※裏舞台9※ 貴族の矜持
王宮は華やかで煌びやかな世界。
一般的にはそう思われている。
日々、茶会や夜会などで着飾った紳士淑女たちが、国の栄華を誇る。
王宮には別の一面もある。王を中心に王太子や王子や姫たち、王妃や側室たち王家に、王家を支える公爵家を初めとする貴族たちが政と生活を行う場所という面が。
この国は王族、貴族、平民、と身分制度が確立しており、それぞれに付随する権利と責任、それに伴う仕事が割り振られている。
外部からは大変輝かしく見えるその内部では、現在、混乱と災厄の気配が広がりつつあった。
二年前の正体不明の魔導士による宝物殿襲撃事件に始まり、多くの騎士と魔導士の死。行方不明になった貴族子弟たち。不審死を遂げた貴族や宮廷魔導士も存在する。
そして本日、財務を担当していた鋼の忠誠を持つ王と王家の盾にして剣の一族アルヴァンド公爵家当主、ルイス・フォン・アルヴァンドの突然の失踪が王宮に知らされた。
併せて第三王子の婚約者となったアルヴァンド公爵のご息女リディエンヌ嬢も心労が祟り、臥せっているのいう噂もすぐに流れた。
ただでさえアルヴァンド公爵家の三男が二年前の宝物殿襲撃事件の際に死亡した事が打撃となり、アルヴァンド公爵は国防担当官から財務担当官に左遷されていた事に加え、公爵本人の失踪。
これはいかに歴史あるアルヴァンド公爵家としても大きな危機に直面していると、誰もが察する事ができた。
それはアルヴァンド公爵家のみに留まらず、王宮や王家にも翳りを射すことにも繋がるのだと考える者も少なくなかった。
システィナ国王は執務室の机に肘をついて、深いため息を吐いた。そして背後に控えた宰相へと声を掛けた。
「……アルヴァンド公爵は見つかったか?」
「いえ、まだでございます。懸命に捜査を行わせていますが、依然として行方は知れず……」
「そうか……」
宰相は王の前に進みでると、淀みなく答えた。
「アルヴァンド公爵家にも捜査の手を伸ばしてございます。調査結果によりますと、アルヴァンド公爵が失踪されたのは今朝。執事には王宮に向かうと話されていたようですが、本日アルヴァンド公爵は王宮には出向かれておりません。王宮へ向かうため邸から出た送迎の馬車ごと行方不明になったようです。この事から、王宮へ向かう過程で何らかの事件に巻き込まれた可能性が高いのかと思われます」
「……分かった。捜査をそのまま続行させよ」
「御意」
「下がれ……」
王は宰相の報告にさらに苦悩の表情を深めると、宰相を執務室より下がらせた。
代わりに部屋には王太子が入り、王の身辺警護に近衛団長と近衛数名が残った。
何者かがこの国を内部より突き崩しにかかっている。それは誰の目にも明らかだった。王もそれは早くから気づいていた。いや、気づかせてくれたのは他でもないアルヴァンド公爵だった。
アルヴァンド公爵ルイスは現王とは学友に当たる。幼き頃より学業に剣術に政にと、何においても共に学んで来た。その仲は兄弟と言っても差し支えない程の、いやそれ以上の信頼で結ばれていた。
アルヴァンド公爵は王に絶対の忠誠を誓っている。王もアルヴァンド公爵に絶対の信頼を寄せていた。
だが、友ーー信頼する臣下からの言葉に、初めは信じられない思いを抱いた。しかしそれは確実に現実となり、今現在、国を圧迫する事態にまで発展してしまっているのだ。
そして今ここに、この事態を早くより進言した友はいない。いや、失踪してしまった。
失踪も正しくないだろう。彼は何者かによって失踪させられたに違いないのだから。
「父上……」
「ああ、解っている。近衛騎士団長」
国王の呼びかけに近衛騎士団長が前に進み出る。
「貴殿の配下より信頼厚い者を集めよ。お主たちに極秘の任を与える」
「はっ」
「この任はここにいる者以外には決して漏らしてはならない。この意味が分かるな?」
王の言葉に近衛騎士団長が深く頷いた。
白い甲冑を身に纏う逞しい体躯。王は近衛騎士団長にも確かな信頼を寄せていた。
「ウィリアム。お前はナイトハルトと共に王家の者たちの守りにつけ。近衛騎士団 副団長をお前につける」
「わかりました」
システィナ王と同じ金の髪に青灰色の瞳を持つウィリアム王太子は、父親である王の言葉を受け、神妙な面持ちで驚きを胸に飲み込んだ。この国の貴族のみならず王家にまで不穏な空気が入り込もうとしているのだと知らされたのだ。
しかもその闇をもたらす者は未だ正体がしれないという事も。
その時、扉の向こうからノックがされた。王が入室を許可すると、バルマン伯爵が現れた。茶褐色の髪に白いものが混じる壮年の男だ。彼は各街の代表や領主からの連絡を取り纏め、そこで起こる事件や事故、問題などの解決に当たる担当官だ。
「失礼いたします」
「なんだ?」
「……この程、東の塔を要する軍事都市アルカードの領主より報告が入りました」
「東の塔?アルカードで何があったのだ?」
「領主によりますと、祭りの最中に『白き髪の娘』を追い回していた者たちがおったそうです」
『白き髪の娘』という単語に、その場にいた者たちの眉が動く。バルマン伯爵は構わず話を続けた。
「その者たちはアルカードの東門より出た所で何者かに虐殺されました。そしてなんと、その者たちの中には失踪した貴族の子弟たちが含まれていたそうなのです」
「なんと!?見つかったのか?」
王太子ウィリアムが驚きの声を上げた。それを王は目線だけで制する。
「はい。……しかし、生き残った貴族の子弟たちを街の兵士が事の経緯を問いただしていた時、その者たちがいきなり苦しみだし、全員不審死を遂げたそうです」
「……」
「結局、何故失踪していた貴族子弟たちがそのような場所にいたのか、そして何故『白き髪の娘』を追い回していたかなどは不明のまま。しかし、この件に『白き髪の娘』が関わっているのではないか、という見解が浮上しております」
その場にいた者たちは全員が『白き髪の娘』とは誰を指すのか気づいていた。
「この話を誰かに話したか?」
「いいえ。この場でしかしておりません」
「では、この話はこれ以上広めてはならぬ。そして他の誰にも話すことも禁ずる。各地域担当官全てにも厳命する。通達せよ」
「御意」
バルマン伯爵は王の言葉に了解すると、退出していった。
「陛下……」
「分かっている……。貴族の不審死も気になる。しかし『東の塔の魔女』も関わっているのなら事は更に重大だ。もし『東の塔』の結界もが崩されでもしたら、王宮内での異変に加え、外部からの敵の対策にも追われる羽目になる!」
「やはり、『東の塔の魔女』が貴族子弟たちに狙われていた、と考える方が妥当ですか?」
「うむ。彼女が貴族子弟を殺す理由がなかろう?貴族とは何の関係もなく、得られる利益もないではないか。だがその逆なら考えられる」
『東の塔の魔女』を害することは『東の塔』の結界を壊すことと同等の罪がある。
結界が壊される事でもたらされる様々な厄災。戦争、平和の崩壊、多くの民の死。
更に最悪な事は、この平和な生活を壊してでも、利を得ようとする者が国の内外にいるという事なのだ。
その場にいた者たちの頭には、不吉な考えばかりがよぎる。
王太子ウィリアムは父である国王の考えに賛同した。ウィリアム自身一度だけ『東の塔の魔女』を見た事がある。等級証書授与式時、自己の尊厳を傷つけられようとも、何も発せず静かに佇んでいた姿が印象に残っている。
そしてその彼女よりも彼女の隣にいた人物の方が、より強い存在感を放っていた。
「彼女の師匠は……」
「そうだな、それも心配だ。彼が出てくるとなれば、その時は我々も覚悟しなければならない。だが、まだその時ではないようだ……」
等級10の魔道士を相手にできる者など、この国にも限られている。
現在、彼が国にも属さず自由に暮らせる所以は、偏に彼がこの国に『敵対していない』からだ。国を困らせる事なく ー無害な存在としてー 過ごしている分には、国からも文句を言わない ー言えないー という暗黙の了解があるのだ。
だが、彼が『東の塔の魔女』の保護者であること、何より彼女を大切にしていることは、あの出来事から知られていた。彼が彼女の件で国に対し抗議してくれば、国は何らかの責任を取らねばならなかった。
しかし、彼はまだ王宮に現れてはいない。
そして『東の塔』の結界が壊されたという報告もまだない。
王はそこにいる者たちを見渡すと、ひとつ頷く。その動作だけで王の意図を察すると、王太子を始めそこにいた者たちは静かに行動を開始したのだった。
※※※※※※※※※※
(アルヴァンド公爵視点)
コツコツと乾いた足音が響く。
足音がだんだんと近くなってくる。すると薄暗く湿っぽいそこに、手に魔宝具の灯りを持った一人の男が現れた。
ギィ……と鈍い音を立てて扉が開かれると、部屋の外から薄暗い室内へと灯りが射した。
「……気分はどうだ?」
「……貴殿にはこれが良いように見えるのかな?」
ジャラッと脚を拘束する鎖が音を立てる。両手首は拘束されていないが、脚の鎖は行動を制限していた。身体はだる重く、身体の不調はそのまま思考の不調に繋がっていくようだった。
部屋に一人の壮年の男が入ってくる。片手には淡い光を放つ魔宝具、もう片手には杖を突いて、その男は尊大な足取りでこちらへ近づいてくる。
灯に照らされた顔には、いつもの聡明で理知的な風柄ではなく、陰鬱な雰囲気を纏っていた。この容貌だけ見たら、かの御仁と同一人物とは判らないかもしれない。それほどの差があった。
「……このような事をして、貴殿は一体何を考えている?気づく者はもう気づいているはずだ。誰が仕組んでいるかを」
「……喚くな。王宮がいくら混乱しようとも儂は一向に構わん。それに貴様一人居なくても政は回るものだ。何事かと騒ぐ愚かな者たちも貴様の失踪で口を噤んだ。人間というものは結局は己が一番可愛いのだよ」
「侮るでない!貴殿のような者ばかりではない!」
力を振り絞り立ち上がるが、男には今一歩近づけない。握り締めた拳が空を切る。
「貴殿のように欲に塗れた者が、どのようにして国を守る?この豊かな国がこれまで永らえてきたのは、正しき心を持った者がこの国を支えてきたからに他ならない!王に、国に忠誠を誓い、志を立てた者たちが必死に立ち回り、守ってきたのだ」
「……だから駄目なのだこの国は。欲を持たぬ者になど、国に富をもたらす事など出来はしない。……儂の手によりこの国はこれから外界へと羽ばたく!そして更なる発展を遂げるのだ!」
「それは奢りというものだ、サリアン公爵。貴殿にはこの国の本質が見えていないのだ……!」
男ーーサリアン公爵が手に持っていた杖を振り上げた。鈍い音を立て、鈍い痛みが頬にはしる。身体が傾いで床へと倒れ伏した。
「アルヴァンド公爵、貴様の方が国の本質を理解できていないのだよ。……この国はもうすぐ儂の手中に落ちる」
「国を……国を乗っ取るつもりかなのか!貴殿にはこの国の貴族としての矜持はないのか!!」
「これが儂の矜持よ!」
サリアン公爵は鼻を鳴らし蔑むと、杖をつき直して背を向けた。
「……貴様を殺すことはいつでもできる。だが、儂は貴様をすぐには殺さん。貴様はこの国が儂の手に落ちるのを何もできずにここから眺めているがいい」
背中越しに言葉を投げると、サリアン公爵はそのまま扉から出て行った。
音を立てて扉が閉まると、その部屋は再び闇に包まれた。
サリアン公爵のその横暴な姿を見送る事しかできず、握った拳を力無く床へと叩きつけた。そして手をゆっくりと開けていくと、その拳をワナワナと震わせた。
身体を突き上げるのは怒り。何もできない自分へと苛立ち。外界にいる王を想うと不安が心にじわじわと広がっていく。
目に見える自分の掌は人間のそれではなかった。黒く盛り上がった肉球。指の先には鋭く尖った爪。その手を覆う黄褐色の体毛。
耐えられず両手で顔を覆った。
「どうか……!どうか、ご無事で!システィナ王よ!!」
生涯ただ一人、現システィナ王へと捧げた忠誠。
それを貫くための力が、今はない。それが悔しく、情けなく、何とも辛い。今すぐにでもお助けに上がりたい。だが、何処ともわからぬ場所に囚われた身では、その望みが叶うことは難しく思えた。
そして、この身体。
不気味な魔導士の術により、人間の身体から獣人へと変えられた今、この姿のまま迂闊に外へ飛び出すことなど出来はしなかった。
「あぁ……ジーク。ジークフリード……」
同じようにサリアン公爵ーーこの国の宰相閣下によって罪人へと落とされ、騎士団より追放された自分の息子を想うと、胸がズクズクと痛んだ。
息子はこの国に巣食う闇に抗おうとしている。どんな苦しみを負うとも。
息子の無事よりも、息子の手によってサリアン公爵が断罪される未来を強く願った。
己も我が息子もこの国の貴族。我がアルヴァンド公爵家の人間は王と王家に生涯違わぬ忠誠を誓い、王を想い、国を想い、国民を想う気持ちは鋼よりも強い。
家族よりも王や国、国民を守るのは当たり前だった。貴族には権力や財力に付属する責任があるのだから。
それが我がアルヴァンド公爵家が誇る『貴族の矜持』。
「神よ!この国を覆う闇を払う力を我が息子に与え給え!」
己が今出来ることは神に祈ることのみだった。
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