惑わす者、惑わされる者
「えっ!? 私たちがクビって……何故ですか?!」
侍従長の前に侍女たちーーいや、侍女だった者たちは声を荒げた。
時刻は夕刻。一日の仕事を終えて侍女専用の寮へ戻る前に、彼女たちは上司に呼び出された。その上司が侍女長ではなく、その上の侍従長だった事に驚きは得たものの、すぐさま呼び出しに応じた。
対面するまでに態々身嗜みを整えたのは、何も侍従長に良く見せようとしたからだけではない。ひょっとしたら自分たちの働きを見た客人の誰かが、自分たちを見初めてお見合いでも、という話が出たのではないかという考えが頭をよぎったからだ。
しかし、実際対面すれば、その考えが全く間違ったものだったとすぐに知れた。
灰髪をきっちり撫で付けた隙のない出立のまだ青年とも呼べる侍従長は、無表情を通り越した凍りついた表情で、自分たちを見据えていたからだ。
「先程も伝えた筈だ。お前たちは与えられ仕事を疎かにし、あまつさえ大事な客人の私物を勝手に持ち出した。加えて、守秘義務があるにも関わらず、領主官邸で見聞きした話を外部へ漏らした。これは重大な職務規定違反だ。これ以上お前たちをここへ置いておく訳にはいかない」
同じ説明を二度受けて尚不満を言い募る女たちを前に、侍従長は「職務規定違反の前に犯罪者だな。優秀な弁護人の準備をする事だ」と追加する。
「そんなっ!何かの間違いです!」
侍従長に詰め寄ろうとした女たちは、部屋にいたもう一人の男に制され、仕方なくその場に足を留めた。服装から従者のようだが兵士のようにガタイが良い。
「何が間違いだと言うのか?現に客人の噂が流れている。そしてお前たちの勤務の日に、客人の私物がなくなっている」
「っ、濡れ衣です!私たち以外にも、あの部屋への出入りはあります!私たちの所為だと決めつけるのは、早急ではありませんか?」
「そうです!私たちはやってません!」
既に裏取を済ませてある。情報は確かで、二度三度と確認も済ませた今、事実は覆りようがない。だというのに、女たちは自分たちのしでかした事の大きさについてまるで分かっておらず、声を荒げるばかり。
連日連夜、余計な仕事に駆り出され、方々へ頭を下げてきた侍従長は、女たちの金切声に頭痛を覚え顳顬を親指で抑えた。
「私たちの所為だと仰るなら証拠を、証拠を出してください!」
「そうよ、証拠はあるの!?」
あるに決まっている。でなければ、今ここに彼女たちを呼ばないし、そもそもクビなど切らない。
新しい侍女たちを採用するにも時間が掛かるし、領主官邸で働くに相応しい侍女に育てるにも時間が掛かるのだから。
「これがその証拠だが?」
侍従長は背後の男、直属の部下に指示して証拠を持って来させると、机の上に置かせた。
「お前たち、これに見覚えはないか?」
青いビロードの敷かれたトレイの上、銀色の輝きを帯びた宝飾品が一つ置かれている。プラチナを加工した花弁を丁寧に一枚ずつ重ねて作った本物と見紛う薔薇に小さな宝石を散らした髪飾りが眩く光る。
一目で高価な品だと分かるそれは、さる高貴なお方から客人へ贈られた品である。
「これがお前たちの部屋で見つかった。正確には、お前のクローゼットの中からだ」
お前、と名指しされた女ーー赤み掛かった濃い茶の髪を持つ女は、赤いルージュを引いた唇を一度噛むと、「これは私のですわ!」と叫んだ。
侍従長はその言葉に「ほう?」と目を細めた。
「嘘だと思われるんですか?侵害です!私だって貴族令嬢ですのよ?これくらいの物持っていてーー」
「これは特注品で世界に2つとない。念の為、職人にも尋ねたが、これと同じ物を作った記録はないと言うし、実際帳簿にもその様な記録はなかった」
「その職人がウソを吐いているのよ!」
貴族の衣服をはじめ装飾品を作るのは平民の職人である。中には貴族の出自でその道に進む者もいるが、魔宝具装飾が殆どで、服飾師の類は稀である。
ドレスにはじまり、スーツ、タキシード、靴、鞄、帽子、ステッキ、ネクタイにハンカチーフ、棒帯、ベルト、靴下、下着に至るまで、身に纏う者全てが平民の職人による手作業から作られており、彼らがいないと貴族たちは貴族としての身形さえ整わない。また、タイピンからカブスボタン、耳飾りに首飾り、髪飾り、指輪などの装飾品もまた、平民の職人の手によるものが殆どだ。
自分たちの生活に必要な職人にも関わらず、都合が悪くなるとその職人を平民と見下し、スケープゴートとして差し出す。如何にも世間知らずなお嬢様らしい思考と発言に、侍従長はハと短く息を吐いた。
「ならばその職人を訴えるか?」
「勿論よ。だって私は濡れ衣をかけられてーー」
「王室御用達の職人を訴えると言うのだな?」
『王室御用達』という言葉に、女たちは「は?」と声を揃えた。
「その職人は王室のーー王妃様のお抱えだ。この宝飾品も王妃様がお命じになり、お客人の為だけに作られた一点物だ。そしてお前、お前が盗んだ耳飾りはこの髪飾りの対。さて、それでもお前たちは職人を訴えると言うのだな?」
髪飾りの隣に置かれたトレイには、髪飾りとよく似た細工の耳飾りが2つ寄り添っている。
それを見た途端、これまでより一層顔色を悪くした女たちが言葉なく唇を振るわせた。
耳飾りを盗んだ薄茶髪の女は口に手を当てて肩を振るわすのみで言葉は出ないようにだが、赤茶毛の女はまだ何か言い足りないのか髪飾りを凝視して歯を震わせている。余程信じられないのか、それとも信じたくないのか。どちらにしても、女が客人をどれだけ侮っているかが判る姿だ。
「な、なんで、そんなもの、を、あの女が……」
やはりここまで追い詰められて尚、言葉を溢すのは赤茶毛の女の方だった。
「何故?そのような疑問が来るとは思わなかったな。あの方がどなたか、お前も知っているだろう。領主官邸が責任を持ってもてなすべき特別なゲスト。そう侍女長にも言われなかったか?」
「聞きました。けど、あんな女が、王妃様の……」
「彼女はこのアルカードに、そしてシスティナに平和を齎してくださっている。それでも特別だと思えないのか?」
自分もその平和を享受している一人だろう。ーーそう言われ、女はカッと顔を赤く染めた。
「そんなの私は頼んでません!あの女が『塔の魔女』だからって何だと言うの?卑しい平民の魔女風情が!穢らわしいったらないわッ!!」
ードン!ー
女の言葉を遮るように大きな音が響いた。
叩かれたのは従者長専用の執務室の扉だ。
「へぇ?面白そうなハナシをしているね。私にも詳しく聞かせてくれないか……?」
護衛の騎士を引き連れて入ってきたのは、この領主官邸で、いや、このアルカードで一番権力を持つ者であった。
麗しい容姿はそのままにその表情は暗く鋭く、視線は刃のように突き刺さる。いつもなら見惚れる紳士からの鋭い視線に、女たちはたじろいだ。
侍従長は立ち上がって胸に手を当て、深々と頭を下げ、侍従件護衛もそれに倣う。
自分の監督不行きである侍女たちの犯罪の責任を取るべく連日連夜睡眠を削り働いていた侍従長ではあるが、彼の上司である執事長を通じ、当然これまでの報告は領主の耳にも入れてある。
領主官邸が責任を持ってもてなすべき賓客。そのゲストの私物が紛失したのだ。ゲストは宰相の後ろ盾の他、王太子からの後ろ盾も持つ『東の塔の魔女』という重役である。子どもの悪戯で済む訳がない。
「悪口程度なら目を瞑ってあげても良かったけどさ。でも、今の罵詈雑言は聞いて許せる範囲じゃない」
実際、女たちの悪口は噂に名を変えて侍女仲間に、侍従たちへ、使用人を介し、遂に領民の耳にまで届く事態となり、現在決して少なくないクレームが寄せられている今、生半な処罰では済ませられなくなっている。
「さて、『証拠』だったかい?それならこんなモノがあるよ」
領主が取り出したのは一枚のプレート。
大きさと厚みはコースターほど、5センチ四方の金属板だ。
プレートには幾何学模様が刻まれており、所々に小さな宝石が飾りの様に施されている。
領主はそのプレートに指を這わすと、決められた手順で魔力を流した。
『ーーどう?私の方が似合うと思わない?』
『お似合いよその髪飾り!』
『アナタこそ、そのイヤリング素敵じゃない!』
突如、聞こえ始めた女の声。その会話にギクリと身体を震わせたのは、先程から冤罪だと叫んでいた女たちだ。
『……平民の魔女風情がこんな良い物持ってるなんて!きっとあの女が魔術を使って盗んだんだわ』
『貢がせたんじゃないの?あの四六時中側にいる騎士に。カイネクリフ様だってあの女に貢いでるっていうし、きっと誑かしたのよ。ああ気持ちが悪い!』
ガサガサと何かを漁る音、その音の間に女の声が続いていく。
『彼女が言った通りよ。ちょっと魔術が使えるからって調子に乗っちゃってさァ。ーーあ、このネックレスも貰っちゃおっ』
『えー、なら私はこの腕輪にしよっと』
キャハハと甲高い笑い声が尚も続くが、領主はそこで魔力を流すのを止めた。
「首飾りに腕輪か、余罪もまだまだありそうだな。ーーで、これでもまだ何か言う事があるのかな」
胸に金属プレートーー《録音》の魔宝具を片付けつつ問う領主に、女たちは尚も「あの声は私たちじゃありません!」と無罪を叫ぶ。
「へぇ、まだ認めないんだ?」
「当たり前です!私たちは嵌められたんですから!」
自室にあった宝飾類。撮られていた音声。これらは全て、何者かに仕組まれたこと。陥れられたとする女に、侍従長は益々眉間を深くし、領主はやれやれと首を振る。
「明確な証拠が無いなんて、誰が言ったのかな?」
身分も立場も何もかも高い者を相手に自分勝手に言い募るなど、本来ならしてはならないし、それだけで身分差を理由に不敬として投獄もあり得る。
貴族令嬢ならばそれくらい分かっていて当然なのだが、それをも失念している、または理解できていないのらば、本人の性質も込みで親の教育の所為だろう。
「これらの宝飾品には魔術で目印がされていたんだ。《紛失防止》の魔術だ。あまりに高価な物や無くして困る物、書籍や書類とかにも掛ける事がある。おや、その様子では知らなかったのかな。まぁでも、知ろうが知らまいが関係はない。お前たちが盗んだ事には変わりがないし、今更弁明も必要ない。動機もはっきり分かっている。もうお前たちに話を聞く段階にないんだ」
領主は今更青ざめて俯く女たちの存在を無視し話を進めていく。
「侍従長が言っただろう、クビだって」
言うなり、侍従長に示して女たちに今日までの給金を手渡させた。そして履歴書を返し、私物は全て詰めて実家に送る手筈だと告げる。
「さてと、これでお前たちは元侍女の貴族令嬢だ。実家に戻ってもらって構わない……と言いたい所だけど、聞かねばならない事が山とあってね。ーー連行しろ」
領主の命に、控えていた騎士たちが女たちの手に縄をかける。
「キャッ!やめて!やめなさいっ!私を誰だと思っているの?バクステ伯爵の娘、ベリーズ侯爵の姪よ!アナタたちタダで済むと思ってーー」
「アハハ!この段階でも家の名を出せば何とかなると思っているなんてね!」
髪を振り乱し叫ぶ赤茶毛の女に、領主は呆れの余り笑い出した。
「お前たちの実家はこの度の責任を取らされて爵位剥奪。没落が決まった。良かったね?今日から平民の仲間入りだ」
「「ッーーーー!!!!」」
今度こそ、女は目を見開いて声なき声をあげた。
「因みにお前たちが蔑んだ魔女だけど、彼女、ついこの間、ライザタニアの第一王子殿下からライザタニアの辺境伯の爵位を賜ったから。それでなくとも等級9を持つ魔導士の彼女は名誉爵を持ってる。お前たちはたかだか父親が爵位を持つ貴族の令嬢だけど、彼女は自身が爵位を持つ貴族だ。どちらが上かなんて考えずとも分かる筈だ。ただ、彼女は自分の持つその爵位を名乗る気も使う気もないけれど。……それに、僕自身地位を傘にどちらが上だ下だと言うのはバカの言う事だと思ってるワケだけど……」
領主の独白に近い言葉の羅列に、女たちの顔色が青から赤に、そしてまた青に戻り、最後には真っ白になっていく。
「さて、平民どころか犯罪者の言葉なんて、誰が聞いてくれるかな?」
自分たちの言葉や態度がそのまま返ってくる。その事にようやく気づいた女たちだが、もう後戻りの仕様もなく、ただ愕然と項垂れるばかりだった。
ようやく静かになった執務室の中、侍従長は改めて自分の不始末を領主に詫びた。
すると領主は「減俸3ヶ月で片がついてる。これ以上詫びる必要はない」と、必要以上に頭を下げる事を禁じた。
「それよりさ、気になる事言ってたね。君も聞いただろう?……彼女って誰だろうね?」
女たちを言葉巧みに誑かした存在。それが女の口から仄めかせられた時点から、領主の興味は黒幕へと移っていた。
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『惑わす者、惑わされる者』をお送りしました。
領主官邸の侍女たちによる窃盗。犯罪であるにも関わらず、本人たちに悪気はありません。何故なら、彼女たちはこれまでの人生において与えられる側であり、また自分より立場の低い者から搾取する立場でもあったからです。
欲しい物は与えられてしかるべきだ、そう思い込んできた彼女たちにとって、侍女として誰かの下について指示されながら働く事にも良い気持ちはしていません。
また、働いて得た給金の有り難みについて等も考えた事がありませんでした。
次話も是非ください!




