専属騎士と専任騎士
その通知は、アーリアが王都からアルカードへ戻って数日経ち、ようやく日常と呼べる生活が戻って来た時に齎された。そしてそれは、ある騎士にとってようやくと思うものだった。
「ーー現刻をもちまして、アーリア様の専任騎士を務めさせて頂きます。どうぞよろしくお願い致します」
腕を後ろ手に組み、直立不動で立つ男を前に、アーリアは和やかな笑みを浮かべたが、内心では「やっぱり諦めてはくれなかったか」と諦めの境地であった。
アーリアの内心に反し、目の前の黒髪黒目の男はどこか誇らしげにも見える。というのも、男としては念願叶って専任騎士となれたのだから、感慨も一入である。嘆願書を認め早三ヶ月。ようやっとという気持ちさえあった。
「あの、ナイル……本当に後悔はありませんか?」
「後悔などあろう筈がありません。これは私が望んだ事です」
ドキッパリと言い切られ、アーリアはこれ以上の追求を諦めた。もともと、生真面目騎士ナイルが己が信念を持って決めた事を覆せるとは思ってはいなかったからだ。
アーリアとしては、自分の人生にこれ以上他人を巻き込みたくない。そんなのはリュゼだけで十分。いや、出来ればリュゼも自分から解放したい。それなのに、ナイルもが専属騎士に名乗りを挙げたので、困惑以上のなにものでもない。
どうしてまた侯爵家出身の貴族令息がこんな平民の女魔導士に仕えたいと思うのか、理解に苦しむ。
「そう言わないであげてよ」
「リュゼ……」
ナイルを信頼していない訳ではない。ただ、前途ある騎士を自分の人生に巻き込みたくないだけなのだ。
そうだとしても、主となる者から拒絶を示されて良い気分はしないもの。リュゼにはアーリアとナイル、どちらもの気持ちが分かるからこそフォローに余念がない。
「アーリアはさ、別にナイルを拒絶している訳じゃないんでしょ?」
「…………できれば、人生を棒に振る事になる選択を止めたくて……」
チラチラとナイルへ視線を向けながらボソボソと本音を口にするアーリアだが、ナイルの為と言いながら自分の為であったりもするので、少し気まずい。
「であれば問題ありません。専任騎士になれと誰かに頼まれた訳でも、押し付けられた訳でもありません。私は、私の意思で人生を選択したまでに過ぎないのですから」
そこまで言い切られてなお、アーリアはナイルへの疑惑を晴らす事ができない。
しつこいとは思うが、再び「本当に?」と問おうとした時、「未来永劫、絶対に、です」とナイルによって念を押されてしまった。
アーリアは一度唇を引き結んだが、やはり納得できずに口を開いた。
「嫌になったらいつ辞めても構わないからね? 退職金は勿論出るし、再就職先を探すのも手伝うから」
「アーリア、君ねぇ……」
これには流石のリュゼも呆れ顔だ。
遠回りに辞職を勧められたナイルは苦渋の表情を僅かに滲ませたが、表面上は平静を保っていた。アーリアが渋るであろう事は想定済みであったのだ。
「構わない。アーリア様の反応は予想していた。それ以前に、もとより専属を増やす気でおられないのは知っていた。知っていて願ったのだ。アーリア様のお側で御身を守れるだけで、今は良い」
信頼を得られるならそれに越した事はないが、そもそも信頼とは得ようと思って得られるものではない。結果を持って培うものなのだ。
これからアーリアを真の主とし、守り、支えて、いつか信頼を得られたら、それで良いではないか。
「アーリア様を守りたいという気持ちは、私だけのものです。例え、貴女でも私の気持ちを否定する事はできない」
ズルイ。そんな言い方をされたら、受け入れざるを得ないじゃないか。ーーアーリアは唇をきゅっと閉めた。
ナイルは攫われたアーリアを追ってリュゼと共にライザタニアまで来た。その時点で諦めるべきではあった。
もとよりナイルの性分を考えれば、何をどう説こうが諦めるという選択はないだろう。
真面目を通り越して生真面目。それどころか少々融通の効かないきらいがある。そして、守るべき者を守る為ならば、多少の強引な行動もやむなしとする気質もある。あえて欠点を挙げるならそこだろう。
「アーリア様。私を認めてくれとは申しません。ただ、側にいる事を許してください」
何だか泣きそうになってぎゅっと目を閉じていたアーリアの右手を、ナイルはそっと掬い上げた。
手袋越しの指先が僅かに掌を持ち上げる。
黒皮の手袋は冷たく滑らかだが、何故か温かみを感じた。
「…………ズルイ」
「ええ、分かっております」
葛藤に苛まれているであろうアーリアに、ナイルは慰めるではなく、何故か穏やかに笑いかけた。
自分の未来を考えてーー想って、葛藤し、拒否を突きつけてくる。適当に受け入れてしまえば簡単なのにも関わらず。これ程、騎士冥利に尽きる事はない。
「アーリア様、お側で守る事をお許しください」
「…………、ゅ……許します」
アーリアはかなりの間を逡巡に当てた後、はっきりと許すと言葉にした。言葉にした以上、それを人が聞いた以上、覆す事はできない。そして、ナイル程でないにしろ、真面目なアーリアが自分の言葉を反故にする事はない。
「ありがとうございます」
アーリアの手の甲へ唇を落とすのを見て、リュゼは僅かな胸のむかつきを覚えた。
その理由には検討がつく。
アーリアのすぐ側にいて守る事のできる立場を誰かと共有するのは、良い気分ではない。
だからと、子どものように醜い嫉妬はしない。
自分一人でアーリアを守り切ろうなどという考えはのは、我儘な驕りでしかないと理解しているからだ。
「ハイハイ! これでナイルが正式にアーリアの選任騎士になったというコトで! 今日はパァッとお祝いでもしちゃおうか?」
リュゼは頭に跨げた考えを振り払う様にワザと明るい声をあげると、アーリアとナイルの間に割って入った。
「お祝いか……そうだね! うん、それが良いかも」
と手を叩くアーリア。
「お祝いをして頂く理由がありませんが……?」
と頭を捻るナイル。
「理由は何でもいいじゃん。ほら、せっかく仲間になったんだから、親交を深めなきゃね!」
と片目をつぶるリュゼ。
堅物のナイルも『親交を深める』という理由に納得したようで、なるほどそれならと頷いた。
※※※
ーーということで、早速場所を移して歓迎会という名の飲み会を開いたアーリアたちは、領主館から見て左手に広がる西区、その中央に並ぶレストラン街へ来ていた。
外観は黒塗りの煉瓦造り。重厚な佇まいで、アルカードでも一二を争う有名店。会員制で一見様お断り、選ばれた会員のみのが訪れる店……ではなく、その真後ろに続く小道を下った先に建つ白塗りの建物。その壁にぽっかり空いた入口が地下へと続く店名のない少し怪しげな店に、主従3名プラス数十名が来ていた。
会議室ほど大きな個室にはアーリアとリュゼ、歓迎会の主役ナイル、何故かセイとミケールが一つのテーブルを囲っており、他の席には騎士団員たち数名がエール片手に料理に舌鼓を打っている。皆、団服を脱いだ普段着でラフな装いだ。
「てかさ、何でセイがいんの?」
「いーじゃんいーじゃん! 飲み会なんだから、人数が多い方が楽しいっしょ?」
リュゼのツッコミに軽いノリで返すセイ。
その隣でミケールが言葉遣いを注意している。
「調子に乗りすぎだ!……すみません。私たちまでお邪魔してしまって」
「ご飯は大勢で食べた方が美味しいって言いますから。それに私は全然気にしていないので。ミケールさんも楽しんで行ってください」
実際、アーリアもこんなに大勢になるとは思っていなかったが、自分の立場を考えれば、気軽に出かけられないのも分かっているので、想定内ではある。そう考えれば、人数はそれ程ではない。
「酔い潰れた奴は『特別訓練』行きだ。アーリア様にご迷惑をおかけするなよ!」
当然のように騎士たちに訓告するのは生真面目騎士ナイルだ。騎士たちはナイルの言葉に「了解でーす」とグラス片手に陽気に応えている。
「まったく!」
「まぁまぁ、今日はナイルの歓迎会なんだし、ほどほどにね」
リュゼはナイルへ冷えたグラスを渡すと、ナイルはため息吐きつつグラスを煽った。
アーリアはエールの代わりに葡萄ジュースをちびちび飲みつつ、花の様に巻かれたハムをフォークで掬い上げた。
外観は怪しげなものがあったものの、内装は清潔感があり、料理は多彩で、野菜料理から肉料理まで、様々な味付けのものが並ぶ。
アルカードは内陸で新鮮な魚料理は難しいが、それでも、なかなかに新鮮な魚料理まである。
料理はお任せで頼んだようだが、店長が面子を見て気を利かせたようで、サラダやスープ、一口大のステーキなど、女性向けの料理がアーリアの前に並んでいた。
「じゃあ改めて!ナイルの専任騎士就任を祝して、カンパーイ!」
「「「「乾杯!」」」
何度目かになる乾杯の後、アーリアはアレ?と首を捻る。
「あれ?今、『専任』って言った?『専属』じゃなくて?」
ナイルは僅かに眉を寄せ顎を下げると、「はい、私は国に認められた『塔の魔女』を守護の任に当たる『専任騎士』です」と答えた。
「リュゼはアーリア様個人を守護する『専属騎士』。アーリア様個人を守護する為、『塔の魔女』という身分や立場に囚われません。対して私は『塔の魔女』であるアーリア様の『専任騎士』です。『塔の魔女』としてのアーリア様を守護します。その為、私は『塔の騎士団』の団員を指揮する権限を得ています」
「えっと、それじゃあナイルは『塔の騎士団』と兼任って事なのかな?」
「そうなります。私としては『専属騎士』を強く願ったのですが、そう易々と騎士団を辞めさせては頂けず……」
軽く苦笑するナイルだが、この件に関して一つも納得していなかった。
アーリアに出会う前のナイルは、国と国王への忠誠を誓い、騎士として励んできた。
しかし、アーリアと出会い、アーリアの性質や生き様を間近にする事で、アーリア個人へと剣を捧げた。であるならば、『塔の騎士団』の一騎士ではなく、一人の騎士としてアーリアの側にありたいと思うのは当然だったのだ。
だが、組織というのは、そう簡単に抜け出せるものではない。
業務の引き継ぎ、給与、身分の返上変更、部署替えにより引越し、送別会等々。辞めるに当たって出てくる諸々の問題の中で一番厄介なのは、騎士としてではなく、貴族としてのパワーバランスだという。
ナイルの実家である侯爵家が所属する派閥。そんなものまで、辞めるに当たって関係してくるのだと。
「ナイルにも色々と事情があるんだよねえ〜」
ぽんっと肩を叩かれたナイルは寄せていた眉の皺を緩めた。
ナイルとリュゼとは、ライザタニアでの旅の間、様々な事で打ち解け合っており、リュゼはナイルの内情をほどほどに知っていたりする。
「元来からの貴族って色々あって面倒だよね」
「そっか、ナイルは侯爵家の出身だったよね。やっぱり私なんかの専任騎士になるのは反対されたんじゃない? 今からでも役目を返上しても構わないよ?」
「誰にどう言われようとも、辞めませんから。アーリア様もそろそろご理解ください」
温厚なナイルであってもこれ以上言うとそろそろキレられそうなので、アーリアは舌を出しつつ追撃は止める事にした。
「正直、貴族の身分が、今はどうしようもなく煩わしい。侯爵家の出自だとしても、私には侯爵家の意向も派閥も、何も関係ないというのに……」
苦悩を滲ませるナイルだが、貴族の立場や身分について理解のないアーリアには、何とも答えられない。
リュゼもそれは同じだが、ナイルを知っているだけに迂闊な発言は止めさせる事ができた。
「だからって貴族辞めるなんてコト、簡単には言えないでしょ? ご両親やお兄さんは兎も角、弟妹さんたちが困るんじゃないの?」
「うっ……」
未成年の弟妹が学生の間、兄が問題を起こす訳にはいかない。どこでどう飛び火するか分からない。
足黙ったナイルに気づかず、アーリアはごく普通に問うた。
「ご両親やお兄さんはどう思っていらっしゃるの?」
実際、未来のない職に就くのは止めろと言われているのではないか。自身の護衛がそれほど良い職だと思ってはいないアーリアは、本心からそう聞いた。
「両親は何も。私が騎士になり『東の塔』へ配属が決まってから帰省は諦めています。上の兄は、私に理解があるので問題ないかと……」
「そう……上の兄? という事は、お兄さんがもう一人?」
「ええ、まあ……」
微妙に視線を逸らすナイル。どことなく、話したくなさそうな雰囲気がある。
「アーリア様が気になさる様な事ではありませんよ。ただ、私が下の兄を苦手としているだけですので」
生真面目騎士ナイルに苦手と言われる兄その2。アーリアは少しの好奇心を得たが、だからと突っ込んでいい内容ではないような……と思っていると、他所様の御宅事情にズカズカと土足で踏み込める精神の持ち主が、ここに一人いた。
「センパイはチャラチャラしてて不真面目な男がいっちゃん嫌いだからさぁ、折り合いがつかないみたいなんだよねぇ〜。ーーあ、そこのおにぃさん、こっちエール追加で!」
空のグラス片手に割り込んで来たのは、安定のチャラ男セイだ。
「センパイには可愛い弟ちゃん妹ちゃんの他に上のお兄さん、下のお兄さんががいるんだけど、下のお兄さんとは昔っから仲が良くないんだって」
「……苦手なだけで、仲が悪いわけではない」
「そーなの? ま、どっちでもイイけど」
アーリアはナイルが侯爵家の三男とも四男とも聞いていたが、実際には侯爵家の三男である。
長男レイルと三男ナイルの母は第一夫人、次男サーベルの母は第二夫人、四男エルードと長女エルナの双子の母は第三夫人であった。
「お母様が3人……」
驚くアーリアだが、貴族が複数夫人を持つのは特段おかしな事ではない。
「派手好きの女好きで金遣いも荒い。どう考えてもセンパイのニガテなタイプだよねぇ?」
何杯目かのエールを水の様に流し込んだセイに、ナイルが鋭い視線を投げた。口には出さないが「どの口が!」と目線が語る。
「おいセイ。何でお前が俺の家の事情にそこまで詳しいんだ?」
「アハハ、何でだろうねぇ〜」
工作員として潜入していた際に全団員の情報はある程度調べてあった。また、今セイが話した内容は、そこまで隠されたものではない。少し調べれば誰でも知り得るものだ。
「俺の事はどうだって良いだろう。専任騎士となったからには、全力でアーリア様をお守りするだけだ!」
やや乱暴にナイルは空になったグラスを机へ置いた。酔いが回った訳ではないが、場の空気にほんの少し呑まれた感はある。
「リュゼは国の意向を無視してでもアーリア様個人を守れるが、俺は国の意向でアーリア様を守っているにすぎない。専属と専任はそれ程に差がある。俺にはそれが歯痒くてならないッ」
「まーまーまー、ほらセンパイ、これでも飲んで」
セイに渡されたジョッキをぐいっと仰ぐナイルは、いつになくワイルドだ。
「だが、今はアーリア様に認めてもらえるよう誠心誠意努めるだけだ」
ナイルが公私を分ける時、『私』と『俺』、主語を使い分ける。特段アーリアを相手に話す時は、言葉を改める傾向にあった。それはアーリアを主と仰ぐ上で当然の対応であったが、アーリア本人はそれを少し寂しく感じていた。
「こんな場所くらい、敬語でなくても良いのに……」
空になった葡萄ジュースの代わりに、すぐ側に置かれたグラスを取った。中には琥珀色の液体が泡をたてている。しゅわしゅわと軽い音が泡と共に上がる。
「ねえナイル」
「はい?」
不意に呼ばれたナイルはアーリアへと視線を向け、その瞬間にドキリと胸を鳴らした。
グラスを両手で持ったままじっとりと見上げてくるアーリアは、トロリとした蜂蜜のように甘いもの視線を投げかけてくるではないか。
「ナイルは私と仲良くなりたい訳じゃないの?」
「は、アーリア様……?」
「リュゼとばっかり仲良くしちゃって、私には敬語のまま。主人と護衛騎士としてキッチリ線引きしなきゃならないから?」
「あ、あの……?」
桃色に染まる頬。艶やかな唇。揺れる睫毛。さらりと肩を流れる髪。どこか甘えたような舌足らずな声。
この時になってようやくアーリアの様子がいつもとは様子が違うと気づいたナイルは、困惑のまま斜向かいに座るアーリアを見やった。
「ナイルのイジワル」
「!?」
唇を尖らせたアーリアの頬は淡く色づいており、瞳はとろんとして妙な色気が出ている。
「別に良いけど、気にしてないし。別に私だけ除け者だとか思ってないし」
ぶつぶつと文句を垂れ流すアーリアは、手に持つグラスに口をつけ、くいっと炭酸水を喉へ流し込む。
口の中で炭酸が弾ける。その度に思考まで弾けていきそうだ。
「あーーー!? 誰だよ、アーリアにカクテルなんて渡したのは!?」
異変に気づいたのはナイルだけではない。
机の下でセイと足を蹴り合っていたリュゼは、アーリアからグラスを奪うと「あーあ」と顔を仰いだ。
「あーもー、こんなに飲んでるー」
取り上げたグラスには、もう殆ど中身は残っていない。泡が下に溜まっているだけだ。
「もー! リュゼ。それ私の!」
「これはダメ!」
「やーだ。返して。リュゼのイジワル!」
「はいはい、イジワルで結構ですよ」
「むーー」
手を伸ばして強奪を試みるアーリアを押し戻すリュゼに、ナイルはおずおずと声をかけた。
「おいリュゼ。アーリア様のその状態は……??」
「あ、これ? 酔ってんの。見て分かんない?」
「その小さなグラス一杯でか?」
「そ。因みに今日のこれはまだマシな方だよ」
何せ、少量の酒で眠りこけてしまうアーリアが未だ起きているのだから。
何だ何だと様子を見に来たセイは、「ぷ。かわい。絡み酒かぁ」とアーリアを弄り、「セイきらい。あっち行って」と顔をプイッとされていた。
「ほら、ナイルはリュゼとは仲良くしてるじゃない。やっぱり私だけ除け者にしてるんだ!」
「除け者になどっ」
「してないなら、私とももっと仲良くしてよ!」
「と申されましても……」
守るべき主と馴れ合う。そんな事は職務上できない。主と騎士として線引きは必要である。他に侮られない為にも、主従関係はしっかり保っておくべきなのだ。が、しかしーー
「ナイルのバカ! 分からず屋! 石頭!」
「なっ!?」
真っ赤な顔したアーリアはプンッと顔を晒した。
子どものケンカ以下の言動。だが、普段、他人への悪口どころか不満一つ述べないアーリアから飛び出た言葉だけに衝撃は凄い。
ナイルは「な」の形に口を開いたまま呆然と目を見開いた。
「あーはいはい。アーリアは僕が送って行くから、君たちはそのまま続けて。ーーナイルは主役だから最後まで抜けちゃダメだよ」
呆然と立ち尽くすナイルにそう言い放つと、リュゼはフワフワと頭を揺らし始めたアーリアをひょいと背中に背負った。
「いや、それは……俺も一緒に……」
「いーのいーの。皆んな、アーリア潰れたから先に帰るねー。お疲れ〜」
アーリアが酒に潰れたのは想定外だったが、他の騎士たちは、そんな事もあるかと気を持ち直し、じゃあ男同士で二次会でも……と早速打ち合わせしていた。
ここで早々に解散にでもなったら、後日、アーリアが気に病んでしまうと考えたのもある。それでなくとも、迷惑をかけたと頭を下げて来そうだと予想できるのに。
「センパイ。さ、座って座って。気にする事ないって。それよりアーリアちゃんのホンネ聞けて良かったって思おうよ?」
リュゼとアーリアの背が消えた扉に視線を送り続けていたナイルは、促されるままに席に着くと、セイが新しいグラスを手渡してきた。
「あ、ああ。そうだな……」
グラスには琥珀色の美しい炭酸酒。
シュワシュワと音を立てていた。
※※※
帰り道。街灯の下を歩くリュゼは、背の荷物を落とさぬようしっかりと抱え直した。
羽のように軽いとはいえ、本人の意識がしっかりしていないので、不意に落ちないように気をつけなければならない。
「アーリア、落ちないでね」
「んー」
一応、注意を促すが、返って来たのは何とも頼りのない声。
視界にランプの光が映り込んだ。小道の先、大通りには黒塗りの馬車が待ち構えており、御者がランプ片手に立っている。
目立たぬように紋等は入れられていないが、領主カイネクリフが用意した公用車だ。御者二人は服装こそ違えど腕の立つ騎士だという。
「リュゼ」
「ん?」
「ナイルとばかり、仲良くしないで」
「っーー」
耳元に届いた言葉にリュゼは目を剥く。
まるで妬いているような言葉は聞き間違いだろうか。
けれど、続いた言葉に破顔せざるを得なくなる。
「リュゼは、私のなのに……」
リュゼはニヤケそうになる唇を押さえ、ふっと息を吐く。
「うん。僕は君のだよ」
人との関わりを密にするのを避けるアーリアは、他人を自分の側に寄せたいとは思っていない。塔の騎士たちが側にいる事を許していたのは、場所限定、期間限定であったからだ。
だが、一方、国と国王とに忠誠を持っていたナイルが主をアーリアに定め剣を捧げたのは、期間や場所で限定しない。例え、国からの任を解かれようとも、ナイルは一度捧げた剣を下ろす事はないだろう。
だから、アーリアは拒む。
ならば、今回アーリアがナイルを受け入れたのは何故か。それはーー……
「アーリア、ナイルを受け入れてくれてありがとう」
「…………リュゼの、頼みだもの」
「うん、僕が頼んだ。けど、ありがとう」
「………………リュゼの、頼みだから」
「うん」
少し、ほんの少し、不貞腐れて聞こえるのは、気のせいではない。
本意ではない。けれど、リュゼの頼みならばと引き受けた。そう言ったアーリアの気持ちが、嬉しくない訳がない。
「ありがとう」
返事はない。代わりに、耳に穏やかな寝息が届く。
リュゼは重みの増した背中に意識すると、これまで以上に揺れを抑えて歩いた。
ブックマーク登録、感想、評価などありがとうございます!励みになります(^人^)
『専属騎士と専任騎士』をお送りしました。
ついに言葉だけでなく立場でもアーリアの側にある権利を勝ち取ったナイル。
騎士団内でも特別な役職の一つで、魔女の護衛に関する命令権は団長副団長に次ぐものがあります。
これから専任騎士として『東の塔の騎士団』の騎士を率い、アーリアの周辺の警備を本格的に強化していく算段をしています。
次話もぜひご覧ください!




