不穏な話
「小麦粉よし。卵よし。備蓄用の食料もよし……っと。これで今年の冬は大丈夫そうだな」
私の村から馬を走らせて3時間の所にあるエルナキ村は、高い塀に囲われた大きな村落で、主に人族が多く暮らしている。
ちなみに人間はエルフによく似た種族ではあるが、剣や魔法、他にも錬金術から工業など、幅広い分野を扱える器用な種族である。それ故に多岐に渡るギルドの中でも上位にある、ダンジョン攻略や未開土地の開拓などを生業とする勇者ギルドには、数多くの人間が所属している。戦闘からバックアップまで幅広く賄える勇者は、多彩なスキルを持つ種族にしか務まらない。私の様な不器用エルフには夢のまた夢だろう。
「よし。これで全部だ」
エルナキ村の市場で大量の物資を購入した私は、一人でこれだけの荷を積むのは大変だろう、と言う村の人の好意に甘えて、山のように積まれた木箱の積み作業や、走行中に荷崩れしないようにするための固定までを手伝って貰った。独りで熟していたのでは陽も暮れていたことだろう――。私は、まだ高く輝く日輪に安堵し、人間の村人にお礼を言う。
「ありがとうございます。お陰様で、陽が落ちるまでには村に帰れそうです」
「なぁに、いいってこった!」
腕っぷしの強そうな男の人は、私がお辞儀をすると豪快に笑って力こぶを作って見せた。勇者に人族が多いのも、何となく分かるような気がする。そう思うほど、エルナキ村の人間には優しい人が多い。
「ところで、今からエルダ村に帰るのかい? 少し休んで行った方がいいような気もするが」
「いえ、道中何が起きるか分かりませんし、早めに出立しようと思います」
「そうかい。まあ、最近はここら(西ヴァリア)も物騒だし、その方がいいかもな」
それまで陽気だった男の調子が、少しだけ神妙さを帯びた声に変わる。適当に相槌をうって帰ってもの良かったのだが、私はつい気になってしまったので、その話の詳細について男に問うことにした。
「何か、あったんですか?」
「あぁ。最近、冒険者や荷馬車が襲われる事件が多くてな。ついこの間も、ヴァリアの森で人死にが出たそうだ」
ヴァリアの森…………。今日、私も通って来た場所だ。背の高い木々が鬱蒼と生い茂っていて、昼間ですら満足に日が差さないため、盗賊からすれば盗みには絶好の場所であることに違いは無い。――帰りは避けて行った方がいいかもしれないな、と、そんな事を考えていると、男が声の調子を戻してこう言ってくる。
「なわけで、お嬢ちゃんも気を付けんだぞ。見た所、まだ16くらいだろ?」
「ええ。実際はもう少し生きてますけど」
不格好な笑顔を作ってそう言うと、男は頭を掻きながら笑う。
「あっはっは! そう言えばエルフ族は長寿だったな。いやはや羨ましいもんだ」
「いえ。それじゃあ、私はこの辺で」
「おう。気ぃ付けてな!」
どこまでも気持ちのいい人である。なんて事を頭の片隅で思いながら、私は頭を下げて馬車に乗り込む。だが、私がジャーニの手綱を握った時、男が何か思い出しかのように声を上げた。
「おっ、そうだそうだ! 道の安全を願って、すこし呪いを掛けてやるよ」
「呪い?」
男はポケットの中から真っ白な石灰石を取り出すと、続いて荷台の木箱に何やら絵を描き始める。見たところ、魔法陣でも呪文でもなく、ただ適当にそれっぽい何かを描いているようにしか見えなかった。本当ならば断りたいところであったが、――しかし多彩な人族の事だ。私の知らない魔除けのお呪いかもしれない――と、自分に言い聞かせるようにして口をつぐんだ。
「よしっと。これで大丈夫だ!」
「何から何まですみません。ありがとうございます」
「はっはっは! 気にすんな、お嬢ちゃんは上客だからな」
そうして男は小手をかざし、ドワーフのような笑い声と共に背中を向けて歩いて行った。そして男が去り際に見せた笑顔ときたら、彼を少しでも疑ってしまったことに罪悪感を覚えるほど、嫌味のない笑顔であった。
「よし。早いとこ帰ろっか」
ようやく出発か。なんて声が聞えて来そうなジャーニにそう言って、私は彼の手綱を緩めた。
「私だって、ホントはもう少し早く出たかったんだよ。でもあのおじさん、なかなか放してくれなくって」
かくしてエルナキ村を出発して数十分が経過したが、時刻はまだ正午過ぎ。太陽も少し傾いているけど、まだまだ数十マイル先も見渡せる程の明るさである。このまま街道を行けば、魔物や盗賊に襲われる心配は無いだろう。そう考え至った私は手綱を引き、少しだけ速度を落としてジャーニに愚痴をこぼした。
「でも今日は涼しいし、お肉も魚も傷む心配はなさそうだね」
荷車が軋む音。鳥のさえずり。交互に地を踏む四本の足音。魔物や盗賊が潜んでいるかもしれないという恐怖は残るが、私はフィールドを移動するのが好きだった。と言うよりも、一人の時間というものが好きなのかもしれない。
「あーあ。あの野原に寝そべって、綺麗な夜空を見上げたい」
ヴァリス平原の豊かな緑が美しい只中で、何にも遮られることなく、満天の星空を望みたい。月明かりに包まれながら、色が異なる宝石を砕いたような星の雲を…………。そんな妄想を頭一杯に満たしながら、私は夢心地でジャーニを歩かせた。だが、エルフの村まで残り1時間といった所で、私は再び現実に戻される。
「…………このまま行くと、森に入っちゃうな。少し遠回りだけど、迂回しよ」
遠くの方に広がるヴァリア森林は、まるで私を飲み込もうとする魔物のようにずんぐりと佇んでおり、お日様はまだ出ているというのに、その入り口は黒い靄でもかかっているように薄暗い。
ここでエルナキ村の男から聞いた話が蘇ってくる。大切な物資も積んでいるので危険は冒せない。そう考えた私は、手綱を引いてジャーニの進行方向を変えた。