※裏舞台1※甘やかな魔術指南
「……ね、ねぇリュゼ、本当にこのままするの?」
「良いじゃん。もともとアーリアが乗ってきたんだし」
「そ、そぅだけど……」
アーリアはか細い声で答えながらも、羞恥で身悶えそうになるのをぐっと我慢した。
一方リュゼはいつになく上機嫌で、アーリアが恥ずかし気に俯いたり目を逸らしたりするのを楽しんでいる。
現在、アーリアのいる場所はリュゼの膝の上。お姫様抱っこをされた時の様な横抱きの姿勢で、互いに顔を寄せ合っている。加えて、リュゼの腕ががっちりと腰に回っていて、逃げられそうにない。
なぜ、こんな状況になっているのかと言えば、アーリアの天然が齎したものであった。
ーー遡る事、10分前。
魔術には命中率というのがある。魔術の構築しただけでは術が発動しないのと同様に、魔力を込め術の行く先を決めなければ放たれない。
目標となるのは人であったり物であったりするが、目標の目の前で手当を施す治癒魔術とは違い、攻撃魔術は目標となるものがその場に留まっているとは限らない。人であれ動物であれ魔物であれ、攻撃対象はそのものの意思で動くので、当てようとするなら命中させなければならない。
そこで必要となってくるのが命中率の向上である。
普通、術者は目標となるものを目で視認する。
相手までの距離を目測し、おおよその距離を測るのだが、目測はあくまでも『およそ』でしか判断できないので、目測が甘ければ相手まで届かず不発に終わってしまうのは考えずとも分かるだろう。
命中率を上げる為の訓練を行う。動いている飛んでいるものを狙い、何度も魔術を打ち込むのだ。
その過程で目測がより本来の距離と近づき、命中率も上がるのだが、そもそも目標までの距離が正確に分かるとしたら、目測などに頼る必要はなくなってくるというのがアーリアの自論であった。
「え、何て?『器官』?」
「うん、リュゼは聞いたことない?」
何の変哲もない会話の最中、素っ頓狂な声をあげたのは、『東の塔の魔女』たるアーリアの専属護衛騎士を務める唯一の男、リュゼであった。
その日、リュゼはアーリアと共に騎士たちの訓練を見学し、その流れで帰宅した領主官邸の賓客室にて、騎士たちの使う魔術の精度について話していた。
騎士たちは普段、剣や槍、弓といった武器を扱うが、中には魔術をも取り入れた戦いをする者もいる。
片手に剣を、もう片手に魔術を放ち、相手を牽制、または倒す戦法をとる者。そういった戦い方をする騎士を目にしたアーリアは、ごく単純な疑問を得た。
「今日見た騎士たちの魔術、すごく精度が低かったよね?牽制にはあれで良いのかも知れないけど、命中させたいならあれでは当たらないなぁって思って」
馬上で剣を振るう騎士たちの姿は圧巻だった。
しかし、魔術を使った牽制はイマイチに思えた。
「ただでさえ馬上は不安定になるから剣を振るうのにも訓練が必要だろうし、なら尚更魔術を使う時に『宝珠器官』を使えば良いのにって思ったんだけど……」
剣技に関して、素人以前の自分がどうこう思う事はない。しかし、魔術なら、そのお粗末さが一目で分かる。こう見えても、魔術に関して一流の知識を学んできたのだ。
「え?ホウジュ、キカン?『宝珠器官』?んー、あー、聞いたことあるかも。あれ、あれだよね。脳のここんとこにあるっていう、狙いをつける時に目測プラスで測る為の、機能?的な……」
「そうそれ。なんかね、騎士たちの魔術があまりに命中率が悪いからなんでだろうなぁって考えていたんだけど、どうも『器官』を使ってないんじゃないかって結論に達して……」
互いに馬上同士であれあの距離で外すのは、逆に難しい気がする。そう思うのは、アーリアが魔導士として優秀な所以なのだが、この際、リュゼはその事を棚にあげた。
「あー、確かにそうかも。僕にもあれは目測もそこそこに適当に放ってるように見えたかな」
「でしょう?あ、もしかしてあれってワザとだったのかな?」
「牽制目的なら命中させる必要もないけど、ミシェルのアレは本気で当てようとして外していたからね。単純に命中率が悪いんじゃないかな?」
騎士団一のお調子者ことミシェルの対戦相手は、ライザタニア軍一のお調子者セイであった。
セイは『東の塔の騎士団』としてあった時から若手ながらに腕の立つ騎士だと認められていたくらいで、身バレしてからは偽装する必要がなくなった事もあり、近頃は本来の力を少しずつ見せるようになった。
ああ見えてセイはライザタニア軍に所属する工作部隊の隊員。しかも黒竜の亜人でもあり、長命長寿で身体も頑丈、そして何より長年軍務に就いているので必然的に手練れである。
剣から短剣から長剣、片手剣まで、槍なら短槍から長槍まで、また弓矢もそこそこ扱える。そして魔法や魔術にも耐性がある。言うならば、歴戦の猛者と言っても過言ではない。
ミシェルも『塔の騎士団』の騎士に選ばれる程には能力があるが、それでも若手の域を出ない。セイとの対戦は手に余るだろう。
「『器官』を使えば命中率を上げられるのに……」
唇を尖らせるアーリアにリュゼは苦笑する。
アーリアの言わんとする事も分かるが、そもそも『宝珠器官』なるものを理解し、使い熟している者が、このシスティナにどれ程いるだろうかと。
「アーリア。多分その『器官』ってのを知らない人が殆どなんじゃないかな」
促されるままに上着を老侍女に手渡し、長椅子に腰掛けたアーリアが「え?」とリュゼを見上げた。
「私はお師さまに習ったからこれが普通だって思っていたんだけど、もしかして一般常識じゃないの?」
キョトンとした表情で頭に疑問符を浮かべたまま頭を悩ませる。
その間にも老侍女がテキパキと身の回りを世話していく。机の上には温かな紅茶とお茶請けのお菓子を置き、ティーポットを準備したところで一礼して部屋を去っていく。さすが元公爵家の侍女だ。
「そう言えば、リュゼは誰に習ったの?」
「あー、ちょっと魔術に詳しい、魔導士に……」
僅かに目線を晒したリュゼだが、焼き菓子に手を伸ばしていたアーリアはリュゼの不審な言動には気づかず、「じゃあ、知ってる人は知ってるのね?」と一人納得していた。
リュゼは「かもね」と生返事。アーリアから座って休むように促され、頬をポリポリ掻きつつアーリアの向かいへと腰を下ろした。
老侍女は言わずともリュゼの分もカップを用意しており、リュゼは息吐くようにカップに手をつけた。
「リュゼはいつもどうしてる?」
「どうって狙いをつける時?そうだなぁ、目測半分ってトコかな」
「目が良いんだね、狙いが正解だもん。私なんて『器官』に頼りすぎている所があるから、自分の足下が疎かになる時があって」
生来より盲目であったアーリアにとって、物心つく頃より使ってきたスキル『探査』や『宝珠器官』を使うより、実際に目を使った目測の方が難しい。その為、どうしても目測するよりも先に『器官』が反応する。
『宝珠器官』とはこの世界の人間の脳に備わっている距離の測定器ーーレーダーのような物で、目標までの距離を目測以上に正確に測る。上下左右を等間隔で区切り目標を察知、熱源を探査して、目標を定めるのだ。
魔術を扱う事のできる者には必然的に備わっている能力であり、精度はその機関を意識して使うか無意識に使うかの差でもある。
「え、あれってそういう??」
「あー……うん……」
よく何もない所でつまづいたり魔術を扱った後に無防備な状態となるのは、器官に頼りすぎているからだと知り、リュゼは「へー、ただ単にトロイだけじゃなかったんだ?」と口に出してしまい、途端顰めっ面になったアーリアは腕を振り上げ叩くフリをした。
「ごめんって。じゃあさ、その『器官』の使い方、僕にもう一度教えてくれない?」
「勿論良いけど、リュゼは使い方を知っているんだよね?」
「まぁね。でもあれ、使うのが難しいんだよねえ。それに知ってるのと使い熟してるのは違うじゃない?だからさ。ね、お願い」
ね?と手を合わせてお願いされ、アーリアは素直にうんと頷いた。
いつも世話になっているリュゼからお願いされて拒否する内容ではない。そもそも門外不出の技でも知識でもないのだ。師匠からも何も言われていない。教えたからと咎められる事はないだろう。
「じゃあ、基礎の《光ノ玉》から」
「分かった。僕はどうすれば良い?普通に構成して見せれば良いのかな?」
「そうだね。じゃあーー」
と言ってアーリアは立ち上がると、ローテーブルをぐるりと周り、リュゼの隣に腰を下ろす。そして、驚くリュゼに気づかないままにリュゼの手を取るとーー
「いいよ。構成から発動まで一通りしてみて?」
無垢な顔をしてリュゼを見上げた。
「?? リュゼ?」
「っ、い、やっ、そのっ……」
「どうしたの? え、もしかして熱があるの?」
空いた手で顔半分を隠したリュゼだが、見える頬や耳が赤い。いつもとは様子の違うリュゼの様子に、アーリアはハッとして、リュゼの手を自らの頬に押し付けた。
「熱っ!やっぱり熱があるんじゃない?」
「いやっ、これは熱じゃないからっ!大丈夫大丈夫!気にしないでっ」
「ホントに?」
「ホントホント」
今すぐにでも医師を呼ぼうと立ち上がりかけたアーリアをリュゼの手が掴んで止めた。そしてパタパタと手を振って否定するが、アーリアはまだ眉を下げたままリュゼを凝視している。
「本当に大丈夫だって。ちょっと、その、部屋が暑かっただけだからさっ!アハハ」
「そう?なら良いけど、辛かったらすぐ言ってね?」
まさかアーリアからこれ程近づかれた、彼女の芳しい匂いや手の柔らかさにドキドキしたなどとは言えない。
かねてからアーリアを女性として好ましく想い、恋愛感情にも気づいていたリュゼだが、アーリアと離れ離されていた期間に、よりその想いが大きくなっている。
また、ルイスに思いの丈を話した事により想いを増長させる事になり、今では初心な青少年のように、アーリアが近くにいるだけでドキドキとしてしまう事があった。何の冗談だと自分でも思うが、自分の感情なのにどうにもできない。
偽装工作としての恋人のフリや、ほんの冗談でアーリアを揶揄うのは自分の意思でなんとかできるが、不意にアーリアから迫られるともうダメで、勝手に身体が熱ってきてしまうのだ。
「じゃあリュゼ、《光ノ玉》をお願いできる?」
「オーケー」
「光属性の魔術方陣を基に威力と効力、効果時間を記載。扱う魔力の量を定めたら効果範囲を設定して……目標はそうだな、あのシャンデリアを目当てに目測してみて?」
リュゼは言われた通りに構成すると、目視でシャンデリアを捉え、目測で3メートル50センチくらいかと距離を捉えた。
「今、目視したよね?大体どれくらいだと見当つけた?」
「およそ3メートル50センチってところかな」
「おしい、やっぱりすごいねリュゼは!じゃあ、ここで『器官』を使ってみよっ」
「了解。えっと、確か額の中心に意識を向けるんだっけ?」
リュゼは以前、とある変態魔導士に教わった事を思い出し、額の中心に意識を集中させた。が、これが中々に難しい。
『宝珠器官』とは脳の中に存在するというが、その実アストラルに存在し、また日常的に使う場所でもない。計算する時に左脳を、本を読む時に右脳をといったように、脳を意識的に使う事がないように、使おうと思って使えるものではないのだ。
リュゼはまだ十にも満たない子どもに対して『何故出来ない?教えた通りするだけだ』、『こんな簡単な事すらできないのか?』等と冷ややかな目を向けて来た変態魔導士の事を思い出した。あれはどう考えても、教える方にも問題があったに違いない。
「……。なんか、これってのは分かるんだけど、いま一つピンと来ないんだよねぇ……」
意識すると額のは辺りにモヤっとするものがある。だが、それ以上どうする事もできない。
「じゃあ私がフォローするね。手をーーううん、こうする方が良いかな」
言うなり、アーリアは目を瞑り集中していたリュゼの膝に手を着き、ピタリとリュゼの額に自分の額をくっつけた。
「え……?! なっ……!!!?」
触れた皮膚を通してアーリアの冷たくも温かい体温が伝わってくる。さらりとした流水のような柔らかな髪が頬を擽り、石鹸のような甘やかな香りが鼻腔を通り抜けていく。
「ほら、これが『宝珠器官』だよ」
額がピリリと刺激を受け、瞼の裏側に映像が投射される。スキル《探査》を使った時の感覚に似たそれは、恐ろしく精度の良いメジャーといった感じだ。
水平にはしる線が縦横に垂直に交わり、一マス区切りに長さを調整、目標までの長さを測る事ができる。
「どう?使えそう?」
「っぁ、そ、…………」
「もう!リュゼ、集中して」
「っ〜〜〜〜!?」
ー無茶言うな!ー
この状況でどうやって集中できると言うのか。
目の前には好きで好きでどうしようもない女性がいて、しかもその女性は無自覚な色気もそのままに身体を引っ付けてくるのだ。
押し付けられた身体はどこもかしこも柔らかく、否応にも女を感じさせる。にも関わらず、彼女はそれを自覚していない。
自身が他者から、特に異性からどう思われているのか分かっていない。しかも、他者との距離の取り方や向けられる感情などには鈍感で、人と距離を取りたがるのに、こうして一度信頼した人間には無防備に触れてくるのだから、リュゼからすれば「勘弁してくれ」という気持ちになる。
「ね、どう、感覚掴めそうかな?」
「ちょっ、待って、少し落ち着くからっ……!」
鼻と鼻が触れそうな距離でアーリアが呟く。『宝珠器官』を作動させ、アストラルを通じてリュゼに投影させている都合上、目を閉じたままだ。
驚きのあまり目を開けてしまったリュゼは、あまりに近さにヒュッと息を飲んだ。
少し、ほんの少し近づけば、唇が触れる。
柔らかで、瑞々しい、苺のような甘さのある唇に。
互いの吐息が、頬に、唇に触れていく、その仄かな熱に、気が狂いそうなほど、頭に血が昇っていく。
ーーヤバイ。
リュゼは今にも切れそうになる理性の糸を、必死に手繰り寄せた。
今ここで、彼女を、傷つける訳にはいかない。
「ッハァッ!」
詰めていた息を吐くと、一度アーリアの額からーー身体を離した。アーリアの頬に手を触れ、肩を押して、そっと。
すると、アーリアは閉じていた瞳を開けて不思議そうにリュゼを見つめた。
「リュゼ?」
いつの間にか自分の膝に乗り上げていたアーリアがキョトンと頭を傾ける様に、またリュゼはと深い溜息を吐く。ここまで気を許すのは、きっと家族意外に自分しかいない。そしてこの無自覚さが、今は本当に辛い。
「……アーリアって時々大胆になるよね?」
「え?」
「アーリアのえっち」
「へ? あっ、ええっ!?」
そこでやっとアーリアは魔術を教える為とはいえ、リュゼの身体に乗り上げるといった普段はしないような行動に出ていた事に気づいた。
慌てて飛び退こうとしたアーリアだが、リュゼの回した手が腰をガッチリと支えていて、降りる事が叶わない。
「ご、ごめん。掌から魔力を流しても良かったんだけど、こうした方がずっとよく分かるかなって……!お、重かったよね?ごめん、すぐ降りるからっ」
アーリアはリュゼに言われた「えっち」という意味を考える前に平謝りするが、リュゼは先程とは打って変わって余裕の表情で「ふぅん?」と笑うのみ。
「ごめんね?」
「僕はいつでも大歓迎だよ。でもねーー……」
リュゼの顔が近づく。アーリアの顔を覗き込み、
「僕以外にはしちゃダメ。いい?約束だよ」
吐息と共に耳元で囁き、そのままカプリと耳朶を食んだ。
「ぃぅっーーーー!!」
ぞくっと甘い震えが首筋から頭の先へ、背中から足の指先まで一瞬で伝わっていく。同時にぶわりと顔が火照り、耳の先まで真っ赤に染まる。
アーリアは声にならない悲鳴をあげると、両手で口と耳を同時に覆った。
今、悲鳴をあげては、廊下の騎士たちを呼び寄せてしまう。そうしたら、まるでリュゼに抱きつき、抱き合っているような格好を見られてしまうではないか。
それだけは阻止しなければ。恥ずかしくて死んでしまう!
「ふふっ可愛い」
真っ赤になって震えるアーリアにリュゼはすっかりいつもの調子を取り戻し、余裕の笑みを浮かべる。
アーリアは先程の大胆さが嘘のように黙り込み、羞恥心に震えながらリュゼを睨みつけた。
「リュゼのイジワル」
「知ってる」
リュゼは涙目のアーリアの頬を撫でると、髪を指で梳き、真っ赤な耳へかける。そしてーー
「ね、アーリア。さっきの続きしよ?」
ーーと、砂糖菓子より甘く囁いた。
ブックマーク登録、感想、評価などありがとうございます!励みになりますヽ(´▽`)/
『裏舞台1甘やかな魔術指南』をお送りしました。
アーリア自身、幼い頃、アーリアの姉や兄、そして師匠の膝に座って教えてもらっていたので、リュゼに対してもそうしたのですが、それが家族以外の相手にどう思われてるかなど考えてはいませんでした。
因みにこの後、ナイルも『宝珠器官』についての手解きを受けました。勿論、適切な距離と方法で。
それでも、ナイルはその指南方法にドギマギしたとかしなかったとか……
次話も是非ご覧ください!




