鳥の声と迷子
残暑厳しい日が続きますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?
私は今、絶賛迷子中です!
アーリアは空を見上げた。森の向こうに沈む西日が眩しい。能力《探査》を用いて自分の現在地を確認する。周囲に広がる大森林。動物や魔物を示す印がチラホラ。だが、味方を示す桃色の点印は無い。
『どーしよう?』
アーリアの《探査》地図の範囲はそこそこ広い。だがそれでも、そこにジークフリードを示す印が表れないのだから、二人の間に相当な距離がある事が分かった。
元々二人が逸れた時用に《探査》を使う訓練をしていたが、こう離れては思う通りにはいかない。
アーリアとジークフリードが昼前に獣人たちからの襲撃に対して別れて以降、未だに二人は合流できていなかった。
アーリアはジークフリードと別れた後、山中で虎の獣人と遭遇し、ドラゴンの餌にされるという危機を脱した。その後その虎の獣人とも別れて山を降りて逃げて来たが、そこから困った事が起きたのだ。
《探査》地図上にあったジークフリードを示す印がアーリアからどんどん遠ざかり、地図外に出てしまったのだ。
これにはアーリアも焦った。だが、焦った所で何ともできない。ジークフリードが遠ざかる理由は、追手をアーリアから引き離す目的なのだから、アーリアからジークフリードを追い駆ける訳にはいかなかったのだ。それに、アーリアの脚ではジークフリードに追いつく事など容易にできない。
アーリアにできた事は、地図を見ながら追手がいない事を確認すること、ジークフリードを示す印が表れないか常にチェックすることの二点のみ。
『どっちに行った方がいいのかな?』
地図と睨み合いながら、山中を東へと進んでいた。
東というのは単にアーリアの当てずっぽうだ。元々、アーリアたちは大陸の内側へと向かって行く予定だったのだ。
敵の目的も分からないまま闇雲に逃げ回るのはアーリアたちにとって苦痛であり、やはり当初の予定通り、とりあえず師匠の屋敷を目指す事にしたのだ。
そこで師匠に会えるとは限らない。だが黒幕その2 ー二人の予想では宰相閣下ー のいる王都オーセンへこのまま行くのも憚られた。
ジークフリードにかけられた呪いの解呪も9割を突破した。あと1割が最難関一番難で只今難航中だ。ジークフリードは呪いの解呪次第で首都オーセンを目指す予定も視野に入れていたので、その為にも内陸へと行くのは都合が良いのだった。
『あと少し。あと少しなんだけど……』
アーリアは木々の間を飛び交う小鳥のさえずりが近くから聞こえ、空を見上げた。夕暮れの空。東から大きな満月が登ってくる。夜が近い。
茜色に染まる空を考え事をしながら見ていたその時、
ーヒュッー
空に翔ける一筋の光。
ートッー
ーギャゥッー
鳥の呻くような声が高く響いたと思うと、空から茶色い羽の鳥が一羽落ちて来た。
アーリアは思わず近くの木の幹にへばり付いた。
目の前に落ちてきた鳥の腹には矢が刺さっている。空に翔けた光は、陽の光を反射した矢尻だったようだ。
慌てて地図を確認するが、辺りには動物を表す緑色の点印が数点あるが……。
『人?こんな森の中で?』
せめて人間と動物とが違う色の印であれば判断できるのに……と能力の機能の拙さを恨めしく思った。動物も人間も『生物』という括りなのだろう。魔物が動物と同じカテゴリーに入らないのは、魔物は生物とは命の構造が違うからではないだろうか。
魔物は生物と違って心臓の代わりにコアがあるのだ。魔物はその生まれ方からも動物とは違うのだ。生物のように雌雄が睦み合って子どもを授かるのではない。負のエネルギーが地の奥深くに蓄積され、それが集まってコアとなり、魔物を生み出すとされている。高位のドラゴンは魔物という括りだが、生殖行為があるらしい。学者の中でもドラゴンの位置付けには理論が分かれる所だ。
アーリア自信が能力《探査》を理解し、その機能を巧く使えれば、動物と人間とを区分できるだろう。
『能力《偽装》、《擬装》』
アーリアは《偽装》と《擬装》を自身に施ししながら、木の幹の裏にしゃがみこむ。向こうからは生い茂る草と太い幹のおかげで、周囲の風景に溶け込めている筈だ。
アーリアが息を殺しながら草木になりきっていると、右手前方から草木を足で踏み分けながら一人の男が現れた。
深緑色の足元まである長いマントを羽織った長身の男の手には弓矢。恐らくこの人物が鳥を射落としたのだろう。マントのフードで隠れた顔からはその人相はアーリアからはよく見えない。彼は自分で射落とした鳥の所まで来ると、前屈みになって鳥に刺さる矢ごと鳥を持ち上げた。鳥の腹から矢を抜くと、肩から掛けていた籠に鳥を入れる。
「いつまで隠れているつもりだい?」
心臓が一跳ね。肩をビクつかせたアーリアは木の幹から顔を半分だけ出した。
そのアーリアに向けて、弓矢を担いだ男がフードの奥から鋭い視線を投げかけてくる。だがそのかけられた声音は思ったより低く柔らかいものだ。発せられる言葉に殺意や敵意も感じられない。
アーリアが如何するべきかを迷っていると、その男はゆったりとした歩みでアーリアに向かって近づいて来た。
(あれ……?そう言えばなんで見えてるの、私?)
《偽装》はアーリアを本来の姿を別の物 ー今は森の草木ー に見せている筈だ。《擬装》は敵の目を誤魔化すための装い、つまり周囲に溶け込んでいる。つまり身体を草木へとカムフラージュしているはずだった。《擬態》とまではいかないが、そこそこ、この森林に紛れ込めていた筈だった。
もしかしてこの人のハッタリ?
このまま黙ってたら大丈夫かな?
などど、しゃがみこんだまま相手の動きを見ていたら、そのままアーリアの目の前にスッと立たれた。そしてアーリアは先ほどの考えの拙さを否定できないほど目を合わせられた。
「……で?それで隠れているつもりなのか?」
『……』
フードから覗く瞳は黄金色。魔力を帯びて波打つように輝いている。その容姿は神殿を彩る天井画ように整っている。スッと通る高い鼻、瞳を象る長い睫毛、フードからこぼれ落ちる黄緑掛かった金の髪。
そして何より驚きなのは、この造形を持った人物が女性ではなく男性だということ。
年齢はジークフリードよりは上に見える。
その麗しの青年は惚けた顔をして見上げるアーリアに嘆息すると、手を伸ばしてアーリアの腕を捉えた。
「どうした?腰でも抜けたのか?」
『いぇ……その……』
アーリアは思ったより力強く青年に引っ張り上げられ、情けない声をあげた。大真面目に『うまく溶け込めている筈』と隠れていたのに加え、まさかその美しい容姿に『びっくりして見惚れていました』などと阿呆な事は言えない。魔宝具『痴漢撃退!』が発動しないことにも気づかないほど、アーリアの思考は混乱していた。
「隠れていたのなら、それはお粗末なこと。そんなにも周りに精霊を纏わり付かせていれば、誰にでも居場所は分かるだろうよ」
『ーーえ?嘘ぉ……』
アーリアは瞳に魔力を込めて自分の辺りを見回すと、そこには小さな精霊が沢山集まって来ていた。精霊の種類も様々で、みんな一様に「見つかっちゃった!」と、アーリアに見つかった事に大はしゃぎだ。
ー遊びましょうよ?ー
ー楽しいわよ?ー
ーそ〜れ!ー
風の精霊がアーリアに風を吹き付けると、アーリアの足元から身体が不意にふわりと浮いてその場でくるくる回った。踊るように右に左へと、自分の意思とは関係なくステップを踏まされた。アーリアの周りを精霊たちも楽しそうに踊り出す。
『あ!ちょ、ちょっと待ってっ!』
突然精霊の遊びに付き合わされて、アーリアは困り果てた。気まぐれな精霊は飽きるまで遊ぶつもりだろう。彼らに善悪などない。自分たちがルールなのだ。夜も昼もなく、時間というものにも囚われない。そんな彼らに付き合わされたらいつ解放されるか分からない。強引に断ち切るしかないが、それには精霊たちと交渉しなければならない。しかしこの状態ではそれも間々ならなかった。
アーリアがたたらを踏んで転びそうになった所を、青年がアーリアの腕を引いて身体を支えた。アーリアは青年の腕の中に庇われ、難を逃れた。
「お主たち、勝手が過ぎるのではないか?無茶をしてはいかん。今日はお帰り」
ーは〜いー
ー貴方に言われたらー
ー仕方ないわねー
ー言うことを聞くわー
ーまたね!ー
青年の言葉に渋々了承した精霊たちが次々とアーリアの周りから飛び去っていく。
青年の胸に手を置く形で身体を支えていたアーリアは目眩と息を整えた。
『助けてくださり、ありがとうございます。ご迷惑をおかけし……』
アーリアが顔を上げて謝罪をしようとした時、青年が不意にアーリアの頬を両手で挟んで持ち上げた。至近距離に青年の顔が迫る。
『ーーわッ!!』
「……ほうほう。これは……。そなた『○○○○』か?」
『……え??』
「この瞳の輝き……正に○○○○の……』
青年の背は随分高く、アーリアは爪先立ちになってしまった。それも辛うじて親指がつく程度だ。背の高いジークフリードよりも更に高い。
青年の言葉に所々聞き取れない部分があり、アーリアは困惑した。それに加えお互いの鼻が付くほど近づいた顔に状況処理が追い付かず、アーリアは青年の腕に手を置いたまま固まった。
瞬きも忘れて青年の瞳に魅入った。本当に美しい瞳だ。瞳から魔力が溢れている。
暫くすると、青年はスッとアーリアから手を離した。アーリアは爪先からゆっくりと足を地面へと下ろした。
「もう日も暮れるの……。一緒に来なさい」
『……あの……どこに?』
「そなたは迷い人だろう?このような場所に普通はヒトなど来ぬよ」
さぁ、と青年から手を伸ばされた。
アーリアは迷子中、何処とも分からぬ森の奥地で見知らぬ美青年に出会い、しかもその美青年の言葉に従ってノコノコついて行く事に躊躇われた。
青年は悪い人には見えない。しかし悪い人に見えないのを良いことに無策でついて行くのは、あまりに迂闊すぎではないか。
アーリアが戸惑って青年の手を取らずにいると、青年の方から更に腕を伸ばして、アーリアの手を強引に引っ張った。
「何も取って食ったりはせぬよ。そなたような娘がこのような場所におったら魔物の餌になるぞ?夜は魔物も活発になるゆえな」
『えっ…でも……』
「さぁ、こちらだ」
アーリアは問答無用で青年に手を引かれて森の中を歩いた。青年が先導するので、草や石などに足を取られることなく、楽に歩く事ができた。
半刻ほど歩くと、森の中にポツンと佇む木の館が現れた。木々と青々とした蔓草に囲まれた三角屋根のその館は、まるでお伽話の妖精の家ようだ。
青年はその館の扉を押し開くと、アーリアを館の中へと誘った。
「さぁ、お入り」
『いぇ……ご迷惑になるので……』
「遠慮はいらない」
青年は深緑色のフードを外してマントを脱ぐと、そこから隠れていた長く艶やかな黄緑がかった金の髪と、長く尖った耳が現れた。
『エルフ……?』
「ん?なんだ、そなた気づいておらなんだのか?」
『えっウソ……?なんでこんな所に……』
「それはこちらのセリフではないかい?」
『え!?私の言葉、聞こえて……??』
「勿論、聞こえておる。何を不思議に思う?そなた、私をエルフだと言ったではないか?声なき声も私の心にはしっかりと届く」
アーリアはエルフの青年に促されて扉を潜った。
「ようこそ。歓迎するよヒトの娘よ」
お読みくださり、ありがとうございます!
ブクマ登録等、励みになります!
皆さん、ありがとうございます。
迷子の子猫ちゃんです。
ジークは今ごろ迷子センターかな?




