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魔宝石物語  作者: かうる
魔女と砂漠の戦士
459/498

祝勝会

 柔らかな茶髪を緩く編み肩へ垂らした青年は、蕩けるような笑みを浮かべている。

 小首を傾げ、頬に指を添える青年の、まるで愛する者へ向ける笑顔に、通りすがった若いメイドがぽおっと頬を染めた。


 侯爵家の出自だという彼は、32という年齢から見るともう若手とは言い難いが、その整った容姿は年齢よりも彼を若く見せていた。

 すらりと長い手脚に均等のとれた肉体、知性を感じさせる顔立ちは、さぞ名のある貴族子弟なのだろうと憶測を生む。実際名のある貴族家出身なので、縁を繋ぎたいと思う令嬢は後を経たない。

 そんな彼の威圧を感じさせぬ優しげな雰囲気から舐めてかかり、痛い目を見る者も多い。プライドだけは一丁前の若手騎士などは特に。

 そういう者たちは後に思い知る事になる。

 彼の笑顔は見せかけであり、相手を油断させる為の罠。偽装であると。

 見た目で判断して反抗し、笑顔でボコボコに叩きのめされ、出ている杭を悉くをへし折られた若手騎士の半分は職を辞し、もう半分は生涯舐めた真似はしないと誓うという。間違っても抗議などしようものなら、微かに残ったプライドまで根こそぎ刈り取られてしまう。ーーそれを身を持って体験してきた騎士たちは、こうして彼がーー『東の塔の騎士団』副団長アーネスト・フォフ・ヴィッテンフェルトが微笑みを湛えている時ほど注意を払う。

 笑顔の裏に何かが隠れている。それも、彼の笑みが深ければ深いほど、ロクデモナイ何かが。

 

 しかし、騎士でないアーリアはアーネストの本性が見た目と異なる事など知りようもない。

 アーネストはアーリアの前では常に穏やかな笑みを浮かべているし、声を荒げる事もない。叱られた事もなければキツく諭された事もない。ただただ慈しみの表情で見守られているだけなのだ。

 だからと、アーリアはアーネストが見た目通りの優しいだけの騎士とは思ってはいなかった。

 アーネストはこの若さで騎士団の副団長という地位を誰もに認められている。システィナで一番、戦火に近いアルカードで、一番死と近い『東の塔の騎士団』に属し、しかもそこで副団長という地位にある。そんな男が見た目通りの優男の筈がない。


「祝勝会、ですか?」

「ええ。アーリア様が回帰なされた事を、騎士団全体へ伝えたいと思いまして」


 領主官邸での生活にも慣れ始めた頃、領主との朝食後すぐに現れたアーネスト副団長は、開口一番こう宣った。「魔女様の奪還と快気を祝う祝勝会を行いたい。つきましては、是非とも参加頂きたい」と。


「そう深く考えなくとも大丈夫だよ。祝勝会と言っても、貴族の夜会のような堅苦しいものではないから」


 そんな大それた事を、と言葉に詰まるアーリアへ領主はひらひらと手を振りながら答える。

 夜会と言うより打ち上げのようなもの、集まるのは塔の騎士だけ、それ程気をつけるマナーもない、と言われた所で所詮は貴族の集まり。夜会と毛はどの差はない事は容易に知れた。


「無事、『塔の魔女』をライザタニアより奪還できた事を、騎士たちに示すべきだからね。……彼ら、ああ見えて君を取り戻す為に尽力したんだよ?」


 祝勝会と聞いて表情の固まったアーリアにアーネスト副団長は内心やはりと眉を下げる。公の場へ出る事を得意としない気質にあるアーリアが、今回に限り快諾すると思ってはいなかったのだ。

 そうと知りつつも誘いをとフォローを入れるのはアーネスト副団長の旧友でもある領主カイネクリフだ。


「すみません。皆さんに迷惑を掛けておきながら、何の配慮もできていなくて。自分の事ばかり考えて、恥ずかしいです」


 散々助けてもらいながら、助かった後は関係ないとばかりに拒絶の態度をとるなど、恥知らずでしかない。

 アーリアが無事祖国へと帰還できたのは、運でも奇跡でもない。アーリアの無事を願い行動した者たちがいるからだ。それは何も王太子殿下や宰相閣下だけではない。騎士たちの尽力あってこそなのだ。

 アーリアが深々と頭を下げれば、今度こそアーネスト副団長は困ったように眉を下げた。

 集団で囲み、恩義せがましく謝罪を求める為に祝勝会を開催したい訳ではない。真にアーリアの奪還と回復を祝いたい、それだけなのだ。


「仕方ないさ。実際辛い目に遭ったのは君なんだ。彼らも感謝されようと行動した訳ではないし、わざわざ君が彼らを慮らなくとも拗ねるなんて真似はしない。彼らは彼らの存在意義の為に動いたに他ならないのだから」

「我々は貴女をお救いする為に動いてはおりましたが、それは何も貴女に感謝されたいが為ではございません。貴女をお救いしたかったのは我々のエゴ。我々の為でもあったのですから」


 守るべき主を奪われて何もせぬ騎士などいない。

 騎士の名誉と誇りに賭けても主を取り戻す。

 その為には手段は選ばない。

 どれ程泥を被ろうと、必ずこの手に取り戻す。


 今回、アーリア奪還に於ける騎士たちのスタンスは報復。決して大っぴらにして良い理由ではない。

 主であるアーリアの生命の安全な奪還という目標は当然ながら、自分たちの欲望の為に動いたと言われたなら否定はできない。

 主奪還に向けての指揮をとったアーネスト副団長はその事を嫌と言う程理解していた。良い訳などできない。


「もし、そのような態度に出た者がいたとしたら、それは私の落ち度でしかありません。遠慮なくその者の名をお申し付けください」


 対処します。とにこやかに笑うアーネスト副団長の背後に黒い影を見たアーリアは、ぞくりと背中を震わせた。


「帰還を知る者の中でも、貴女の姿を見ていない者たちは未だ不安に思っています。そのような者たちへ回復なされた貴女の姿を見せて欲しいのです」


 帰還後の住まいを騎士寮から新築された領主館、その領主官邸へと移した事もあり、アーリアと騎士たちとの接触はぐっと減った。いつでも顔が見れた状況にあった以前とは状況が異なり、護衛担当の騎士でなければ姿すら見れなくなってしまったのだ。

 防犯面を鑑みての措置だと言われたなら否定もないが、いつでも姿を見れない現状に不安だけが募る。いくら他人からの話を聞こうと、自分の目で見るまでは安心できない。

 以前が贅沢な状況にあったのは言われるまでもないが、それでも一目、元気な姿が見たい。そう思う騎士たちの気持ちを、アーネスト副団長は痛いほど分かった。


「一目、貴女のお姿を見れば、騎士たちも安心し、満足するでしょう。体調の許す範囲で構いません。ほんの一時でも姿を出しては頂けないでしょうか?」


 そう紳士に頼まれて否を突きつけられるアーリアではない。

 アーリアは「少しなら」と祝勝会への参加を告げ、数日の後、『東の塔の騎士団』所有の迎賓館にて、祝勝会が開催された。



 ※※※



「ーー皆、よくやってくれた!我々騎士団の努力の勝利だッ!」


 ーおおおおおおおおっ……!!ー


 騎士団長の言葉が扉を隔てたこちら側まで届き、続いて男たちの雄叫びが鼓膜をピリピリ響かせた。

 自分がこれからこの中に飛び込むのかと思えば、大変胃が痛い。

 気持ちが沈み、同時に視線も下へと降りた。

 真紅のスカートの裾と、そこからちょこんと顔を出す金の靴の爪先とを視界に納めると、自然に溜息が漏れた。


「やっぱり気が乗らない?」


 隣からぽそりと問われ、アーリアはドキリと肩を揺らす。

 ここで「はい」と答えられたら幾分気持ちは楽だっただろうが、生憎、アーリアはそこまで素直にはなれない。

 アーリアの顔を覗き込む領主の髪がサラリと肩へ流れる。真白の上下に金糸の刺繍。磨かれた白い靴。肩や胸、指や耳を飾る宝石の数々。一見派手に思える夜会服も、この男にかかればただの装飾品。美丈夫をより引き立てている。


「君の気持ちを知った上で参加させているんだ。これでも悪いと思っているんだよ?」


 どの口が。とイヤミが口の中で弾ける。

 今回、領主が明らかに騎士団の肩を持った事を、アーリアは気づいていた。同時にそれも仕方ないと納得もした。だから、黙って此処にいる。


「ま、これも仕事の内と諦めて、少しでも楽しんでいってよ」


 ぽんと肩を叩いた手がそのまま降りてアーリアの手を掬う。そのまま流れるようにエスコートし、扉のすぐ側で2人は立ち止まった。


「ーーアルカード領主カイネクリフ卿、『東の塔の魔女』アーリア様、ご入室です」


 名を呼ばれドキリと心臓が跳ねる。

 いよいよ出番が来てしまった。


 ギィと蝶番が音を鳴らし、係の者の手によって扉が左右同時に開かれた。眩い光がアーリアたちを包み、同時に数多くの拍手の渦が巻き起こる。


 仕事としての夜会参加は義務として慣れたーーというより諦めがついたが、だからと参加に前向きに慣れた訳ではない。

 元々、人前に出るのが苦手なのだ。この様に注目の的となる場など、本来なら来たくもないのだが、この日ばかりは仕方がない。

 仕方がないと思う気持ちが表情にまで出ていたのだろう。隣で手を引く麗しの領主が顔を正面に向けたままに「ほら笑って」と声をかけてくる。やはり仕方なくぎこちなく笑い、光差す中へ足を踏み入れた。


「おお、アーリア様だ」

「ああ良かった、顔色も良さそうだ」

「ご健在で何よりだ」

「ご回復なされて本当に良かった」


 彼方此方からホッと息吐く言葉が聞こえる。皆、アーリアを見るなり「良かった」と胸を撫で下ろしている。誰からも責める言葉がないのが、今は、ただただ救いに思えた。


「ーー皆さま、今宵はお忙しい中お集まりくださりありがとうございます。ささやかではありますが、皆さまへの感謝と労いの思いを込めまして、お酒とお食事をご用意してあります。時間の許す限り、ごゆるりとお寛ぎください」


 領主の挨拶の後、アーリアは()()の一人として挨拶をした。

 か細く小さな声ではあったが、騎士たちは皆、耳を澄ませ、一言も漏らすまいと聞き入っていた。

 緊張しガチガチのアーリアを見て、騎士たちは皆、未だ体調が芳しくないのかも知れないと勝手に想像し、それでもこの様に参加している事を嬉しく思った。

 また、頬を染め、肩を振るわせながらも言葉を紡ぐアーリアを見て、「可憐だ」「麗しい」「守ってさしあげたい」と口々に言い合う。

 絹糸の如き真白の髪は光を帯びて美しく、薔薇の蕾の如き唇は瑞々しく、そして陶器の如き肌は麗しい。

 以前にも況して華奢さを感じる肩に、皆はライザタニアでの苦労を慮った。さぞご苦労が絶えなかったのだろうと。


 ライザタニアの工作員の手により背に大きな傷を負い、拉致され、ライザタニア王宮での監禁を余儀なくされたのだ。

 また、ライザタニアでは王侯貴族たちの心無い言動に、どれだけ心を痛めただろうか。それらを想像するだけで、心が抉られたかのように痛む。騎士たちは己が主と仰ぐ魔女の望まざる境遇に、涙した。

 騎士たちが勝手に心を痛めている事など、当の本人は気づかない。

 手に渡されたグラスの泡が下から上へぷくぷくと上がって行くのを見つめていたアーリアは、「グラスを手に!」という言葉にハッと我に返った。


「『東の塔の騎士団』の益々の発展を祈念しーー乾杯!」


「「「乾杯!!」」」


 ルーデルス団長の言葉と共に小和され、グラスが高々と掲げられた。そして、グラスに口をつけ、次々と中身を飲み干していく。

 因みにアーリアが渡されたグラスの中身は、ただの炭酸水。用意したのはリュゼである。

 口の中が幾分スッキリとしたところで、歓談となった。


「アーリア様、ご体調はどうですか?」

「ミシェルさん。ええ、もう大丈夫です」

「それは良かった!あ、でも、戻って来られたら季節が進んでいたと思うんですよ。くれぐれも体調に気をつけてくださいね」

「ありがとうございます」


 勇気ある一番乗りは、騎士団のお調子者ことミシェルであった。

 騎士団長はじめ上司の騎士たちに睨まれていては、流石のミシェルも「調子はどうっすか?」などと軽口は叩けない。

 おちゃらけた雰囲気のミシェルも、この日ばかりは殊勝な態度でアーリアと対応した。というのも、いつもより周りの目が多く、また鋭いものだったからだ。


「アーリア様、故郷では何を召し上がっておられましたか?やはり郷土料理を?」

「いえ。恥ずかしながら、殆ど家から出なかったんです。だから、料理といえば兄の作るものばかりで」

「アーリア様のお兄様ですか……?」

「ええ。兄の料理は絶品なんですよ?」


 滑り出しが良かったのか、二人目からは流れるように対応できた。緊張していた対話だが、騎士たちも気さくな話題を選んでくれたおかげで、思っていた以上に和やかに過ごす事ができた。


「アーリア様、今日のお召し物も麗しいですね?」

「ありがとうございます。これは王都にいる時にルイス様が選んでくださったんです。あでも、これ、私には少し可愛すぎますよね?」

「とんでもない!とてもお似合いです!」

「ありがとうございます、お世辞でも嬉しいです」


 騎士たちの言葉に一つひとつ返していくアーリア。

 容姿を褒め、ドレスを褒められて、お世辞と分かっていても悪い気はしない。


「アーリア様。今度、アーリア様がオーナーとなられる雑貨店をつくられるとお聞きましたが……」

「お耳が早いですね?はい。カイネクリフ様にも手伝って頂いて、小さな小物店を。店の片隅に私の作る魔宝具を置かせて頂ける事になったんです」

「それはすごい!是非、オープンの際には足を運ばせて頂きますね」

「ありがとうございます。でも、騎士の皆さまが欲するような物があるかは分からないので、期待なさらないでくださいね」


 故郷の話、家族の話、王都で過ごした日々、リディエンヌやジークなど大切な友の話、大好きな魔宝具についてなど、アーリアは時間の許す限り、騎士たちとの交流を果たした。

 ぽつりぽつりと恥じらうように話すアーリアに、初めは緊張していた騎士たちも、ようやく現実を受け止められてきた。


 生きて目の前にいる!

 無事な姿をこの目で見れた!

 自分たちの努力が結ばれた!


 辛い経験をしてなお、それを表に出すことなく平気な顔をして健気な姿を見せるアーリアに、騎士たちは胸を熱くする。

 そうでなくとも、可憐な衣装を纏うアーリアは精霊のように可愛い。

 絹糸のような髪がさらりと流れる様も、オパールのような瞳がキラキラと輝く様も、白い肌が淡く色づく様も、何もかもが麗しくてたまらない。

 久々に見た魔女姫は、想像の中の彼女よりもずっと美しいのだから、騎士たちの心は浮き立ちだって仕方がなかった。


 少しでも長く、その声が聞きたい。


 騎士たち一人ひとりの気持ちは皆同じで、だからと病み上がりに無理をさせてはいけない。

 平素は騎馬で大声をあげる男たちが、皆そわそわと魔女の周囲に集い、小声で話す様子は違和感だからではあったが、見ようによっては微笑ましくもあった。

 あと一人、もう一人、と会話を続ける騎士たちの緊張を破ったのは、曲調を変えた管弦楽の調べだった。


 舞踏会でよく流れる基本の一曲。システィナ社交界で最も知られたワルツであった。


「アーリア嬢。ぜひ、私と一曲お願いできますか?」

「……はい、喜んで」


 アーリアは目の前に差し出された手を僅かに迷ってから取った。

 黄金の髪が魔術の灯りを受けて眩いほど輝く。

 微笑まれた口の隙間から見える白い歯が光り、海の青さを切り取った瞳にはアーリアの白い顔が写る。


「緊張しているのかい?」

「……ええ、少し」

「何も心配する事などないさ。君は黙って私に身を任せていれば良い」


 ほら、いくよ。金髪の貴公子に手を引かれホールの中央へ。そして前奏が終わり、曲が始まった。


「ね、心配などないだろう?」

「っ!……はい」


 カイネクリフのリードにアーリアは迷う事なく足を運ぶ。まるで羽が生えたかのように身体が軽い。ステップも軽やかで、カイネクリフの胸の中で回り、回され、背中を反る。ふわりとスカートが風に膨らみ、メロディと共に舞う。


「カイネクリフ様は、本当にお凄いですね?」

「ははっ、何のことだか」

「まるで舞姫にでもなったかのような錯覚がします」

「錯覚じゃないさ」

「成る程、モテる理由が分かりました」

「顔も性格も良いからね。当然だよ」


 さぁ、笑って。クライマックスだ。

 アーリアはカイネクリフの言葉に従って、ふわりと笑った。

 その艶やかでいて清純な微笑みを見た観客たちは、揃って顔を茹蛸のように赤らめた。


「ーー姫、私とも一曲お願いできますか?」


 ダンスが終わりホールの中央から外側へ出た時、ほっと息吐くアーリアの前に、力強く、そしてしなやかな手が差し出された。いつもより多くの装飾品をつけた騎士服を纏うアーネスト副団長だ。

 「はい」と手を重ねれば、壊れ物のようにそっと手を引かれ、フロアの中央まで足を運ぶ。

 片手同士を重ね、片手を互いの背に添える。

 前奏が終わり、ついに足を踏み出した。

 

 アーネスト副団長のリードは流石としか言えないもので、アーリアはカイネクリフ卿とのダンス同様、まるで自分の背に羽が生え、ダンスのプロにでもなったかの様に思えた。


「アーリア様、今宵はありがとうございます。皆、喜んでおります」

「こちらこそ対話の機会をくださり、ありがとうございました」


 あのまま対話もなく、そのままズルズルと仕事を続けていれば、魔女と騎士、互いの信頼関係は良くも悪くも縮まる事なく、次第に冷え切っていっただろう。

 いくらビジネスライクな関係が望ましいとはいえ、よそよそしさのある護衛対象と護衛騎士など、毎日が気疲れして仕方ない。

 

「皆さん、私の体調の心配ばかりなさっていて……」

「それは仕方ありませんよ。貴女はか弱い女性なのですから」


 例え、魔導士としての実力を知っていたとしても、アーリアは屈強な身体を持つ騎士ではない。触れれば容易く傷がつく、か弱い女性なのだ。


「……背の傷は、もう痛みはないのですか?」


 アーネスト副団長はこれまで誰も触れていない背の傷について問うた。

 ライザタニアの工作員ーー黒竜の爪によってつけられた傷は深く、また毒により爛れ長く苦しんだ事を、報告で知った。


「ええっと、はい。もう、痛くはありません」


 痛くはないが、まだ薄っすらと傷跡が残っている。

 魔力の戻ったアーリアが自身の魔術によって《完全回復》を掛けたが、それでも残った傷に驚きを隠せなかった。

 システィナへ帰ったアーリアが故郷にて師匠による治療を受けた時、その傷の理由に『妖精による呪い』であると断定した。

 黒竜の亜人であるセイが無意識に『所有』の証を残したのではないか、というのが見解だった。

 アルカードへ戻ったアーリアは数日後、交換留学として現れたセイに傷について詰め寄ったが、本人は全くの無自覚で、「え!?そんなコトしてないよっ!」と驚いていた。


「……そんな訳で傷が残っちゃって。お師さまによれば、呪いをつけた黒竜ーーセイを倒せば消えるんじゃないかって。兄さまなんて怒り狂っちゃって、セイを嬲り殺すって息巻いてて……。あ、大丈夫ですよ。とりあえず自分で解呪してみるって説得してきたので」

「そっ……、っ………………」


 アーリアの言葉にアーネスト副団長は絶句して、言葉を紡げずにいる。

 視線はドレスのレースに隠された背に向けられた。

 ぱっと見た目には分からない。けれど、そこに傷があるのかと思えば、胸が痛み、頭に血が上り、身体が強張るようだった。


「それは、お辛いですね……」

「え?ええ。でも、もう痛くはないし生活への支障もないので大丈夫です。貴族令嬢のように婚姻が義務でもありませんし、その予定もないですし、今のところ何も困ってはいませんから」


 ケロリと答えるアーリアだが、年頃の令嬢が消えぬ傷を持つなど、アーネスト副団長にすれば、驚愕の事実でしかない。

 それでなくとも、ライザタニアへ囚われたアーリアを『傷物』と呼ぶ者が出ないとも限らない。口に出さずとも思っている者もいるだろう。そのような者からの視線は、陰口は、アーリアを無意識に傷つけていくに違いない。


「本当に、大丈夫ですよ?」

「っーー!」


 気遣うようにニコリと笑うアーリアに、アーネスト副団長の心臓はこれ以上なく締め付けられた。

 なんと強く、美しい魔女だろう。

 こんなに麗しい令嬢は見た事がない。

 ぎゅうっと締め付けられる心臓と、火照っていく身体に、アーネスト副団長は堪らず瞳を閉じた。そしてーー……


「わっ!?」


 アーリアの膝裏を掬い、その場で大きく回った。

 わああああああ!!と歓声が起こる。


「アーリア様、笑ってください。貴女が笑っていてくださるだけで、私はーー我々は幸せな気持ちになります」


 ーーいいえ、もう幸せです。


 厳しい顔をしている事の多いアーネスト副団長の心からの笑顔に、アーリアはあっと目を見開き、そして応えるようにフワリと笑った。


 アーリアはアーネスト副団長とのダンスの後、生真面目騎士ナイルと『基本の3曲』と呼ばれるダンスを3曲続けて踊り、祝勝会は幕を閉じた。






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『祝勝会』をお送りしました。

アーリアと騎士団との間にできた僅かな溝。それを埋めるべく、アーネスト発案による祝勝会が催されました。

案の定、ドレスを纏いダンスを踊る事になったアーリアですが、指導教官による一夜漬けのレッスンで、なんとか事なきを得ました。

といっても、ダンスは基本をさらうのみで、指導教官からの「もし足を踏み転ぼうものなら、それは相手のリードが下手なだけ。だから安心して踏みに行け」とのアドバイスにより、いつもより心軽く参加しました。


次話もぜひご覧ください!

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