華やかなる社交術1
コーネリア・フィア・パリステアは由緒ある侯爵家の長男で、生まれながらに期待を背負って生きていた。
しかしながら、普通ならプレッシャーになるその期待は、コーネリアにとってどうというものではなかった。
コーネリアは実に器用な男で、勉学運動共に優秀な成績を修めていたし、華やかさこそ足りないものの一般的には容姿端麗で、口先もたつものだから、女に不自由した事もない。
そんな彼が初めての屈辱を味わう原因ーー宿敵に出会ったのは、王都にある学園、その中等部へ入学し三月が過ぎた頃であった。
入学してから初めての試験。その結果が張り出されたその日、コーネリアは掲示板を見て、初めはまぁこんなものかと納得した。
コーネリアはほどほどに出来るというだけで、秀才ではない。その自覚もあった。だからと、他人と比べて見劣りする訳でもない。
座学では上から数えられる位置にいたし、剣技を含む体術の成績もそう悪くなかった。優れた文官にもなれるし、何なら騎士にだってなれるだろう。
どちらの道を行くも自由で、そして自分には選ぶ権利も与えられている。
どのみち長男たる自分は侯爵家を継ぐ事になっているし、その道は盤石だ。このまま待てば順当に転がり込んでくる。
学生の内は大人しく過ごし、ハメを外してバカな事さえしなければいい。爵位に金、容姿に才能、どれもが揃っているのだ。これでは、バカのしようもない。
だが、それもある男に出会った事で、自分の中の価値観がガラガラ音を立てて崩れ去っていく事になる。
「主席はアルヴァンド殿か」
「さすがだな」
隣で掲示板を見ていた男子生徒の声に、コーネリアは視界を上げた。
確かに座学の主席にアルヴァンドの名がある。
驚いたのは、その名が体術の欄の頂点にもある事だ。
『カイネクリフ・フォン・アルヴァンド』
名だけは聞いたことがある。
アルヴァンド家の寵児だと。
クラスの女たちが騒いでいた。
話によれば、カイネクリフはアルヴァンド家直系ではあるのものの、傍流となるのが決定しているそうだ。
カイネクリフの父親が現アルヴァンド家当主の弟にあたり、近々分家を興す事になっていた。
公爵から順公爵へ移り、将来的には伯爵と爵位を下げる。必然的に王宮での立場も一段と落ちる。
カイネクリフ・フォート・アルヴァニスタと名を変える、今は未だアルヴァンド家の男。
将来的に侯爵家当主となる自分と伯爵家当主となる彼。どちらが上かは明白だ。いくら学業で良い成績を残そうと、最終的には爵位がものをいうのだ。
何を気にする事がある? 彼は自分の相手ではないし、こちらからわざわざ関わる事はないだろう。
そうして放っておいたウワサ。
だが、ウワサとは、本人の意思に関係なく耳へ入るものでーー
「ごめんなさい。私、カイネクリフ様と踊る約束をしているの」
正直、断られるとは思っていなかった。
互いに婚約者はいなかったし、自分と話している彼女は満更でもない顔をしていたから。
再び「ごめんなさい」と頭を下げる彼女に、正直、苛立ちを覚えたが、立場もある。「気にしないでくれ」と軽く返したが、内心これほど面白くない事はない。
しかし、所詮は学院のダンスパーティーだ。
社交界デビューの練習だと言っていい。
パートナーを伴わずに参加する者も少なくない。
クラスの友と参加しようかとも考えたが、結局コーネリアは適当な女を伴ってパーティーへ参加した。
すると、どうであろう。
一人で参加していた方がまだマシだという目に遭ったのだ!
「何だあれは……!?」
会場を埋め尽くす人の中に、明らかにおかしな集団があった。
黄色い声をあげて騒ぐ複数の女生徒。
その中心となっているのは、一人の男子生徒だった。
煌めく金の髪。空の様に澄んだ青い瞳。整った眉。切れ長の瞳。鼻筋はすっと通り、薄い唇には二分の笑みが浮かぶ。
それはまるで子ども向けの絵本や流行りのライトノベルに登場する『王子様』。リアルでお目にかかるなど、なかなかにない。
今はまだ幼さを残す美少年だが、数年も経てば甘い微笑みを浮かべる美青年となり、リアル王子様を体現するだろう。
「やぁレベッカ嬢、今日は一際美しい装いだね? 流行りのマダムリリスの作かな?」
「まぁカイネクリフ様ったら!よくご存知ね?」
「リアーナ嬢は髪色を変えたんだね。よく似合っているよ」
「うふふ、ありがとうございます」
「ティナ嬢、そのリップ、とても可愛いね。キスしたいくらいだ」
「きゃあ!そんな、キスだなんてっ」
「ソフィ嬢、君の柔らかそうな耳に揺れる真珠が羨ましいよ。私も触っていいかな?」
カイネクリフと呼ばれた男子生徒は令嬢一人ひとりの名を呼んで、彼女たちの美しさを讃えている。
今日の為に粧し込んできた令嬢たちは、カイネクリフの世辞に頬をバラの様に染めている。
ともすれば歯の浮きそうなセリフばかりだが、それが様になって、ちっとも嫌味に聞こえない。そればかりか、令嬢たちはカイネクリフの言葉に酔いしれているではないか。
「まぁ!カイネクリフ様だわ。今日も麗しくいらっしゃる」
複数の令嬢を伴う行為は破廉恥で、本当なら咎められる行為なのだが、それを責める者はこの場にない。
男子生徒は苦々しくするばかりだし、女生徒に至っては羨ましげに溜息を吐いて眺めている。
ふと見れば、伴ってきた令嬢ですら、パートナーである自分ではなくカイネクリフを見て頬を染めているではないか。
暫くは唖然としていたコーネリアだったが、はっと現実に帰るなり、ふつふつと怒りが湧いて来た。
「おい、君。不誠実じゃないか?」
いつの間にか、両手に花どころか花束のように令嬢たちに囲まれているカイネクリフに向かい、コーネリアは声をあげていた。
「えっと誰かな? 名乗りを受けても?」
「コーネリア・フィア・パリステアだ。令嬢を複数伴うなど、ルールに悖るとは思わないのか?令嬢たちにも失礼だろう?」
「私はカイネクリフ・フォン・アルヴァンド。といっても、私の名乗りは必要ないみたいだね。君の言い分は最もだけど、私には彼女たちを蔑ろにしているつもりはないよ」
「何だと!?」
「嘘だと思うならば聞いてみようか。ーーレベッカ嬢、私は君に何か失礼な事をしたかな?」
カイネクリフの問いかけに、カイネクリフの左の腕に腕を絡ませていた赤毛の女生徒は、キッと突き上げた眉尻でコーネリアを見上げてきた。
「パリステア様。カイネクリフ様は何も私たちに失礼など働いていないわ。失礼なのは貴方の方よ」
「は? なぜ私が失礼なんだ!?」
「だって、私たちの楽しいひと時を邪魔しているのよ。これが失礼でなくて何と言うの?」
レベッカ嬢の言葉に他の令嬢たちも、そうだそうだと声を上げる。
「可笑しいだろ!?カイネクリフ卿は、君たち一人ひとりを蔑ろにしているじゃないか?」
「違うわ!カイネクリフ様は私たちのワガママに付き合ってくださっているのよ」
擁護しているつもりが、何故か非難を受けている。
訳がわからないとコーネリアは頭を振った。
「私たちの方が無理を言ってカイネクリフ様のパートナーをお願いしたのよ。カイネクリフ様はこの中から一人だけを選ぶ事はできないと断られたのに」
「は?」
「だから、この状況は私たちが望んだものだと言っているのよ!」
俄かに信じられない言葉に、状況に、コーネリアの頭を爆発しそうだった。
令嬢たちが望んでいる?
この状況を?
男一人に対して複数の令嬢を伴う行為が?
「不誠実にも程があるだろう!?」
怒髪天を突いたコーネリアの叫びがシャンデリアを揺らす。
「何よ?どこが不誠実なの!?」
「カイネクリフ様を悪く言わないで!」
「何も知らないくせに偉そうに!何様のつもり?」
「あなた、私がパートナーを断ったから、だからこんな嫌味を言うのね?」
「まぁ!嫉妬なさっておいでなのかしら?」
一人では怖くて声があげられなくとも、複数ならば怖くはない。令嬢たちは口々に避難を続ける。
他人目が多くある場所で、これ以上目立つのは悪手ではあるものの、このまますごすごと引き返すのはプライドが許さない。
自分は何も可笑しな事は言っていないという自信があるのだが、どう言う訳か令嬢たちには常識が通じない。初めはコーネリアを擁護する姿勢を見せていた男子生徒たちは、女生徒の言葉に押されて黙り切っている。
奥歯を強く噛んだコーネリアの視界を横切り、一人の男子生徒がカイネクリフの下へと歩み寄った。
「あぁ。騒ぎを起こしていたのは、やはり君でしたか」
騒ぎに巻き込まれたくないと遠巻きに近寄らない生徒が大多数の中、その男子生徒はカイネクリフへ近づく。
「やあアーネスト!君も来ていたのか」
「ええまあ。君の様に多くの花を伴ってはいませんがね。参加の仕方は人それぞれですよ」
アーネストと呼ばれた男子生徒は、長い小麦の髪を肩から背中へ流しつつ、銀の眼鏡を押さえている。
年頃は同程度。まだ幼さを残す優しい面立ちは中性的で口元には笑みを浮かべているが、口調にはどこか棘がある。
アーネストの言う通り、パーティーへの参加は義務ではない。
勉学を優先する者、帰郷している者、体調の優れない者、進路でパーティーどころでない者など、不参加の者もそこそこおり、その中で時間の余裕があり、社交を大切に思う者は参加している。
社交界デビューの練習とでも考えれば良い。
結局、16歳になれば社交界デビューが待っているのだ。急いで参加する必要もないと参加を見送る者もいる。
アルコール類は緩いものに限られるし、必ずしも飲む必要もない。だから、アルコールに酔って問題を起こす事はない。安心安全、セーフティの効いた社交の場。それがこのパーティーなのだ。だが……
「君はよくよく問題を起こしますね?」
「不可抗力さ!私は望んで起こしてはいないよ」
「望んでなくとも、原因は君ですよ。ーーさぁお嬢様方、彼を少し私に貸してください。心配せずとも、少しの時間でお返ししますよ」
アーネストはカイネクリフの周囲へ視線を向け、ニッコリと笑った。女生徒たちは一度はカイネクリフへ視線を投げたものの、「アーネスト様が言うのなら」とカイネクリフを置いて退がっていく。
「さ、行きますよ」
「はいはい」
アーネストはまるでカイネクリフの手綱を引く様に人混みから彼を連れ出した。そして、コーネリアの横を通り越す時、「君も、これに懲りたらくれぐれも彼に突っかからないように」と釘を刺し、加えて、「彼には私からも言っておきますから」と言葉を添えて離れて行った。
そんな事があってからも、コーネリアのカイネクリフへの当たりは緩まる事はなかった。
もう二度と関わるまいと思ったが、何故か一度目につくと何度でも視界に入るもので、コーネリアは度々カイネクリフの破天荒とも言える行動を目にする事になる。
後から聞いたが、カイネクリフを連れて行ったのは同学年のアーネストという、所謂、カイネクリフのお世話係らしい。
あれからも『カイネクリフが起こすイザコザを収めるアーネスト』という図を幾度か見た。
アーネスト自身、カイネクリフと十把一絡げにされるのには快く思ってはいないようだったが、彼以外の適任者はこの学院にいないようだ。
また、アーネストもカイネクリフに劣らず優秀で、常に学年の二番手ーー勿論一番はカイネクリフだーーに収まっていた。
「ごめんなさい。わたし、カイネクリフ様をお慕いしているの」
ーーというセリフを、学園卒業までに何度聞いただろうか。
その度コーネリアは、『あの浮気男の何処が良いんだ!?』と憤った。世の中の女はほとほと見た目を重視するものだと呆れもした。
コーネリアとて努力しなかった訳ではない。
ほどほどだった学業は上位に押し上げたし、体術や剣術にも力を入れた。何より『爵位だけの男』と言われるのは我慢ならなかった。特に、あの男と比べられてはかなわない。
そうして学院を卒業し、社交界デビューを果たしたコーネリアの周囲には、男も女も集まる様になった。
金と爵位目立ての者もいたが、コーネリア本人を見て集まる者もあった。
社会に出てからは、金も爵位も意味をなさない場面に遭遇し、つくづく学園でハメを外さず学業に身を入れておいて良かったと感じた。ーーが、一方で物足りなさも感じた。何故なら、視界の端に常に横切るあの男の存在があったからだ。
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『華やかなる社交術1』をお送りしました。
若き日の南都領主コーネリアと東都領主カイネクリフとの出会い。真面目な青年はどのようにして現在の性質を持つに至ったのでしょうか?
次話『華やかなる社交術2』もぜひご覧ください!




