小説を書くにあたって、プロットが必要か検証創作した結果、見えたことを書く。
初めに、私はプロットとは必要なものだと考えている。
模型なら骨組みを、漫画ならネームを。小説ならばプロットである。
ところが、少し調べてみて驚いたことに、プロット無しで創作していると目にする機会が多くあった。
そんなことが本当に可能なのか? という疑問が生じた瞬間である。
訊こうにも私の周りに書き手はおらず、まさか尊敬する作家先生に頼めるはずもなく。
ならばと思い、自ら『プロット無しでの創作』に挑んでみた。
2021年8月18日。その初稿日、読み専だった私は検証とはいえ世に作品を送り出す事になった。指が震え拙いながらに書いたそれが、果たして読まれるのかと不安もあった。
何度も言うが検証だ。しかしながら書くだけならいつでもできるし、いつでもやめることが出来る。
だから投稿することで自らを追い込み、書き続けるという意識を植え付けて挑んだ。
結果から言えば、書くこと自体は出来た。文才は残念ながら無いと痛感するが、書けてしまったのだ。
最初こそ2000文字程度で日和っていたが、途中から3000文字を目安に書き続けることが出来た。
初めこそストックとして5部用意した。そして一日2部更新という暴挙を行いストックを切らし、そこから毎日書き続け。そうして二か月だ。二か月も継続できたのだ。
ここまでくると、見えてくるものもある。
頭の中で内容を考えていると、次第に整合性が取れなくなっていく。なるべく気を付けていても、ふとした思い付きを書いた瞬間に辻褄が合わなくなる。
文才がある方ならカバーはできるのだろう。私は残念ながら無い為に、頭を抱える羽目になったが。
この二か月で、私が書いた文字数は225,973文字。検証としては少々書きすぎたと思うも、まあそれはいい。
書籍を目指し初めて小説を書こうと思った人は、是非ともプロットを用意してほしい。
無くても書けるが、書けるだけなのだ。面倒だからと準備せずにいると、話が進むにつれて整合性は取れなくなっていくだろうから。
プロットとは、世に出ていない小さな作品だ。そこから内容を細かく推敲し、組み立てていくのが小説だ。
プロット無しで書き、売れた作家はおそらく膨大な文字を費やしてきたのだろう。頭の中で組み立てるのは、そうした経験が無いと難しいのだ。
プロット無しとは、言ってみれば応用なのだ。基本ができていないのに応用から入ったところで、恐らく読まれることは限りなく少ないだろう。
そんな悲しい事故で、新しく生まれたであろう作家の筆が折れるのは忍びない。
基本を学ぼう。基本に忠実にあろう。まずはそこからだ。慣れたと実感した時、プロット無しに挑むのが堅実である。
以上が、私がプロット無しで書けるかの検証創作で見えたことだ。
……これは保険として記すが、私はプロット無しで書く人を非難する訳ではない。むしろ尊敬すらする。
ただ、初心者向けではないと判断したために、こうしてエッセイを書いたのだ。
これから創作を始めようとする方の、一助となれれば幸いである。