アルヴァンドの怒り2
※(ジークフリード視点)
普段なら瑕疵にも掛けない者たちの夜会に参加し、そこで俺は思わぬ収穫を得た。
カモが引っ掛かったのだ。
「……貴方は、アルヴァンド公子殿では?」
その夜会で出会った令嬢との歓談途中、そう声を掛けてきたのは、とある伯爵家の子息だった。
因みに、この夜会の主催者の息子でもある。
薄灰色の上下を纏う男。年は俺と同じか少し下。薄茶の髪がどこぞのバカ猫を思い起こさせる。だが、この男の薄緑の人を見下した目は、あのバカ猫とは全く違う。
アイツは初対面にありながら挑発するような目を人に向けては来ない。軽薄そうな表情とは裏腹に腹の奥底を見せるような真似はしない。油断なく相手を見定める様は、まるで狩りの最中の野獣。
アイツに比べたらこんな男、下町あたりで粋がっているドブ鼠だ。
「初めましてですね? 私は当夜会の主催者であるベレー伯爵家が次男、ベルノルトと申します」
「ジークフリード・フォン・アルヴァンドだ。夜会へのお招きに感謝を」
互いに必要最低限の挨拶を交わす。
伯爵家と公爵家の子息。どちらが上かなど考えずとも分かる。通常、下位の者から声などかけられぬのだが、彼が主催者の家族ならば別だ。ホスト役として客を持て成す為に声を掛けるのは普通であるし不自然ではない。
ではないのたが、男の態度、言葉は、とても上位の者に対して発しているものとは思えない。
「それにしても……」
味気ない挨拶を終えるや否や、男ーーベルノルトは蛇の様な目で舐めるように私と、そして俺のすぐ側にあった令嬢とを見比べた。
俺は談笑していた令嬢が顔を青くするのを見て、彼女を庇うように前に立った。
「女の趣味が悪いのでは?」
「……は?」
突然の侮辱的な言葉に思わず聞き返した。
まさかとは思うが、コイツは貴族社会の常識を知らないのだろうか。上位貴族の子息に対してのルールやマナーを無視した言動に訝しむ。
もしかすると噂同様に誰ぞの差し金かも知れない。
そう考えれば辻褄もつくのか。いや、だが。
様々な考えが一瞬の内に回り、とりあえず油断なく構えたところ、ベルノルトから更なる言葉が齎された。
「公子殿ともあろうお方がまさかこんな場所まできて女漁りですか? 女に不自由されていないだろうと思っていたのは間違いですかね、そんな地味な女に声を掛けているのですから……」
地味な女ーーそう呼ばれた令嬢は歯を食いしばる様に顔を晒した。瞬間、俺の心はスッと冷え込んだ。
「彼女は百合のように慎ましく、相手の話を聞くのが上手く、人を不快にさせない。素晴らしい令嬢だと思うが?」
歳の頃は二十歳前後、薄黄金色の髪を巻き髪にし、白い花を耳の上に添えている肌白の令嬢に、にこりと微笑みかける。すると水色のドレスが僅かに揺れ、唇を引き絞ったまま腰を下げて微笑み返してくれた。
「だってよ? 良かったなヘンリエッタ。婚約者様を放っておいてどこにいるかと思えば、こんな所で男漁りとはな?」
「ッ!?」
「はは、俺は良いんだぜ。婚約解消して困るのはお前だろう?」
顔を上げた令嬢ーーヘンリエッタ嬢は目に見えて狼狽した。
貞淑さを重んじられる貴族令嬢にとって、婚約者のいる身でありながら他の男性との関係を仄めかされる事が、どれ程令嬢の経歴に傷をつける事になるか、この男は分かっていながら口にしている。
本来守るべき自分の婚約者を貶めているのだ。
ヘンリエッタ嬢は「違う」と小さな呟きを口にしたが、ベルノルトは自身が伴ってきた派手な装いの令嬢にばかり気を取られて、ヘンリエッタ嬢の言い分には初めから聞く耳がないようだ。
「そういう君も、婚約者以外の令嬢を伴っているようだが?」
「ああ、私は良いんですよ。こんな地味な女、政略結婚でもなければ相手にしないのでね」
確かに貴族の婚姻には政略的な意味合いが多くあるが、それでも婚約者となった者を慈しみ、生涯を通して互いに尊重しあうパートナーとなるべく努力するのは、当たり前のことだ。
でなければ、どうして家や領地を盛り立てる事ができるというのか。
「不満があるなら婚約を解消すれば良い。ヘンリエッタ嬢ならば、もっと相応しい相手が見つかるだろう」
少し話したが、ヘンリエッタ嬢は実に真面目で慎ましい女性だ。
会場に入った俺をそっと呼び止め、この会場内に『東の塔の魔女』についてーー延いてはアルヴァンド公爵家に対する悪い噂が流れている事、それを聞いて気を悪くするかも知れない事等を、自身の心象を悪くする可能性があるのを分かりながら教えてくれた。勇気ある心優しい女性だ。
そんな素晴らしい女性を婚約者に持ちながら、彼女を地味だ、貞淑さがないと貶める。そんな男が彼女のパートナーであって良い訳がない。
「ハッ! こんな地味女のどこが良い? 俺に婚約解消されたが最後、誰も貰ってはくれんだろうさッ!」
自分の婚約者にそこまで貶められ、とうとうヘンリエッタ嬢の目には涙が溢れ始めた。それを見てすぐ、ハンカチーフを手渡した。
「そんな事はない。彼女をこそ我が家にと迎える家は必ずあるだろう」
お前にヘンリエッタ嬢は相応しくない。何なら、我がアルヴァンド家からどこぞへ打診しても良い。ーー暗にそうとまで言うと、ベルノルトはあからさまに表情を歪めた。
「アルヴァンド家も落ちぶれたものだな?」
アルヴァンド。そう我が家名を口にした男に、俺はヘンリエッタ嬢から視線を移した。
「……それはどういう意味で言っている?」
「どういうって、そのままの意味だろうが」
ついに俺相手に口調まで崩したベルノルトは、如何にも軽薄そうな態度で苛立ちを隠しもせず、堂々と俺の前に立ちはだかった。
「王太子の近衛が女に尻振りまわってるスカした野郎だってのはウソじゃないんだな?」
「は? そこに麗しい女性がいたら声を掛けるのは当然だろう」
「そんな事も分からないのか?」と目を眇めれば、ベルノルトは目に見えて不機嫌に顔を歪めた。「何をバカなことをッ!?」と狼狽するが、バカはお前だ。アルヴァンド家の常識も、世の摂理も分からぬ愚か者が何を知ったかぶっているんだ。
「それでベルノルト殿、君は私に何用だ?」
「何をって、アルヴァンドがあの平民の魔女に誑かされたって言うウワサを確かめに来たんだよ! まぁ、確かめるまでもなかったって感じだかな」
チラッと俺の後ろにいる女性に視線を投げる。視線を投げられた令嬢はビクリと肩を揺らすと、益々顔色悪く下を向いてしまった。
「……因みにその噂というのはどんなものか聞いても?」
「知らないのか?」
まさかと眉を顰めつつも、マウントを取れたと勘違いしたのか、ベルノルトはハッと鼻で笑うと、現在流れているという噂をあたかも真実であるかのように説明し始めた。
曰く、『東の魔女は役職を利用して見目の良い騎士オトコを侍らせ毎日酒池肉林に明け暮れている』
曰く、『東の魔女は立場を利用して領民を脅し恐怖心を支配している』
曰く、『東の魔女はアルカード領主を惑わしパトロンとして貢がせている』
曰く、『東の魔女はアルヴァンド公爵やその子息らを誑かし私利私欲を満たしている』
そのどれもが侯爵夫人から齎されたものばかり。これといって変わり映えはない。強いて言えば、噂に尾鰭が付き始めているくらいだろうか。
「『東の塔の魔女』と言えば平民出のバケモノ魔女だろう? よくそんな魔女相手に食指が動くな?」
「彼女が、バケモノだと……?」
アルヴァンドの名を貶める噂以上に、『東の魔女』ーーアーリアの名を貶める噂に苛立ちが募る。
アルヴァンドは建国からある公爵家、良くも悪くもこれまで幾度となく噂話は立てられてきた。この程度の悪口は慣れたものだ。
だが、アーリアに関しては容認できない。
彼女に関しては『アルヴァンド』という家に関わる者ではなく、『東の塔の魔女』ーーつまり、アーリア個人を名指しで批難している。
アーリアは『東の塔の魔女』としてこれ以上ない程に国に尽くしている。彼女の働きを誰にも非難する事などできない。
今もこうしてシスティナに住まう民が呑気ともいえる生活が送れているのは、彼女たち国防に関わる者たちの努力あってのもの。それがどうして、誰かとも分からぬ者の都合で回された噂を鵜呑みにして、彼女本人を知らずして貶せると言うのかッ!
「ライザタニアじゃあ大暴れだったらしいな。怪しげな魔術で惑わして蛮族の王族に取り入ったって聞いたぜ? 襲われて拉致されたとか聞いたが、それも本当かどうか知れたもんじゃねぇな」
「……は?」
「お前同様に誑かしたんじゃねぇの?」
その瞬間、俺の脳内が沸騰するかの如く茹で上がった。その後怒りは頭から腹へとスウッと下がり、臓腑が怒りで沸々と煮えたぎる。
怒りを威圧として外部に出さなかったのは、故に厳しい騎士の訓練と忍耐の賜物だ。
「……お前は彼女の何を知っている?」
持っていたグラスを給仕に渡すと、俺は一歩、男に詰め寄った。
「それらの噂だが、確実な裏取りをしているのか? 正しい情報として口にしているのだろうな?」
睨みつけるように見下ろすと、ベルノルトは顔を青くしたかと思えば茹蛸のように赤くし、何かにハッとすると今まで以上に口汚く罵ってきた。
「バケモノをバケモノと言って何が悪い!? あの老婆のような白髪の気持ちの悪い魔女が騎士共に尽くされて良い気分になってやがるのを想像するだけで胸糞悪いわッ!!」
ベルノルトの大声に、何事かと周囲の者の視線も集まり始めた。実に都合が良い。
「ほう? 貴殿は噂の真相を知らぬまま想像で『東の塔の魔女』を避難している訳だな?」
「皆んなそう言ってる! 何人もの者から同じ噂を何度も聞いた! それが真実だから広まっているんだろう?!」
「皆が言っているからそれが正しいと?」
「ああそうだ!」
「だから、自分で調べてもいない情報を鵜呑みにして公言して良いのだと言うのだな?」
ヒステリックに叫ぶベルノルト。声量は怒りと共に爆発的に上がっていく。
「良いに決まってる!! 俺はな! 平民出の魔女が王侯貴族の如く好き勝手に過ごしているのが我慢ならないんだよッ!!」
ボルテージは最高潮。
口汚く彼女を罵るベルノルトの言葉。
周囲には彼の言葉に頷く者と、顔を硬くする者と、反応が分かれるが、口出ししようとする者はいない。
「お前も同じように思っているだろう?! 何故かって? あの魔女はアルヴァンドをも利用しているじゃないか!!」
確かに噂には『アルヴァンド公爵やその子息らを誑かし私利私欲を満たしている』というものがある。
宰相でもあるアルヴァンド公爵ルイスは『東の塔の魔女』の後ろ盾であるし、表立って物心両面で支援している一人だ。
アルカード領主もまた『東の塔の魔女』を支援する一人だ。ライザタニア工作員に拉致されて以降、領主としてより顕著に、懐に入れた保護の仕方になっている。彼女の寝床を領主官邸に用意しているのも、これまで以上に護衛を強化する為だろう。ーーただ、あの男に関しては生来の女好きもあって、全ての支援が領主として行っているかは未知数だ。
そして『アルヴァンド公爵家の子息ら』ーーつまり俺を含めた兄弟従兄弟たちだが、確かに俺は彼女を特別扱いしているだろう。何せ、彼女は俺の恩人なのだから。
だが、それは俺の深層心理の気持ちであって、表立って何かをした事はない。
彼女は特別な存在だが、特別だから対等でいたい。
彼女は金品を送って喜ぶタチではないし、王侯貴族のような豪華な生活も望んではいない。
空を飛ぶ鮮やかな鳥に心を踊らせ、野に咲く小さな花に顔を綻ばしていた。
農村の小さなパン屋の素朴なドーナツに頬を緩ませ、下町の定食屋の田舎料理に舌鼓を打っていた。
小さな街の雑貨屋で珍しい魔宝具を見つけては浮かれ、海辺で珍しい貝を見つけては着色に良いと一つひとつ拾い上げていた。
薄汚れた、犯罪者に堕ちた、何処の誰とも知らぬ獅子の顔を持つ半獣相手に手を差し伸べてくれた。
これまで起こったどの事件にしても彼女は巻き込まれた側であり、決して彼女の方から何か問題を起こした事はない。全て、事件の方から彼女に向かってきた。ーー彼女はいつだって被害者だ。
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『アルヴァンドの怒り2』をおおくりしました。
王都で近衛騎士として勤しむジークフリードですが、アーリアと離れた後も、アーリアに対しての想いを、恩を忘れた事はありません。
泥水を啜り生きていた時期があるからこそ、より貴族としての在り方に意味を見出そうとしています。
次話、『アルヴァンドの怒り3』もぜひご覧ください!




