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魔宝石物語  作者: かうる
魔女と獣人の騎士
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獅子の獣人

 

「ごめんなさいっ!」


 アーリアは自分のせいで巻き込まれた乗り合い馬車の乗客たちを案じた。『どうか誰も怪我してませんように』と願うばかりだ。


 アーリアは草をかき分け、木々の間を縫うように疾走する。


 魔宝具職人マギクラフトのアーリアは普段、部屋に籠もり切りの日が多い。要するに運動など滅多にしない。当たり前だが既に息が切れかかっている。今すぐ休みたいと思う程に、既に心が折れ始てもいた。

 だが馬車の乗客たちを考えると、なるべく遠くへ離れることが先決だとアーリアは判断した。

 アーリアにはこの辺りの土地勘がない上に、野山を駆け巡った経験もない。傾斜を走っているとゴロゴロとした石に何度も足を取られそうになったが、それでも奇跡的に未だ一度も転けていないのが不思議なくらいだった。


 追手の気配は濃厚。背中にピッタリと引っ付いて離れない。馬車からは大分離れられた筈だが、逆に、自身への危機が濃厚になっている事に、アーリアは危機感を覚えていた。ザワザワした木々の騒めき、複数の声が後方から聞こえてくるのだ。

 アーリアは乗り合い馬車の先頭車両に乗っていた事が幸いして、馭者席から素早く馬車群を抜け出す事が出来た。加えて、魔宝具の光に乗じて森に入る事が出来たのもラッキーだった。


(でも、私が逃げ出した時の姿を誰も見てないとは限らない!)


 アーリアは走りながらいくつかの魔宝具を地面へ落とす。それらはちょっとしたトラップになりそうな魔宝具だった。これに追手が引っかかってくれれば、少しぐらい逃げる時間が稼げるだろう。実際には、『稼げたらいいな』と切実に願う程度のモノで、完全に希望的観測だ。

 所詮、引きこもりの魔宝具職人。体育会系ご職業の皆さまには敵わない。そんな事はアーリアも百も承知だった。


(どうしよう⁉︎ ビギナーズラックってどれくらい続くの?)


 ここまで運良く来れたのはビギナーズラックに違いない。信心深くないアーリアとしては、どこまで神が味方してくれるか見当もつかない。

 やはりといおうか、暫くするとアーリアの息が切れ切れになり、心拍が乱れ始めた。フードが向かい風に飛ばされて髪が後方に流れる。膝がガクガクと震えてくる。


(兄さまに文句なんて言わず、少しくらい運動しておくんだった!)


 アーリアは今更ながら運動不足を嘆いた。

 アーリアは汗を流して動く事自体が苦手ーーいや、嫌いだ。自身の鈍さを知っているから尚更だった。

 体術や剣術にはそれなりの運動的センスが必要で、アーリアにはそのセンスがカケラもなかった。

 因みに、アーリアがあまりに動けないことを心配した兄弟子が護身術を教えようとしてくれた時があった。が、アーリアのあまりの鈍さに、兄弟子は途中から教えるのを諦めたくらいであった。それも、アーリア自身は真剣に取り組んでいるにも関わらず、「動きがカニみたいっスね!」と笑われたのは、今やトラウマとなって記憶にこびり付いている。


(今、思い出してもヒドイ! カニってどうなの⁉︎)


 アーリアは木々の間で立ち止まると、膝に手を置いて息を整えた。そして直ぐ様右手の中に持っていた装飾品のようなソレーー貝殻に小さな真珠がついた魔宝具へ魔力を込め始めた。すると、まるで靄のように景色が屈折しだした。

 光の屈折を利用した魔宝具だ。風景が重なり合い、アーリアの姿は森の中に紛れて消え始める。魔宝具の効果により、彼方あちらから此方こちらの姿が見えない。


(このまま逃げ切れる、かな……?)


 基本的にポジティブな思考を持っているアーリアは今回も前向きに考えようとはしたが、それには運や天や神が最大限味方をしないと無理なような気がするのだった。


「うわぁ!」

「なんだ⁉︎ こ、これは……」


 斜面の上の方で悲鳴に近い男の声が聞こえてきた。どうやらトラップに上手く引っかかってくれたようだ。


(よしっ!)


 アーリアは息を整えると、再び脚に力を入れて走り出した。開けた場所を避けてなるべく草むらの方へ隠れられる場所を選んで走る。

 傾斜を転げるように降る最中、アーリアの手足に尖った木々や草が絡みつき、切り傷を沢山つけた。しかし、それを一々気にしていては、簡単に追い付かれてしまう。小さな痛みを無視して斜面を駆け下りるしかない。


(もう、こんな近くまで来たっ……!)


 追手の声の近さに驚き、心臓が鼓動を早めた。

 ヒヤリとした震えが背を上下に走り抜けていく。

 足の回転をなるべく早めて、草むらを奥へ奥へとひた走る。背の高い草むらだ。多少姿が隠れてくれる事を期待する。

 今が初夏で良かったとも思う。雨季に降った雨のおかげで森の中には草木が大いに茂っているのだ。

 この辺りは街道に沿っていないので、それほど手入れもされていない。その事が優位に働いてくれている。そのような事を頭の端で考えながら、アーリアは草むらを抜けるとーー……


『ぃっーーーー!』


 眼前に突然、切り立った崖が現れた。


 アーリアは急ぐ足を止めざるを得なかった。

 勢いに任せて崖の先へと身を乗り出しそうになる自身の身体に、何とか急ブレーキをかける。そして崖へと突き出るように育っていた細い木の幹に腕を絡めると、抱きつくようにして勢いを殺した。


(あっぶなぁ……)


 激しい動悸と吐息をゆっくりと整えていく。額から汗が頬を伝い、顎から足元へとポタポタと落ちていた。

 少し動悸が治ると、アーリアは木の幹から手を離さないように気をつけながら崖の下を覗きこんだ。

 成人男性の身長ほどの高さ毎にだんだん畑のような段差が重なり合い、段差が終わる先からはほぼ直角に切り立っていた。その遥か先ーー地上には幅の広い川が流れているのが見えた。向かい側も同じようになっているので、大凡の崖の高さが把握できた。遥か眼下に流れる静水。澄んではいるが、川は決して浅くは見えない。


(この段を降りる……?)


 段差の一つひとつはアーリアの背丈よりも高い。飛び降りるのにも勇気が必要だ。

 魔術が使えた時ならいざ知らず、声が封じられた今、アーリアには魔術による補助が全くない状況。生身で崖の下へダイブできるような危険な真似は、今のアーリアにはできそうになかった。


(そうだ!《浮遊》の魔宝具を……)


 アーリアは腰のポーチへ手を伸ばした。

 《浮遊》の魔宝具と言っても鳥の様に飛べるといった代物ではない。物を少しの間、宙に浮かせる程度の力しかなく、《重力軽減》の魔宝具もまた、重力をゼロにできる訳ではない。

 魔宝具は本来、日々の生活を快適に過ごすための道具という意味合いの物が強く、魔宝具職人も魔宝具にそれ以上の役割を持たせる事はない。それ以上の現象を起こしたいのならば、魔法や魔術を使えば済むからだ。


「おい、お前……」

『ーーひっ⁉︎』


 アーリアの肩に大きな手が置かれた。

 突然背後から声をかけられたアーリアの心臓は、口から飛び出る程飛び跳ねた。これまで背後そこには気配などなかったので、驚きも一入だ。

 低い男の声に驚いたアーリアが身体ごと背後へ振り向くと、そこに居たありえぬモノを見て、瞳が零れ落ちそうなほど目を見開いた。なんと、そこには風に揺れる黄金の鬣ーー獅子の顔があったのだ。


(し、獅子ぃ⁉︎)


 驚いてタタラを踏んだその瞬間、アーリアの足首が可笑しな方へぐにゃりと曲がった。次いで、左腕が木の幹から外れ、足は崖の淵を踏み外した。

 気づくとアーリアの身体は鞠のように空へと放り出されていた。驚きのあまり声も出せずアーリアはそのまま崖の側面に身体を何回かぶつかると、下の段へと落ちて転がった。



 ※※※※※※※※※※



 目の前を白い髪が流れていく。

 足を踏み外した少女の腕を掴もうと伸ばした手が空を切る。

 重力に身を任せたまま、少女は碌な受け身も取らぬままに落ちていった。

 ドサリという音ともに、少女の身体が下の岩場に転がる。

 落下がそこで終わった事に少しほっとした様子を見せた獅子の獣人は、落ちて転がった少女を崖の上から見下ろした。

 気を失っているのか、少女は地面に横たわったままピクリとも動かない。

 獅子の獣人は足場を定めてから、少女の横へと飛び降りた。


「……おい……おい!」


 恐々といった具合に獅子の獣人は少女へと声をかける。

 獅子の獣人は意識のない少女に声をかけながら、少女の顔をトックリと眺めた。

 白く透き通るような肌に白金を溶かしたかのような白い髪。小さな身体。長い睫毛がかすかに揺れ動く。

 獅子の獣人は思ったより幼く、そしてその美しい造形に少しの罪悪感を覚えた。こんな少女を大勢の獣人たちで追い回していたのかと。しかも、ここに落ちたのは半分以上、己の所為なのだ。


「……おい、大丈夫か?」


 獅子の獣人はその少女の側にゆっくりしゃがみこんだ。そして肩に手を置き、そろりと揺らす。すると少女はまもなく意識を取り戻し、瞳をゆっくりと開いていった。

 少女は獅子の獣人を目にすると大変驚いたようで、悔しそうに瞳を細めるとキュッと唇を閉めた。また身体のどこかが痛むのか、眉をひそめながら身体を地面からゆっくり起こした。

 よく見ると、少女の身体のあちこちに擦り傷や打撲の痕がある。白い頬にはかすり傷があり、そこからは血が赤く滲んでいた。


「……ここは足場がよくない。上へ登るぞ」


 獅子の獣人はそう言って立ち上がると、少女へと手を伸ばした。少女は暫くの間戸惑ってから、恐る恐るといった体で手を伸ばした。獅子の獣人はその小さな手を掴むと軽く引っ張り上げた。

 少女は獅子の獣人の手を取って立ち上がると、獅子の獣人の顔をマジマジと見つめてきた。獅子の獣人はその瞳をじっと見返す。少女の瞳は光を浴びて、赤にも橙にも碧にも見えた。


「……こっちへ来い」


 獅子の獣人は手を離さずそのまま引いて、場所を移動する。

 手を引かれた少女はヒョコヒョコと左足を庇うように2、3歩歩いた。


「足が、痛むのか?」


 獅子の獣人がそう問えば、少女は肯定も否定せずに黙ったまま見つめてくる。

 獅子の獣人はその様子を気にする素振りもなく、少女の前に少し屈むと少女のフードを掴み、少女のその白い髪が隠れるように被せた。そして小さな驚きをその顔に浮かべた少女を荷物でも持つように肩に担ぎ上げた。少女は少し身悶えたが、獅子の獣人はそれを気にする様子はない。


「ちゃんと捕まっていろ」


 少女の反応を待たずそう言い放つと獅子の獣人は跳躍し、一息に崖の上へ飛び上がった。



 ※※※※※※※※※※



「……おい、大丈夫か?」


 その声の持ち主は、アーリアの肩を揺らしながら声をかけてきた。

 一瞬、意識が飛んでいたようだ。アーリアが目を開くと、そこには崖から落ちる前に声をかけてきた獅子の顔があった。

 アーリアは驚いてヒュッと息を飲んだ。本当は悲鳴でもあげたいくらいの心境であったが、生憎、今のアーリアには声を出す事ができない。

 アーリアはゆっくりと身体を起こす。身体のあちこちに痛みが走った。特に左の足首は激痛と呼べるものだ。


「……ここは足場がよくない。上へ登るぞ」


 しゃがんでアーリアを見下ろしていた獅子の獣人はそう声をかけると、その毛足の長い体毛で覆われた大きな手をアーリアに向けて伸ばしてきた。その随分と紳士的な対応に、アーリアは少し戸惑いを覚えた。体毛に覆われていたが、手には人と同じように五本の指があった。

 アーリアは警戒感を緩めずにその場にゆっくりと立ち上がると、獣人の顔をマジマジと観察した。

 見事な毛並みの黄金の鬣。フサフサとした黄金色の髪。瞳は海を溶かしたような深い碧。背は子ども二人分の高さがあるのではないだろうか。その逞しい身体に纏うのは、白い鎧と革ベルト、そして灰色のマントだ。

 ただの獣人ではない、その人間のような佇まい。

 アーリアがじっと獅子の獣人を見つめていると、獅子の獣人もアーリアを見つめ返してきた。あまりに凝視しすぎていたのかもしれない。アーリアはほんの少し羞恥心を覚えた。


「……こっちへ来い」


 獅子の獣人は気にする素振りもなく、そのままアーリアの手を引いた。手を引かれた反動でアーリアは前のめりに2、3歩タタラを踏む。その瞬間、左足の足首に激痛が走った。


「足が、痛むのか?」


 答えるべきなのかどうなのかを考えていると、アーリアは自然とおし黙ってしまっていた。あれほど執拗に追って来た獣人が、獲物如きの怪我の具合を気にするような素振りにまた戸惑いが生まれた。

 獅子の獣人は黙ったままアーリアの前で少し屈むと、アーリアのマントのフードを持って頭に被せた。そしてそのまま、アーリアは獅子の獣人に荷物でも肩に担ぐように軽々と持ち上げられてしまった。


(な……なになになに?ひぇ〜〜!)


 アーリアの顔が獣人の首にボフッと埋もれる。柔らかな鬣の感触が頬をくすぐったい。獣臭いかと思われたが、意外や意外、石鹸の香りが漂ってきた。


「ちゃんと捕まっていろ」


 そう言うや否や、獅子の獣人はそのまま跳躍し、一息跳びに崖の上へ跳び上がる。


「……。はぁ……」


 崖の上、切り立った段差から充分と距離をとった獅子の獣人。疲れた様子もないのに、何故かアーリアを見て深い溜息をついている。と、そこに……


「おーい!見つかったのかぁ?」


 草むらの向こうから狼の獣人が現れて、獅子の獣人へ問いかけた。狼の獣人の存在を見留めた獅子の獣人は顔を顰め、小さな舌打ちをする。


「黙っていろ。動くなよ」


 不機嫌そうにそう言うと、獅子の獣人は今来た狼の獣人へと向き直る。


「ああ。今しがた捕獲した」


 その言葉にアーリアはここに来て初めて、追手に捕まってしまったのだと自覚をした。紳士的で清潔感のある獅子の獣人の言動に興味を惹かれ思わずジッと観察していたものだから、すっかり自分が追われる身であった事を忘れていたのだ。

 はっ、自分は今、逃亡中だったではないか⁉︎ーーと、目を白黒。柔らかな温もりを顔一杯に受けたアーリアは、自分の置かれた状況を放ったらかし、ついうっかり『鬣もふもふ〜』等と現実逃避にはしっていた。


(えッ⁉︎ ど、ど、どうしよう⁉︎ 捕まっちゃった⁉︎)


 そんなアーリアの動揺など、獅子の獣人にとっては全く考慮すべき事柄ではない。そんな驚きと如何に関わらず、事態は刻一刻と進んでいくもの。


「そうか!じゃあ、あいつらと合流だな」

「……ああ、そうだな」


 狼の獣人は腰から金属の丸い玉を取り出し、掌に包み込むとそのままギュッと握り込み、またその掌を広げた。

 丸い玉はキラキラと発光し、ピューという音と共に青く澄んだ空へと真っ直ぐ放たれる。仲間への合図のようだ。


「……なぁ、獅子。逃げた小娘ってどんなヤツだったんだ?」


 狼の獣人は獅子の獣人の答えを聞かぬまま、不意にフードの下からアーリアの顔を覗こうとした。それを獅子の獣人がくるりと向きを変えることで阻止する。


「後でもいいだろう?合流が先だ」

「それもまぁ、そうだけどさ……?」


 獣人たちは話しながら歩き出した。

 アーリアが苦戦して降りた斜面も楽々と登っていく。

 その間、アーリアは大人しく荷物になっていた。


「それにしてもさ、この森はやべーよ。変な草の化け物に引っかかった奴や、急に眠っちまう奴が続出したんだぜ?」

「……それは、大変だったな」

「だろう?オレはこの通り無事だったんだが、猫の野郎なんてネバネバする水たまりにハマったんだぜ?他にも……」


 狼の獣人の話に聞き耳をたてながら、アーリアは魔宝具は思った以上に良い働きをしたのだと感心する。しかし、魔宝具が役に立とうが立つまいが、捕獲された事には変わりがないもので……。


(私、これからどうなっちゃうの?お師さまぁ!兄さまぁ……!)


 獅子の獣人の首元に顔を埋めながら、アーリアは今後を思って嘆いた。



お読みくださり、ありがとうございです。

ブクマ登録ありがとうございます!

励みになります!


主人公がとうとう捕まりました。まぁ時間の問題でしたね。アーリアの鈍さは体育の成績なら10段階評価で2くらいだと思います。座学の授業には真面目に参加しそうなので1ではないかな?どの運動も真面目に参加するわりに壊滅的にどれもできなさそうです。創作ダンスなんてもっての他でしょう!

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