妖精の国の王子と爵位1
白襟に黒のロングワンピース、真白のエプロンを纏う若い侍女が二人、シーツを抱えながらとある部屋から出てきた。貴賓室だ。
二人は小声で話しているつもりなのだろうが、甲高い声は高い天井に反射して良く響いている。
「……えぇっ!まさか本当に?」
「本当よ!私、この目で見たんだからっ」
「まぁ!さすがド平民だけあるわね。護衛とはいえ、男性を寝室に連れ込むなんてっ!」
掃除の為に開け放たれた室内に年配の侍女が入っていくが、我関せずといった雰囲気で若い侍女たちを叱る様子はない。
「きっとその騎士も断れないに違いないわ。あの女、権力にものを言わせているのよ」
「ええ、そうに違いないわ」
何が「違いない」のか、最もそうな顔で侍女の一人が頷く。
「あの茶髪の騎士、護衛騎士だなんて言って本当は男娼か何かなんじゃないの?」
「ええっ!まさかっ!」
「あの騎士も平民出身だって聞いたわ。騎士だなんてきっと名ばかりなんだわ」
侍女たちは驚いたり憤ったりするが、明らかに妄想話を楽しんでいる。話題に信憑性など関係なく、ただちょっとした刺激を楽しめれば良いのだ。このまま妄想が真実として語られ、誇張され広げられるだろう事は明白だろう。
「えー、男娼かぁ。私、ちょっとイイナって思ってたのに」
「アナタ、ああいうのがタイプだったの?」
意外!と声を上げるが、それほど意外そうな顔はしていない。彼女が茶髪の護衛騎士にコナをかけていたのを知っていたからだ。
「だって、その辺の騎士とはちょっと違うタイプじゃない?堅すぎないっていうか、雰囲気が柔らかいっていうか……」
「わかるー。騎士ってちょっとお堅い雰囲気あるものね、特に塔の騎士たち。あ、ほら、あの黒髪黒目の騎士とか」
「そー!この間なんて、何もしてないのに睨まれたんだからっ」
四六時中共にいる護衛騎士とは別に、最近になってもう一人黒髪黒目の騎士もが張り付き始めた。
他にも何人かが出入りしているが、その誰もが真面目で堅苦しく、笑顔を向けても顔色一つ崩さない。徹頭徹尾、護衛としての姿勢を崩す事はない。
それどころか、少し笑顔を向けただけで「何用があって来たのか」「所属部署はどこだ」と真顔で問い詰められる始末。そんな事が幾度かあれば、次第に侍女たちの気持ちは萎え萎み、今では顔を合わせるのも気不味く辟易しているという訳だ。
「こっちだって仕事でなきゃこんなトコ来ないのに!」
頬を膨らませる侍女。同意に首を振る侍女。どちらもが貴賓室の主に良い感情を持ってはいない。
何故ならその者は容姿秀麗でも将来有望でもなく、同性で、しかも麗しの領主が守り慈しむ存在なのだ。
「あの白い髪見た?気持ち悪いったらないわ!」
「高々平民出の魔女が何様だってのよねぇ?」
彼女たちはこの領主官邸で働く侍女ではあるが、二人とも地方の下級貴族の出だ。
王都の学園に入るには、どうしても家格や財力が必要となる。その為、地方の義務教育課程のみ済ませ、成人する前からこうして高位貴族の侍女として働く貴族令嬢は少なくない。そして、仕事をしつつ良縁を探すのだ。
ここ、アルカード領主官邸はアルヴァンド家に連なる領主による館。領主自身辺境伯の地位にあるが、高位貴族の一人と数えられている。
その領主の住まう館の侍女ともなれば、その辺の貴族の屋敷の侍女よりも立場は強い。見合いにも有利に働くだろう。勿論、出会える男の数も段違いだ。
だからと自分たちの立場と仕事を納得するには不満な事情があった。
貴賓室の主が自分たち以上の貴族令嬢、それこそ高位貴族の姫ならばまだ納得しただろう。しかし、この貴賓室の主は、自分たちが仕えたいと思うような人物ではなかったのだ。
このアルカードに存在する国防機関『東の塔』。
システィナの国防を担う四柱のひとり『東の塔の魔女』。
隣国からの侵攻を幾度も防いだ大魔導士。
ーーそう、人から呼ばれる魔女は、真白の髪と虹色の瞳を持つうら若き少女であった。
アルカードに平和を齎す魔女は、本来なら尊敬の対象である。
実際、領民からは絶大な人気を持ち、並々ならぬ尊敬の念を集めているし、信仰の対象と見ている者も少なくない。
『東の塔の魔女』の施す《結界》によって、これまで幾度となく隣国ライザタニアからの侵攻を防いでいる。国防の要として、守るべき対象として、五百余名騎士により構成される『東の塔の騎士団』の保護対象である。アルカード領主が賓客としてもてなし、保護下に置くのは当然の対応である。
だが、当然の平和に慣れた貴族令嬢にはそれが分からない。
生まれた時から真綿で包まれるが如く守られ、争いを知らぬ彼女らには、それが理解できなかった。
「ほんっと気持ち悪いったらないわ。早く出て行ってくれないかしら?」
遠目に儚く佇む姿を見た事のある侍女たちは、ふとあの時向けられた視線に、得体も知れぬ悪寒を感じたのを思い出した。まるで、野生の動物とうっかり目が合ってしまった時のような感覚を。
ふるりと肩を震わせると、侍女たちは足早に貴賓室の並ぶエリアから立ち去った。
※※※
小鳥の囀りや木々の騒めきが聞こえる程辺りが静まり返ったのを見計らい、アーリアはホッと息を吐く。
領主官邸に世話になってから数週間。自分の存在をよく思わない者がいる事には気づいていたが、こうもあからさまな態度を隠さぬ侍女がいる事には驚きを隠せない。
しかしよく考えれば驚くには値しない。
ここは良くも悪くも貴族の巣窟。
アルカード領主の為に集められた執事侍女侍従使用人など、百人以上がそれぞれ己に与えられた仕事に従事している。
使用人には平民から登用された者が大半ながら、貴族から登用された執事や侍女侍従が領主の身の回りに配置されている。貴族と対面する機会が増える為、その対応が可能な者を当てているのだ。
貴族だからと誰もが寝て暮らせるだけの財がある訳ではない。
領地を持つ貴族はその財を領地収入で得ているが、それこそ領内を富ませなければ税収はままならない。領地を持たぬ貴族であれば、身を粉にして国の為に働かねばならないのだ。
貴族令嬢はより自家を繁栄させる為に政略結婚の道具となり得る。血を残すだけの道具と思われるだろうが、実際に求められる資質はそれだけに留まらない。
主人を支え、後継者を産み育て、家の為、領民の為、国の為に貢献せねばならない。それには無学ではあり得ない。
だからこそ、システィナでは教育に重きを置いている。
貴族たちは義務教育を受ける必要があり、義務課程を修了して始めて成人貴族と認められる。義務課程の初等部、中等部がこれに当たる。高等部以降はそれぞれ家の意向がある為、官僚を目指す者は更に勉学に励み、また見識を広める為に留学し、次期領主として学び、騎士を、魔術士魔導士を目指して励むのだが、中には政略結婚の対象である女性には学問は不要とし、女性教育を価値のない物と見做す者もおり、昨今の問題として議会にも取り上げられている。
そして、教育の機会は平民にも等しくある。
平民には読み書き算盤を中心とした義務課程が備えられている。初等教育六年間を義務教育とし、無償で教育の機会が与えられているのだが、それもまた裕福な家庭のみの特権になっている実情では、国民皆平等にとはいかぬ現実があった。
魔術が一般家庭にまで浸透しているシスティナであればこそ、平民の中にも優秀な者が現れる可能性があり、実際、平民から大魔導士として名を馳せた者も過去より幾人も存在する。その者たちにより齎された魔術、そして魔宝具は、近年までシスティナの生活を支えて、根付いているのだが、そうであっても貴族の中には平時使用している魔宝具が誰により齎されたかも知らずに平民を嘲笑う者も少なくない。
魔術を、そして魔宝具を扱うからこそ必要な道徳教育も、建国から350年を数え薄れ始めている。その末にあるかも知れない未来を予測する現王宮は、道徳教育の薄れをこそ最も危惧していた。
アーリアは平民の出ではあるが、幼い頃より師匠からの教育を受け、また義務教育にも通い、優秀な成績を修めてきた。平民にしては珍しく中等教育まで進み、その間に高等部までの学業をも修めた。
師匠の下には平民から貴族まで、身分を問わず様々な人物が師事し、その者らは一番歳下の彼女を妹の様に可愛がり、そして聞かれる事、問われる事には全て応えてきた。
魔術の原理をと問われれば即座に講じ、魔宝具の原料は何かと問われれば共に狩りに出かけ、それぞれがアーリアの知識欲を満たす為に与え続けた。
そうして誕生したのが、国内で五指とない等級9という魔導士である。
乾いたスポンジのようにスルスルと吸収する逸材は大化けしたが、それは妹弟子可愛さに何でも与え過ぎた結果であり、ある意味当然の結果でしかない。
侍女たちの足音が消え気配がなくなったのを見計らい、アーリアは窓の外を左から右へと通り過ぎていく白い鳥を見送ると、さて、と目線を下ろした。
アーリアは賓客室のある階へと向かう階段を上がったすぐ側の壁を背にしゃがみ込んでいた。
無駄にスキルを使用して壁と同化していたので、魔術の素養に薄い侍女二人は、擬態しているアーリアには全く気づかず目の前を通り過ぎていった。
「……アレはナイわねぇ。白と黒のコントラストのはっきりした服装は一見すると禁欲的に見えるケド、いかんせん化粧が濃いわ。爪にも紅粉が塗られているし、白い指はまるで白魚って言えば聞こえが良いけど、要するに全く荒れているように見えないもの。誰かに仕事押し付けてるんじゃないのかしら?」
「下位のメイドあたりに、という話もあり得なくはないかな」
「十分あり得るわ!システィナじゃ正式に成人と認められるのは十八だと聞いたけど、社交界デビューは確か十六だったかしら?いくら若いと言っても、社会に出てるのだったら、もう少し分別は持つべきじゃないかしら」
私もそう思う。と頷いた所で、アーリアはハタと気づいた。先程から誰と会話しているのだろうか。
忘れ物を取りに戻り、自分の悪口を堂々と口にする侍女たちをやり過ごす為に一人壁と同化していたアーリアに、壁仲間はいない。
そろそろリュゼが心配して戻ってくるかもとは思ったが、声の主はリュゼではない。というか、このような艶めかしいテノールボイスを話す人物を、アーリアは一人しか知らなかった。
「……アリス先生?」
「ハァイ!お久しぶりね、元気してた?」
声の方へと首を向ければ、そこにはアーリアと同じようにしゃがみ込み、首を傾げる傾城級の美女がいた。
淡い金の髪は絹の如き滑らかさがあり、薄青の瞳は早朝の湖面の如き清らかがある。鼻から目にかけての柳眉はこれ以上ない程に整っている。まるでよく出来た人形か絵画だ。見慣れていた筈の美貌には磨きがかかっており、思わず目がチカチカした。
アーリアが驚きのあまり「なんでココに?」と漏らせば、アリスは「アナタを迎えに来たこよぉ」と白魚の手を差し出した。
アーリアがその手を取れば、アリスはアーリアを優雅にエスコートして立ち上がらせた。その所作は正に王子然としている。
「ご、ご無沙汰しております、イリスティアン殿下」
「久しいな、アーリア。息災そうで何よりだ」
治療士アリスこと、ライザタニア国第一王子イリスティアン殿下は白地に金糸で刺繍を施された如何にも高級そうな出立ちをしている。それこそ、イリスティアン殿下がライザタニアの王子としてシスティナを訪れている証拠。
アーリアは慌てて淑女の礼を執れば、イリスティアンもまた王子としての微笑で応えた。
イリスティアン殿下の後ろで筋肉隆々たる細面の紳士が頭を下げる。ライザタニア滞在中には然程関わりがなかったが、その顔は覚えていた。
「お久しぶりでございます、シュバーン将軍」
「姫もお変わりないようで、安心致しました」
シュバーン将軍の愛刀が両の腰でガチャリと音を鳴らす。
イリスティアン殿下の腹心の一人、シュバーン将軍はその切れ長の瞳で油断なく周囲を見渡すと、最後にはその視線をアーリアの背後へ定めた。
振り向かずとも分かる。この優しい気配と柑橘の香りは、彼しかいない。
リュゼはアーリアの顔を覗くとニコリと笑い、「大丈夫?ビックリしたでしょ?」と言葉をかける。それにアーリアはコクコクと頷くとイリスティアン殿下から半歩離れた。
「イリスティアン殿下、ご用意整いましてございます。大会議室へご移動ください」
廊下の一所にかたまる来賓たちを前に、式部官であろうアルカード領主官官吏が怪訝さをおくびにも出さずに告げた。
イリスティアン殿下はそれに一つ頷くと、さぁと再びアーリアへと手を差し出した。
「参りましょう」
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『妖精の国の王子と爵位1』をお送りしました。
麗しの治療士が麗しの王子として凱旋訪問を果たしました。
隣国の第一王子がスパイの真似事などしていたとは、勿論内密になっています。魅惑のオネェから美貌王子にシフトチェンジしているので、纏う雰囲気が違いすぎて気づかない者が殆どです。
次話『妖精の国の王子と爵位2』も是非ご覧ください。




