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胸が柔らかい。だが悠太ではない。半年間でこんな大きくはなる筈がない。それに顔に当たっている胸のような膨らみ。この抱き心地は、亡くなった娘に近い。
抱きついた体が息子の物では無いことに気がついた灯は顔を上げた。
青い髪を後ろでポニーテールにした。美人だけれど無表情の女性が灯を見下ろしている。
手にはスマホが握られていて、画面には『初めまして。秋山麗奈です』と書かれている。
「ああ!あなたが麗奈ちゃん!悠太かと思って抱き着いちゃった!ごめんねー。おばさんに抱きつかれて嫌でしょー」
灯は勘違いを謝罪して、慌てて離れようとしたが、逆に抱き返された。
「え、あれ、麗奈ちゃん」
灯は包み込まれるようにギュッと抱きしめられた。
彼女に抱きしめられていると、灯の方が年上のはずなのに、落ち着いてしまい。心地良さすら感じている。
頭に鼻を押し付けられてスンスンと匂いを嗅がれていることにも灯は気づいておらず、灯は彼女から与えられる心地良さを堪能していた。
『お母さん』
――家族が居ないのだものね。
彼女からスマホを見せられて、母性が揺れたようだ。
「ママですよー」
と返して今度は麗奈の頭を抱き寄せた。
彼女の口角が微かに上がっていることにも気づかずに。
『灯は私のお母さんになってくれる?』
「もちろんよ。菜月と悠太の家族みたいなものでしょ?私は2人のお母さんなんだから遠慮なくお母さんて呼んでいいのよ」
『灯お母さん』
「かわいいいい!無表情なのに可愛いわね!いえ、無表情に味があるのかしら!菜月も可愛いって言ってたから遺伝子なのかしら!」
ぎゅむぎゅむと抱きしめて体をくねらせる。灯は、なすがままの彼女を目いっぱい愛でた。
「……ふぅ」
麗奈を堪能した灯は、彼女を離してあげた。
「そういえば悠太と菜月は?」
思いがけない新しい娘との邂逅があってつい我を忘れて麗奈を可愛がったものの、自分が逢いに来たのは最愛の息子だ。灯は思い出して、麗奈に聞いてみた。
麗奈が出てきてから5分ほど経っているのに、悠太は愚か、菜月すら出てこない。
『悠太は今準備中。菜月はそのお手伝い』
「なんの準備なの?心の準備?」
『似たようなもの。安心して、やましいことは何も無い』
「んふ、そんなこと心配してないわよ」
亡くなった娘と同じ笑い方で灯は言った。
『可愛い。笑い方までそっくりだね』
「葉月のこと?会ったことあるの?」
麗奈が数秒間上を見上げた。
『悠太と、笑った顔がそっくりだなって思った』




