騙し騙され1
夏の暑さもずいぶんと落ち着きを見せた。穏やかな陽気の中、二人はなだらかな丘を見下ろせる高台にいた。
「よし。どうだ、アーリア?」
『完璧です!』
ジークフリードの声に振り向いて見上げ、感嘆の声を上げた。
アーリアの見つめる先にあるジークフリードの顔は整った容姿に爽やかな笑顔。金の髪が風に揺れ青い瞳が輝く。どこに出しても大丈夫な『王子様』がそこにいた。実際元騎士とは言うが、この美青年は本物の王子様と並んでも遜色ないだろう。
アーリアがジークフリードに聞いた話だが、貴族の中でも特に高位な者たちは血を重んじ、それを代々受け継いで行くので、顔の良い者が揃うのだそうだ。それを聞いて妙に納得してしまったのはつい昨日のこと。
アーリアは拍手しながら、ジークフリードの顔をマジマジと見つめた。
『どの角度から見ても大丈夫ですよ!』
「アーリアにそう言ってもらえると、自信になるな」
アーリアはジークフリードの右に左にとちょこちょこ移動して、ジークフリードの顔を観察した。そしてその全身を上から下へと舐めるように見た。
ジークフリードが少し恥ずかしそうに肩をすくめるが、アーリアの行動を咎めたりはしない。彼自身がアーリアへと能力のチェックをお願いしたのだから。
『ジーク、少し失礼します』
アーリアはジークフリードの正面に来ると、手を伸ばしジークフリードの頬に触れた。手で触れた感触は柔らかな鬣。だが目に写るのはやや日に焼けた白い肌。
『すごいですね!こうやって触れていても、《擬装》にブレがないですよ?』
「そうか?」
アーリアがサワサワ鬣に触れるので、ジークフリードの居住まいがいささか宜しくないが、それにアーリアは気づかない。
『これだと、どこを歩いていても大丈夫ですよ!』
「まだ発動時間は長く持たないがな……」
『それもマジックポーションで魔力を度々回復させていけば、対処できますよ』
アーリアがにっこりと微笑んでジークフリードの憂いを取り除いた。
そう言うアーリアの髪色は金。ジークフリード本来の髪色とそっくり同じだ。能力《擬装》によって変えられていた。
《擬装》はイメージが何より重要だ。思い描くイメージがより鮮明で具体的な程、発動した時の出来が良いのだ。
アーリアはジークフリード本来なら姿をイメージしているので《擬装》し易かったのだ。被写体がいつも側にいるのだから、常に観察していたと言えなくもない。
だが他人から兄妹に見せる為とは言え、アーリアがジークフリードの色をそっくり真似ている事は、ジークフリードにとって嬉しい事であった。
なにせそれだけアーリアがジークフリードの事を『観て』いるという事なのだから。
ジークフリードはアーリアの言葉を受けて、優しい笑みを浮かべた。その笑顔にアーリアは不意にドキリとさせられてしまった。
アーリアは『この表情は心臓によろしくない』と胸の中で呟いた。ただでさえ今は昼間なのだ。なんのフィルターもなくお日様の下で『王子様』像を晒しているのだ。夜に見ているよりずっと輝いている。
ジークフリードは時々、普段の少し雑な言動に似合わずびっくりするほど優しい微笑みをアーリアに向けることがあるのだ。アーリアは思わず『それは反則ですよ』と言ってしまいたくなるのだった。
ジークフリードはアーリアに対して『素』の口調で話す。初対面から態度も『素』を貫いている。ジークフリードがアーリアに対し侮っている訳ではない。寧ろ ーこれはアーリアに直接言ってはいないがー 心を許しているからだった。獣人として長く過ごして来た為、当初は言動に荒さがあった。
当初は意図した事では無かったとはいえ、今では偽りのある態度ではいつまでも信頼など生まれなかったに違いないと、ジークフリードは思うのだった。
アーリアから見てもジークフリードの外面は厚い。村や町での交渉や宿屋の対応でも、初対面の人には社交辞令よろしく笑顔がぴったり引っ付き、嘘も方便とばかりにペラペラと有る事無い事を話し出す。宿屋や露店などでの対応では、アーリアがジークフリードの素を知っているだけに ー本人には決して言えないがー 薄ら寒いものがあったくらいだ。
普段『俺』と言っているのが『私』になるだけでも違和感があるのに、口調自体まるで違うものになる。初めてその光景を見た時は、思わず ー悪い意味でー 見入ってしまった程だった。
そのような理由で、親兄弟の次にジークフリードの素と外面を知ってしまったアーリアだが、ジークフリードの時折見せる柔らかな笑顔には何故か心臓の鼓動が早くなるのだった。
アーリアがジークフリードの笑顔に身体を固まらせた隙に、ジークフリードは頬に添えられていたアーリアの手をそっと握って、そのままアーリアの掌の中に口づけを落とした。
『ひゃっ!』
アーリアの掌の中に口づけしたまま、涼やかな目線をアーリアにむける。その瞳には少しのいたずら心が浮かんでいるが、アーリアにその事を気づく余裕はなかった。
アーリアが見たジークフリードは、瞳に映る風景自体は『王子様の口づけ』なのに、掌にある感触は猫に舐められたという違和感だったのだ。
アーリアはその擽ったい感触に変な声を上げてしまい、もう片方の手で口元を覆った。思わず出た自分の変な声や赤面する顔に、羞恥心で顔に血が上っていく。
「……アーリア、見過ぎだ。流石に俺も恥ずかしい」
『〜〜すみません!』
アーリアの手を離しながら、ジークフリードはその行為に悪びれもせず逆にアーリアを責めた。そしてアーリアの方が何故か謝ってしまうのだった。
アーリアは両手で顔を隠してその場にしゃがみ込んだ。
耳まで真っ赤なアーリアを真上から覗いていたジークフリードは、意地悪にもその様子に少し満足する。そしてそのアーリアの背に回り込んみ、地面に腰を下ろした。
ジークフリードはアーリアを両足で挟み込むように座ると、アーリアのその柔らかな髪を弄りだした。
『ーーえ!?ジーク、何するんですか?』
「何って?髪結いだが?」
ジークフリードは自分の指でアーリアの髪をするすると梳る。能力《偽装》、《擬装》、《擬態》を駆使して見た目は獅子から人間へとなっているが、中身は獅子のまま。指の間にある鋭い爪でアーリアの髪を傷つけてしまわないように気をつけながら触れていく。アーリアの髪は見た目通り棉ように柔らかく滑らかだ。その髪をサイドから後ろに向けて少し取り、緩く編む。そしてそこへエルフの君から貰ったという薔薇の髪留めを刺した。
アーリアは髪を人に触られることに慣れていなかった。髪を結ってもらうなど ーエルフ様を除くー 幼子の頃以来。しかも男の人に結ってもらった事などない。
壊れ物のように優しく触るジークフリードの指の感触に首をすくめながら、アーリアは地面に大人しく座り、置き物のようにじっとしていた。首に触れる指は人間のそれではなく獅子のそれなので、とても擽ったい。
「……ジーク、髪なんて結えたんですね?」
「あ、ああ。俺には妹がいるからな。妹が幼い頃にはよく髪を結えとせがまれた。俺は昔から騎士志望だったから子女の事など分からないと言うのに、妹は俺の言葉を聞かなくてな……」
ジークフリードが小さな妹にせがまれている姿を思い浮かべて、アーリアはクスリと笑った。優しいジークフリードの事だ、きっと断りきれなかったのだろう。
「幼くても公爵家の子女だからな。兄妹でも不用意な接触は憚られたんだが……。それを見ていた父も母も兄も面白がって止めなくて、結局、俺は妹に散々付き合わされた」
今ではいい思い出だ、とジークフリードは締めくくった。アーリアは手を後ろにやって、自分の髪に触れた。指でそっと触ると、細かく繊細に編まれているのが分かった。
『すごい……お上手ですね!』
「そう言ってもらえて何よりだ。妹に付き合わされた事がこのように役に立つとは、人生、何がどうなるかなど分からんな」
ジークフリードは足の間に挟んだまま、アーリアを背後からそっと抱きしめた。
「アーリア……。お前には感謝している」
『〜〜!?』
「……少しだけこのままで頼む」
ジークフリードはアーリアの膝を抱き込む様に身体の中に閉じ込め、その首に顔を埋めた。初めは驚きの声を上げたアーリアだったが、揶揄われての行為ではないと気付いて押し黙った。
アーリアに会ってから約二ヶ月、ジークフリードの心はアーリアによって救われていた。
ジークフリードは逃亡直後、こんな世間知らずの娘との旅は、正直どうなることかと不安があった。しかし実際旅を始めてみるとその不安はすぐに払拭された。
旅の間、アーリアと様々な事を話し、相談し、一緒に悩み……己の想いを伝えることで、沈んでいた心が少しずつ暗がりから元の光ある場所へと戻って来られたように思えた。
それは旅の当初には考えられなかった事だった。このように自分の過去を穏やか気持ちで話せるなど思ってもいなかったのだ。
ジークフリードとは逆にアーリアにはまだ、ジークフリードに伝えられない想いや言えない事が山ほどあった。ジークフリードのようにアーリアは己の過去を話したことはない。そしてこれからも話す気はなかった。
アーリアは心の中でジークフリードに謝罪した。不誠実な自分を、偽りの自分を詫びた。親しくなればなるほど話せない本性が、アーリアの奥底にはあるのだ。
『……ジークは本当にいい人ですね?私……ジークに会えて本当に良かったです』
ジークフリードはアーリアの本性が未だに見えて来ない事に気がついていた。獣人にされ人生を壊された自分よりも更に深い闇が、アーリアの奥底にあるのではないかと思えた。
世間知らずで、空回りで、迂闊で、騙されやすい。頑なで、頭が固く、楽天的で、お節介焼き……そのような印象が強く表に出やすいが、アーリアの本性や本音は未知そのもの。
アーリアの表の印象が強く、ジークフリードは最近までその裏がある事に気づいてすらいなかった。
それに気づいたきっかけは、アーリアが近頃よく見せるようになったある表情だ。旅の日常の中で時折、少し困ったような表情を見せるのだ。それは決まってジークフリードが己の過去や想いについて話す時だった。
ーアーリアには触れられたくない過去があるのではないか……?ー
ジークフリードはそれを無理にアーリアから聞くつもりはなかった。どのような過去があろうとも、ジークフリードはアーリアの味方である事、自分がアーリアを守るという事に変わりはないのだから。
「アーリア、無理はするな?……何かを偽らなくてもいいんだ。俺はずっとお前の味方だから……」
『……ありがとうございます』
見透かされているのだろうか。
アーリアは表情に出さぬまま、曖昧に微笑んだ。ジークフリードは人間の表情から本音を読み取ることが上手い。職業柄なのだろう。
人間は本音を隠す。それは防衛本能、自衛の一つだ。特に貴族は表情と言葉で本性を包み隠しながら相手と接し、不利な言質を取られないようにするのだ。商人や魔道士にも似通った特性がある。頭脳労働が活動の大半を占めるからだろう。
アーリアは魔道士の割にそれが得意ではない。引きこもりの上、人付き合いが苦手で避けてきたことが原因だと、最近はその事に後悔している程だ。もう少し対人能力が高ければ、ジークフリードに隠し事の一つや二つあっても心は痛まなかっただろう。
アーリアが誠意を示せる方法が『嘘』をつかないことだった。『嘘』をつかない為には、話したくないことや同意したくないことはには『沈黙する』しかない。その事は奇しくもアーリアの最大の防御にもなったのだ。
ジークフリードの言葉にアーリアは頷かなかった。いつものように少し困った顔をして小さく礼を言うのみ。
やはり一筋縄ではいかないな、とジークフリードは独り言ちた。ティオーネの街のダンのにやけた顔が脳裏に思い浮かぶ。
やれやれ、とジークフリードはアーリアの身体を持ち上げながら立ち上がった。
『ーーわっ!?』
「では出発しようか、アーリア?」
『はい……でも何でこんな格好……』
「いいじゃないか?俺が運んだ方が早く街に着く」
アーリアはジークフリードの首に抱きついたまま疑問をぶつけたが、軽くいなされた。『王子様』のジークフリードに抱き上げられた体勢には、年ごろの女性なら喜びそうだが、アーリアには困惑の方が優っていた。
『そう、ですけど……せっかく人の姿に見えているのに……』
「街が近くなかったら、もう一度、能力をかけるさ」
アーリアの文句を無視して歩き出した。
次の街はこの旅の始まりの街『ラスティ』。
アーリアの師匠が居を構える街だ。そして、魔道士バルドと獣人たちとの最初の対面があった街でもあった。
お読みくださり、ありがとうございます!
ブクマ登録等、益々の励みになります!
ありがとうございます!
騙し騙され。
お互いに偽っているつもりですが、ジークフリードの方が少し拗ねてる印象がありますね?実はアーリアの方が一筋縄ではいかないでしょう。
続きも是非お読みください。




