謎の戦士と抗議
「おおっ、なんと美しい花たちだろうか!」
明るい高らかな男の声音。
現れたのは赤と白、重ねた布を肩から流す異国の衣服を纏った男だった。
歳の頃は二十代前半。褐色の肌に輝く金の髪。サイドは刈り上げ、一部伸ばした髪は結われて肩へ流されている。眉目秀麗。鼻が高く、目は彫り深い。瞳はガーネットの赤だ。髪と目だけみればライザタニア王アレクサンドルと配色は同じだが、色味は全体的に濃く、受ける印象はまるで違った。
男はまるで歌劇の一幕の様に大仰に扉から現れると、大股でアーリアとエイシャの前まで進み出た。そして男は腕を振り上げ振り下げ胸に置きーー
「太陽神アッラーよ、素晴らしき日に感謝致します!」
ーー見ず知らずの神に感謝を述べ、男はアーリアとエイシャ、同時に二人の手を取り跪いた。そのまま流れる動作で2人の手の甲へ交互に唇を落とす。
無言で顔を顰めるのを我慢するアーリアと、まぁ!と頬を染めるエイシャ。二人の魔女の対応は天と地ほどだ。
「これはアズライト殿、待たせてしまったか?」
「気にしないでくれ、私が早く着いたんだ。こちらに麗しい花たちがいると聞いてね」
気が急いてしまったんだ、と男はアーリアとエイシャ二人に向けてウィンクを飛ばす。
嫌味になる動作が様になるあたり、男は女に慣れているのだろう。舞台俳優ばりの言動は容姿が伴ってこそ。その点、男は主演にでもなれそうな華やかさを持っている。
「お初にお目にかかります。アズライトと申します。見ての通り、隣国ドーアから参りました。以後、お見知り置きを」
優雅に腰を折った男ーーアズライト。姓を名乗らぬのは、詮索を避けてだろうか。
「アズライト殿とは観劇の愛好家仲間でしてね。新しい『南の塔の魔女』が立ったと聞いて、訪ねていらしたんだ」
「まぁ!私を?」
アズライトの目的が自分だと知り、エイシャは吊り上がっていた目を和らげ、パッと笑みを浮かべた。
「アズライト様と仰るのね?私はエイシャ。この街で『塔の魔女』をしているのよ」
ポウと頬をバラ色に染めたエイシャはアーリアを押し除け前に出ると、挨拶もそこそこにアズライトへとにじり寄った。
「おお貴女が!この様に可憐なお嬢様だとは存じませんでした」
「まぁ!お上手ね」
頬を染め甘えたい声を出すエイシャに、アズライトも満更ではなさそうだ。
「それで、そちらのお嬢様は……」
「ご挨拶が遅れました。アーリアと申します」
アーリアはアズライトの前、スカートを摘み膝を折る。下げた頭の横、白髪が水の如くさらりと流れた。
アズライトはアーリアの名乗りを得ると、深雪の如き白髪に目を留め、「ほう」と目尻を細める。
「お会いできて光栄です、レディ」
「恐縮です」
適切な距離から挨拶するに留める。
マナーとしての適切さは重要だが、それよりも相手がどの様な人物かも分からぬまま相手の間合いに入る程、愚かにはなれない。
それにアズライトは腰に剣を下げている。半月型の長剣ーー歪刀は黒光りする鞘に収められているが、それが飾りとは到底思えなかった。
「……ああ、これが気になりますか?ご心配には及びません。これは護身用です。私は帯剣を許されています」
アーリアの視線の先に気づいたのだろう。
アズライトは自身の腰に手を伸ばすと、トントンと長剣の鞘を叩いた。
「すみません。珍しい形の剣だと思って……」
「ああ、システィナではあまり見ないかな?ドーアでは一般的なものですよ」
システィナでは両刃のストレートが主流である。
あの様な流線的な片刃の剣はあまり見かけない。
アーリアの視線を自身の武器に対してのものだと捉えたアズライトは、丁寧にも腰から長剣を外して見せた。
「とても美しいです。それに、この文様は《力ある言葉》ですか?」
「お気づきになられましたか」
「この様に文字を武器に入れ込むのは珍しいですね。システィナでは魔宝具には魔術方陣を描く事が一般的なので」
刀身をつつむ鞘に張り込まれた模様。
模様に見えたそれは、全て文字の羅列であった。
鞘でこれ程美しいのであれば、刀身はどうなっているのだろう。
知的好奇心がムクムクと大きくなるが、ネズミホイホイの様に興味本位で近づくわけにもいかない。それにそろそろ背後からの視線も痛くなってきた。
アーリアは胸のトキメキに蓋をすると、にっこり笑って「お見せ頂きありがとうございました」と表情をつくった。
「もう、よろしいのですか?」
「はい。戦士から剣を取り上げるわけにはいきませんもの」
本当なら一度分解して中の中までじっくり調べ尽くしたいが、個人の知的好奇心の為だけに騎士から剣を取り上げて良い訳がない。
残念だが、ここは素直に諦めよう。
アーリアが顔を上げた時、そこには何故か目を丸くしたアズライトがいた。
「どうなさいました?」
「……どうして私が戦士だと……?」
「あ、違いましたか?」
「私は戦士と名乗ったかな?」
「いいえ。……あれ?」
アーリアは小首を傾げた。
アズライトは表情には出さないものの困惑しているようだ。
「もう!私もお話に入れてください!」
意図せず見つめ合うようになったアーリアとアズライト。その構図を面白く思わない者がいた。エイシャだ。
エイシャは頬を膨らませると、アズライトに見えない位置からキッとアーリアを睨んだ。
「ああ、すまないね、エイシャ嬢。エイシャ嬢もこの剣に興味があるのかな?」
「私が興味があるのは剣にではなく、アズライト様にですわっ」
「私に?それは嬉しいな」
嬉しいと微笑まれ、きゃっと黄色い声をあげるエイシャ。アズライトはエイシャの腰に手を回すと、「それで私の何が知りたいのかな?」と唇をエイシャの耳へ近づける。
まるで恋人の様な距離で二人の世界に入ったアズライトとエイシャ。
アーリアはそんな二人に興味をなくすと、そっと視線を外し、その目で南都領主を見た。
「……ご領主さま。謝罪の場を設けてくださり、ありがとうございました。私たちとの会談をお望みだとの事でしたが、日を改めるという事でよろしいでしょうか?」
南都領主はアと口を開けかけて閉めた。
一応、エイシャの謝罪は済み、平行線を辿っていた会話はアズライトの介入で途切れた。
あれほど謝罪の返答を求めて憤っていたエイシャの関心は、すでにそこにない。
それで良いのか?と思わなくもないが、『謝罪の場を設ける』という当初の目的は達せられた。これ以上を望むのは、些か強欲というもの。会談は後日へ伸ばした方が無難だろう。
「……そうしよう。日は追って知らせる」
南都領主はそれだけ言うと、もう用がないとでも言いたげに背を向けた。
その背を追う事なく、アーリアもまた南都領主から、そしてその先にある男女から目を逃げる様に背を向けた。
※※※
「それにしても、どうにも貴族らしい男でしたな」
食後の紅茶を飲む所作が実に優雅だ。
ガナッシュ侯爵の問いに、アーリアは昨日会った『どうにも貴族らしい男』を思い浮かべた。
如何にも高級感溢れる装いを纏い、如何にも貴族らしい高圧的な物言いをしていた南都領主。所作からは優雅さよりも傲慢さが滲み出ていた。
アーリアは自然に寄り添うになる眉間の皺を理性で伸ばしながら、「そうですね、と言っても良いのかな?」と苦笑い。
「南都領主はアルカード領主をライバル視しているのだよ」
「え、カイネクリフ様を?」
アーリアは唖然とし、角砂糖を取り落とした。
角砂糖は僅かな砂糖で軌跡をつくりながら、コロリと机に転がった。
「どうしてまた?あの方とカイネクリフ様では、何と言うか、その、方向性が違うように思えるのですが……」
脳内に並ぶ色男がふたり。
一人は綺羅綺羅しいオーラを放つ女たらし。
もう一人はギラギラした欲望を放つ貴族紳士。
似た点を探すとなると、年頃と、髪色と目の色くらいだろうか。しかし、それも雰囲気に違いがあり過ぎて、似ているとは言い難い。
「えっと……?」
「あっはっは。彼らを知っているならば、まぁ、そういう反応になりますな」
珍しく声を出して笑うガナッシュ侯爵。
それほどアーリアは難しい表情をしていた。
「彼らは同年で、学院時代より何かと衝突があったらしい。正解にはパリステアの倅の方がアルヴァンド卿に突っかかっていたのだとか」
「……どこ情報ですか?」
「ははっ、なぁにアルヴァンド卿ご本人が教えてくださったのだ」
アルカードへ帰る前に、情報として置いていったらしい。面白おかしく話していくあたり、カイネクリフも人が悪い。
「念の為裏をとったが、本人が話していた以上に南都領主のアルヴァンド卿への怨みは深そうに思える。それに……第三者の方が正確に状況を捉えているものでね」
「第三者というと……」
「副団長殿だ。彼はアルヴァンド卿と同級だ」
カイネクリフとアーネストの関係はアーリアも聞いた事がある。所謂同級生で現在まで続く腐れ縁だと、アーネストは言っていた。
確かに、彼らは立場関係なく気安い関係であるし、軽口を叩き合えるほど仲が良かった。
「学生時代からの因縁があるのですね。そしてその因縁が今も尾を引いている、と?」
「納得できないかね?」
「ええ。カイネクリフ様をライバル視っていうのがそもそもちょっと……」
「ははは」
女関係にだらしがなく何かと話題になるカイネクリフだが、政治となると別人で、領地経営者としては群を抜いている。先物買いが得意で、商売人としてのセンスはピカイチ。その手腕を持ってアルカードを建て直しを図った。
一方、昨日初見の南都領主だが、身分や地位で相手を見下したあの態度は如何にも貴族といったもので、とても商売に向いている性格には見えなかった。
果たして、何を持って『ライバル』としているのだろうか。
「南都領主は領地経営の観点からライバル視されているのでしょうか?」
「違う。いや、そうであったなら我々の気分も幾分か良かっただろうが。彼は、アルヴァンド卿の『華やかなる社交活動』に嫉妬しているのであろう」
えー、とアーリアは声を上げたくなった。
「『華やかなる社交術』って。カイネクリフ様の良さはソコじゃありませんよね?」
「うむ。アルヴァンド卿のウワサは予々聴かせてもらっているが、アレを真似るのはなかなかに難しいのではないか?それに、真似た所でそれが様になるかどうかは、人それぞれの持つ魅力が必須であるしなぁ……」
アゴを撫でるガナッシュ侯爵の額には汗。
何と言って良いのかと思案している様子を見るに、侯爵もカイネクリフの『華やかなる社交』を色々と聞き齧っているのだろう。
「というか、『アルヴァンド』たる彼に、あの男如きが敵うはずがなかろう」
「……」
さすが、アルヴァンド公爵家と浅からぬ縁を持つ者が言う言葉は重みが違う。
「こほん。兎に角、南都領主はアルヴァンド卿を一方的にライバル視しており、それがこの度の会談における歪さを演出しているわけだがーー」
「全てカイネクリフ様の所為じゃないですか!?」
「ははは、そう言えなくもない」
むしろ、そうとしか思えない。
アーリアは此処にいないカイネクリフの綺羅綺羅しい笑顔を思い浮かべ、イラッとした。
苛立ちから魔力を揺らめかせたアーリアにギョッとしたガナッシュ侯爵は、「彼が悪い訳ではないのだから」と宥める。それはそうだと、アーリアは素直に謝った。
「南都領主には同情を禁じ得ないが、だからとあの態度が許される筈はない」
アルヴァンドに苦労させられてきた過去が南都領主を擁護したい気分にはさせるが、公的には全く擁護できない。
急遽とはいえ自分が受け持つ事になった生徒がその尊厳を傷つけられたのだ。魔宝具による記録を叩きつけ、断固抗議するつもりである。
「……そうですね。ここで退いたらダメですよね」
自分一人がバカにされたのなら、このまま無かったことにしただろう。
だが、事は自分一人の問題ではない。
『東の塔』全体に、尊厳に関わる事だ。
「アーリア嬢、君はこのまま毅然とした態度で対話に臨むように。抗議は私が担当する」
「はい。お任せします」
残念ながら、アーリアに貴族相手にする力はない。
また、向こうに相手にされるとも思えなかった。
その点、目の前の老紳士は玄人だ。
任せておけば、まず間違いない。
「……まぁ、私が抗議する暇もなく、然るべき所からなされると思うがね」
ガナッシュ侯爵はクスリと笑うと、アーモンドの効いたクッキーを頬張った。
ブックマーク登録、感想、評価などありがとうございます!とても励みになります。
『謎の戦士と抗議』をお送りしました。
突然現れた謎の青年アズライト。南都領主の知人だというが、肌色や服装、装備など、システィナ人にない空気を纏っていました。
そのアズライトを見て戦士だと断言したアーリア。
しかし、その事に驚いたのはアズライトばかりでなく……?
次話も是非ご覧ください!




