番外編⑤虎と狼
部屋の中央に大型の機材や貴重な素材の入った瓶を棚ごと、そして全ての家具を移動し終えた後に残るは埃やゴミ、必要ない粗大ゴミのみだった。
「これで最後か……?」
「ああ」
胸板の暑くガタイのいい男が幅の広い肩に大きな箱を担いで部屋の中央ーー大きな魔術方陣の描かれた床の中央に置いた。
魔術方陣と呼応する宝石に魔力を流し込むと、床に描かれた緻密な構成式の織り込まれた魔術方陣が赤い輝きを放ち出す。するとその輝きに包まれ、魔術方陣の中央に置かれていた山ほどの荷物が一瞬で部屋から消え失せた。
「……助かった、ゼル。感謝する」
「シケくせぇなぁ、ユーリ。なぁ〜に、これくらい良いさ」
「だが、お前はもう人間に戻った。バルド様の命に従う理由などない。……それにお前はバルド様を恨んでいただろう……?」
「まぁ、な……」
ユーリの言葉にゼルと呼ばれた男ーー元虎の獣人だった男は頬を掻きながらユーリから目線を晒せた。
ゼルは元傭兵だ。傭兵時代は決して綺麗な仕事ばかりではないが、まずまず真っ当に過ごしていた。商人の護衛、貴族の護衛、領主の護衛など、護衛業を中心に、たまに傭兵仲間に誘われては金持ち商人相手に強盗紛いな仕事もしてきた。どの仕事も日払いのものを選び、長く同じ場所に留まる事はなかった。長く同じ場所にいると人間関係も硬直する。馴れ合いになる事に苦手意識を持っていたのだ。
そこに不穏で不幸な転機が訪れたのが七年前。強欲な貴族の護衛を引き受けたのが運の尽きだった。
その貴族はシスティナ国においてクズと言われる類の人種で、領民から他領の倍程の税を搾取し、その税を横領し、高価な魔道具や宝石を収集していたのだ。そのコレクションが何者からか狙われていると騒ぎ立てた貴族からの依頼であった。そんなクズのコレクションなど守りたくはなかったのだが、破格の謝礼に思わず飛びついてしまったのだ。
ゼルは数人の傭兵仲間と共に、貴族のコレクションを集めた屋敷を一日中交代で見張った。だが強盗になどに入られる事なく半月が過ぎた。
そしてその日は来た。
宵闇の中、その男は狼の一人の獣人を伴って現れた。
男は黒いローブの翻し、息をするように魔術を発動させたのだ。屋敷の護衛たちはその男に次々と殺された。ゼルは高価なコレクションの眠る宝物庫までその屋敷の主である貴族を背後に庇いつつ後退した時、その貴族はなんと黒ローブの男に命乞いするのではなく、罵り声を上げたのだ。
「お前のような下賎な魔導士が手にして良い代物ではない!」
と。そして、その身を守るゼルには、
「高い金を払っているんだ!高貴な身である儂を守るのは当然だろう⁉︎ 宝を守って死んでこい‼︎ 」
ゼルはクズ貴族からそう命令され、背を押された。
貴族の男はその後、黒ローブの男の一振りの魔術を受けて絶命した。その圧倒的な力の前にゼルは微動だにできなかった。
魔導士は呪文の詠唱に手間と時間がかかる分、その隙を狙われやすい。また騎士や傭兵、戦士などに比べて体力も機動力もない。
魔力の高まりを察知しその詠唱さえ遮ってしまえば、魔導士に勝ち目はないのだ。
だがこの黒ローブの男ーーバルドは違った。その力にゼルは為す術もなく屈服してしまったのだ。
そしてゼルはバルドによって禁呪《獣化》を受け、獣人に変えられてしまった。
何故あの時、クズ貴族と共に殺されなかったのかは未だに謎だ。
だがあの時から日陰暮らしが始まったのは確かだった。
《獣化》の禁呪は夜には呪いの効力が緩み、人間の姿に戻る事がゼルを余計に苦しめた。殺されるよりも辛い生活だった。常に獣人であった方が諦めがついたに違いない。
夜毎に人間の姿と自由とを手に入れ、朝になれば獣の姿と不自由な隷属に縛られる生活。それはゼルを狂わせていった。
そしてある少女を捕獲せよという妙な命令を受けたのが約二ヶ月前。
この命令はいつものモノとは違い、その報酬は金ではなく『自由』だったのだ。
ゼルは白き髪の少女を死に物狂いで探した。一度は捕獲に成功したのだが内部の裏切者の手により逃がされ、そこからは逃げ回る少女を見つけては追いかけ回した。
その内、その少女は『東の塔の魔女』と呼ばれる年若き魔導士だと知れた。しかもバルドに魔導士に最も必要な『声』まで封じられていることも。自分たち獣人から逃げる魔女は、子ども以下の戦闘能力しかなかったのだ。
そんな魔女をゼルは己の『自由』の為に追い求めた。
それを知っても追い求める事を止めなかったゼルはある日、その少女を追っている最中に動物捕獲用の罠に嵌り、身動きが取れなくなってしまったのだ。初めは大した事のない罠だと思っていたそれは魔術を込めた魔道具で、己の身体をその場に縫い留め、体力と魔力をじわじわ吸い取り、遂には身体を動かせなくなるという代物だったのだ。
ゼルはそんな事とも知らず『その内仲間が助けに来てくれるだろう』と呑気に構えていた時、件の魔女が向こうから転がり込んで来たのだ。
ゼルたち獣人に追われているにも関わらず、自分の胸中に飛び込んで来たその少女は間抜けな顔をして自分を見上げてきた。
その透ける白い肌を覆うのもまた、雪のような白い髪。陽に煌めく大きな瞳。
小さな肩を震わせ、慌てふためく少女は悲鳴をあげる声すら持ち合わせていなかった。
だからだろうか。絶好のチャンスだというのにこの時何故か、目の前の少女を捕らえる気にはならなかったのだ。
少女を逃がそうと決めた直後に起こった出来事は正に晴天の霹靂。頭上から舞い降りる見たこともない種類のドラゴン。その獰猛なフォルムにゼルはこの時、罠に嵌った己の肉体がドラゴンの餌なのだと気が付かされた。
狼狽え慌てるゼルを他所に、ゼルを置いて逃げれば済むだけのその少女は冷静だった。なんと敵であり絶好の囮であるゼルを助けたのだ。迷う事なくゼルの足首に嵌る拘束具を外し、そのドラゴンから逃したのだった。
自分の追手を、命まで狙われている追手の命を救ったのだ。
「アイツの事は恨んでた。恨んではいたのだが……」
「だが……?」
「まぁ、もう良いんだよ……」
獣人に変えられたこと。やりたくもない犯罪に加担させられたこと。
それを恨んだのは確かだ。だがゼルはあの少女に命を救われてから、これまでの調子が全て狂ってしまったのだ。
己の不利を嘆かず正面から立ち向かう少女に会って、ゼルは己の心の醜悪さに気付かされた。
ゼルは全てを他人のせいにしていた。不幸を招いたのは全て己の行い故だというのに。
「お前とも、もう長い付き合いだしな?だから最後にこれくらいは、な……」
「そう……か?」
ゼルは首を傾げたユーリの表情に苦笑した。
「お前はこれからもアイツに付き従って行くのか?」
「勿論だ。俺はあのお方に自ら忠誠を誓っている。獣人になったのも自らの意思だ」
「変なヤツだよ、お前は!」
「何だとーー⁉︎ 」
沈着冷静を目指そうとして失敗しているこの男ーーユーリの事をゼルはいつも放っておけない気持ちでいた。ユーリの眼鏡の奥に光る瞳には常に危うさが立ち込めている。盲目的にバルドを敬愛しているユーリのその本心、本質を測る事などできないし、測りたいともゼルは思わないのだった。
ゼルは最後にユーリの頭をガシガシと撫でた。
「……こんな事言うのは変なんだろうが、元気でいろよ?ユーリ」
「止めろ!お前、俺を幾つだと思っているんだ⁉︎ 」
「出会った頃はもう少し可愛げがあったがなぁ……」
「……」
今やユーリは立派な成人男性だ。だが七年前はまだあどけなさを残す少年だった。その時期をゼルに知られてしまっているユーリは憮然として押し黙った。
ゼルはそんなユーリの顔に、何故か笑みをたたえていた。
「長く留まるのも、悪くねーのかもな……」
「……何のことだ?」
「何でもないさ。元気でいろな、ユーリ」
「お前もな、ゼル」
ゼルは軽く手を挙げると扉を潜り、七年間留まった場所から旅立って行ったのだった。
※※※※※※※※※※
何もかもがなくなったその部屋で、一人の男がぼおっと一点を見つめていた。その視線の先にあるのは大きな水槽。その水槽の中には並々と透明な液体が浸されているが、その液体の中には『何も』入っていない。
「バルド様……全ての荷の《転送》を完了致しました」
「そうか……」
ユーリがバルドへ報告を行うと、バルドはそれを無表情で了承した。バルドは自らの纏う黒いローブからスッと手を出し、その長い指で水槽の端を撫でた。
「……ユーリ、他の者たちは……?」
「最後に残ったゼルも先ほど旅立って行きました。今、この研究所に居るのはバルド様と私のみです……」
目線を水槽に向けたままバルドはユーリに問い、それにユーリは淀みなく答えた。
「そうか……」
この研究所はサリアン公爵に提供された屋敷の地下にある。その屋敷の場所はなんと王都オーセンの中心街だ。よくこのような場所を提供できたものだ、とユーリは感心していた。地下の研究所は元より地上の屋敷は貴族のそれと言っても過言ではない程の広さがある。
性根は腐ってはいてもさすが一国の宰相。サリアン公爵には絶大な権力と手腕を持っていたのだろう。
長年犯罪の共犯者であったサリアン公爵の野望も白日の下に晒され、叛逆者として捕縛された。そのサリアン公爵を囮に逃げ延びたバルドも、最早この場所に留まる事など出来はしない。
バルドはユーリたち3人の獣人のみを研究所へ連れ帰った後、バルドは引っ越し作業を余儀なくされた。サリアン公爵主導であった犯罪も多々あるが、バルドが個人で行ってきた犯罪もかなりの数があるのだ。いつまでもサリアン公爵に繋がる場所に居続けることなど出来ない。
鳥の獣人であった男は荷を纏めるとその日の内に去って行った。ゼルは引っ越し作業の終わりまでユーリに付き合った後、ここを離れていった。
今、この屋敷に残るのはバルドと、そのバルドに自らの意思で付き従う事を決めているユーリのみ。
「……お前は良かったのか?あの者たちのように俺の下を去っても良かったのだぞ……?」
バルドが空の水槽からユーリへとその目線を移動させた。バルドの瞳は済んだ翠。若葉の色。その混沌とした内面には似つかぬ透明度に、ユーリは一瞬ドキリとさせられた。
「な……何を仰いますか⁉︎ 私は貴方を敬愛しております!その力に心酔しております!バルド様に何と言われようと何処までもお伴致しますっ!」
ユーリはムキになってバルドに食いついた。バルドにユーリは必要ない。必要ないのだからいつでも捨てることは可能だろう。しかしユーリにはバルドが必要なのだ。
「バルド様は私を地獄の底から拾ってくださった私の神なんです!それをしっかり自覚なさってくださらないと困りますッ!」
バルドのローブを掴む勢いで食いかかってくるユーリに、自分の『想い』を当然とバルドに押し付けてくるユーリに、無表情を貫くバルドもさすがに引いた。そして、珍しくその顔に柔らかな笑みを浮かべたのだ。
「そ、そうか……そうだな?」
「そうですよ、バルド様!」
「……分かった。ユーリ、俺について来い」
「はっ!何処までもお伴致します」
バルドの命令にユーリは笑顔で応えた。
拾われた者にとって己を拾った者は等しく『神』なのだ。それがどんな悪党でも、どんな犯罪者でも。
アーリアにとっての師匠。
ユーリにとってのバルド。
彼らは雛鳥のように親鳥に付き従うのだ。
お読みいただきありがとうございます!
ブックマーク登録等、感謝感激です!
ありがとうございます!
番外編第5弾 虎と狼をお送りしました。
ユーリの押掛け女房具合に唯我独尊を地で行くバルドが折れまくっている事にびっくりです。笑いがこみ上げます。バルド、押しに弱い!
宜しければ次話もご覧くださいね!




