうと思った。事実、人込みに揉まれるのはあまり好んでいなかった。友人は人並みにいるはずだが、その関係性は軽薄と言ってもいいのだろう。


 行く道は次第に狭まってきていた。四車線から二車線になり、緑が身近に感じられてくる。やがて学校の校門のような入口らしきところを抜けた。


 霊園への坂を上る途中で、父が花を買った。ステンレスの手桶に入った花。


 駐車場に着いて、私は車を降りた。それを叔父が確認したのか、車の鍵が閉められる。私には見向きもせず、父と叔父の会話が続けられた。


 肝心の祖母の墓石の前に着いてからもそうだった。私はここにいるのに、いないものと解釈しようとしている。さっきの車を降りたときのことがいい例だ。私を見て鍵を閉めたはずなのに、私は叔父の範疇の外。そんなことを考えている間に父と叔父は、祖母の昔話を口ずさみながら、すでに花桶に入っていた花を取り、水を入れ替え、新しい花を挿していた。蝋燭を立て、火をつけ、墓石に水をかけた。二人はそこで初めて私のことを意識するのだ。


(ひずみ)、この花捨てて来い。そこまっすぐ行けばあるから」


 呼ばれた私は差し出された花に無言で手を伸ばした。それを確認した父は、蝋燭の火に線香をあてがっていた叔父から、分けられた線香を受け取っていた。


 当然私に立てる線香はない。


 私は心の中で一礼して、その場を離れた。緑雑草の敷き詰められた墓石と墓石の間を潜り抜け、アスファルトの上に出る。父はまっすぐ行けばあると言っていた。だが、目の前には墓石が立ち並んでいた。私は右に逸れたアスファルトの上を進んでいくことにした。


 この霊園を歩くと思い出すことがあった。草の上。段々畑のような霊園。ちらほら見える鴉。様々な墓石。その墓石一帯を囲む緑道。


 あの日、私はここが迷路のように思えた。行く当てもなく彷徨った。物音ひとつしない静けさ。さっきまでいたはずの墓参者がどこにも見当たらない。肌寒い風が半袖だった私の皮膚にぷつぷつと鳥肌を立たせたあの夏。とにかく風を感じたあの日。日差しが照っていて、暑いはずなのに鳥肌が立ったあのとき。

私は確かに、ここにいた。


 なのに、


 私が見ていた世界では、ここには居なかった。



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