南の魔女からの手紙1
その日、塔での仕事を終えたアーリアは、その足で騎士駐屯所にある司令室に出向いていた。
そこで渡された数枚の手紙。銀の盆の上には封蝋の押された手紙は複数あり、或いはどこぞの貴族からの夜会の誘いであったり、或いはどこぞの令嬢からの茶会の誘いであったりするが、そのどれもが一時預かりの上事前に騎士たちによる点検が入っている。手紙の殆どが『東の塔の魔女』との繋がりを欲してのものだが、中には魔女を害そうとする物も含まれる。それ故の必要な措置であった。
「えっと、これは返事が必要かな?後で先生に相談して……」
自分宛の手紙を事前に読まれているからと、目くじらを立てるアーリアではない。
此処にあるのは所謂仕事関係の手紙。本当に大切な手紙は魔宝具を通じて直通であるし、宰相閣下や王太子殿下、アルカード領主かど高貴なる者たちからの手紙は特別な封蝋が使われている事もあって事前に封を切られる事はない。ーーそして、そんな機密性が重視される手紙ではない物を1通、アーリアは手に取った。
白い封筒に赤い花の封筒。封蝋からは甘い花の香りが微かに漂ってくる。アーリアはその白い封筒の宛名を一瞥すると、迷いなく封を切った。
内容に変わった所はない。季節の挨拶もそこそこに自らの近況を語った内容が綴られている。特段考えを必要としない手紙、にも関わらずアーリアはふぅと溜息を吐いた。
「なにその手紙。誰から?」
アーリアの様子が気になったのか、リュゼが背後から声を挟んだ。
通常、護衛騎士は主の言動に口を挟む事はない。しかしアーリアの護衛騎士に限りその通例は適応されていない。リュゼはアーリアにとって大切な相談相手だからだ。
「これ?これは『南の塔の魔女』エイシャ様からの手紙だよ」
「え。南の塔の……!?」
驚くリュゼを他所に、アーリアはそうだと頷く。
「なんでまた、そんな魔女からアーリアに手紙が?今まで交流なんてあったっけ?」
「ないよ。会った事もないし」
「だよねえ。なら何で手紙なんて……?季節の便りトカ?」
「ううん。『恋の相談』だよ」
「へ?」
会った事もない他所の塔の魔女からの手紙。しかもその内容が社交辞令による『季節の頼り』等ではなく『恋の相談』とくれば、リュゼの驚きも当然というもの。
本来、『恋の相談』相手となるのは、心を許せる同性の友人と相場が決まっている。
『東の塔の魔女』と『南の塔の魔女』。確かに同性で同業者ではあるが、友人同士だとは聞いた事がない。どういう経緯で知り合い、『恋の相談』をされる仲になったのだろうか。
「なんでもエイシャ様、いま恋をしているそうなの。一方的な片思いなんだって」
「へ、へぇ……?」
「それで、私にどうしたら良いかって聞いて来られたんだけど……」
リュゼは「果てしなくミスキャストだね、アーリアに恋の相談なんて」と、喉から出かかった言葉を飲み込んだ。というのも、隣に立つ生真面目騎士から鋭い視線が飛んで来たからだ。
すると、他人に言われずとも自覚のあるアーリアはリュゼとナイルの視線に苦笑し、首を僅かに傾げた。
「向いてないよね?私に『恋の相談』なんて。だって私、初恋もまだなのに……」
ーピシッー
その時、確かに空気が爆ぜる音が聞こえた。
数秒か数十秒か、刻が止まったのではないかと思える程、その場の空気が凍りつく。
「え?」と口を開けたまま固まるリュゼ。表情を出さず無表情のまま佇むナイル。たまたま居合わせた騎士たちも、何とも言えない表情でアーリアとリュゼとを交互に見ている。
「……初恋も、まだ?」
やっと現実世界に戻ってきたリュゼは、未だに現実が受け入れられないのか、目を点にしている。アーリアは周囲の空気に気付かぬまま顎を下げると、向いてないよねと頬を掻く。
「なのにいきなり『恋の相談』なんて。どう考えても向いてないと思うの」
「ソ、ソーダネ……」
「だから一旦は断ったんだけど、エイシャ様、私にしか話せないって言ってきて……」
カタコトで返事をしていたリュゼも、この辺りになってやっと我に返ってきた。アーリアの向き不向きを置いても、『南の塔の魔女』が見ず知らずのアーリアに相談を持ちかけるのは、どう考えても可笑しい。周囲に相談する者の一人や二人、いる筈ではないか。
「え、なんで?魔女サマの周囲には侍女は勿論、使用人も沢山いるだろうし。わざわざ遠く東の地にいるアーリアに相談しなくても、侍女たちの誰かに相談したら良くない?」
「それは私も言った。でも侍女じゃダメだって」
「なんでさ?」
「『同じ魔女にしか分からないから』って……」
アーリアの苦笑が物語るものに、リュゼは口を噤んだ。
塔の魔女とは本来孤独なもの。国防の為とはいえ、たった一人で塔の内部から魔術を行使して《結界》を維持している。しかもその間、塔の外へ出る事は基本許されない。《結界》を維持する為の装置の一つになるのだ。
しかも、任期が終える、或いは次の魔女と引き継ぐまで、その孤独は続いていく。
覚悟があって塔の魔女になったとはいえ、実際にその立場を得て塔へ派遣されると、その孤独さに押しつぶされる魔女は少なくないという。心が病んで魔女の交代が行われる事もままあるらしい。
「私に相談して気が紛れるなら、手紙くらい幾ら出してくれても構わないんだけどね……」
アーリアは手紙を封筒に戻しつつ、ぽつりと言葉を溢す。
人見知りの、それも慈善活動を嫌うアーリアが、見ず知らずの魔女からの手紙を受け取る理由。同じ魔女としての孤独を理解できるからなのか、それとも持ち前のお人好しが発揮されたのか。リュゼにはどうにも分からなかった。
「さてと。じゃあ、私はこのあと先生からの指導時間だから」
アーリアは手紙と書類を手に持つと執務室を後にした。
※※※
人の口に戸は建てられない。一度口にした言葉は他人の耳に入り、本人の預かり知らぬ間に広まっていくものだ。
そしてここは独身貴族の集まる軍事都市アルカード。貴族間で他人の色恋沙汰は娯楽のひとつであり、それは彼ら『東の塔の騎士団』にも当てはまる。
アーリアの無意識下による爆弾発言を境に周囲の見る目がどこか余所余所しくなったのは、何故と考えずとも分かる事だろう。
「まさかあの2人が付き合っておられないとは……」
「仲睦まじく見えたが?」
「我々の勘違いだったらしい」
「勘違い?それにしては……」
どこかしらで交わされる会話。言葉に多少の違いがあれど、内容はおよそ同じもので、そのどれもが『塔の魔女と護衛騎士が恋仲ではなかった』といった結論で締め括られる。
本来、他人の恋の行末など気にする必要のないものである。
どこで誰が付き合おうが、別れようが、興味こそ持とうがそこまで重要視する事はない。
しかし、その相手が自分たちの守護する者ならば、興味の度合いも変わってくるというものでーー
「なら、魔女様は今フリーということか?」
「ああ。『初恋もまだ』だと仰られたとか」
「だとすれば、俺たちにもまだチャンスがあるんじゃないか?」
今代の『東の塔』を守護する魔女は成人を迎えたばかり、未婚で、結婚適齢期にある女性。
魔女自身は平民出だが、養父はかの有名な大魔導士。
騎士たちとて、貴族出身とは名ばかりの三男四男も多い。政略結婚で貴族令嬢の婿になる者を除けば、そのうち家から出され、市井へ下るというものも多い。必然的に平民だからと忌避感を持つ者は少ない。
何より、塔の魔女を嫁に貰えば市井へ下るという選択肢はなくなる。塔の魔女は名誉職で、退職後も与えられた爵位を維持できるからだ。
「あんなにも麗しい女性を前に、一体何をしているんだリュゼ殿は」
「いや待て。専属護衛なれば余計にプライベートな接触は御法度なのではないか?何せ、魔女様のバックにはアルヴァンド公爵がおられる。それに王太子殿下の覚えだってめでたい」
「成る程。あの御二方の目があっては無闇に手を出すこともできぬのか……」
四六時中側にあって好きな女を口説かぬとは、システィナ紳士の名折れ。専属護衛騎士の魔女を思う気持ちは主を守る騎士以上のもの。また、魔女も専属護衛を誰よりも大切にしている。それを察するからこそ、これまで他の騎士は何も言わずに見守ってきた。
だが、二人の関係が騎士たちの思う様なものでないのならばーー。リュゼがアルヴァンド公爵から付けられた護衛騎士だと知るからこそ、他の騎士たちは様々な憶測をする。
曰く、あの仲睦まじい態度はフェイクなのではないか。
曰く、リュゼは王家の意向を受けた監視なのではないか。
ナドナド。どれも憶測の域は出ないが、現在魔女が婚約者ナシなのは間違いない。
「リュゼさん、聞いたよぉ〜〜」
「げ、セイ」
「アーリアちゃん、初恋もマダなんだって?。完っ全に片想いじゃん。ぷくく。てっきり両想いなんだと思ってたけど、俺の勘違いだったんだね?」
「っ……セイてめぇ、どこでその話を……!」
「何処でって?もう、この話で持ちきりだよ〜。てか、ワンチャンあるんじゃないかって言ってる奴も多いし」
直接本人に確認する猛者がいた。セイだ。
セイはリュゼが一人でいる所を目敏く見つけ、長身を活かして肩を強引に組むと、中庭へと連れ出した。
「ワンチャンって……バカなのそいつら?」
「アハ、俺もそう思う」
げっそりと溜息のリュゼ。
セイはそんなリュゼとは対照的にイイ笑顔だ。
「あー見えてガードは硬いんだよねぇ。俺なんて何度睨まれたコトか!」
「そりゃてめぇが悪い。てか、いい加減アーリアに付き纏うの止めてくれる?」
リュゼは火に群がる羽虫を見るような目でセイを見た。
交換留学生としてライザタニアより来て以来、セイは何かとアーリアを構っている。それは以前塔の騎士として働いていた時より顕著で、しかも人目を憚らない。よって、誰の目から見てもセイがアーリアを好いているのは明白だった。
ただ、その構い方が初等学院生が気になる子を構うのと大差ない事が、ある意味問題となっているが。
「イイじゃん。リュゼさんだって自由恋愛派でしょ?文句言われる筋合い無いと思うけどぉ?」
「五月蝿い、死ね!」
「ひどーい」
ぶりっ子のような声を出すセイの手を払い除け、リュゼは心底嫌そうに肩を払う。
ここ数日、リュゼの機嫌は下る一方で、しかも上り坂が見えてこない。
セイのように直接突っかかってくるのはまだマシな方で、陰でコソコソ勝手な憶測を話す輩と向けられる視線には心底辟易していた。
「本当にアーリアに好意があるなら、堂々と告りゃ良いんだよ」
「ふぅーん、告って良いんだ?」
「僕には止める権利がないからね。ただし、家の権力を持ち出そうってなら、阻止させてもらうケド」
ワンチャンあるかも?と妄想するくらないなら、行動に移せば良い。そう言うリュゼの言葉に、スキル《身体強化》で聞き耳を立てていた者たちがドキリと顔を背ける。
「だよねぇ。権力がなけりゃ女ひとり口説けないなんて、ダサイったらないし」
「だろ?貴族ってのは何かと権力やら爵位やら持ち出すからね、それで口説けると思ってるなら、出直した方が良い」
平民出の魔女に貴族特有の言い回しは通じない。貴族社会の特色についての知識はあっても、それが自身には当てはまらないからだ。
現在、魔女には宰相アルヴァンド公爵というバックがついている。魔女宛の見合いの釣書などは全て、アルヴァンド公爵家へと送られている。つまり、アルヴァンド公爵の許可がなければ、顔つなぎすらして貰えない状況にあった。
家の権力や爵位をアテにする者は、アルヴァンド公爵家を相手取る必要があるが、システィナ四大公爵のアルヴァンド公爵家に楯突く者はない。
一番確実なのは、魔女本人に想いを伝え、真っ当に付き合う方法である。めでたく両想いともなれば、アルヴァンド公爵も文句は言わないだろう。ただし、素性の調査などはされるだろう事は言うまでもない。
「身が潔白ならルイスさんーーアルヴァンド公爵も文句なんて言わないだろうね。ただ、アーリアの家族がどうするは知らないけど」
脳内に並んだアーリアの家族に、そっと視線を晒すリュゼ。
アルヴァンド公爵や王太子ウィリアム殿下に加え、魔女の家族。平民出と貶される事の多い魔女だが、その家族ーー養父がシスティナを代表する大魔導士だと知る者は少ない。特段隠している訳ではないが、広まっていない所を見ると、どこぞから情報規制がかかっているという噂は本当なのかも知れない。
「んで、その家族からも認められているのに、アーリアちゃんからはそう見られていない件について、リュゼさん一言どうぞ!」
「………………。やっぱ死ねっ!」
リュゼの脚が宙を切る。セイはリュゼの脚をヒョイと避けると、「暴力反対〜」と言いながら、中庭から逃げて行った。
「ったく。なんだったんだアイツ」
セイの背中が視界から消えた後、リュゼは中庭でひとり、東の空へ上がった月を見上げた。
セイに言われずとも、自分の気持ちが本当の意味でアーリアへと伝わっていない事ぐらい、リュゼは気づいていた。気づきながら、想いを伝えていない事も。他の騎士たちと何ら変わらないのだとも、分かっていた。
「くそっ、情けないったらないね」
アーリアを想う気持ちにウソはない。ずっと側にいて支えたい。誰にも傷つけさせたくない。好きだ。愛してる。誰にも奪われたくない。けれど、これは本当に『愛情』からくるものなのだろうか。
恋愛の情でなくとも、アーリアがリュゼを想う感情は、家族を想う感情と同じくらい深い。それがどれ程貴重で、最上の感情であるかを、リュゼはよくよく分かっていた。
「それ以上を望むのって、やっぱワガママなのかなぁ……」
息と共に吐いた言葉が夜風に溶ける。
リュゼは髪を掻き上げると、重い足取りで館の中へと戻って行った。
ーーその翌日、また、アーリアへと手紙が届いた。
ブックマーク登録、感想、評価など、ありがとうございます。とても励みになります!
第5部スタートします!
『南の塔の魔女からの手紙1』をお送りしました。
見ず知らずの魔女からの手紙。訝しむリュゼを他所にアーリアの爆弾発言が投下される。
未だ恋人ではないが想いの少しは向けられているハズ、などと甘い考えでいたリュゼは心に少なからずダメージを受けた。……というかジークは?北国の皇太子の立場は?
次話も是非ご覧ください!




