襲撃と膝枕
夏の匂いの強くなった日の深夜。ある屋敷を囲む塀の側にゆらりと影が動いた。
獣の様な素早さで塀から塀へと移動すると、裏門ではなく、西の壁で一旦停止し、そこからスルスルと壁を越えて庭内へと忍び込んだ。
庭内に気配はない。番犬の類もなく、シンと静まり返る庭内を垣根伝いに屋敷の方へと近づいていく。
苦もなく屋敷の白壁にまで辿り着いた影たちは、そのまま何の戸惑いもなくロープを2階のバルコニーへと投げ入れ、ロープを伝い2階へと昇る。
影の一つが大窓へと忍び寄る。
カーテンの閉められた室内。中の様子は目視では分からない。
影は小さく何かを呟くと、そっと窓に手を当てた。
気配は一つ。豪奢な寝台の上が盛り上がっている。シーツの隙間から白い髪が溢れているのが見えた。
周囲に侍女や護衛の姿はない。
脳内に浮かび上がる光景ーースキルにより室内の様子を確認した影は、懐から取り出した楕円形の石の様なものを窓に押し当てた。
パシッと薪が爆ぜたかのような乾いた音。同時に窓ガラスが細かく割れ落ちる。
割れた窓から鍵を外し開け放ち、背後に向けて手を2度振る。
背後から現れた影が複数室内へと侵入。その足で寝台へと忍び寄ると、迷いなく手にしたナイフを振り上げた。
ーキン!ー
振り上げたナイフが対象へ接触する前に見えない何かに触れて弾け飛んだ。
痛む手首を押さえ跳び下がった瞬間ーー突然、天井より視界を遮る程の多量の水が降り注いだ。
失敗だ!ーー影たちは瞬時に窓に向けて駆け出そうとし、身体が思う様に動かぬことに驚愕する。
水だと思ったものは全身に絡みつき、パキパキと冷気をあげて固まっていくではないか。
ハメられた、襲撃の情報が漏れていたのだ、驚愕に目を白黒させていると、パッと照明が付いた。
「全員確保! 猿轡も忘れるな」
黒の騎士服を纏う黒髪の男が鋭い命令を下す。
命令を受けた騎士たちが影ーー襲撃者たちの手足を拘束していく。
中には覆われた氷の膜によって窒素しかかっていた襲撃者もいたが、特殊な液の染み込んだ布ーー酸っぱいような苦い様な何とも表現しにくい強烈な臭いと味がするーーによって氷が溶かされ、窒息死を免れた。
そうして全ての襲撃者は騎士たちにより拘束されたのを見計らったかのように、一人の少女が現れた。
「お疲れ様です」
ーーと、声をかけたのは、騎士たちの方。
少女はその労いの声に会釈で返すと、護衛を伴い、襲撃者の前まで歩を進め、パチンと手を打った。
「襲撃者の皆さん、この度は魔道具のテスターをありがとうございました!」
明るく弾けるような少女の声。
言われた言葉の意味が分からない。
襲撃者たちは揃って怪訝な表情をした。
「この後、簡単な尋問がありますので、忌憚ない意見をお願いします!」
尋問に簡単も何もない気がするが、忌憚ない意見を言わない限り解放されないのだろうという気はした。
この白髪の少女は今回のターゲットだろうが、どういう訳か、恐怖心などは皆無なようだ。自分を殺そうと襲ってきた相手に向かい、このような朗らかな笑みを浮かべられる者など見た事がない。
だからと、騎士たちの尋問が優しいものになるワケがないだろう。現に、騎士たちは襲撃者に対し殺気を放っている。尋問は過酷なものとなるに違いない。
元よりこんな裏稼業に就いているのだ。任務の失敗イコール無惨な死など、分かり切ったこと。後悔などしよう筈もない。ーーそう襲撃者のリーダーが己の運命を悟ったのだが、これより待ち受ける結末が通常より少しばかり異なる事を、この時はまだ予測できてはいなかった。
「尋問の後、次のテスターがありますので、そちらもよろしくお願いしますね?」
武器の類を押収されていたところに襲撃者に投げかけられたが、「次のテスター?」と疑問を問いかける者はない。ーーどうせもう永くもない命だ。次などない。そう思い、襲撃者が目をゆっくり閉じた時だ。
「ダメだよ」
パチン。少女は指を一つ鳴らした。
荒んだ目をした襲撃者たちは足下に広がった光に目を細め、次いで自分の身体に起こった変化に今度こそ驚愕した。
「勝手に死んじゃったら困るわ。次のテスターがあるって言ったでしょう?」
もう! と頬を膨らませる少女の顔を、影たちは穴が空かばかりに凝視する。
任務失敗を引き金に起動する毒による呪い。胸に刻まれた《隷属》の印。それらから齎されていた胸のムカつきが綺麗さっぱり消えた。僅か数秒。その間に包まれた光によって。実にあっさりと。どうあっても自分たちの手では消せなかったソレが、成人も未だと思われる少女の指一つで。
「さて、これで憂いもなくなったし。次もよろしくお願いしますね?」
にっこりと微笑む。
その無邪気な笑みに、得体も知れぬ悪寒が身体を駆け抜けた。
ーーーーー
黒シャツに黒ズボン、黒ブーツに黒頭巾。全身真っ黒な装束に身を包んだ襲撃者たちが連行されていくのを傍目に、アーリアはこの上なく機嫌が良かった。
何せ、労せずして新作魔宝具の実験台が手に入ったのだ。
今回の魔宝具はアルカードの領主でありアーリアのパトロンでもあるカイネクリフからの注文であった。
それも貴族向けの襲撃者から身を守る為の対抗策となる道具であった為、商品化するまでに実用性を見極め、不具合をなくし、安全に使えるようにしておくための実験が不可欠だったのだ。
庭に番犬を飼い、警備を増やそうとも、それらの警備を抜けて入ってくる事もある。襲撃者が今回のように分かりやすいタイプの者とは限らない。例えば、使用人などに扮している場合もある。
そのような場合に自分の身を守る為の対策を講じて置くことは大切だ。それはアーリア自身が現実問題として実感している事でもあった。
「うーん。屋内だし、万一の火事が心配だから水系で考えてみたけど、こう水浸しになると家具とかが台無しになっちゃうね?」
「水浸しというより氷漬けだね〜。ま、有事なんだしそれは仕方ないんじゃない?命の方が大事でしょ」
ローテーブルやソファ等も魔宝具の被害に遭っており、酷い有様になっている。水に浸された上に氷漬けになった床をリュゼの手を借りながらそろりと歩きながら、ウワァと口を開けた。
「うっかり使用者が巻き込まれないようにしなきゃ……」
「だねぇ。ただでさえ怖い目に遭ってるのに、自分まで氷漬けなんて不憫だしね〜」
不憫どころの騒ぎではない。
襲撃者の命がどうなろうと自業自得でしかないが、使用者にもしもの事が起こったら、信用問題にも関わる。使用差し止めどころか、行政機関からの指導と注意が入るだろう。最悪、免許の停止なども起こり得てしまう。
アーリアは起こり得る事態を想像するなりゾッと顔を顰めた。
貴族相手は商売として利益も大きいが、失敗した時のツケも大きい。相手によっては魔宝具職人風情と侮り、潰しにかかってくる事もある。
これまでなら貴族からの仕事はとらなかったーーというか、とれなかったので、平民相手ばかりでそこまでの問題が起こった事はなかったが、これからはそうもいかない。失敗は許されない。
もとより相手が誰であれ不良品を渡して良い訳ではない。より良い物を追求すれば良いだけだ。幸い、納期までには余裕がある。
「そうと決まれば、早速、改良に取り掛からなくちゃ!」
うん!と両手に拳を作れば、リュゼがその拳の一つを手に取った。
「何が『そうと決まれば』なのか知らないけど、君は今日はもう休まなきゃ」
言うなり、アーリアの手を引いて歩き出した。
リュゼはそのまま部屋の真ん中を突っ切り、騎士たちの間を抜けて部屋を出る。
扉の前で部下に指示を出していたナイルに先にアーリアを連れて戻る旨を伝えると、ナイルに見送られながら足早に部屋をいくつも通り過ぎた。そして辿り着いた裏口から屋敷を出て、裏門に停めてあった馬車に乗るなり扉を閉めると、リュゼはその出発を待たずに《転移》の魔宝具を発動させた。
アと言葉を発する前に魔宝具の発動による光が収まり、視界が明るくなった。
目に入った調度類は落ち着いたオーク調。
カーテンやソファなど、落ち着いた若葉の色でまとめられている。壁際には大きな本棚、その隣には素材棚が並ぶ広めの執務室だ。
「アーリアはこっち来て座ってて。いまお茶入れてくるから、それでも飲んだらもう休みなよ?」
「わ、私がするから、リュゼこそ休んでて!」
当たり前のように部屋の灯りをつけ簡易キッチンに向かおうとするリュゼを引き留めると、アーリアは慌てて動き出した。
何がとは明確に言えないが、リュゼがいつもよりも焦っているような、疲れているような気がしたのだ。
もう真夜中で、すぐにでも休んだ方が身体は休まるのだろうが、その前に心を落ち着けた方が良い。
アーリアは勝手知ったる廊下に魔術灯を灯しながら歩く。
ここは東都アルカードから遥か南西、ラスティの街にあるアーリア自身の屋敷だ。
アルカードに行ってからはあまり帰れていないが、定期的に姉弟子が掃除に入ってくれており、またアーリア自身も休暇の度にちょくちょく帰っているので、この様に突然帰って来たとしても生活に支障はない。
まさか、この場所に転移するとは思っていなかったが、確かに此処ならば安心だ。
アーリアは納得しつつキッチンへ急ぐと、鍋に水を張り、火の魔術の組み込まれた魔宝具で温めると、カップを温めてお茶の準備をし始めた。
何かないかと戸棚を開けるとそこには見覚えのない大きめの丸缶が置いてあり、丸缶の上には『お茶受けにどうぞ』と紙が添えられいた。
その流麗な字に向かい感謝を伝えつつ丸缶の蓋を開けると、フワリとバターの匂いが広がった。その匂いに堪らずお腹がぐうと鳴り、誰もいないキッチンで頬を染めた。
「お待たせ」
アーリアがワゴンを押して部屋に戻ると、リュゼはソファの背凭れに頭をつけてボンヤリしていた。そのアルカードでは見ないリラックスした姿にアーリアの頬が綻ぶ。
テーブルに茶器とクッキーを並べた皿を置くと、そこでやっとリュゼは起き上がってきた。
「ありがと」、「ううん」と簡素なやり取りをして、アーリアは向かいの席でなく、リュゼの隣に腰を下ろした。リュゼは僅かに首を傾げただけで、特段何を言う訳でもなくカップに手を伸ばした。
そのまま湯気立つカップを手に取ったリュゼと共に無言の休憩となる。
お茶を飲みクッキーの甘さにホッと息をついて、静寂に心を落ち着けたアーリアは、やっと口を開いた。
「……無理させた?」
「そんなコトないよ」
「でも疲れてる」
「んー、まぁ、そだね、疲れたかな」
こうしてリュゼから本音が聞けるのは珍しい。
リュゼは自分の事になると隠す傾向にあるからだ。
軽い言動が多いので、一見すると誰にでも心を開いているように見えて、実は誰にも心を開いていなかったりする。
怪我をしても痛いとすら言わず、風邪をひいても辛いと言わず、疲れていても疲れたとは言わない。
顔に表情を出さないので、ともすれば誤解を受けやすい。
けれど、怪我をすれば痛くない訳ではなく、風邪をひいたら辛くない訳がないのだ。勿論、疲れることだってある。
それを表に出さないのはサスガだとは思うが、それ以上に心配になってしまい、そんな時はいつもアーリアは声の掛け方に迷っていたのだ。
「大丈夫?」と尋ねた所で「大丈夫」としか返ってこないだろう。ならばどうやって声を掛けようか。考えの整理ができずに頭の中で逡巡していると、リュゼの方が先に口を開いていた。
「やっぱりさ、アーリアが標的にされてるのが分かっていたって、気分が良いものじゃなくてさ……」
「っ……」
「ただ単に対策を取るだけじゃなくて、それを利用するっていうのも理解できるんだけど、それだって危険が伴うのには変わりないしね……」
「……うん」
リュゼの目線はカップの中に揺れる琥珀の液体に向いたまま、独白のように呟かれる。
「魔宝具だってお貴族サマからの依頼だし、アーリアには断れない仕事じゃん。断られないのを知っていてーーいや、断られる事なんて考えずに注文しているだろうし……そんな事はアーリアにも分かってるだろうし、分かっていてアーリアが受けた仕事なら僕が何か言うのは違うんだろうけど……」
「……魔宝具職人として貴族からの大口の契約が入るのは、それだけで有り難いし名誉な事だよ」
「そういう割にあんまり乗り気じゃないでしょ?」
「っ!」
リュゼの琥珀の目がアーリアを捉えた。
ーああ、なんでリュゼにはバレちゃうのかな?ー
疲れてると言いながら、考えているのはアーリアの事ばかり。リュゼとて慣れぬ貴族社会で緊張の連続であるだろうし、嫌な事も多くあるだろうに、それはおくびも見せない。
「……良いんだよ。あの魔宝具はリディの為なんだから。リディが傷つく事があったら、私も嫌だもの」
今回の依頼はアルカード領主経由だが、その使われる先はアルヴァンド家の姫の為である。
リディエンヌはアーリにとって可愛い後輩のようなもの。高貴な貴族の令嬢でありながら魔導士として研鑽しており、何故かアーリアを先輩として友として慕ってくれている。
王族の血も流れる由緒正しい公爵家の令嬢で、第三王子の婚約者としての立場もあり、多くのものに敬われ、羨まれ、謂れない誹謗中傷の的にもなっている。
中にはリディエンヌを亡き者にしようとする者、傷物にしてやろうと思う者もおり、油断できない状況にあった。
「ただでさえか弱い令嬢を襲うなんてどうかしてる!絶対守ってあげなきゃッ!」
拳を握るアーリアにリュゼはフと頬を綻ばせ、手を伸ばすとアーリアの頬にかかった髪を親指に掛けて払うと、そのままそっと頬に手を添えた。
「嫉妬しちゃうな」
蜂蜜を溶かした甘い笑みに、アーリアの思考は停止した。
その後に続く「頑張るアーリアも好きだけど、あまり頑張りすぎないでね?」という言葉に反射的に顎を下げる。
「あーあ。結局今回も黒幕までは辿りつかなったし、疲れ損だったかなぁ〜」
はーあ、とリュゼは大きく伸びをすると、そのままゴロンと横になった。ーーアーリアの膝の上に。
え?え??と困惑のアーリアを横目に、リュゼは「疲れたからご褒美、良いでしょ?」と笑う。
暫くアタフタしたアーリアだが、こんな事で良いのならと了承し、頭を撫でてと言われて断る理由もなくこちらも了承すると、恐る恐るリュゼの頭に触れる。そして想像したよりもずっと柔らかな髪をゆっくりと撫で梳いた。
「は〜〜天国〜〜!」
緊張しながら髪を撫で始めるアーリアを他所に、リュゼは目を瞑ると、その柔らかく暖かな感触に酔いしれた。
ブックマーク登録、感想、評価など、ありがとうございます!励みになります(^人^)
『襲撃と膝枕』をお送りしました。
アーリアを付け狙う者からの襲撃はライザタニアから帰国して以降も定期的にありました。
これまでそれをイチイチ相手にしていなかったアーリアでしたが、魔宝具のテスターに良いカモなのでは?と兄弟子に言われ、それもそうかもと即実行。
相手が相手だけに罪悪感のカケラも抱かないのは良いですが、正直な感想がなかなか得られないのが問題点だなと思案中です。(※現実逃避)
次話も是非ご覧ください!




