騒動は華やかに1
ジークフリードは暫く混濁した意識が正常に機能するのを待った。どれほど眠っていたのか分からないが、バルドから受けた禁呪《隷属》による身体のダルさが抜けていた。しかし黒髪の魔導士に跳ばされてからどのくらいの時間が経ったのか判らなかった。
目が完全に醒めると意識を巡らし周囲の確認に努めた。そこは見慣れたーーいや見慣れていた筈の場所だった。
白い天井には豪奢なシャンデリア。窓際には執務机と気に入りの椅子。窓からは陽の光を室内に運ぶレースのカーテン。
ジークフリードはそこまで確認するとバネのように飛び起きた。
「こ、ここは……!俺の部屋か……⁉︎」
ジークフリードが獣人となり追放される以前まで使っていた、アルヴァンド公爵家の屋敷にある自分に与えられた個室だった。
なぜこのような場所に放り出されたーー正確には《転移》させられたのか。魔術に疎いジークフリードには理解できなかった。
だが、都合がいいとも思った。
この屋敷は王宮まで目と鼻の先だ。
アーリアとジークフリードの持つ魔宝具はお互い引き合う力を保っている。正常に機能している証拠だ。その引き合う力も強いので、連れ攫われたアーリア自身も王宮周辺にいると見て間違いがないだろう。
それにあの黒髪の魔導士はジークフリードを《転移》させる前に「アーリアを守れ」ではなく、「王宮へ行け」と言ったのだ。
ジークフリードは能力《擬装》と《擬態》を己の身体に重ね掛けると部屋を飛び出した。
貴族のマナーなど無視して廊下を走り一階へ続く階段を駆け下りた時、一人の男に呼び止められた。
「ぼ、ぼっちゃま……⁇ 」
この屋敷の筆頭執事である壮年の男はジークフリードを見留めると驚きを露わにして叫んだ。本来なら執事に有るまじき行為だが、咎める気にはならない。ジークフリード自身もマナーを守らずに屋敷の中を駆けているのだから。
それに死んだと聞かされた人間が目の前に生きて現れたら、誰でも驚くだろう。
「い、生きておいで……⁉︎ 」
執事の泣きそうでいて驚きを含むその叫び声に、応接室から二人の人物が飛び出して来た。
「お、お兄様⁉︎ 」
「なに⁉︎ ジークフリード殿か⁉︎ 」
ジークフリードの妹リディエンヌと、その隣にはこの国の第三王子リヒト殿下だった。
兄の死に加え、父親の失踪を受け塞ぎ込んでいたリディエンヌを仮の婚約者であるリヒト殿下が見舞いに来ていたのだ。
リディエンヌは公爵令嬢としてハシタナイ行為だと分かってはいても、逸る想いが抑えきれず、ジークフリードに駆け寄ってその胸に飛び込んでいた。
ジークフリードはリディエンヌの肩を抱いて、優しい笑みを浮かべーーるのではなく短く嘆息した。
今のジークフリードには時間がないのだ。やるべき事が他にあった。家族の再開など後でもいいのだ、と。
「ジーク兄様!生きて……生きておいでで!」
「リディエンヌ……心配かけてすまない。だが、俺はこれからすぐに行かなければならない場所があるんだ」
ジークフリードとリディエンヌとの兄妹の再開に一歩身を引いて様子を見ていたリヒト殿下は、ジークフリードの言葉を聞くなり話し掛けてきた。
「本当に、ジークフリード殿なのか……?」
ジークフリードはリディエンヌをそっと自分から離すと、リヒト殿下の眼前で跪いた。
「はっ。長らくご無沙汰しておりました。ジークフリード・フォン・アルヴァンドにございます、リヒト殿下。殿下には申し訳ないのですが、詳しく説明させて頂く時間はございません。私は一刻も早く、王宮へ向かわねばならないのです」
殺害された筈のジークフリードが突然生還し、その本人が家族との再開を喜ぶより前に王宮へ急ぎ向かいたいという。そのジークフリードの状況と、現在王宮を騒がす事情とを重ね、リヒト殿下は眉を挙げた。
リヒト殿下は第三王子であっても国の政にも大きく関わり、その才を活かしている王族の一人だ。王太子が国王となった末には兄を助け、この国を支える臣下の一人として人生を捧げる覚悟を持っている。
そしてリヒト殿下は、アルヴァンド公爵家の者を信頼できる忠誠として見ている王族の一人でもあった。二年前のジークフリードの死亡、先日の公爵失踪に際して王宮内では口さがない諫言の数々にも辟易し、反論していた筆頭でもあったのだ。
勿論、二年前の事件にも不信感を募らせていたのだ。
「……分かった。では私も共に参ろう」
ジークフリードはリヒト殿下の言葉に思わず垂れていた頭を上げ、リヒト殿下の顔を見上げた。リヒト殿下は現王に似た聡明な顔つきの中に、野生的な笑みを浮かべていた。
だがその言葉に、リヒト殿下に付き従って来た騎士たちが反論を申し立ててきた。
「殿下!それは危険では……⁉︎」
「この者が本当にジークフリード殿だという証拠はございません!」
「死んだ者が突然甦るなど……!」
「このような不審人物を王宮に上がらせるなど容認できません!しかも殿下も共に参られるなど以ての外!」
騎士たちの次々と起こる反論にリヒト殿下は眉根を吊り上げ、不快感を露わにした。
「何が危険だと言うのか?サリアン宰相に死んだと聞かされていたジークフリード殿が生きていたのだぞ?この理由を宰相自身に聞かねばならないではないか?」
「そ、それは……!」
「なんだ……お前たちは私が宰相に聞いてはならぬ話があるとでも言うのか?」
「そんな、ことは……」
「では、ジークフリード殿と共に王宮へ向かっても良いではないか?……それともお前たちは宰相に私の動向を『見張れ』とでも言われているのだろうか……?」
「ーーーーッ!」
騎士たちの言動と顔色に不穏なものを感じたジークフリードはすかさず動いた。ジークフリードは腰の剣を抜くとリヒト殿下を背に庇いながら、その切っ尖を騎士たちに突きつける。
騎士たちは顔を曇らせながら一斉にジークフリードへと対抗しようと動いたとき……
「《銀の網》!」
そこへリディエンヌが捕縛の魔術を発動させた。魔術の鎖に騎士たち全員絡みとられ、その身体を拘束された。身動きできぬまま騎士たちは怒りを露わにして暴れるも、魔術でできた網はそれくらいで切れる事はない。
「リヒト殿下、御前での魔術の使用、申し訳ございません」
「許す」
リディエンヌの咄嗟の判断に、リヒト殿下は満足した表情で頷いた。リヒト殿下は聡明なリディエンヌをうっとり見ていた事など、頭を垂れて俯いていたリディエンヌは気づいていない。
「お前たちに言っておく。この者がもし本物のジークフリード殿でなかったなら、このような真似はせぬ。我らに事情など話さず黙って行けば良いのだからな」
リヒト殿下は捕らえられた騎士たちを一瞥するとそれ以降はその存在を無視した。そして颯爽と身を振り返すとジークフリードへと向き直った。
「ジークフリード殿、では共に王宮へ参ろうか!」
「はっ!」
「馬を!」と言うジークフリードの言葉に、屋敷の使用人たちは瞬時に己の役割を思い出し、次々に働き出す。執事が的確な指示を出し、屋敷内の綱紀を正していく。屋敷の警備の者たちは捕らえられた騎士たちに縄をかけると地下牢へと連行した。
そこへ二頭の馬が使用人に連れられてやって来た。そのうちの一頭はジークフリードの愛馬だ。二人はそれぞれの馬上へと跨ると、手綱を引いて颯爽と駆け出した。
ジークフリードはリディエンヌを屋敷に残すと、リヒト殿下と共に王宮へと馬を走らせるのだった。
※※※※※※※※※※
アーリアたちがウィリアム殿下と話をしていると、部屋の扉が外側から激しく叩かれた。
ウィリアム殿下が許可を出す前に、近衛兵の一人が血相を変えて室内へと飛び込んで来た。
「ウィリアム殿下、一大事にございます!」
「なんだ?」
「王宮内に獣人が出現しました!しかもその数は一人ではございません!今もその数を徐々に増やしているのですっ」
「なんだどーー⁉︎」
アーリアは椅子から立ち上がると、能力《探査》を発動させた。地図内に害意ある敵を示す赤い印がポツポツ増えていくのが見て取れた。
アーリアがリュゼを見上げるとリュゼは頷きで返した。
「確かみたいだよ?今、子猫ちゃんが能力《探査》で確認した」
リュゼの言葉にウィリアムが表情を固くしながらも頷いた。聡明なウィリアム殿下はすぐに決断すると、その場の騎士たちに指示を出し始めた。
「近衛第一騎士団は国王陛下の寝所の警備に引き続き当たれ。第三騎士団は後宮の警備に。第二騎士団は王宮内の獣人たちに対応しろ。第四騎士団以降は王宮外に獣人が行かぬよう対処せよ。それ以外の対応については追って連絡をする。近衛騎士団副団長はこのまま私と共に来い!」
ウィリアム殿下の言葉に騎士たちが伝令に走り、己の仕事に取り掛かる。
ウィリアム殿下の前には近衛騎士団副団長(=近衛副団長)が立ちはだかり、主人の行く道を先導する。
アーリアたちはウィリアム殿下の視線を受けてその後を追った。
ウィリアム殿下は寝所を抜け王宮へと足を運んでいた。
「ウィリアム殿下、ナイトハルト殿下は何処に御坐します?」
アルヴァンド公爵がウィリアム殿下の背に言葉をかけた。ウィリアム殿下は振り返らぬままそれに答えた。
「確か、夜に予定されている他国からの使者たちを迎える夜会の為、サリアン宰相と打ち合わせをしている筈だが……」
王が急病でお倒れになってからも三人の王子の仲は良好のままで、王太子ウィリアムは国王陛下の代行と王宮内警備を、第二王子ナイトハルトはウィリアム殿下の補佐を、第三王子は臣下の話を取りまとめる役を分担して行っていた。
「ではリヒト殿下は?」
「リヒトはリディエンヌ嬢のお見舞いにアルヴァンド公爵家へ行くと聞いた。貴殿はなぜこのような事を聞くのだ?」
「サリアン宰相はこの国の乗っ取りを考えておられる可能性が高いと考えます。王位を簒奪するつもりなら、まず目の前の障害になるのは王族の皆様方のお命です」
「ーーーー⁉︎ 」
アルヴァンド公爵の苦渋の混じる言葉に、ウィリアム殿下は思わず足を止め、振り返った。
「貴殿は宰相がそこまですると考えるのだな?」
「はい。今のサリアン宰相殿に見境はございません。もし、これが杞憂ならば、私めが全ての責を取りましょう」
アルヴァンド公爵は己の言葉に命をかける、とまで言うのだ。その覚悟ある言葉にウィリアム殿下は一瞬の戸惑いと憂いをその表情に浮かべたが、すぐに表情を引き締めて二度頷いた。
「わかった。貴殿のその覚悟、私が受け取ろう」
「ありがとう存じます」
「ではまず王宮にいるナイトハルトを保護せねばならないな」
ウィリアム殿下の指示を受けて近衛副団長が行く道を変更する。
ウィリアム殿下は寝所のある宮から王宮へと繋ぐ廊下を抜けたところで、そこに待機している近衛騎士に指示を出す。獣人姿であるアルヴァンド公爵が一度拘束されかけたが、ウィリアム殿下の指示で大事にはならなかった。アーリアたちも不審に思われはしたものの王族の権威はさすがと言うもので、それ以降深く追求される事なく、殿下の後に続いて政の中枢を担う宮へと足を運ぶ事ができたのだ。
王宮を内部へと入ると幾人かの獣人に出くわした。それを近衛副団長を中心とした近衛騎士たちが難なく制圧する。
獣人の中には武器を手にした者だけでなく、何故か騎士服を着た者、豪奢なローブを纏った者などもいた。その中には錯乱したように喚くだけで、こちらを攻撃しようとしない者もいたのだ。
服装や雰囲気の違いにアーリアが首を傾げていると、リュゼがアーリアの耳元で囁いてきた。
「獣人が増えてるってさ……突然湧いて出ているのか、それとも……」
『それとも?』
「その場で造られているのか……?」
アーリアはリュゼの考えに言葉を詰まらせ、そして足の先を毛足の長い絨毯に引っ掛けて躓いた。それをリュゼがアーリアの体を支えて転ぶのを阻止してくれた。
アーリアはリュゼに礼を言いつつ彼の腕の中からリュゼを見上げると、リュゼは不敵な笑みを浮かべていた。
『王宮にバルドが来ているの……?』
アーリアの問いにリュゼは答えない。益々その笑みを深めるだけだ。
「ーー何をしているアーリア殿。早くこちらへ!」
立ち止まったアーリアたちをアルヴァンド公爵の声が急かす。
アーリアはアルヴァンド公爵との距離を詰めようと走り出そうとした時、不意に身体が浮いた。
ヒョイっとリュゼが抱き上げたのだ。
『ーーえっ?リュゼ⁉︎ 』
「一度子猫ちゃんを抱っこしたかったんだよね〜〜。子猫ちゃんってよく獅子くんに抱っこされてたでしょ?」
「あれちょっと羨ましかったんだよね〜」とリュゼはアーリアに一方的に言い放つと、アーリアを抱えたまま軽やかに走り出した。
アーリアはリュゼの首に腕を回して身体を支えた。掴んだ肩や首など、触れた手から柔らかな毛の感触が伝わってくる。
『リュゼ……』
「ま〜ま〜いーじゃないの?僕は子猫ちゃんを抱っこできて嬉しいし。子猫ちゃんは自分で歩く必要ないから楽でしょ?」
『……この格好、恥ずかしいから下ろして』
アーリアもさすがに他人の目が多くある王宮内で抱き上げられるなど、羞恥しかない。ジークフリードとの逃亡中は主に山林の中、それも襲撃中という緊急時の特別な措置のように考えていたので、羞恥などなかった。いや、初めの方は少しはあったが、それも回数が増えていくと気にならなくなっていたのだ。
だがこれはイタダケナイ。
アーリアはアルヴァンド公爵とウィリアム殿下からの目線が痛いと感じた。
実際彼らは何とも思っていない。寧ろ裸足のアーリアを走らせるより安全、くらいにしか思っていないのだが、アーリア自身は消えてしまいたいくらい恥ずかしいのだった。
顔を赤くして恥ずかしがるアーリアを見て、リュゼは益々嬉しそうに意地悪な笑みを深めた。
「そんなコト言われると、ちょっとドキドキしちゃうな〜〜」
『……何でドキドキ?』
「……楽しくなっちゃったから下ろしてあげない!」
アーリアにはリュゼの言動が意味不明だった。嫌がっているのに離してくれないなど、アーリアにとっては意地悪でしかない。
逆にリュゼとしては嫌がるアーリアを運ぶのが楽しくてたまらないのだった。
「ふ〜〜ん。獅子くんはこんなキモチだったのかな?やっぱり獅子くんもヤラシイじゃん!」
リュゼはアーリアに聞こえないくらい小さく呟いた。
アーリアを抱えるリュゼはアルヴァンド公爵の下へと軽く追いついた。そしてウィリアム殿下先導の元、ナイトハルト殿下がサリアン宰相と共にいるという大広間へとたどり着いたのだった。
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リヒト殿下はリディエンヌ嬢にメロメロみたいですね。残り第二王子が心配ですが、どうなるのでしょうか。
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