獅子の獣人2
カビと湿気の匂いが鼻腔を擽ぐる。アーリアは部屋を見渡すと、そっと溜息をついた。
荷物のように担がれて、アーリアは獣人の仲間が集まる馬車まで運ばれた。そこで両手首をロープで縛られ、馬車で何時間かかけてこの場所まで運ばれて来たのだ。
ここに至る道中、怪しまれぬように上げた顔の、フードの隙間から見えたのは、鬱蒼と茂る木々の隙間に隠れるように建つ古びた館だった。風態を見るに、それもどうやら貴族の別荘のようであった。
アーリアは今は放置され使われていない元館なのだろうと検討つけた。そのような建物は、国内各所に割とありふれており、自ずと犯罪組織の寝ぐらになりやすい。
(かび臭い……)
長らく使われていなかったようで、運ばれて連れて来られた館の中には湿気が立ちこもり、カビの臭いがツンと鼻についた。
荷物のように担がれ運ばれた館の地下には、牢屋のような役割をもつ部屋が立ち並んでいた。格子扉に鉄格子の窓。それほど広くない部屋の中には小さな寝台にサイドテーブル、木の長椅子が備え付けられている。奥にはもう一つ扉が見える。トイレか風呂でもあるのかもしれない。ーーなどと些末な事を考えていると、アーリアは牢中の長椅子へと下された。
「で、こいつどうするんだ……?」
「足も縛って、動けないようにした方がいいんじゃねーか?」
「……その必要はないだろう」
「あ?なんでだよ」
アーリアを置いて立ち上がる獅子の獣人の言葉に対し、他の獣人が抗議の声を上げる。獅子の獣人は小さく嘆息すると、アーリアの足を示した。
「……あ、ああ。足、怪我してんのか?どおりで暴れなかったはずだぜ」
「じゃ、じゃあさ。やっぱりちょーっと可愛がっちゃおーぜ?」
「逃げれねーんだろ?コイツ」
「ちょーどいいじゃん」
「カワイコちゃんなんだろ?」
「オレは顔見てないけど、見たヤツは可愛かったって言ってたぜ?」
「いいじゃん!みんなで可愛がってやろーぜ!」
獣人たちの下卑た笑いが頭上から次々と掛かる。
アーリアは縛られた両手で胸の辺りのローブを固く握り締める。その手が小刻みに震え始めた。
アーリアは生まれて初めて、この類の恐怖を感じていた。これまで、このような下品な感情を男性から一斉に浴びせ掛けられた事などなかったのだ。
確かに、下卑た感情や好奇の眼で見られた事は過去に何回もあった。だがその時には身を守る術を幾つか持っていた。魔法や魔術を扱える事を証明するかのようなマントを纏っているのも、そういう類の者たちへの牽制になっていた。魔術を扱える者相手には下手に手を出しては来ないものなのだ。それがたとえ女や子どもであっても。
しかし、今は身を守る術が全くない。そしてその状況を知った上で、獣人たちは楽しんでいる。弄ぶように。ジワジワと追い込んで。
そう思えばこそ、アーリアの胸奥には気持ち悪さがこみ上げてきた。
自分の不甲斐なさ、考えの足りなさ、勝手な思い込み、情けなさ……それらをまざまざと痛感させられ、惨めな気持ちが心を支配していく。
「おいっ、おまえ……」
熊の獣人がアーリアに手を伸ばした。
アーリアは恐怖を感じて、きつく目を閉じた。
(お師様、兄さまっ……!)
熊の獣人の手がアーリアに触れようと近づいたその時ーー
ーパチンー
乾いた音とともに熊の獣人の手が弾かれた。そして次の瞬間ーー
ーヴァンー
アーリアを中心に翠の光が発生し、優しく包んだ。その聖なる光は、アーリアの周囲に屯っていた獣人たち牽制し、一斉に遠退けた。
「うぉっ⁉︎ 」
「な、なんだこりゃ⁉︎」
「コイツから変な光が……⁉︎」
暫くすると何事もなかったように翠の光が消えた。
しかし、また別の獣人がアーリアに手を伸ばすと、再度パチンという音とともに光が発生し、その手を跳ね除けた。
「なんか、特別な魔宝具とかを持ってんじゃねーか?コイツ、声を封じられてんだろう?」
「あの方が欲しがるくらいだ。すげぇ物なのかもな……」
獣人たちは好き好きに騒ぎたてる。すると、その喧騒を割って、一人の青年が声を挙げた。
「もう止めときなよー?」
扉の外から猫の獣人が割って入ってきた。猫の獣人は肩からタオルをかけて、そのタオルで頭を拭きながら話し出した。
「もうすぐ夜になるんだしさー。そんなん構ってないで、街に行った方がいいんじゃない?」
「そ、それもそうだな!」
「それに、さっき上から連絡があったんだけど、明日の昼にはあの方がこの子を引き取りに来られるらしいよ〜。しかも『傷つけるな』ってお達し付き〜」
「はぁ……じゃあ俺らこれから待機かよ?」
「裏を返せば、今夜は遊んでてもいいってことでしょ?ラッキーじゃん?」
「なるほど!」
「だから、こんなとこで遊んでるより外に出た方がいいんじゃない?」
猫の獣人の言葉に他の獣人たちは納得しながらアーリアから離れていく。中には納得できずに舌打ちしながら離れて行く獣人もいた。
「てゆーか、何でお前、濡れてんだ?」
「森の中でネバネバする水たまりにはまったの!で、気持ち悪いから風呂入ってきた」
「あーーそんな奴いるって聞いてたわ」
「悪かったね!マヌケで!」
猫の獣人と話していた様々な獣人たちが口々に話しながら部屋から出て行く。アーリアを囲んでいた獣人たちが獅子の獣人を残して全員外へと出て行くと、代わりに猫の獣人は軽い足取りで入ってきた。猫の獣人はアーリアの前に柔らかい動作でしゃがむと、アーリアに向かって手を伸ばした。
(……な、なに?)
身構えるアーリア。ニヤニヤと笑う猫の獣人。
「《癒しの光》」
猫の獣人が呪文を唱えると暖かな光がアーリアを包んだ。すると身体の彼方此方にあった痛みがゆっくりとひいていくではないか。
「悪いけど、足の怪我はそのままにしとくね〜。明日には治してあげるよ」
アーリアは恐る恐るフードの隙間から猫の獣人を見た。そこに見えるのは三毛猫のような容貌にニンマリ笑う口元。髭がピクピクと動く。一瞬、その大きな黄色い瞳と目が合ったような気がした。
猫の獣人は柔らかな動作で立ち上がると手をヒラヒラと降って、部屋から出て行った。猫の獣人の様子を見ていた獅子の獣人も、その後について出て行った。
※※※※※※※※※※
誰もいなくなった部屋でアーリアは膝を抱えた。膝の間に顔を埋める。気を抜くと泣いてしまいそうだった。泣くまいと目をきつく閉じる。暫くそのままの姿勢で身体の震えが去るのをじっと待った。
ーさわさわさわさわ……ー
鉄格子の窓からの風がマントを揺らした。アーリアが顔を膝から上げて小さな窓から外を見ると、空が夕闇色に染まっていた。
夜が来る。
アーリアは痛む足を椅子の上から下ろすと、次は格子扉を見た。見張りの姿はない。暫く待っても、誰も見張りに来る様子はなかった。
周囲を警戒しつつ、アーリアは服の中に隠していた魔宝具を取り出した。それは転移の直前、師匠から渡された物だった。
宝飾品に使う宝石のように磨かれた玉は青く澄んだ空のように美しく輝いている。掌に収まるほどの大きさの宝玉。ほんの少し熱を感じられた。
アーリアは掌に魔力を込めると、その魔宝具に流し始めた。
『《鑑定》』
口を動かして《力ある言葉》を唱えるが、言葉は音にはならなかった。だが《鑑定》は魔法や魔術ではなく技能なので、言葉と共に程なく発動した。
スキル《鑑定》は魔宝具に込められた効果や製作者などが、ステータス画面を通じて鑑定者に提示される仕様だ。
製作者:素敵な貴女の師匠
魔宝具名:『痴漢撃退!』
効果:身に迫る危険から貴女の身を守ります。邪な気持ちを持って接してくる者にも有効です。貴女の身に危険が近づいたとき、これは貴女を全力で守るでしょう。
(お師様……)
なんと、この魔宝具は意図してアーリアの為だけに作られた物だったのだ。
この魔宝具が囮の一種だったのは確かだ。しかし、この魔宝具がアーリアを救ったことも確かだった。
(『素敵な貴女の師匠』って、お師さま……)
虚言とは言い難いが、真実とも言い難い。弟子たちとの間ではアーリアの師事する魔術の師匠は『鬼師匠』、『鬼畜師匠』等と言われている。
師匠は正確無比で隙がない。魔法も魔術も、更には魔宝具技師としての腕も掛け値無しに一流。だが完璧超人とも思われる師匠には、自身を『自分の考えこそが世界の中心にして真実』なのだと信じて疑わない悪癖があった。しかもそれを相手にも同意を求めるので、付き合う者たちはたまったものではない。
そんな師匠だが、アーリアを含む弟子たちは須く敬愛の念を持っている。それこそ掛け値なしの敬愛を。
(このままではダメだ……)
アーリアはその魔宝具をまたそっと服の中に仕舞うと、『打開策を考えなければ』と部屋の外を伺った。
日が暮れてから、館の中は人の気配が希薄になっていた。
半地下の地下牢には見張りはなく、獣人ではなく人間の男が思い出したかのように時々、様子を見に来る程度。何故だか日が暮れてからというもの、獣人がぱったり来なくなったのだ。
見張りをするのは獣人たちにとって、本当に面倒な業務なのだろう。役割を受け持っていると思われる人間の男も、アーリアの様子をチラッと見るだけでサッサと上に上がっていく。それも一時間に一度来るか来ないかといった頻度。それも夜が更けると、殆ど見に来る者がいなくなっていった。
(固い……!)
手首に結ばれたロープは、引っ張っても千切れる気配はないほど固く縛られている。縛られたままの手では、ポーチの中や鞄の中の魔宝具を取ることもままならない。足首の痛みは引くどころか、どんどん増している。よっぽど下手な捻り方をしたのだろう。
周囲の警戒をしつつ、アーリアは部屋の中や窓、格子扉の外を様子見たが、扉には鍵がしっかりかかっており、はめ殺しの鉄格子窓は頑丈で、押しても引いても全く動かなかった。
(うむむ……)
打開策がないものかとアーリアが悶々と考えていると、途絶えていた人の気配が発生した。窓際に立って外の様子を探ろうとしていたアーリアは、慌てて長椅子まで戻ると、何事もなかったかの様に座り直した。
どうせ見張りは少し中の様子を見たらすぐに戻って行くだろう。アーリアは俯いたまま黙ってその時を待っていると、今回に限り、その気配はすぐには去って行かなかった。それどころか予想外の事が起こる。人影は格子扉の鍵に手を掛け、牢の中へと入って来たのだ。
ーキィィィ……ー
獣人たちはもう、夜が明けるまでは誰も入って来ないだろうとアーリアは思い込んでいた。
(え……ええっ⁉︎)
驚いて扉の方を向くと、そこには背の高い男が立っていた。
窓からの少ない光にも反射する黄金の髪と碧く鋭い瞳。流れる柳眉。白皙の肌。恐ろしく整った容姿。白いシャツ。革鎧に革ベルト。醸し出される雰囲気は平民のそれではない。その高貴な佇まいと雰囲気は、この牢には似つかわしくなかった。
美青年の背景を城か教会にでもすれば、立派な騎士かはたまた王子様にでも見えそうだ。ニッコリと微笑めばきっと、年頃の娘たちは黄色い声をあげ、十人が十人、頬を染めるだろう。
『まるで御伽噺の中の王子様みたい』などと、アーリアが馬鹿げたことを考えていると、美青年はゆっくりとアーリアの方へと近づいて来てきた。
(ひえっ……)
美青年はアーリアの目の前まで来ると鋭い目つきで見下ろしてきた。無表情で見下ろすその美青年を、アーリアは恐る恐る見上げその顔を視界に入れた瞬間、美青年と視線が合った。
暫くの沈黙。
その後、徐に美青年はアーリアに向けて手を伸ばしてきた。
アーリアは昼間の事を思い出して、反射的に目を閉じで身体を震わせた。恐怖がまざまざと蘇る。
すると何を思ったのか、アーリアのその様子を目に留めた美青年は、自ら手を引っ込めた。
「……ここから逃げたくはないか?」
反射的に目を逸らしていた美青年の声音。声まで美声だ。
アーリアは頭上から聞こえたその美青年の声に一瞬、何を言われたのか理解が追い付かなかった。
首を傾げるアーリア。ポカンと疑問符を浮かべ、思案しながら美青年を見ていると、美青年はもう一度同じ言葉を繰り返してきた。
「……このまま此処にいれば、あの男に捕まるだけだ。だから……お前は、逃げたくはないか?」
美青年の真意が解らず、アーリアは迂闊に頷く事を善とは出来なかった。何せ、此処に至る経緯は散々たるもの。ただでさえ『考えなし』で『やることなすこと全てが空回り』な逃亡生活だったのだ。今、ここに捕まっているのも、自分の行いの悪さ故。
「警戒するのは解る。俺のことが信じられないのも。言っている俺自身、怪しく見えているだろうという自覚がある。だが、この提案はお前だけでなく、俺にも利益があることだ。お前の為だけに、このような事を言っている訳ではない」
離反しアーリアを逃せば、美青年自身があの黒ローブの男の排除対象となる事だろう。その危険を差し引いてもアーリアを逃す価値がある、そう言っているのだろうか。
美青年はアーリアの前に跪くようにしゃがみこむ。そして今度はアーリアの左足に手を伸ばしてきた。
『っ!』
「俺は、お前を傷つけることは絶対にない」
美青年はそう言うと、そっとアーリアの左足首を少し持ち上げて傷の具合を確かめた。何故か『痴漢撃退!』の魔宝具は発動しなかった。
「……酷いな。だいぶ痛むだろう?」
その問いかけに、アーリアはゆっくりと頷く。
「どうする?詳しい事情説明はここから出てからにしたい」
美青年は扉の外を伺いながらアーリアの返答を急かす。
「逃げるか?」
その言葉に戸惑いながらもアーリアは固く頷いた。
師匠の魔宝具への信頼もあるが、美青年の態度から気持ち悪さを全く感じなかったのが大きな理由だった。容姿が良いからと美青年を全面的に信頼する訳にはいかない。しかし、この提案はアーリアにとって救いの手でもあった。
アーリアの肯定を見た金髪の美青年は、腰から短剣を出し、両手首を縛るロープを切った。そして美青年は立ち上がると、アーリアに向かってゆっくりと手を差し出した。
その姿にアーリアは何故か既視感を覚えた。
既視感を振り払うように、アーリアはその手を取って立ち上がった。
美青年は扉まで行くと廊下を伺った。そしてアーリアの元へ戻ってくると、少し屈んでから当然の様にアーリアを抱え上げた。
(また荷物扱い⁉︎)
「しっかり捕まっていろ」
若干落ち込むアーリアの様子に気づく事なく、美青年は軽々と左腕だけでアーリアを持ち上げ、右手で扉を開くと気配を殺しながら廊下へと出ていく。そのまま人の気配を探りながら屋敷の裏口へと移動する。
そして予想外にも、誰に見つかる事なく二人はそのまま館からこっそり抜け出す事に成功してしまった。
お読みくださりありがとうございます!
ブクマ登録、ありがとうございます!
大変嬉しく思います!
アーリアの人生反省大会。
転んでもタダでは起きないくらいの図太い根性をこれから持ってほしいです。
※魔法や魔術について曖昧な点が多いので、しっかり考えていきたいです。おかしい点はこれから書き直していきます。




