常夏の街と恋の罠4
システィナ極東の街アルカード。隣国ライザタニアとの国境を目と鼻の先に望む軍事都市であり、アルカード騎士団に始まり国境警備隊など、王都に次ぐ軍備を保持している。
その中でも他の国とは一線を隔する施設がある。『塔』だ。
システィナ独自の国境守備設備ーー『塔』は国境を守護する役割を担っており、他国からの侵略行為を防ぐ為に強固な《結界》を施す専属の魔導士が常駐する。魔導士は対外的に『塔の魔女』と呼称される。
『塔の魔女』は基本、女の魔導士から選ばれる。『結界魔術の性質と波長が男性よりも女性と合う』という理由からである。
また、国内外からの脅威から『塔の魔女』を守護する為に『塔の騎士団』が併設されている。総勢五百名いる騎士たちは『塔の魔女』一人を守る為に存在し、日々、魔女を狙う脅威から守らんと努めている。
そんな彼ら『塔の騎士』にとって、最も大切なものは騎士の誇りでも国の安寧でもなく、主の生命と平穏である。
勿論、国が平和である事が一番重要ではある。ーーが、しかし、それも主の生命と平穏があっての平和なのである。
だからこそ、騎士たちは主の平穏を脅かすものに寛容ではない。生命を脅かすもの、精神の拮抗を乱すもの、それら全てのものに嫌悪し、排除しようとするのは当然の行為といえた。
そのような事情を知ってか知らずか、近頃『東の塔』と『塔の魔女』の平穏を乱す出来事が起こそうとするものが現れた。
それが痴漢や暗殺者、政敵や悪徳貴族なら、簡単に処理できただろう。だが、その相手が同じ『塔の魔女』、加えて同じ国境を守護する領主であれば困惑は一入である。
「これは本当にラパード領主からの書簡ですか?」
「はい、間違いなく本物です」
アーネスト副団長は呼ばれた先で齎された情報に戸惑いを覚えた。念の為にと確認してみれば、アルカード領主補佐は情報は確かだとキッパリ肯定を示すではないか。
「……何かの冗談ではあるまいな?」
「これが冗談ならどんなに良かったことかッ。全く、どうなっているんだろうねぇ!」
戸惑い故に再確認したルーデルス団長の言葉を、乾き切ったアルカード領主の言葉が両断する。領主の目は笑っていない。それどころか、多分に怒りを含んでいるではないか。
アルカード領主とその補佐、彼ら二人の態度に、騎士2人はそれが真実なのだと認めざるをえなかった。
『……【南の塔の魔女】より【東の塔の魔女】との交流を持ちたいとの要望を受け、我が領は東の魔女をラパードへと招集する事を決定す。ついては、アルカード領主に至っては、東の魔女を早急にラパードへと送り届けたし……』
書状の内容を読む領主補佐。それに耳を傾ける領主と騎士。どちらもの表情が暗く曇りゆく。或いは怒りで、或いは呆れで、或いは迷いで……。
『東の塔の魔女』のもとへ届けられた一通の招待令状。全ての原因は、アーリアが『南の塔の魔女』から誘いを受けた事から始まった。
正確には、『東の塔の魔女』宛に『南の塔』を管轄する南都ラパード領主経由で、東都アルカード領主へと書状が送られてきた事が原因である。
書状の内容を要約すると、即ち『東の塔の魔女との交流を望む。速やかに魔女を南都へ送り届けよ』とのこと。
これには、後に知らされた当の魔女アーリアは勿論のこと、『東の塔』に属する者たち皆が震撼し、同時に唖然とする事となった。
同じ国境を守護する役目を負う者同士、互いの仕事の重要性は理解できて当然である。にも関わらず、交流会という建前を使って『東の塔の魔女』を南都へと呼びつけるとは、一体どういう了見なのかと。
近年、塔の役割としては、平和の続く『南の塔』よりも『東の塔』の方が重要度が高い。
侵略行為こそなくなったものの、未だ隣国ライザタニアとは微妙な関係が続いている。ライザタニア国内は建国以来となる改革が行われようとしているが、それが落ち着くまでには、数年、数十年と掛かるだろう。その間、改革を行う王子たちの意思を無視して、どこぞの貴族がシスティナへ仕掛けて来ないとも限らない。
そんな不安定な状況にあっては『東の塔』の《結界》は未だ強固に施されたままであるし、状況を鑑みて、当分の間は解かれる事もないだろう。
システィナにおける『東の塔』と塔の管理人たる『東の塔の魔女』の重要性。それらを念頭に置かずとも、国境守護の要たる魔女を気軽に呼びつけるとは、一体何を考えての事なのか。
「ハハッ、随分と舐めたマネをしてくれる。一体、いつから、彼は私に命令できる立場になったのかな?」
書状を受け取ったアルカード領主カイネクリフ・フォン・アルヴァンドは、形の良い眉を跳ね上げ、あからさまか不快さを現した。
「ほんとうに。同じ領主というお立場。国境守護の重積を理解しているであろう方からこんな馬鹿げた書状を頂くとは、私も思っておりませんでした」
「何のために『塔の魔女』は大勢の騎士たちに守られているのか、まさかその意味を理解しておられない訳ではあるまいな?」
アルカード領主カイネクリフ卿から呼び出しを受けた『東の塔の騎士団』団長ルーデルスと副団長アーネストの二人は、そろって眉間に皺を寄せている。
もし、ここに件のラパード領主が居たなら、問答無用で叩き斬られていただろう。それ程の二人からは殺気が漏れ出している。
「未だ不安定な情勢下、いくらライザタニアとの関係に改善の兆しにあろうとも、『東の塔の魔女』が狙われないとは言い切れない。それは誰もがーーいや、国境を預かる領主ならば分かっているだろうに……!」
誰に誑かされたんだあの色ボケ!とカイネクリフ卿は脳内にラパード領主を思い浮かべた。元々、それほど良好な関係にないが、これでは絶縁を検討すべきだろう。
「よほど我が魔女姫を侮っておいでなのでしょう。私どももこれまで南の魔女殿の行動には目を瞑ってきましたが、それももう我慢の限界です」
アーネスト副団長はズレてもいないメガネを鼻上に上げる。眼鏡の奥に光る瞳は、怒りでギラギラと燃えている。
『東の塔の騎士団』が主と仰ぐ魔女が平民の出自である事は、周知の事実。身分を重視する貴族たちからは、庶民出の魔導士を疎ましく思う者、また面白く思わぬ者がいる事も、アーネスト副団長は勿論のこと、軍事都市アルカードに属する者なら大抵の者が見知っていた。
どれほどの功績を積もうとも、出自や身分が確かでなければ、その功績はなかった事にされる。働きを認められず、存在を無視されるのだ。
当代魔女アーリアにとってそれらは既に慣れたものであり、今更騒ぐものではないのだが、騎士たちからすれば、剣を捧げる主が見下される状況を『慣れる』など出来よう筈もない。
「素直に応じる必要などない。こんなものムシだムシ」
カイネクリフ卿は書状を乱暴に放り出す。それをこの場の誰もが咎めない。
「勿論です。何故、こんな愚かな要求を素直に飲まねばならないのです?我が主をバカにするにも程がある!」
「私もアーネストに同意だ。我が主はそれ程軽い存在ではない!」
断固抗議する!と息巻く騎士たち。それを誰も咎めぬどころか領主までもが後押しする。
「当たり前さ。前から気に食わなかったけど、とうとう暑さで頭でも沸いたんじゃないかな?辞世も読めぬ阿呆に領主なんて勤められないだろうし、引退を勧める事にするよ」
同じ領主。けれど、爵位で見ればカイネクリフ卿の方が数段高い。あちらが爵位や身分で相手を測るなら、こちらも同じ扱いをしようじゃないか。
カイネクリフ卿は今回の件を王都にいる伯父にチクる算段をつけた。アーリアの後見たる叔父は、きっと自分の考えに同調するに違いない。
「そうとなれば、早速手紙の準備ーーいや、いっそ《転移》の魔宝具で王都に跳んで……」
怒りに任せて伯父に会いに行こうとしたアルカード領主。しかし、その行動を止める者がいた。
「ーーお待ちくだされ」
突然の第三者の声。弾かれたかのように振り向けば、そこには紫檀の杖をついた紳士が悠々たる足取りで近づいてくるではないか。
「怒りはご最もですが、ここは一つ、あちらの求めに応じてみては如何かな?」
「……ガナッシュ侯爵。私の思い違いでなければ、貴方を此処に呼んではいないのだが?」
「ハハハ。小さな事で目くじらを立てるものではないぞ、カイネクリフ卿」
これだから若いもんは、とでも言わんばかりの紳士の表情。呼んでもいないのに現れた元宰相に、カイネクリフ卿は頭が痛いとばかりに額を押さえた。というか、此処の警備はどうなっているのか。
「……それで、南の要求に応じよと仰る意図とは?わざわざ火中の栗を拾う必要もないと思うのだけれど」
百戦錬磨の政治家相手に押し問答などムダであるし、ここで追い返しても意味がないと、カイネクリフ卿は先輩政治家の胸を借りるつもりでガナッシュ侯爵の意図を問うた。
「ああいう手合いは自分の要求が通るのは当たり前だと思っておるし、通らない筈はないとも思っておる」
「だから、それがもう既にオカシイんだよ。確かに彼女は平民だけど、平民だからと侮って良い段階にはない。それに、彼女の後見が誰か知るならば、手出しなんてしない筈なんだよ」
「真実、聡い者なら手出しなどせぬよ。私とて怒れるアルヴァンドなど相手にしたくはないからな。しかし、それが分かっておったら、この様な要求などせぬよ」
ハハッとカイネクリフ卿は首を竦める。
「残念だけど、完璧に宰相閣下の地雷を踏み抜いている」
根本的に善人であり常識人でいて真面目、人当たりも良く社交的で、他者を悪様に言う事はない。国と王への忠誠心はシスティナ随一。常に己を研磨し、現状に満足しない向上心を持つシスティナの守護者。それがアルヴァンド公爵家だ。
現アルヴァンド公爵家当主であるルイス・フォン・アルヴァンドを伯父に持つカイネクリフ卿は、その気質を十分過ぎる程理解していりらからこそ、ガナッシュ侯爵の言葉を否定はできない。
「なのに、この件を抗議だけで済ますなって?」
敢えて抗議で済まさない理由とは何か。常に自信に満ち溢れている様に見えるカイネクリフ卿が、この時、他人の意見を重要視した。彼は自分がまだまだ未熟である事を知っていたからだ。
幸い、政治的才能に恵まれ、領主経営もそつなく熟せている。いや、他の領主よりも自領を豊かにしていると断言できる。ーーが、それでも、長年中央で百官を相手に国政を行ってきた眼前の男に敵うなどとは、一欠片も思えなかった。
「この時世に『東の塔』から魔女を引き離そうというのだ。アルカードに再び混乱を招きたい者がいる、或いは魔女の殺害を目論む者がいる、または魔女を囲いたい者がいる、まぁどちらにしてもろくでもない考えからに違いあるまい」
誰にらでも考え得る可能性に、その場にいる者たちから否定の声は上がらない。
「あの娘には隙が多い。いくらアルヴァンド公が後見に着こうとも、つけ入る隙があればそれを目敏く見つけて突いてくるのが貴族というもの。奇しくも、先ごろライザタニアとの騒乱に巻き込まれた実績がある」
不名誉な実績に騎士二人の顔が曇る。
非公式だが、その少し前にも、彼らが主が少し前にはエステル帝国のお家相談に巻き込まれているのは周知であったのだ。
「なるほど。我々の警備がザルだと思われているのですね?」
「遺憾だ!だが、言い訳などは口にはすまい」
ライザタニアの工作員に翻弄され、むざむざ塔の魔女を連れ攫われた事実は覆りようがない。
アーネスト副団長に続きルーデルス団長が口を開く。騎士二人は屈辱に肩を振るわせる。
「冬の終わりには不良騎士たちによる騒動もあったしねぇ。いくら『東の塔の騎士団』の総意ではないと言った所で、信じる信じないは個人の判断による」
「騎士たちがアーリア嬢を軽んじている。未だそう思っている者も少なくないでしょう」
カイネクリフ卿とその側近の言葉に騎士たちは悔しげに、そして不快感を露わに拳を握る。
「要は、今なら狙い放題だって思われている訳だ。ホント、舐められたものだよね!」
軍事都市アルカードを預かる身としては、全ての管理責任はカイネクリフ卿に一任されている。内情がどうであれ、事が起こればその責はカイネクリフ卿が負う事になる。であれば、騎士たちが守るべき魔女を蔑ろにし、責任を果たしていないと思われているこの状況こそ、カイネクリフ卿の管理能力が弱いと言われているも同じ。カイネクリフ卿としては面白い訳がない。
「それで、ガナッシュ侯は一体何を企んでいるのかな?」
苛立ちを抑えるように腕を組んだカイネクリフ卿が視線を投げれば、ガナッシュ侯爵は形の良い唇に孤を浮かべていた。
「なぁに、その気にさせてやれば良いのだ」
ガナッシュ侯爵は机上に投げられた書状を手に取る。
「南は東を侮っている。ならば、侮るままに行動させればよい」
ガナッシュ侯爵は書状の内容を一瞥。
「こちらはあちらの思惑に乗り、『東の魔女』を派遣する。思惑に乗り南都の者たちとの交流をはかる」
「……それに何の意味が?」
モノクロの奥の眼を細めるガナッシュ侯爵。瞳には怪しげな光が宿っている。
「事がうまく運べばあちらの油断を誘えよう。……先程から思惑と申しているが、真なる内情は分かっていない。何の目的があって『東の魔女』を欲しているのか、それが分からねば対策のとりようがない」
思った以上にガナッシュ侯爵の言葉はマトモで、カイネクリフ卿は内心、胸を撫で下ろす。
王と王子たちを陥れようと画策し、反逆の罪で囚われた元宰相。何の訳か釈放され、王命でアルカードへ流されて来たときには心穏やかではなかったが、案外、普通ではないか。ーーそう思い直していたとき、カイネクリフ卿の頭に氷水が被された。
「なるほど。相手の油断を誘って言質を得ようってことだね。それなら、わざわざ『塔の魔女』を派遣しなくったってーー」
「相手の用意した罠にわざと乗って無傷で帰還。確実な証拠と言質を得た上で懐に斬り込む。侮っていた相手にこれをされるのが一番堪えると思わんか?」
「は……?」
カイネクリフ卿は視線を上げた先にシスティナの闇を見た。
「のうご領主、虎穴に入らずんば虎児を得ずと言うではないか」
元宰相にて大罪人サリアン公爵改めガナッシュ侯爵の含みのある言葉に、ゴクリと唾を飲む。覗き込まれた瞳に飲まれそうになる。
「だいたい、油断を誘いたいのか知らんが『恋の相談』などと馬鹿らしい、あのお人好しの魔女でもなければあの様な書状、まともに相手などしておらぬわ!」
何故、見ず知らずの女の恋路を応援しなければならないのか。
社交界デビューしたての若い時分、イイナと思った令嬢の全てを何処ぞのアルヴァンド公爵家令息に横から掻っ攫われた経験を持つ元サリアン公爵は、あの時からずっと『恋の相談』には嫌悪感を抱いていた。
イイナと思っていた令嬢から『恋の相談』を受け、もしかして好かれてるいるのでは?と思った矢先、その恋の相手がどこぞのアルヴァンド公爵家令息であったときの虚しさ!あの悔しさ!歳を経ても忘れられるものではない。
「何の思惑があるか知らぬが、情勢も見えぬ者に未来はない。彼らは誰に手を出したのか、知らねばならぬ」
誰に手を出したのか。
何に手を出したのか。
手を出した先の未来が常に明るいとは限らない。
「くくく、くははは!誰にーーいや、誰の生徒に手を出したか、思い知らせてやるわッ!!」
急に仄暗いオーラを背景に背負いつつ低い笑い声をあげるガナッシュ侯爵に、カイネクリフ卿をはじめ、周囲の者は皆、額に汗を流した。
あれ?途中まで良い感じに相談していたのに、いつからか何か別の方向に舵が切られたような。いや、もしかしたら、初めから進む方向が違っていたのだろうか。
知らず、ガナッシュ侯爵の琴線に触れていた南の塔の関係者。彼らは知らない。元王族、元宰相、元公爵であり、己が信念の為に王にまで弓引いた反逆者の本気の反撃が生温いものである筈がないという事を。
そして此処にもう一組、彼に同調する勢力があった。
「ええ、勿論ですとも!我が魔女姫を侮る者が『塔』の関係者などに置いてはおけません!」
「我が主を愚弄する愚かな者どもに鉄槌を下してやりましょうぞ!」
鼻息荒く賛同する騎士二人。『東の塔の騎士団』を率いる騎士団長たちにとって、主の平穏を脅かすものなど塵芥程の価値もない。
隣国ライザタニアの工作員たちに遅れをとった記憶も新しい。今度こそは、我が主の価値を内外に知らしめねばならない。
「えぇ〜……と、とりあえず侯爵。貴方は彼女の指導教官でしかない。特段の権限はないから。それにルーデルス団長、アーネストも。君たちにもそれを決める権利はないからね!っておーい、もしもーし、聴いてる!?」
周囲の目も憚らず高笑いを始めたガナッシュ侯爵、そして目を血走らせた騎士たちを前に、アルヴァンド公爵家に名を連ねるカイネクリフ卿には、ついぞ止める事は叶わなかった。
ブックマーク登録、感想、評価などありがとうございます!大変励みになります(*^▽^*)
『常夏の街と恋の罠4』をお送りしました。
アーリアの南都出張の背景には、南都領主による傲慢とも言える書状がありました。
アーリアの周りには権力を傘にどうこうする者はいませんが、貴族の中には選民意識の強い者もいます。そういう者たちは往々にして他者を見下しがちです。しかも自覚のない者が多く、対処に苦労を要します。
次話『常夏の街と恋の罠5』もぜひご覧ください!




