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発砲音が鳴り響……かなかった。
鉛玉の代わりに発射されたのは、無数にふわふわと宙を舞う透明の玉。そのひとつが伏見の鼻に当たり、弾けた。シャボン玉だ。
玩具がそんな本物そっくりに重厚な作りな訳無いのだが、沙織が特注した玩具なのだろう。
現に伏見も、本気で騙されていた。
その伏見は足元にそのまま崩れ落ちて、生きている事の喜びを感じている。
「死ぬかと思った!死ぬかと思った!」
沙織は足に絡み付いて、抗議をしてくる付き人を軽く払いのけた。
「やだなぁ。殺す訳ないじゃないですかぁ。そんなことをしたら悠太くんに顔向け出来なくなっちゃいますし〜」
人殺しもしない。優しいヤクザが居てもいいじゃないか!
伏見は、拳銃を構えた沙織の前に立ちはだかり、そんな生温いセリフを勇ましい姿で吐いた悠太の姿を思い出していた。
あの時の沙織は本気だった。人の殺意のプレッシャーとは尋常ではない。ヤクザの組長、山本大吾の娘となればことさら。
あの日から山本沙織は変化を始めた。
「あはは、悠太くんがみんなを幸せにしてくれるなんてのは自明の理ですよ。1+1=2くらい当然です。そんなことより順番ですよ。麗奈さんが初めてをすませてくれないと次が行けないじゃないですか」
よく笑うようになった。
「なるほど?」
「私が欲しい物を諦めると思います?なんでも手に入れてきたのに」
「さっき私の恋は実らないって言ってやした」
「……コホン。兎に角。1番は麗奈さんに譲ってあげるんです。さっ、2人を探しに行きますよ〜」
「お嬢。電話すればいいのでは?」
空気が凍るとはこの事か。
沙織は微笑を浮かべたまま動かなくなり、伏見は自分が世話をしているお嬢様が電話を忘れるほど間抜けだとは思っていなかった。




