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魔宝石物語  作者: かうる
魔女と砂漠の戦士
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常夏の街と恋の罠7


「やってしまった……」


 例え異なる価値観を持とうもと、言葉を持って真摯に語り合えば分かり合えるのが人間というものだ。

 けれどアーリアはこの日、どうあっても分かり合えない人間がいる事を知った。


『貴女の騎士をくださいな。そこの騎士よ。私の騎士と交換でいいわ。それで許してあげる』


 屈託のないエイシャの笑みには悪気など一切感じられなかった。心底、自分の言い分が正しく、相手に自分の要求が通ると信じて疑わない口振であったのだ。


 エイシャの笑顔が脳内に浮かび、アーリアは思わずクッションに顔を押し付けた。そうでもしなければ、怒りのままに怒鳴り散らしそうだったからだ。


 エイシャとの会談を強制終了させたアーリアは『南の塔』を離れ、南都の中心部にある貴族向けの高級宿へと戻ってきていた。


 アーリアはエイシャから『恋の相談』なるものを受けたのだが、やはりと言おうか、全く相談相手にはなれなかった。

 そもそも、貴族令嬢のエイシャと庶民のアーリアとでは、身分も立場も異なる。基本となる価値観が違うのだから、相談になど乗りようがないではないか。

 そう思えばこそ、早々に断りを入れた。多少の申し訳なさはあったが、たかだか『恋の相談』だ。死ぬような事にはならない。普通に考えれば、アーリアの断りは受け入れられる筈だった。

 だが、エイシャはアーリアの断りと謝罪に対し、条件をつけたのだ。それもーー


「何が『同じ顔を見るのも飽きてきたのよね』なの?そんな理由で護衛の騎士を交換したがるなんてっ!護衛の騎士を何だと思ってるの!?」


 ーーと、あの場で叫び出さなかっただけ偉いと褒めて欲しい。

 エイシャの『貴女の騎士をくださいな』発言。これにはアーリアも呆れを通り越して激怒した。

 何故『恋の相談』を断ったぐらいで不快に思われ、謝罪を要求され、あまつさえ要望を飲まねばならないのか。しかもその要望というのがとんでもない内容なのだ。とてもじゃないが受け入れられない。


 ー貴族令嬢って、あれが普通じゃないよね?ー


 知り合いに貴族令嬢が少ないので単純に比較できないが、エイシャはアーリアの知る貴族令嬢とは似て非なるものだと思えた。

 アルヴァンド公爵令嬢リディエンヌは申し分のない令嬢であるし、ゼネンスキー侯爵令嬢ソアラは幼いながらも聡明な令嬢だ。そして帝国の元公爵令嬢リアナ。彼女の立ち居振る舞いは正に貴族令嬢の手本といえるもので……ーーと考えかけて、あれ?と首を捻る。

 初めて出会った頃のリアナは、それはそれは相当な感性の持ち主だった。自分に手に入れられない物はないと考えていただろうし、世界は自分中心に回っていると思っている節もあった。元にする数が少なくて比べられないが、もしかして貴族令嬢とは『アレ』が普通なのだろうか……?


「まぁまぁアーリア、落ち着いて。紅茶でも飲む?」

「リュゼ……」


 そっと差し出されたカップ。クッションから顔を上げれば、そこには予想通り笑みを湛えた騎士が立っていた。


「いやぁ、いろんな意味でスゴイ令嬢だったね、カノジョ」

「こら。護衛中に気安いぞ、リュゼ」

「いいじゃん。僕たちしかいないんだし。それに、ナイルも色々思うところはあったでしょ?」

「……。大変素直な令嬢かと……」

「あーやだやだ。すぐそうやってすぐオブラートに包もうとするんだからさ!」

「だがなリュゼ、これ以上どう言えというのだ?」


 リュゼはアーリアの隣に腰掛けると、ちゃっかり自分の為に用意した珈琲に口をつける。生真面目騎士ナイルは勤務中との姿勢を崩さず、アーリアの側を動かず控えている。そんな対照的な二人に、アーリアの心は次第に和んでいった。


「僕には比べるだけ知り合いがいないんだけどさ、貴族令嬢ってああいうもんなの?」


 一応のオブラートに包んではいるが、リュゼもアーリアと同様の疑問を持ったようだ。

 尋ねられたナイルは考えを一巡させると、眉間にさらに深い皺を寄せた。


「人によるだろう。が、彼女の両親は育て方を間違えたと言わざるを得ない」

「あ、やっぱり。貴族って言動一つで家の評価ーーそれこそ没落にも繋がるじゃん?普通はマトモに育てようとする筈だよね?」

「どこに出しても恥ずかしくない令嬢に育てねば、嫁ぎ先にも困ろう」


 勤務中の姿勢を崩さぬナイルがリュゼとの会話に加わるのは、アーリアを気遣ってのものだろう。

 この3人の中で生粋の貴族はナイルだけで、貴族の常識を知るのもまたナイルだけ。『貴族とはなんぞや』という知識だけを持つアーリアやリュゼとは、言葉の重みが違ってくる。


「なまじ『塔の魔女』なんて要職についちゃったからなのカナ?」

「さあな。だが、あれでは騎士たちも苦労しよう」

「だねぇ。あそこの護衛騎士たち、めちゃくちゃ居た堪れなさそうにしてたし」

「当たり前だ。守るべき者に『不必要だ』と言われて良い顔をする騎士などおるまい」


 護衛騎士交換を持ちかけたエイシャに対して、護衛騎士たちはそれ程に驚愕していた。

 騎士が勤務中に顔色を出すなど無い。であればこそ、あれは心底驚いていたと言わざるを得ない。

 「お気の毒に」とリュゼ。騎士たちの様子を思い出し、アーリアも何とも居た堪れない気分になった。


「それにさ、アーリアが断ったら断ったで、今度は『担当する塔を交換しましょう』だもんね?同じ役割なんだから場所はどこでも良いでしょって、いや良いワケないよねぇ」

「あれには空いた口が塞がらなかった。彼女がどう考えようと、個人が勝手にどうこうできるものでもないというのに……」


 リュゼの言葉にアーリアはげっそりと肩を下げた。

 飽きたから、辞めたくなったからと勝手ができる訳がない。そんな事も分からない程幼くは無い筈なのだが、エイシャの言動は、さも自分の我儘が許されて当然だとでも言いたげな程尊大だった。


「無知な訳ない。無知なら魔導士になんてなれない。名乗れない。ならーー」


 ーまさか、無知を装っている?ー


 なぜ。何の意味があって。どうしてそのような事をする必要があるのだろう。


 このシスティナで魔導士とは、魔術の技量だけでなく道徳性も問われる職業。いくら生まれが尊かろうが等級が高かろうが、他人の気持ちや立場を慮れない者が魔導士と名乗って良い筈がない。

 そう教えられ、信じてきたアーリアからすれば、エイシャという存在は何もかもが異質で、異端で、どうにも受け入れ難い存在であった。

 もしかして、自分の常識の方がオカシイのだろうか。ーーアーリアがクッションを抱え直した時、ノックの音が響いた。

 アーリアは居住まいを糺すと「どうぞ」と入室の許可する。入ってきたのは老紳士だった。


「ご歓談中に失礼する」

「ーー先生!」


 自身の護衛の従者を伴って入ってきたガナッシュ侯爵は断りを入れ、向かい合う椅子に腰掛けた。

 すかさず侯爵付きの従者がガナッシュ侯爵の前に湯気立つ茶器を置き、アーリアの前には茶器とクッキーやマカロン、ミニケーキなどを並べた三段の銀皿を並べていく。

 因みにリュゼはガナッシュ侯爵が入室する前にアーリアの背後へと護衛に戻っている。素早い。


「聞きましたぞ、初対面でやらかしたようですな?」

「すみません!先生の顔に泥を塗ってしまい……」

 

 茶器を片手に意地悪く笑む指導教官に、額に汗をたらり。アーリアは反射で頭を下げていた。

 いくら相手の言い分が気に入らないとしても、あの場で怒り心頭、怒鳴るように一刀両断したのはマズかったか。貴族のマナーを考えても、あの断り方は良くなかったに違いない。

 これはお説教案件に違いないとダラダラと汗を流すアーリアであったが、予想に反しガナッシュ侯爵は頭ごなしに叱ってはこなかった。


「頭をお上げなさい。貴女の言動を云々申し上げようとは思ってはおらんよ」

「え?でも……」

「あのような事を言われて怒らぬ者の方がおかしいであろう」


 本当に怒ってはいないようだ。ならば、この何処からか漂うピリついた空気は何なのか。


「……それにしても見事な魔術ですな」


 ガナッシュ侯爵は部屋をぐるりと見渡すと、その視線をアーリアへと戻した。


「ここは敵地ですから、他人に話を聞かれたらマズイですよね。だから……。あと、これは魔宝具です。よければご覧になりますか?」

「ほう、ぜひ」


 アーリアは白いシャツの袖を捲りあげた。

 そうして外したのは光沢のある金属の腕輪

 アクセントとなるのは青い宝石だ。

 素材は人魚の骨、魔鳥の羽、そして月光狼の心臓から生まれた魔石。土台となる腕輪には劣化を防ぐ魔術を、魔石には《防音》の魔術が組み込まれいる。


「自作ですかな?」

「はい。買えばそれなりの値段がするので。作った方が材料費のみで抑えられるし、追加して別の魔術も組み込めますから」

 

 怒りの治らぬアーリアだが、『東の塔の魔女』という肩書を持って来ている以上失態は犯せない。その為のクッションで、念の為の《防音》。

 完全に音を消す魔術もあるが、それはそれで怪しまれてしまう。その点この魔宝具には防音効果と共に収音効果も付与されており、話す言葉は別の音に混ぜられて、聴く人の耳には話の内容が聞き取れないようになっていた。


「何処に耳があるか分からない場所で、不用意に言葉は漏らせません」


 ガナッシュ侯爵は《防音》の魔宝具からアーリアへと視線を上げると、穏やかな笑みを浮かべた。


「先生、本当に怒ってらっしゃらないのですか?」

「ハハハ、何を怒る事がありましょう」


 明らかに目が笑っていないガナッシュ侯爵を前に、ドキリと心臓が跳ねる。


「アーリア嬢には怒ってはおらんよ。エイシャ嬢の言動を見ればこそ、アーリア嬢が怒るのは当然のこと。あの場で即座に断りを入れた事にも頷ける。会話を長引かせた所で、あの手合いが素直に引くとも思えぬ。ただーー」


 ガナッシュ侯爵はアーリアに魔宝具を返すと、膝の上で手を組み直した。


「もう少し、言質を取った上で相手の意図を聞き出せれば良かったとは思うがね」


 ニッコリ。貴族スマイル全開のガナッシュ侯爵。

 爽やかな笑顔なのに背筋が冷える。

 求められている基準が高く、思わずアーリアの口から「えー」と不満の声が出た。


「それは私にはハードルが高いです」

「ハハハ。なに、惜しいところまではいきましたぞ」

「因みに、何点を頂けます?」

「60点といったところか」

「それ、赤点スレスレじゃないですか」

「ハハハ」


 高い合格ラインにアーリアは苦笑する。

 どうにも自分には満点を取れる自身はない。


「ーー冗談はこのくらいにして。あの令嬢の件で貴女が気にする事は何一つないと言っておこう。少々、礼儀に欠けた点はあったようだが、それ以上にあちらの態度が悪い。もし、あちらが抗議してきたとしても、いくらでも対処のしようがある。寧ろ、こちらから先に抗議をしても良い。いくら何でも不敬が過ぎる」


 静かに憤慨するガナッシュ侯爵。

 感情を他者に見せない事を美徳とするのが貴族であるが、それでも許せぬ事はある。

 一、自身の誇りを傷つけられた時。

 一、友が傷つけられた時。

 一、己の大切と思うものが傷つけられた時。

 奇特な運命によりアーリアを生徒に持つ事になったガナッシュ侯爵だが、一度はその命を狙った魔女を今は自身の保護下に置いていた。

 押し付けられた仕事とはいえ、国から命じられた役割を放り出す事などあり得ない。何よりも、教官として生徒を守るのは当たり前の事ではないか。


「私相手に不敬とはならないのでは?」

「身分を問題としているのならそれは杞憂となろう」

「何故です?」

「同じ『塔の魔女』という役職を担う者同士、何故、一方的に不敬を問えようか」


 それでも身分差を考えれば、平民が貴族に敵う筈がない。にも関わらず、ガナッシュ侯爵は余裕ある態度を変えない。


「アーリア嬢、貴女は勘違いしている。南の魔女は貴族令嬢ではあるが、それは親が貴族であるだけで、彼女自身が貴族の称号を持つ訳ではない」


 アーリアはガナッシュ侯爵の言い分に首を傾げた。

 貴族の子どもは貴族ではないのかと。

 そんなアーリアの疑問を読み取ったガナッシュ侯爵は、訝しむ生徒に言葉を重ねた。


「確かに貴族の子どもは貴族。だが、正解には『己が職責を果たせる者だけが貴族という称号を維持できる』といえる」

「『己が職責を果たせる者』ですか?」

「うむ。なればこそ、職責を果たせぬ者はどうなるかお分かりか?」

「貴族ではなくなるんですか?」

「左様」


 ガナッシュ侯爵曰く、所謂、貴族落ちというもので、そう珍しくはないらしい。


「貴族令息が一生貴族である確率をご存知か?」

「いえ、知りません」

「約六割」

「そんなに少ないんですか!?」


 仁等にいけば貴族の長男は家を継ぎ、次男は長男のスペアとして長男を補佐する。

 では三男以降はどうだろうか。

 厳しいようだが、三男以降は自身で身を立てねばならない。或いは文官として、或いは騎士として。

 貴族令息という身分はあれど、個人に貴族としての身分はない。個人として爵位を得るには、国に認められるだけの有益な評価を立てねばならない。

 それでいくと、貴族令嬢は貴族令息よりも選べる道が少ない。


「己が家を国を守る為に有益な家へ嫁ぐ。家を存続させる為に子を産む。これが職責で、その為に付随するのが『貴族夫人』という称号となる」

「彼女は『塔の魔女』という職にあります」

「貴女と同じ役職ですな」


 出自の違いはあれど、今は、どちらも同じ職に就いている。そう言われても、やはり身分差はあるもので……


「それでも身分差は消えませんよね?それに確か、『塔の魔女』に任じられた魔導士には爵位が付随するとか」

「それを言えば貴女もそうであろう」

「あっ……」

「任じられた魔女の功績を認められてこその爵位。あの魔女の任期はまだ始まったばかり。功績などないに等しい。到底、あの言動を庇える程のものではない」


 目元に深く皺を刻み、微笑むガナッシュ侯爵。どこか含みのある笑みに、周囲の空気が冷えていく。


「時の宰相と王太子殿下の保護下にあり、国王陛下の覚えもめでたき功績高き魔女に対し、『塔の魔女』に着いたばかりの貴族令嬢がどう己が言動の責任を取るつもりなのか……」


 くつりと口角をあげる侯爵。背後から「うわぁ、悪い顔」というリュゼの独り言が聞こえ、アーリアは腕を摩りつつ大いに同意した。顔が引き攣りそうになるのを堪えられたのは、偏に日頃の教育の賜物だろう。


「では、私の言動で『東の塔』の皆さんが咎められる事はないんですね?」

「無論。ご安心めされよ」

「良かった」


 自分が責めを受けるよりも自分の言動によって周囲に迷惑がかかる事こそを恐れていたアーリアは、指導教官たるガナッシュ侯爵の言葉にほっと胸を撫で下ろした。

 そんなアーリアの様子に、ガナッシュ侯爵をはじめ護衛の騎士たちも優しい笑みを浮かべる。


「それじゃあ、もう会談は終わった事だし、アルカードへ帰っても良いのでしょうか?」

「あちらがどう思おうと、一応の義務は果たしたと言えましょうな」

「やった!」


 机の下、スカートの陰で小さくガッツポーズを作るアーリア。しかしその後に続くガナッシュ侯爵の「ただ……」という言葉に、まだ何かあるのかとアーリアは眉を寄せた。

 

「まだ南都領主との会談が残っておるので、そちらを済ませねば帰れぬな」

「そんなぁ!」


 今度こそウンザリといった感じで、アーリアはマナーそっちのけで声をあげた。

 



ブックマーク登録、感想、評価などありがとうございます!とても嬉しいです(*^▽^*)


『常夏の街と恋の罠7』をお送りしました。

本来なら領主より招かれた客人として領主官邸での滞在となるのですが、アルカードの面々は南都領主への不信感が拭えない為、高級宿での滞在となりました。

今回の滞在に際してアルカード領主の名により宿をまるっと貸し切りにしています。

また、騎士団からも多数の騎士が派遣されており、宿の内外を常時警備しています。その中には宿の職員へ混じり働く者もいるとか。


次話もぜひご覧ください!

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