鳥目ってそういうコト?
アーリアは手を引かれて大勢の見物客の中から抜け出した。
背後では貴族子弟たちが傭兵や冒険者など体育会系ご職業の皆様に揉みくちゃにされ、乱闘騒ぎにまで発展している。それに連動するように、ならず者たちも勝手に喧嘩も始め、辺りはもう大混乱。飛び交う怒号。広がる喧騒。これはもう誰にも止められない。
そもそも、事の原因はアーリアと貴族子弟、そしてアーリアの手を引くこの青年だった。
アーリアとジークフリードがこの街へ来たのが夕刻。日がだいぶん西に傾いてきた時刻だった。アーリアたちは日の暮れる前に宿屋を確保することにしたのだった。
この街の宿屋街は中心部の繁華街に近く、繁華街にはこの地方の特産品の一つ、黒牛を使った肉料理店が軒を並べていた。その通りを越えて宿屋の並ぶ通りへ入ると、そこから宿泊費との相談だった。
何軒か見て回り、一泊の滞在費がそれほど高くもなく比較的小綺麗な宿屋を見つけた。そしてその宿屋に入りチェックインをしようとフロントに向かった時、日没の時間が来てしまったのだ。
ジークフリードは能力《偽装》、《擬装》、《擬態》の三つを使えるようになっていたとはいえ、魔力に限度がある為にその発動時間に制限があった。
この日は街中に入る前に能力を発動させた。そして能力は宿屋に入る所まではキチンと発動していたし、まだ発動時間も充分残っていたのだ。
しかし迂闊な事に『日没』までは計算に入れてなかったのだ。
これには二人はあわてた。
そして自分たちの計算不足を痛感した。
呪いにより獣人に変えられた者たちは、太陽の光で身体を変化させる。狼男とは違い、陽の出ている間は獣人の姿に変化し、陽の沈んでいる間は人間の姿に戻る。
呪いの解呪が未だになっていないジークフリードも同じく、日の出、日の入りで身体を変化させられていた。
肉体の変化には当然痛みも伴う。そして変化している間は体組織が変わる為、魔力の制御が出来ないのだ。
ジークフリードは日没を身体に感じ取り狼狽した。この様な人の多い場所で能力が解除されれば、ジークフリードの獣人の姿が大勢の人の目に触れ、大騒ぎになるに違いない。そしてもし獣人が人間に変化する様が目撃されれば、更に一大事だ。
ジークフリードはアーリアに目線を向けると一つ頷いて、慌ててに宿屋から飛び出した。
アーリアはジークフリードの目線を受けその意味をすぐさま理解した。ジークフリードは人目のない所へと行ったのだと。
日没時間が二人の計算よりも早かったのだ。夏は終わりに近づきつつあり、陽の長い日が続いていたので油断もあったのだろう。
アーリアは宿屋の玄関からジークフリードを見送ったその時、不意に背後から思いもしない声を掛けられてしまった。
「おい、娘!お前は白き髪ではないか?」
思わず振り向いてしまい、アーリアは後悔し目を伏せる。
そこには二人の男が立っていた。男たちは二人とも身なりの良い服装ーー貴族の装いをしている。年齢はアーリアより少し上だろうか。男たちの背後、宿屋街の入り口近くには豪華な場所が停まっているのも見える。貴族の子弟と見て間違いない。
「おいっ!その髪をよく見せろ!」
貴族子弟の一人がアーリアへと手を伸ばす。
アーリアはその手を避けて、被っていたフードをきつくかぶり直すと勢いよく玄関から飛び出した。逃げるが勝ちと言った風に、貴族子弟を放り出して繁華街の方へと駆けた。
「ま、待て!」
待てと言われて待つはずがない。アーリアはごった返す人混みを、その小さな身体を活かしてすり抜ける。
「お前たち、そこの女を捕まえろ!」
「これは命令だぞ!」
貴族子弟たちは街道にいる人々に呼びかけた。しかしどの人も首を傾げるばかり。
身なりの良い貴族のぼっちゃんが一人の娘を追いかけるなど、異様な風景でしかない。誰もそんなものに付き合いたくはないのが本音だ。知らぬ顔をしたい者が殆どだった。
それになぜ自分たちが『命令』されればならないのか。
宿屋街の街道にいる人々は旅行客や商人も少しは混ざっているだろいたが、その大半は冒険者、傭兵、日雇い兵士など。その者たちに対して、誰が何の為に『命令』を下すのか。そんな無茶苦茶な権限も道理もこの貴族子弟にはないのだ。
それよりもそんな体育会系ご職業の皆様にとって、貴族子弟とはいえ男が二人が若い娘を追い回すなど、なんと下衆なことかと憤りを覚えたのだ。
そう思っても貴族相手に体を張るのも憚られるのか、アーリアを助ける者はいなかった。だが、貴族子弟から逃げるアーリアの邪魔をしないように道を開けてやるのが、彼らからの精一杯の反抗の現れだったのだ。
貴族の中には横暴な態度とその身に持つ権力で、民を好き勝手に使役する者とているのだ。貴族の罪を告発しても握り潰される事もある。この平和な国でもそのような小悪党はどこにでもいる。それをこの国に住まう民たちは知っているのだから。
アーリアはそんな人たちの間を不審がられながらも走り抜けた。
しかし男たちの方が体力的にも身体能力的にも上だった。宿屋街から抜け出す寸前、とうとう貴族子弟の一人に腕を掴まれそうになったのだ。
アーリアが手を捻りその手から必死に逃れようとした時、一人の青年が貴族子弟たちとアーリアとの間に割って入った。
「貴様、何のつもりだ!?」
「平民の分際で我ら貴族に楯つくのか?」
貴族子弟たちがアーリアを庇う青年に怒鳴り立てる。
「貴族も平民もあるか?嫌がる女性を無理矢理連れて行こうなど、下衆でしかないだろう?」
その青年はアーリアを背で庇いながら、貴族子弟たちに対して毅然とした態度で立ち向かった。
青年は中肉中背。この国の男性は背の高い者が多いのだが、その平均身長よりやや低いだろうか。明るい茶髪を肩の辺りで緩やかに結んでいる。鼻には丸眼鏡。その顔つきは清廉さを感じさせた。アーリアを庇う手とは逆の手には厚みのある本が握られている。
アーリアはその青年の背後から青年の横顔を見上げ、暫く瞬きをした後、盛大に頭を抱えた。
『え……な、なんで?なんでこんな所でこんな人と出会っちゃうの!?』
どこかで見たことのある顔だと、記憶を辿っていた先に見つけたのは意外な人物。
アーリアの為に貴族子弟たちに立ち向かう勇気ある一般市民。普通なら、助けてくれた彼に大感謝だ。普通なら。
だが、彼はアーリアが会いたくなかった人たちの中の一人だったのだ。
『この人……獣人の一人、だよね??』
青年と貴族子弟の言い争いが続く中、アーリアは信じられないモノを見るように、青年の顔をマジマジと観察した。
どう見てもこの青年は東の街にアルカードでアーリアたちを襲ってきた獣人の一人だった。彼はあの時、アーリアたちに弓矢で攻撃して来た。その前にはアルカードの前に山中で獣人たちに対峙し、彼は鳥の獣人姿で空を飛びながら弓矢を放って来たこともあった。西の港町から内陸へ入った所で鳥と狼の獣人たちに追撃された記憶が一番新しい。
その獣人たちの一人がこの彼。鈍臭いアーリアとて、流石に命を狙ってきた追手の顔くらいはしっかりと覚えているのだ。
この状況は何なのだろう……?
まさかこの貴族子弟と組んでの茶番なのか?
それともアーリアを騙すためのお芝居なのか?
アーリアは青年の背後に庇われながらそんか事を考えていると、自分の周りには見物客が増えだしていた。
アーリアたち四人を中心にクレーターのように人垣が出来てきていた。アーリアがその様子に顔を引攣らせながら眺めていたら、アーリアを庇っている青年が「失礼」と言って、サッとアーリアのフードを取った。
「ほら、どうだ?」
「な、何だと!?」
「俺たちは確かに見た!この娘の髪は白かった筈だ!」
アーリアの心臓が跳ね上がった。
『危なかった……!』
アーリアは貴族子弟に見つかった瞬間、能力《擬装》を咄嗟に掛けておいたのだった。今のアーリアの髪色は金に見える筈だった。アーリアは身近にいるジークフリードの髪色をイメージして《擬装》を行なったのだった。
イメージがクリアなほど能力の発動が明確になる。能力は使う本人のセンスの塊なのだから。
その点、アーリアはジークフリードの髪色ならバッチリイメージできるし丁度良かった。それに同じ髪色なら兄妹と言って誤魔化せる確率も上がるので一石二鳥だ。
「お前たちの目は節穴か?どう見ても金の髪ではないか!」
見物客たちも青年の言葉に触発されて、次々と声を上げ騒ぎ始めた。
アーリアはこっそりと能力《偽装》も施して、青年の背にこっそりと顔を隠し隠れる。
助けられたのは有難いことなのだが、これ以上騒がれると目立つ上、この後この街の宿屋に泊まりにくい。顔が売れることは避けたい。これだけ多くの見物客に見られていては、その願いも儚いものだと思われるが、アーリアはそれでも細やかな抵抗を試みたのだ。
アーリアは己の考えに没頭し、貴族子弟と青年とのやり取りを無視している間に人集りは更に増え、貴族子弟たちは体育会系ご職業の皆様に揉みくちゃにされ始めた。
その隙をつくように、アーリアは青年に手を引かれてその人混みから抜け出す事に成功した。
青年はアーリアの手をしっかり握って、振り返らずにずんずん人の波を避けて進む。アーリアとしてはこの青年から手を離し今すぐこの場から離脱したかったのだが、青年の手を握る力が思った以上に強く、それは叶わなかった。
暫く無言のまま歩くと人の流れの少ない通りに出た。神殿や教会などが立ち並ぶエリアだ。
街灯が等間隔で並び、その明かりの中に静かに佇むで神殿がより神秘的だ。その神殿に彫刻された天使たちはまるでアーリアたちを見守っているようだ。
「……ここまで来れば大丈夫だろう」
それまで無言でアーリアの手を引いていた青年は立ち止まり、アーリアに向き直り繋いでいた手を離した。
「ああ、これは失礼。……大丈夫か?どうも顔色が優れないように見えるが……」
それは貴方のせいです。とは言えず、アーリアはとりあえずぺこりと頭を下げた。
「なに、礼になど及ばない。俺は当たり前の事をしたまでだからな」
アーリアは首を少し降って、再び頭を下げた。
そのアーリアの仕草に違和感を感じたのか、青年がアーリアに怪訝な表情を向ける。
「……本当に大丈夫か?どこか具合でも悪いのか?あの者共に何かされたのか?」
アーリアは首と手とを大きく降って否を唱えると、指で喉を指した。
「あ……君は言葉を話すことができないのか?それは怖かっただろう?」
アーリアは困惑した。
なぜこの青年が自分にこのような優しい言葉をかけるのかが分からない。彼はアーリアの追手の一人。獣人だ。それも命令であろうとアーリアを捕らえる為に命をも狙ったことすらあるのだ。ジークフリードなどはそれによって死にかけた。
このように他人を思いやる言葉をかけられる彼が獣人となった後、理不尽な命令に対し、何故従順な姿勢を示し続けていられるのかが不可解に思えた。
青年の先ほどの行動は、平民において非常に異端だ。貴族にあれほど真正面から楯つくことなど、なかなか出来たものではない。どんな理由で抗議したとあれ『不敬罪』と言われてしまえばそれまでなのだ。その後には厳しい処罰が待っている。それが分かっているので基本的に平民は貴族には逆らわない。
不敬罪をも恐れぬ彼が、誰の目にも明らかな悪業を繰り返し行っている魔導士バルドに対し付き従うのは、禁呪による獣人化と《隷属》によるところだけとは思えなかった。
もし彼の中に揺るがぬ正義があるのなら、その《隷属》にさえ抵抗するのではないのか……
アーリアの中に青年に対しての矛盾が渦巻く。そして……
(なんで気づかないのかな?この青年……)
青年は捕獲対象のアーリアが目の前にいる事に全く気づいていないようなのだ。
アーリアの姿を今まで幾度となく見てきたはずだ。遠目であってもその容姿はしっかり把握しているだろう。なのに普段とは髪色が違うくらいの差しかないアーリアを目の前にしても、彼は一向に気づいた素振りはない。
「声が出ないことなど、気にすることではない。人間、誰しも少なからず『障害』という物は持っているものだからな」
『……?』
「かく言う俺も『目』が悪くてね……。恥ずかしい話、あまり遠くまで物が見えないのだよ。『鳥目』というものらしいが……」
アーリアも『鳥目』という言葉を聞いたことがあった。夜になると視力が著しく衰えて物がよく見えなくなる病気だ。
「俺の場合、夜も昼も関係なく視力が低いのだが、夜間はもっと酷くてね……。あまり良く物が見えていないのだよ」
青年は少しはにかむように頬をかいた。
そうか、そういう事か……とアーリアは遠い目をした。
彼は『良く見えていなかった』のだ。
もしアーリアの予想が正しければ、アーリアの事も今までしっかり認識できていなかった可能性とてある。
青年の目つきがややキツイのは、目を凝らして周りの様子や相手の表情を良く見ようとしているからなのではないだろうか。
(え……でもそれって『鳥目』って言うの……?)
近視や遠視の類ではないのかとアーリアがやや呆れて呟いた。決して捕らえられたい訳ではないのだが、敵の一人の現状をまざまざと突きつけられると、なんだか遣る瀬無い気持ちになるのだった。
青年は今現在もアーリアの事をしっかりと認識出来ていないだろう。アーリアをしかめ面で見てくる。アーリアが能力《偽装》と《擬装》を重ね掛けしているのもその原因の一つだろう。
(えっ……なら、その眼鏡は……?度が合ってない、とか?)
青年のかける丸眼鏡。
眼鏡をかける目的は弱い視力を補う為だろう。だとすると視力を補えていない眼鏡をかける目的とはなんだ?この眼鏡はオシャレアイテムの一つなのか……?
アーリアの脳内は混乱の嵐だ。
「君も悲観することはない!世の中、どうとでも生きていけるのでなっ!」
青年の楽天的とも思える慰めの言葉に苦笑しながら頭をペコペコ下げていると、不意に背後から声がかかった。
「こんな所にいたのか!探したぞ!」
ジークフリードが手を振りながらやってくる。その顔には笑顔が貼り付いているのだが、アーリアにはその笑顔の奥に隠された疑惑と困惑とが透けて見えるようだった。
「君は……?」
「私はこの娘の兄です。助けて頂いたようで、ありがとうございます」
「お兄さんでしたか。ああ、確かに髪色が同じようだな」
ジークフリードはアーリアの肩に触れると、自分の背にそっと押し合って青年との間に入り、アーリアの身を庇う。
「少し離れた隙に逸れてしまいまして。その後探していたのですが、なかなか見つからず焦りました」
「彼女は貴族子弟たちに追われ、絡まれていたのですよ……」
「それは……!そのような所から助けて頂き、本当になんとお礼を申し上げればよいか……!」
「礼には及ばない。俺は当たり前の事をしたまでだ」
「本当にありがとうございました!」
青年から少しずつ距離を取って、ジークフリードはアーリアと共に頭を下げた。
「もし宿屋に泊まるつもりなら、今日は止めておいた方が良い。その代わり教会や協会で一夜の宿を借りる事をお勧めする。貴族と言えど教会には無理矢理押しいれない筈だ」
「そうですね……考えてみます。貴方になんのお礼もできず申し訳ないのですが、これ以上妹を連れ回したくないものですから、これで失礼させて頂いても……?」
「礼になど及ばない。妹御は怖い目に遭われたのだから、今夜は早く休んだ方がいいだろう」
アーリアたちがもう一度青年に一礼すると、青年は二人の前から爽やかに立ち去って行った。アーリアはジークフリードと共に青年が見えなくなるまで待った。
ジークフリードは詰めていた息を吐いて、アーリアの肩に手を触れた。
「すまない!俺の計算ミスでまたアーリアを危険な目に遭わせてしまった……!」
『大丈夫ですよ?色々驚いたけど、今回はなんとかなりましたし……』
アーリアは肩をすくめた。ジークフリードは何時になくかなり情けない表情をしている。能力への過信と単純計算ミスは彼の中の何かに傷をつけたのかもしれない。
『それより、さっきの青年……』
「あ、ああ。アイツは獣人の一人じゃないのか?」
『やっぱりそうですよね〜〜』
ジークフリードもやはり気づいていたようだ。ジークフリードは元貴族、元騎士という職業柄、人の顔と名前を把握する能力に長けている。アーリアより余程その手の記憶力がいい筈だ。
「ーーなら、おかしくないか?アーリアを貴族子弟から庇ったり、捕獲したのに逃がしたり……」
『彼、『鳥目』らしいですよ?』
「『鳥目』?夜になると視力が落ちるというアレか?」
『そうらしいです。けど……』
「……『鳥目』ってそんないい加減なもんだったか?」
『……』
ジークフリードの一言が全てだった。
アーリアとジークフリードは追手である獣人たちの能力や行動原理に疑問を持ちつつも、それによって齎された幸運に感謝するのだった。
お読みいただきありがとうございます!
ブクマ登録等、感謝感激です!
ありがとうございます!
前回の体育会系ご職業の皆様の続きです。
鳥目の彼は……どんな境遇があるのかなぞ多き獣人でしたが、性格は割と大雑把なのでは……??
またアーリアたちと絡めたいものです。




