白馬の王子様を愛でたくて
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白馬に乗った王子様が迎えにやってくるなんて、使い古された物語だ。それでも子供の頃の私はそれを心から信じていたし、学園に入学する数年前くらいまではかっこいい人を見るたびにいつもドキドキしていた。
しかし15歳になるまでそんな夢を盲信し続けることは難しい。実際私も、周囲の容姿端麗なクラスメートに囲まれてても「誰が私の王子様かな」だなんて思うことはなくなっていた。
その代わり。
「はあ……今日もロイド様はかっこいいわね……あ、アルス様が挨拶されているわ!双子の第一王子と第二王子の邂逅……!?な、なんて神々しい光景なの……!?や、焼き付けなきゃ!脳と目にこの瞬間を!全身全霊を込めてぇぇ!」
「ちょっとレティシア、目立ってる…!悪目立ちしてるってば…!」
「良いわよ別に!どうせ田舎の子爵令嬢にお近付きになろうなんて殿方はいないわ!はぁー……絶景だわぁ……」
私は自分の推しを、心の中と外で愛でるようになっていた。そう、王子様は待つものではない。しかし追って捕まるものでもない。むしろ追えば不審者として排除されるのが世の常。
つまりは誰かさんの王子様を思う存分鑑賞し、愛でるのが最適解なのだ。
帰りはいつも親友と歩いて帰ることにしている。同じ寮を借りているためだが、一応合理的な理由もある。なんと一緒に歩いて帰ればお話する時間が増えるのだ!
「はあー…!今日も眼福だったわー!思い出すだけでパンを4斤は食べられそうよ!」
「聞き違いよね?4枚よね?」
「いいえ!ロイド様で2斤!アルス様で2斤!合計4斤!ほら、計算合ってるでしょ!」
親友は呆れたような顔をするが、私はマジだ。なんなら今から食べてもいい。むしろ記憶が新鮮な今こそ一番美味しいだろう。むふふ。
「それにしても、ロイド様ってば本当に麗しいわね…!あの流れるような美しい金髪!アクアマリンのように輝く瞳!そして引き締まった身体!しかも学園生徒会長!それがいつも冷静に物事を見据えて問題を華麗に解決するのよ!?これで白馬にでも乗ってたら完璧よ!」
「わかった、わかったから…あなたの"白馬の王子様愛"も筋金入りね」
それはそうだ!私のそれは年季が入ってるのだ!私が思う理想的な白馬の王子様を愛でる日までは死ねん!
「あら?あれはロザリー公爵令嬢かしら」
「え?どこ!?」
ロザリー公爵令嬢と言えば、ロイド様のご婚約者にして、未来の王妃様候補の筆頭!才色兼備にして心優しく!身分を笠に人を虐げたりしない貴族の鑑!まさに国の宝!
……いたあああ!校門の横ぉ!しかもまさかのロイド様とのツーショット!?と、尊い……!!ただでさえ尊いロイド様にロザリー様が加わることによる相乗効果が高すぎる!!オカズ増えすぎぃ!!これじゃ逆にパンが入らないわ!!
……あ、あれ?でもあのお二人……?
「ロイド様!私という婚約者がいながら、あのプリシラとかいう娘と仲良くなさるのはおやめください!」
「君こそプリシラに嫉妬して嫌がらせをするのはやめてもらおう!彼女は良かれと思って私のためにランチを用意してくれているのだ!」
公衆の面前で突然言い合いをしだした二人は、興奮したように両手を強く握りしめている。
その光景を見た親友の口から、大きめのため息が出た。
「……また喧嘩してるのかしら」
「え、喧嘩?」
「そうよ。あのお二人、最近学園内で罵り合うことが多いの。あなたも見たことあるでしょ?」
はて、あれは喧嘩だったのか?てっきり仲良しなのかと。
「これ以上プリシラを悪し様に言うのなら、君との婚約も考え直さねばなるまいな!」
「……っ!え、ええ!望むところですわ!失礼させて頂きます!」
「あっ…!?……ふん!」
二人はお互いに捨て台詞を残すと、それぞれ別方向へと歩き去っていく。ロザリー様の目には涙が浮かんでいた。
「ごめん、親友!ちょっと行ってくるわ!ロザリー様にハンカチをお貸ししてくるから、先帰ってて!」
「は!?よ、よしなさいレティシア!レティシアー!?」
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「あの!ロザリー様!」
「きゃっ!?……あ、え?ど、どちらさまですか?」
良かった、いつものロザリーさまだ。はあ……やっぱり綺麗だわ……!
「私です!レティシアです!本日も実に麗しいですわ!はい、このハンカチをお使いください!」
「え……?あ、ありがとう、レティシアさん。でも、今は放っておいてくれないかしら。一人に、なりたくて……」
「え、でも……」
「あなたもあれを見たのではなくて?大きな声で罵りあったものね。それとも私を笑いものにしてみたくなったのかしら……?」
ロザリー様は露悪的な自嘲の笑みを浮かべつつ、口の端を震わせている。何故だろう?
「あの、先程の喧嘩ごっこのことですか?それなんですが、どうしていつも皆の前で喧嘩の真似事を?それになんだか、お二人共お辛そうに見えますし」
「……えっ!?」
「演技なのにロザリー様は今回涙まで流されてましたから、流石に気になりまして……」
あのお二人の、お互いに傷付いた表情は演技じゃなかった。涙だって本物だった。何故喧嘩ごっこでそこまで感情的になるのかがわからない。
「ど、どうして演技だと思いますの?」
「そりゃ、わかりますよ!お二人は私の推しですから!」
「へ?推し?」
「はい!お二人は自分の本意じゃないことを言う時、両手に力が入ります!あと、そういう時の殿下は右側に目線を切りながら振り返ります!ちなみにロザリー様はその逆で、目線を左に切ります!まるで鏡合わせだなって思いながらいつも見てました!演技とはいえ、そんなお姿さえも尊いです!」
ロザリー様が息を呑む気配がした。どうやら無自覚だったらしい。つまり私はお二人以上にお二人のことを知っているということだ!なんと誇らしい!
「……そんなにわかりやすかったですか?」
「いえ!私だからこその気付きでしょう!なにせお二人にゾッコンですので!!」
「…っ、ふふっ、あっははは!」
誇らしげに堂々と言い切ると、遂にロザリー様は破顔した。いつもは絶対に見せない軽やかな笑顔!?きょ、今日は記念日だわ…!こんなにたくさんのオカズに恵まれる日は早々あるものじゃない!来年も今日という記念日をお祝いしなくては!
「はあ……あなた、結構すごい人ですわね。ええ、あなたの言うとおり、あれは演技です。お互いに卒業パーティーで婚約破棄をするためのね」
「いやあ、それほどでも………え?」
こんやく……はき……?
「ど、どう……いう……?」
「私にも殿下にも、片思いの相手がいますの。いえ、殿下の場合は両思いかも知れませんわね。流石にあなたにもお相手は明かせないけども、私達は真実の愛を貫くために、お互いに婚約破棄をするための理由作りをしていますのよ。もちろん合意の上でね」
ロザリー様は口の端を震わせながら、爆弾発言を繰り返した。両手が強く握られている。真実の愛……理由作り……?公衆の面前で喧嘩ごっこをしてるのも、印象作りをしているってこと……?
「……じゃあ、お二人は、婚約破棄をなさりたいのですか?」
「……ええ、そうです。そして、卒業パーティーの日に想い人に告白しますの。あなたのことをずっとお慕いしておりましたと……きっと私の想いにも――」
「いえ、そういう意味ではなく」
私は失礼かなと思いつつも、ロザリー様の言葉を遮った。いや、うん、独白するロザリー様もお美しいけどさ。でも――
「あの……それなら、なんで今も泣かれているのですか?」
「……え?」
「涙が溢れておいでです。失礼します」
私は元々渡そうとしていたハンカチで、ロザリー様の頬をそっと拭いた。その頬は涙のせいで冷たくなっていて、つい温めてあげたいと思うほどだ。
私の手の温かさで気が緩んだせいか、それとも涙を自覚したせいか。ロザリー様はさらに多くの涙を流し始めた。両目は強く閉じられていて見えないが、両手はあの時よりもっと強く握られている。そこには王妃候補筆頭の才女ではなく、ただ私と同い年の少女がいた。
「……っ!ううぅ……っ!ううう……っ!!」
「演技されてるのが、お辛いのではありませんか?片思いのお相手というのも……」
「……そう、です……!わ、私……本当は、婚約破棄なんて……片思いの、人なんて……っ!最初は、生まれる前からの、政略結婚なんて、嫌で……だ、だから、殿下の提案にも、つい……!な、なのに……!なのに、私……!私ったら……っ!」
……喧嘩ごっこするうちに、ほんとに好きになってしまったのね。きっとロザリー様は、最初は設定通りに怒っているふりをしてるつもりだったのだわ。だけど、きっと殿下のことが嫌いだった訳でもなくて、感情をぶつけあうフリをするうちに好きな気持ちが大きくなっちゃったんだわ。
私のハンカチが涙で重くなる頃になって、ようやくロザリー様は泣き止んだ。目は赤く、声も詰まっているが、どこか晴れやかになっている。それは吹っ切れたからというより、穴の空いた城壁を眺める様な諦めに近かった。
「でも、もう駄目ね……殿下はプリシラさんとランチをご一緒するようになったと聞いたわ」
「先程言ってたこと、ですか?」
「ええ。あれは本当なの。最近はもう、私とのお茶会もしてないわ。だからきっと、殿下のお心も離れているに違いないわ。仲直りしたくても、全部手遅れよ……」
その笑顔に力はなく、目からは光が失われている。こんなの、私が尊ぶロザリー様じゃない!
「いいえ!そんなことはありません!まだそうと決めつけるのはお早いですよ、ロザリー様!」
「……レティシアさん?」
「ロイド殿下のお隣に相応しいお方など、ロザリー様以外にありえません!ちょっとここで待っててくださいね!」
私はロザリー様にハンカチを押し付けて、先程の舞台まで逆進した。まだ近くにいるでしょ、多分!
「え!?はい!?ちょっと、なにをするつもりですの!?レティシアさーん!?」
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校門まで走ると、ロイド様とアルス様がお二人で何やら話し合っていた。良かった、まだいてくれた!相変わらず素晴らしいオカズだけど、今はそれどころではない!
「はぁー…!はぁー…!あの、殿下!あ、えーっと、ロイド第一王子!」
「ん?君は……?」
「同じクラスメートのレティシアさんだよ、ロイド。ほら、たまに興奮してる子」
え、アルス様、私のことをご存知だったの!?やだ、どうしよう、困る。いや、そんなことより!
「すみません、昨今の喧嘩ごっこについて、ちょっとお話がありまして」
「喧嘩ごっこ?……まさか、君はあれが演技だと気付いてたのか?」
ロイド様は余程驚いたのか、普段の冷静な表情をかなり崩している。ああ、これはこれで良い……。
「いつからだ」
「割と最初の方からです。お二人とも不本意なことを言う時、両手に力を入れたまま目を逸らしますから」
「へえ……まさか、僕以外にそこに気付く子がいるとはね。確かに、ロイドもロザリー嬢もそういうところあるけども」
「伊達にお三方とも私の推しではありません!」
「おや、僕もそこに含まれてるのかい?」
なんとアルス様が私の目を直視しはじめた。か、かっこいい……けど……ううん、嬉しいような、やりにくいような……。
「レティシア嬢には悪いが、あれは喧嘩ごっこではない。プリシラとはランチを一緒にする仲だし、そのような些末なことを気にしすぎるロザリーは婚約者として……いや、未来の王妃として狭量だ」
「だから、婚約破棄をなさるのですか?卒業パーティーの日に?」
「……誰から聞いた」
「ロザリー様からです」
「ちっ……何を考えている、ロザリー……」
「あなたとの仲直りをお考えです、殿下」
私の答えに、ロイド様は目を見開いた。アルス様は逆に目を細めている。先程から視線が強くてたまらない。私はあくまで見たい側であって、見られるのはちょっと……。
「仲直りだと?し、しかし、ロザリーの方が政略結婚に対して不満を持っていたのだ。恋愛結婚をしたいとも……だが、そんな理由で婚約を白紙化すれば公爵家の方に傷がつく。だから、私が悪者になって破棄しようと提案したのだ。彼女にだって片思いの相手が――」
「いいえ、殿下。ロザリー様は殿下一筋です。ロザリー様は、殿下に対してこそ片思いされているのです。先程も、婚約破棄は嫌だと、仲直りしたいと涙しておりました」
ズバリと言い切ると、ロイド様の顔がわかりやすく赤くなった。おや?もしかしてこれはそういうことかな?
「よかったね、ロイド。やっぱり両思いだったんじゃない。だから言ったんだよ、二人とももっとよく話し合わないと駄目だって」
「なっ!?ア、アルス!人前でそんなこと!?」
「いや、多分この子はもう気付いてるよ。ね?」
それはもちろん!お三方のことならなんでもお見通しです!多分!
「それより殿下。校舎裏までお急ぎください。ロザリー様がお一人で泣いておいでです」
「ロザリーが!?」
「はい。今ならまだ間に合います。さあ、暗くなる前に!」
「そうか、感謝する!」
ロイド様は私の進言に一も二もなく頷くと、私の3倍は早いんじゃないかという速度で走り去っていった。ああ、走り去る姿まで麗しい……けど、うん、ごめんねロイド様。一人で泣いてるってのはちょっと言い過ぎでした。多分、まだ呆然としてる頃だと思います。
はぁ……しかし、今日はもうオカズ回収しすぎてお腹いっぱいだわ……シャワー浴びたらすぐに寝ようかしら……すっごいいい夢見れそう……むふふ。
「では、私は寮へ帰ります。アルス様、また明日学園でお会いしましょう。御機嫌よう」
「ちょっと待って」
帰ろうとして振り返った私の肩に、アルス様の手が置かれた。え、本物?モノホンの手ですか?やだ、肩をシャワーで洗えなくなっちゃったんですけど?
「ロイドとロザリーのこと、僕からも礼を言わせてくれ。ありがとう。実はプリシラさんからも、ロイドのランチ相手は自分では分不相応だと相談されていたんだ。さっきここで話してたのもそのことでね」
「プリシラさんも?」
ちなみにプリシラさんもロザリーさんに次ぐ美貌というか、愛らしさで有名な人で、主に男性ファンが多い。ただ私に偶像趣味は無いので関心も無かったのだが……実はあの人も結構苦労されてたのね。
「ならこれで方々が丸く収まって万々歳ですね。私もお三方を遠くから愛でることに専念できます」
「おや、遠くからなのかい?」
あの、アルス様。近い、近いです。吐息が肺に入りました。今まさに肺が家宝になったわけですが、私を殺すおつもりですか?
「僕は結構君に興味持ったんだけどな?」
「は、はい!?」
「ちなみに、僕にはまだ婚約者がいないんだ。もし君が良ければ――」
だ、だめだ!このままじゃ死ぬ!視界にオカズしかない!!尊さで色々限界を超えてる!!オカズが多すぎてこれは致死量だ!!
「ご、ごめんなさい!!私は白馬の王子様一筋なんですー!!」
「へ!?白馬のって!?ちょっと、レティシア嬢!?」
私は顔を真っ赤にさせたまま、猛然と寮まで走った。アルス様の声が遠くに聞こえたが、もはや限界突破した私にはどうしようもない。
「あ、おかえり、レティシ……レティシア!?」
ごめん、親友……。
「ちょっとなによこの大量出血!?不敬罪で斬られた訳!?え、うそ、全部鼻血!?どんだけ興奮したの!?ちょっとレティシア!レティシアー!?」
お鼻、拭いといて……。
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「まったくもう!あんまり心配させないでよ。一時は本当に何事かと思ったよ」
「うう、面目ない……」
次の日、私は食堂で朝食を食べながら親友から昨日の件について怒られていた。ボーッとしたまま夕食を食べ、シャワーを浴びてたらしいが、正直まったく覚えていない。
いい夢見るどころか、意識を失うとは。オカズの過剰摂取には気を付けないと……。
「それで、結局あの後どうなったわけ?」
「ん?ああ、多分殿下もロザリー様も仲直りしたと思う。両思いだったみたいだよ」
「……え、あなた、推しのキューピットやってたの?」
「結果的にはそうかも。あ、ハンカチ渡しっぱなしだ……まあいいか」
呆れを通り越して魔獣でも見るような目で私を見るな、親友。私だってあんなことになるなんて思わなかったんだ。それにみんな幸せになったんだからそれでよかろう。
「ふう、ごちそうさま。そろそろ行こうか。今日もお腹壊さない程度にオカズを――」
「レ、レティシアさん!レティシアさんはいる!?」
ちょうど席を立とうとしたところで、寮友から呼び出された。何を慌てているのだろう。
「どうしたの?世の中にそんなバタバタしなきゃいけないことなんてそうそう――」
「良いから早く来て!大変なことになってるから!!」
はい?火事かなにかですか?
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それはある意味、火事よりも一大事だった。
「な…な…な…!?」
「やあ、おはようレティシア嬢」
寮の玄関を出ると、そこにはなんと白馬に跨ったアルス様のお姿が。寮友達からもキャーキャーと黄色い悲鳴が上がっている。え、なんの冗談です?いい夢ってこれのこと!?
「君は白馬の王子様一筋なんだろう?」
「え…!?あ、はい、そうですけど!?」
「なら君は僕一筋になれるんじゃないかな?僕は王子だし、普段から白馬にも乗っている。ちなみにこの馬はパトリシアと言うんだ。僕の愛馬でね」
いや、聞いてない!聞いてないから!
「さあ、一緒に登校しようじゃないか。僕の後ろに乗るといい」
ち、違いますよアルス様!?それはまずいです!!
「あ、え、ア、アルス様、それは絶対に駄目です!そ、そんなことしたら!!」
「そんなことしたら?」
「尊すぎて死んでしまいますぅー!!」
私は鼻血を再び垂らしながら、猛然と学園に向けてダッシュした。その後ろを白馬に乗った王子様がニコニコと笑いながら追いかけてくる。それは夢に見た光景ではあったが、白馬の王子様愛をこじらせすぎた私には刺激が強すぎて、それだけで死にそうだった。
「レティシアー!かばんは持っていってあげるからねー!ごゆっくりー!」
遠くから聞こえてくる、矛盾を孕んだお言葉が、実にありがたかった。
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「まあ、ロイド様!あれをご覧になって!?レティシアさんじゃありませんこと!?」
「アルス……あいつ何やってんだ……?」