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魔宝石物語  作者: かうる
魔女と砂漠の戦士
464/498

常夏の街と恋の罠3

 システィナ王都からおよそ23000キロ。システィナの最南端に位置する国境の街、南都ラパード。ラパードは南国ドーアとの国境を接する軍事都市として『南の塔』を有してはいるが、他国との交易盛んなそこは軍事都市おは名ばかりの商業都市であった。

 システィナと国境を挟みドーアとは長年友好関係を築いている。小さな諍いはあれど騎士団を動かす程の争いはなく、便宜上、国境を警備する騎士団が配置されてはいても、東の軍事都市アルカードのような殺伐さはない。その証拠に国境は常に開放されていて、商人のみならず人々の交流も盛んに行われていた。

 また人種間の差別や偏見もなく、国際結婚も少なくない。ドーアの文化が入り込んだ事により、異国情緒のある街並みとなっていた。


「お待たせしました」

「いやなに、待ってはおらんよ」


 表門には金の柵、金属扉には彫りが施されており、花壇には季節の花々が咲く。エントランスの屋根の下に馬車がつけば、すかさずドアマンが扉を開き、バトラーが案内を申し出る。

 白壁が眩しいそこは格式高い料亭(レストラン)。創業五十年を超える老舗で、これまでに幾度かのリフォームを経て、今はドーア風の内装となっている。

 アーリアが室内に入るとそこには既に先客がいた。

 屋外とは打って変わって涼しい室内は、壁や天井、調度品を含め、すべてが白と青を基調としており、外の暑さを忘れるほどに爽やかな装いである。そんな室内にいる先客もまた、外気温を感じさせぬ装いをしていた。

 歳の頃は五十に差し掛かる頃だろうか。濃紺の上下三揃いの貴族服、燻んだ金髪は撫で付けられ、瞳の片方を隠すモノクルは感情という感情を押し隠している。指輪にカフスなど、装飾品類はそれほど華美ではないが上質な物だというのは一目で分かる。それほど着飾ってはいないのに、彼がいかに高貴な身分かという事が佇まいからも判ぜられた。


「これはこれは、海の女神セーレンの如き美しさ。貴女のような美しい人をエスコートできるこの日を、神に感謝致そうぞ」

「お、大袈裟です!」

「ハハハ、私は真実を言ったのみ」


 唖然とするアーリアの手を掬い取ると紳士は甲に口付けを落とした。

 女性を褒め、エスコートするのは貴族紳士の義務とはいえ、これほどスマートなエスコートもない。紳士はアーリアを椅子へ座らせると、自身も椅子へ座り直した。

 二人が席につくと給仕により食前酒に続き、料理が運ばれてきた。鏡のように磨かれた白い机上に皿が並べられた後、再び老紳士は口を開いた。

 室内にはアーリアと老紳士、アーリアの背に黒髪の専任騎士、老紳士の背後に灰髪の護衛騎士、琥珀眼の専属騎士とアルカードからついてきた護衛騎士たちはドアの外と料亭の内外に控えている。

 高級料亭なだけあって防犯面はしっかりしている。

 店員たちの教育も行き届いており聞き耳を立てる者もいない。

 しかし、何処にでも耳があり目があるもの。だからこそ、アーリアは室内に入る前から自衛として《盗聴防止》の魔宝具を起動していた。


「本当によく似合っておいでだ」

「……ありがとうございます」


 少し着慣れたとはいえ、まだまだドレスを着る事に抵抗を感じているアーリアは、老紳士ガナッシュ侯爵からの言葉に恐縮し身を縮めた。世辞と分かっていても、こう何度も褒められると、恥ずかしいというよりも居た堪れない。

 しかも、南都で購入したドレスは王都の物と比べても生地が薄く、布面積が少ない。加えて身体のラインを活かした作りになっており、恥ずかしさは2倍にも3倍にも感じてしまう。いくら似合うと言われても、恥ずかしいものは恥ずかった。


「それにしても、専属騎士殿はなかなかに良いセンスをしている。いや、貴女に合うものを知っていると言った方が良いのか……執念地味たものを感じますな!はははっ」


 ガナッシュ侯爵の視線がアーリアを通り越して扉の向こうーー琥珀眼の護衛騎士の一人へと向く。

 アーリアは「執念?」と首を傾げたが、「ええ本当に、リュゼのセンスは私なんかよりずっと良くて……!」と己が専属騎士が褒められた事を素直に喜んだ。


「ハハハ!これでは彼も報われませんな、これ程強く想われていながら、本人にその気がまるでない」

「え?どういう……」

「お気になさらず。こちらの話です」


 これは手強い。ガナッシュ侯爵は向かいに座る淑女をまっすぐ見据えた。

 白磁の如き肌は瑞々しく、薔薇の如き唇は麗しい。虹の如き瞳はけぶる睫毛に隠され、稲穂の如き髪は肩を流れる。精巧に造られた人形か、それとも名のある芸術家の彫刻か。そう思える程の美貌の持ち主は、まるで自分の事を理解していなかった。本当にこれで平民出だというのか。これでは恋の重篤患者が後を絶たない筈だ。


「あの、私また何か……?」

「いいえ。些か無防備にも思えるが、貴女のその素直な性格は立派な長所でもある。無理に直す必要はありますまい」


 これ程、色恋沙汰に疎いとは想わなかったが、擦れているより余程好感が持てる。寧ろ、性格を直す必要性を感じない。これまで通り、その素直な性格で無意識にバカ共の心を折ってもらいたいものだ。

 ガナッシュ侯爵はキョトンとする生徒越しに専任騎士にも生暖かい視線を向けた。

 黒髪の騎士の表情筋は固く、視線を主から離す事はない。


「それに、()()()()は少々頭が切れるようですからなぁ」


 ガナッシュ侯爵が優雅な手つきで切り分けた魚を口に運ぶの待って、アーリアもまた食事に手をつけた。パン粉を振って焼かれた白身魚は柔らかく、ほろほろと口の中で溶ける。レモンの香りが爽やかに鼻を抜けた。


「あの……やはり何か対策を取った方が良いでしょうか?」

「いや、こちらがあちらに合わせる必要などあろうはずがない。同じ土俵になど立つ必要はないと言い換えようか」


 既に化かし合いは始まっている。とガナッシュ侯爵は語る。

 巧みな話術で、または行動で相手の本音を引き出す。決してこちらの本音を悟らせらせてはならない。あくまでも融和を持って、信頼を得つつ情報を引き出すのだ。これこそ、有効な策であり、いかにも貴族同士のやり方といえよう。だがーー


 ーたかが貴族令嬢が、どれほどの策を講じる事ができるかー


 切れ長の瞳を細めるガナッシュ侯爵。

 笑みで隠れた表情の裏にはドス黒い感情。

 例え『塔の魔女』に選ばれるほど優秀な魔導士といえども、所詮は温室育の貴族令嬢に過ぎない。

 政治の世界に身を置いた事も、同僚に足をかけられた事も、先達者から辛酸を舐めさせられた事もない。学生時代、どれほど優秀だと誉めそやされていようとも、所詮学生の域を出ない。もし、大人相手に自分の手腕が通用すると思っているのなら、それは大きな間違いだと言えよう。


「……先生、お手柔らかにお願いしますね?」


 ガナッシュ侯爵の笑みに不穏な雰囲気を察し、アーリアは内心額に汗しつつ言葉を濁す。こういう表情をする王侯貴族を知っている。きっと自分が考える以上にロクデモナイ事を考えているに違いない。


「なんとお優しい。しかし、その優しさは時に毒となりますぞ?」


 チクリと忠告。『邪魔するな』。もしくは『お前もその程度か』との意味だろう。

 ガナッシュ侯爵の口元は笑んでいるが、目は笑っていない。アーリアは思わず生唾を飲んだ。


「まだ実害はありません。何も起きていないのにーー」

「実害があってからでは遅い。それに、あちらが仕掛けて来ているのは覆しようのない事実なのです。防御策を取るのは当然で、正当防衛以外の何物でもない。そうは思われませぬか?」


 アーリアはまた眉を顰めた。ガナッシュ侯爵の言葉には説得力があり、思わず納得しそうにもなるが、それでも未だ実害のないものに対処するのは無意味ではないかと考えてしまうのだ。そう考えるのは、未だ、直接本人と対面していないからなのかも知れない。

 人物像を知る為の手掛りが手紙しかなく、その手紙の内容も『恋の相談』という他愛もないもの。実害は今のところない。ーーが、ガナッシュ侯爵に言わせれば、既にアチラは仕掛けてきているという。

 実際、『恋の相談』を足掛かりに、『東の塔の魔女』を『塔』から引き離す事に成功している。それを実害と言わずに何とする。

 しかも、彼方は何かしらの思惑があって接触してきている。それも、良からぬ方向で。ーーというのが侯爵の見解であった。


「確かに身を守る為に火の粉を払うのは当然です。火が燃え移ってからでは遅いのですから。けれどまだ、彼女から何をされた訳でもありません。ひょっとしたら本当に『恋の相談』をしているだけかも知れないでしょう?」

「確かにその可能性はなくはないが……」


 ガナッシュ侯爵が僅かに眉を顰める。自分で言っていても違和感のある言い訳だと、アーリア自身も思ってはいた。

 護衛騎士をはじめガナッシュ侯爵たちに何らかの画策がある事は知っていたが、事の詳細そのものは聞かされていない。意図して伝えていないのだろう。

 彼らは決して、アーリアを軽視していた訳ではない。知らない方が上手く事が運ぶとの考えがあってのことだ。それはアーリアにも分かっていた。だからこそ、アーリアもまた、彼らに詳細を求めなかった。

 護衛の騎士たちーー特に、リュゼには絶対的な信頼を持っているので、アーリアが疑う事はない。ナイルにしても、彼が自分に対して不利になる事などしないという確信があった。


 ところが問題なのが、目の前のこの御仁、ガナッシュ侯爵である。


 このガナッシュ侯爵というお人、こう見えて元システィナ国宰相という肩書きを持ちながら叛逆という大罪を犯した過去がある。

 大貴族としての風格と冷静沈着な佇まいからは想像つかないが、彼は決して聖人君主ではない。寧ろ、理想の為なら親兄弟の首でも差し出せる、過激な思想を持ち併せているのだ。現に宰相時代、国の為ならという理由で白も黒にしてきた実績がある。その実績を見れば、『邪魔だから』『面倒だから』と、今回の問題を十把一絡げに処理(意訳)し兼ねない。


「くれぐれも穏便にお願いしますね?」


 差し出がましい願いだと分かりつつそう思いつつおずおずと告げれば、ガナッシュ侯爵は一拍間思案した後、ニコリと微笑んだ。


「勿論ですとも。なぁに、身の程知らず共に少々お灸を据えてやる程度です。ですが……多少の火傷はご容赦願いませんと」


 多少で済むのか?とアーリアの顔は青い。

 彼は攻撃を受けたと見做した瞬間、相手を敵と認識し、再起不能なまでに粉微塵にする違いない。寧ろ対岸の火事を良い事に、焼畑よろしく隅から隅まで焼き尽くすかも知れない。

 運悪く(?)数多くの高位貴族との付き合いがあるだけに彼らの思考が予測できてしまったアーリアは、己の想像が強ち間違っていない事を確信し、深々と溜息を吐いた。『こういう類の人間に何を言ったところでムダだ』と。


「分かりました。精々こちらに火の粉が移らないように気をつけます」

「よろしい。私の生徒ならば、それぐらいでなくば務まりまりますまいな」


 ハハハと軽快に笑う紳士から目を逸らすと、アーリアはハァと溜息をついた。

 こっそり背後の護衛騎士へ視線を向ければ、真面目な表情を崩さぬまま黙っている。視線をあわせれば頷きを持って応えられたので、どうやら彼は珍しく侯爵の考えに賛同しているらしい。

 自分の絶対的な味方である筈の専任護衛騎士ですら賛同している始末。暴走気味(だとアーリアには思われる)ガナッシュ侯爵を止める者が、この場にはいない。

 面倒な事になったな、とアーリアはシャンデリアを見上げる。この面倒な状況から脱するには、貝にでもなったつもりで黙するしかない。


「くれぐれも無茶はなさらないでくださいね?」

「ハハハ、分かっておりますとも」

「…………」


 全くアテにならない言葉を耳に、アーリアは明日会談予定の同僚が、何も可笑しな真似をしない事を願うしかなかった。

 それもこれも余計な事をしてくれた『南の塔の魔女』エイシャの所為。調子に乗ってしでかした己が所業を恨むがいい。全てが自分が撒いた種なのだから。ーーそう、アーリアが投げやりになるのにも理由があった。



 これら全てはアーリアが『南の塔の魔女』エイシャから、そして南都領主からの誘いを受けた事から始まった。



 ーー更に遡ること一週間前。



「え……南の塔との交流会?」

「そう。アチラの領主経由でお誘いがあったんだよね」


 アルカード領主カイネクリフに呼ばれたアーリアは、領主から切り出された話を前に、大きな目を一段と丸めた。


「『南の塔の魔女』エイシャ嬢とは仲が良いんだって?なんでも、『恋の相談』を受けるほどだとか……?」


 確かにアーリアは『南の塔の魔女』エイシャとは文を取り交わしているが、仲が良いかと言われたら社交辞令の域を出ない。『恋の相談』なるものを受けていても、二人は友人関係になかった。

 そもそもアーリアとしては、仕事の一環としての付き合い以上する気はなく、エイシャとは同じ職に就く者という認識しかない。


「いえ、特に親しい訳ではなくて……」

「ふぅん、なのに『恋の相談』を?」

「『同じ塔の魔女にしか分からないから』って、エイシャ様が……」

「へぇ。『同じ塔の魔女にしか』、ねぇ?」


 アーリアの話にカイネクリフ卿の瞳が薄く、細く眇められていく。

 

「カイネクリフ様、やっぱり個人的に手紙をやり取りするのは拙かったですか?」


 個人的といっても、アーリア個人に直接送られてきた訳ではない。アルカード領経由、『東の塔』宛に送られてきたので、当然検閲は入っている。勿論、アルカード領主であるカイネクリフ卿にも、事前連絡は入っている筈であった。


「拙いなら初めから君に手紙は渡っていないよ」


 にっこりと微笑むカイネクリフ卿を見て、この件で咎められる事はないと確信し、アーリアは「良かった」と胸を撫で下ろせば、それを見たカイネクリフ卿は意地悪そうに「ただ……」と付け加えた。


「ただ、君があの様な内容をマジメに取り合うとは、思っていなかっただけさ」


 この短い間の付き合いだが、アーリアの為人をある程度掴んでいたカイネクリフ卿は、『恋の相談』という乙女ワードには大いに首を傾げる。

 どう見ても恋だの愛だのに疎そうなアーリアが、まさか他人の恋バナをマジメに付き合うとは、愛の伝道師(自称)としても青天の霹靂で、『何らかの思惑があるのでは』と裏を疑っても不思議ではない案件であったのだ。

 すると、そんなカイネクリフ卿の心境を知ってか知らずか、アーリアは「ああ、その事ですか」と前置きした後、「だって、あの手紙って社交辞令で、所謂仕事の一環ですよね?」と言ってのけるではないか。これには『ヤケドは怖いけど死ぬまでに一度は付き合ってみたい貴族令息ランキング』上位常連のカイネクリフ卿も目を見開き、次いで眉を顰めて怪訝な表情になった。


「は? なんだって……?」

「だから、あれも仕事の一環ですよねって。だって、彼女は『南の塔の魔女』として、『東の塔の魔女(わたし)』に相談を持ちかけてきたんですから」


 個人的な相談だもしても、アーリアを名指ししたのなら、『同じ塔の魔女として』と前置きする必要はない。それなのにわざわざ明記したのなら、個人というより肩書きを持つ公の立場のアーリアに答えを求めたということ。つまり、『塔の魔女』としての回答を要求されたのだから、仕事の一環であるとアーリアが捉えたとして、何の不思議があろうか。

 

「ん? はーん、成る程成る程そういう事ね……」


 見た目を裏切る回答に、カイネクリフ卿の思考が遠くなる。子女は皆、恋愛の話が好きだと決めつけていた訳ではないが、これ程までに恋愛脳のない子女も珍しい。しかも、『仕事>恋愛』とドキッパリ公私を区別できるとなると、もっと希少だ。


「あくまでも仕事上の付き合いだと?」

「勿論です。ですから『同じ塔の魔女として』対応していました。あの、私の対応に何かおかしな点でも?」

「とんでもない!素晴らしい対応だよ」


 まさか、この様な返答が来るとは考えてもいなかったカイネクリフ卿だが、思えばアーリアに恋愛脳はない。その事を念頭に置けば、寧ろこの様な対応である事の方が納得できるというもの。一体、自分は何を心配していたのだろうか。

 アーリアに世間の子女並みの恋愛脳があれば、今頃、今をトキメク近衛騎士、アルヴァンド公爵令息と恋仲であって然るべきではないか。本人に自覚はないが、あれ程分かりやすくアピールしている公爵令息を袖にしておいて、今更他人の恋の相談に乗っているなど、そちらの方がどう考えてもおかしな状況にある。


「あー、うん。ますますジークが不憫でならないよ」

「……?」


 何故このタイミングでジークの名が出るのか、首を傾げるアーリア。対して、すっと目線を遠くしたカイネクリフ卿。従兄弟に対する同情で胸がいっぱいだ。


「うんうん、ならば余計な心配は無用だね」


 こほん。側近のわざとらしい咳に思考を切り替えたカイネクリフ卿は腕を胸の前で組み直す。


「それで、交流会の件だけど……」

「決定事項なんですか?」

「残念ながらね。目的はあくまでも外交。いわばビジネスだ。南都の領主経由で来た話だが、許可を出したのは王宮。こちらもその気で望まねばならない」


 両の指をからめ顎の下に置いたカイネクリフ卿。青い瞳が机上に放り出された書類を一瞥する。愉快な気分でない事は一目なのだが、カイネクリフ卿は笑顔絶やさぬまま、「けれど、なにもマジメに取り組む必要もない」と意味深な言葉を紡いだ。


「塔の魔女同士の交流会がメインなんだ。君は南の魔女と直接言葉を交わし、『恋の相談』とやらを受ければ良い。つまり、それ以上の仕事は君の範疇に無いということさ」


 本来外交は我々の仕事だからと、カイネクリフ卿。


「君は『東の塔の魔女』であり、その仕事は東の国境へ《結界》を施すこと。本来、それ以上の仕事を望んではいけないんだ」


 それ以上は規約違反でありオーバーワーク。無理をさせて国境の守護に何かあっては意味がない。ーーと、真顔のカイネクリフ卿の言葉には棘がある。眼鏡を押し上げる領主側近は、不機嫌さを隠しもしていない。


「今回のこと、本意ではないのですか?」

「勿論だとも!君の健全な生活を守るのは、アルカード領主たる私の仕事だ。わざわざ危険に晒すバカがどこにいる?その辺、もう少し私を信頼してほしいところだね」


 アーリアから疑いの目で見られたカイネクリフ卿は肩を竦める。


「因みに、伯父上の本意でもないよ。それどころか、今回の事には大層憤っておいでだろう」


 直接会ってはいないが、声だけでも怒りが滲み出ているのは明白で、カイネクリフ卿はこの度の元凶に対して少なからずの同情を示した。

 元凶は知らない。アルヴァンドの名の持つ者が、己が身内を攻撃されて黙っている筈がないと。

 それは自身も同様で、アルヴァンドの名の下保護する魔女が貶められる事は、気分の良いものではない。相手は魔女本人を貶しているつもりであろうが、実際には同時に保護者たろうとする者たちを貶している。


「ルイスさまも?」

「『アルヴァンド』は愛情深いんだよ。娘のように可愛がっている君を、どうして見捨てると思うんだい?」

「あっと、それは……」

「ああ、王宮が許可を出した件ね。それには様々な思惑があるんだよ……」


 『様々な思惑』とは、言い換えれば『様々な人の思惑』。王宮に属する者、国防に関わる者、国益に携わる者、国を司る者、様々な人の思惑が絡んでいる。

 また、『東の塔の魔女』を南都へ派遣するメリットとデメリット。それらを天秤に掛けて、今回の派遣が決定されたという。いくら憤りを覚えたとしても、国政を蔑ろにする訳がない。ならば、この交流会を行うべき『何か』があるということ。

 

「仕事というのなら、お引き受けするしかないですね」

「勿論、仕事さ。特別手当も出るよ。ああ、やはり君なら分かってくれると思ったよ」


 アーリアがにっこりと微笑めば、カイネクリフ卿は王子はかくやという笑顔で応じる。笑顔の裏に何仄暗いものが見え隠れするが見ないふりを。世の中、知らない方が良い事は山とある。知ったが最後という事もあるのだから。


「交流会の準備なんかはコチラに任せてくれたまえ。君は身一つで行ってくれたら良い。準備ができ次第、連絡を寄越すよ。ああ、あまり硬く考えないでくれたまえ。観光だと思えば幾分気分は軽くなる。そうだね、気軽に南都観光とでも思ってくれるかな?」

「わかりました。そう思う事にします」


 頭を下げると、これ以上話す事はないとアーリアは席を立った。

 決定事項を覆す権限も権力もない。今回の交流会は寝耳に水だが、駄々を捏ねて無理矢理連れられて行くよりも自ら足を運んだ方が、幾分かマシだろう。

 交流を望んだのは『南の塔の魔女』。けれど、案内を送ってきたのは『南都領主』。不穏なキーワードは多々あるが、それを考えた所で疑問が解決する訳ではない。それほど興味がないと言い換えようか。それ以上に思うのは、何故自分はこうも面倒事に巻き込まれるのかということだ。


「南都観光かぁ。南都と言えば海と砂漠。なら、海竜(シー・サーペント)の鱗でも探しにいこうかな……?」


 領主室からの帰り道、アーリアの脳内は既に南都産の魔宝具と素材アイテムの事でいっぱいで、交流会の事などすっかり遥か彼方へ飛んでいた。

 次に交流会を意識したのは、南都へ着いて身支度を整え、マナーレッスンと称してガナッシュ侯爵と食事をしている最中ーーそう、今この瞬間であった。


「いやぁ、明日が楽しみですなぁ!」

「だから、ほどほどになさってくださいね?」

「はっはっはっ」

「ハア、不安だなあ」

「ほらそこ、肘が下がっておりますぞ?背筋も正して」


 言われた通り背筋を伸ばしつつ、イイ笑顔の侯爵を前に、アーリアは他人目も憚らず本音を吐いた。「早くお家に帰りたい」と。







 



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『常夏の街と恋の罠3』をお送りしました。

『何者か』の思惑によって決定された南都訪問。

仕事ならばと引き受けたアーリアですが、面倒な仕事を前に特別手当と南都観光だけでは釣り合わないと、今更ながらに不貞腐れています。

因みに、アーリアのドレスはガナッシュ侯爵の指示によって予め店にサイズが伝えられており、アーリアが店に訪れた時には既に数種類が用意されていました。


次話、『常夏の街と恋の罠4』もぜひご覧ください!


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