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魔宝石物語  作者: かうる
魔女と砂漠の戦士
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領地視察

「ーーね、良いところでしょう?」

「はい、とても」


 アーリアは煌めく湖面を眺めながら風に舞う髪を押さえて眩しさに目を細めた。


 翠の原から見る湖には水鳥が羽を休め、遠くの湖面に魚が跳ねる。波は殆どなく、水面はサワサワと風に揺めき輝き、鳶がピーヒョロロと鳴き、ピチチと小鳥が囀る。

 サクリと草腹を踏みながら湖岸に近寄れば、真白の石が敷き詰められた砂浜に辿り着いた。

 湖面が翡翠のように煌めいて、アーリアは思わず目を窄めた。嗚呼、なんて穏やかな光景だろう。


 突風に髪が空を舞う。

 アーリアが再び舞い上がる髪を抑えようと手を伸ばした時、横から長くしなやかな腕が伸びてきて、白髪を耳の後ろへ梳き下ろした。

 陽光に透ける金から薄い翆のグラデーション掛かった長い髪が風に揺れている。薄青の瞳がアーリアの白髪を写している。目鼻の配置、眉の長さ、唇の色形、全てが計算し尽くされており、まるで神々の彫刻か絵画かと思わしき美しさだ。

 ライザタニア国第一王子イリスティアン殿下は薄く美しい唇を弓のように美しく上げて、甘い瞳でアーリアを見下ろしている。


「どう? 好きになれそう?」

「領主云々を抜きにしても、ここは本当に美しい場所です」


 アーリアはライザタニア王家から賜った爵位に付随した領地の視察に、イリスティアン殿下と共に訪れていた。

 アーリアはまず東の国境を越えライザタニア西の要所、西都トーレスへ行き、そこで西都領主リヒター・カッフェ・バルカン伯爵と対面した。

 軍人と見紛う大漢バルカン伯爵は厳つい顔に満面の笑みを浮かべて迎え入れてくれた。

 その際、バルカン伯爵からは「噂に聞く国境の魔女殿がこれ程麗しい女人とは!お会いできて嬉しく思いますぞ!」と両手(もろて)で握手を受けた。

 バルカン伯爵は厳つい顔に似合わず文官肌で、ライザタニアの歴史に精通しており、アーリアの耳と脳を楽しませてくれた。

 その後、態々アーリアを迎えに来たイリスティアン殿下と共にライザタニア国内の要所に配置してある《転移石》ーー王家秘蔵であり、厳重に管理・秘匿されているーーを利用して数日を掛けて王都へ移動した。

 ライザタニア王城で行われたのは正式な叙爵式。

 アーリアはライザタニア国王アレキサンドルから正式に辺境伯の爵位と領地を賜り、その後直ぐにヴァルダバールへ移動した。

 途中、ライザタニア特有な岩塩の生まれる塩湖に立ち寄ったり、風の高位精霊シルフの住まうと言われる岡へ立ち寄ったりと、普通の観光も楽しみ、そうしてこのヴァルダバールで海と見紛う大湖へと誘われたアーリアの胸は、それまでの不安や困惑が嘘な程晴れ晴れしい気持ちになっていた。


「この美しい景色だけでも見に来た甲斐があるってものじゃない?」


 と、ウィンクするイリスティアン殿下に同意して顎を下げる。


「領内の内政がこの景色ほど美しさを保っていないってのがネックなんだけど、ソレはソレ、この際専門家に任せましょ! ーーね、ワーク伯?」

「は」


 イリスティアン殿下の投げかけに、2人と距離を置いて立っていた紳士が頭を下げた。

 赤毛に金の瞳、褐色肌、年齢は三十代前半、背丈は長身のナイルより高く、文官にしておくのは惜しい肉体を持っている。名をアルバス・ハル・ワーク。『東の塔の騎士団』団長ルーデルス・ハル・ワークの実弟にあたる人物だ。

 ワーク伯爵は兄ルーデルスに代わり家督を継ぎ、先ごろまで文官として王宮で働いていたが、ルーデルス団長経由でアーリアが領主代行を探している旨を聞きつけ、真っ先に名乗りをあげた猛者であった。


「殿下、そして姫。領地経営はこのワークにお任せください。必ずやこの地を領民皆が住みやすい地へ導いてみせましょう」


 下げられた艶やかな赤髪が目に入った。

 ルーデルス団長とよく似た色の髪色、よく似た瞳の色、よく似た笑顔は血縁関係を如実に現している。

 しかし似通る点は多くとも、その佇まいには違いがあった。

 ルーデルス団長が獅子なら、アルバスは虎。月光を浴びて静かに佇む虎を彷彿とさせた。

 切り長い目尻は笑みを湛えており、獰猛な獣の雰囲気は鳴りを潜めているが、何かキッカケさえあれば、獰猛さが牙を剥く時もあるのではないか。ーーそう、アーリアには思えた。

 セイなど妖精の血を引く者たちを前にした時のような感覚と言えばよいか。そんな感覚が肌を刺激するのだ。


「ワーク伯爵、どうぞよろしくお願いします」


 アーリアはアルバス卿の目を真っ直ぐ見て頭を下げた。

 代官を募集して一番に手を挙げたアルバスに、初対面にも関わらずアーリアは全幅の信頼を寄せた。

 ルーデルス団長の弟だからではない。

 初対面に挨拶を受けた時から今まで、アルバスからは一度も不快な感情を投げられていないというのが主なる理由だ。

 女だから、平民の出だから、魔導士だからと忌避の目で見られる事も侮られる事もない。表情も態度も言葉すらも全てが一貫していて一人の人間として相対しており、一度として不快感を感じる事はなかった。それどころか、常に敬意すら払われているようにも思えた。

 貴族として淑女をエスコートするのは当たり前、レディファーストは当たり前なのだが、アルバスからはそれ以上の敬意を払われているような気さえするのだ。

 そして何より関心するのは、一度としてアーリアを性的な目で見てこない事だ。

 女相手と侮るや下に見るだけでなく、性の対象として見られない事こそ、アーリアとしては何よりストレスの感じない事柄で、その点でもアルバスを信頼したという訳だ。


「それにしても美しい湖ですね? 鉱山業が盛んだったと聞いたので、水質汚染や土壌汚染が気になっていたのですが……」


 アーリアが湖の方へ目線を遠くすれば、どこまでも続くアクアグリーンの水面に小魚が跳ねた。

 妖精が住まう湖とのことで、数多くの精霊が飛び交っている。

 水はどこまでも清く美しく、一見しては汚染されている様には見えない。

 また、砂浜から草腹へと湖岸をずっと遠くまで見渡せば、薄青や紫、赤や薄紅の花弁の美しい紫陽花に似た花も群生しており、土壌にも汚染が見えない。


「美しいでしょう? こちらは紫陽花薔薇(ハイドランジアローズ)と言い、この土地固有の花なのです。土壌の性質により薄青から薄紅へ色を変えるので紫陽花と名がついておりますが、厳密には薔薇に属します」


 紫陽花は白、青、紫または赤色の(がく)が大きく発達した装飾花だが、紫陽花薔薇は小さな薔薇の集合体で、花の一つひとつはミニ薔薇より少し小さい。それが手鞠程の大きさに纏まっている。

 イリスティアン殿下は従僕に指示して手鞠サイズの薔薇の茎に鋏を入れさせ、棘を処理させて持って来させた。それをイリスティアン殿下の手からアーリアへと手渡した。

 紫陽花薔薇を受け取ったアーリアは、思わず顔を綻ばせ「ありがとうございます」と謝意を伝えた。

 薄紅色の薔薇のブーケからは薔薇の芳しい香りが立ち上り、アーリアの鼻をくすぐった。


「可愛い! それにとても良い香りですね」


 ここまではイリスティアン殿下にとって、そしてアルバスにとっても予想内の反応で、頬を染めて花を見つめる淑女にホッコリとした気持ちを抱いた。

 しかしそこから続いた言葉には、二人とも唖然とする事になるのだが……


「この花から香油を取ったら良い素材になりそう。ああでも、まず成分分析して毒性がないか調べないといけないかな、性能分析や使用後の経過観察も必要だし……。作るとなれば香水……化粧水はどうかな? これだけ美しい湖だもの、水質も良い筈だけど……これも成分を調べないと良し悪しが分からないかぁ……? だけど、この湖の水とこの紫陽花薔薇は相性自体は良い筈だから……」


 アーリアの目の色が変わった。

 単なる花の鑑賞から素材への期待へと胸を膨らませていく。


「この蜂蜜みたいな甘い香り、食花にもなるかも。お菓子作りにどうかな? 料理に使っても彩りが豊かになるよね。それにこんな素敵な色だもの、寧ろこのまま着色料として使えるよね……」


 紫陽花薔薇を見て「綺麗な花」で終わらないのがアーリアのアーリアたる所以、魔宝具職人たる所以だろう。

 道端で拾った石、海辺で拾った貝殻ですら素材にしてしまうのだ。この様な珍しい花を前に心躍らない訳がない。

 普段から、素材になりそうな物を見ては何に使えそうかと思案するのが趣味なアーリアにとって、紫陽花薔薇は恰好の素材。染料としての付与、或いは香水や化粧水、石鹸や洗剤としての加工、また或いは食用花としてなど、様々な用途を思いつくがままに心躍らせる姿は、これまでのどんな場面よりも乙女だ。


「こんな安直な考え、誰でも思いつくよね?もしかしてこれまでに誰かが商品化していたりするのかな?」


 小首を傾げるアーリアに、アルバスは「いえ、そのような記録はありません」と答えた。


「イリスティアン殿下、この紫陽花薔薇の株、いくつか頂く事はできますか?」

「勿論構わないけど……というか、もうこの土地はアナタの管轄なんだから、好きにして良いのよ?」

「ありがとうございます!」


 満面の笑みで礼を言うアーリアに、イリスティアン殿下は呆れにも似た笑みで応える。アーリアの職人としての一面を知ってはいたが、素材を前に目の色を変えて語る姿は初めて見たもので、普段のどこか達観した静かな様子とは違い、僅かな戸惑いがある。

 湧き出る知識と連ねられる製品を聞けば、それはまるで魔宝具職人というより商人のようだ。何より、美容については惜しみない金を出す貴族の婦女子に、紫陽花薔薇の化粧水などは売れそうな気配がムンムンする。ーーイリスティアン殿下の頭の中に、ライザタニア国王の愛する正妃の顔が横切った。


「良かったわね、ワーク伯! これで傾いた財政も何とかなりそうでっ!」

「え、ええ……一番の懸念材料でしたが、これは案外何とかなりそうな気が致します」


 言葉を詰まらせるアルバスの額には汗が。

 昔は鉱山で財を成していた領地だが、今は既に掘り尽くされており、産業としては廃れている。この地をを栄えさせる為新たな産業を起こす必要が急務であったが、湧き出る泉の如く語るアーリアを見ていたら、それも案外大変な事でもないのかもと思えてくるから不思議だ。


「あ! イリスティアン殿下、化粧水が完成したら宣伝に協力してくださいね?」

「アーリアちゃんの頼みだもの、勿論協力するわ〜」

「ありがとうございます!」


 作る前から『王室御用達』を手に入れた新米領主の手腕に、アルバスの口元には自然と笑みを浮かぶ。

 妖精の如き麗しい王子が宣伝を担うのなら、商品の爆売れは確定したも同然。加えて、それを作ったのが精霊に愛されし姫ならば、手に取らぬ者はこの国にないだろう。


「神の采配か……」


 イリスティアン殿下は紫陽花薔薇を一房、アーリアの髪に飾った。

 虹色の薔薇は雪のように白い髪によく映える。

 アーリアが頬を染め照れながら礼を言うと、イリスティアン殿下は蕩けるような瞳をアーリアに向けた。

 美女2人が戯れる様に、アルバスは眩しそうに目を眺めた。




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『領地視察』をお送りしました。

前領主が重税を課し、領民を奴隷のように扱っていたヴァルダバール。主なる鉱山業が廃れた後は絹などを織り、細々と生計を立てていました。

湖の底には水竜が住んでおり、周囲を乱すと暴れて手がつけられない為、悪逆を尽くす領主といえど手が出せずにいました。

長い不遇の日々からヴァルダバール領民は当然ながら新領主への期待薄でしたが、善政を敷いた先先代領主所縁の人物が領主代官として着任し、その後暫くして代官が新領主を連れてきた時、その領主の従える精霊の数に思わず首を垂れました。

新領主がうら若き女性である事や他国民である事などを差し置いても、数多の精霊に愛され、水竜をも従える領主の存在は、ヴァルダバール領民にとっては神にも等しく思えたのです。

※因みにその時アーリアは領民を前に「何話せば良かったっけ!?」と内心ドキハラしていました。


次話も是非ご覧ください!


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