日常は不穏な影を伴って2
赤、薄紅、桃、白、黄、橙……大小様々な種類の薔薇が咲き乱れている。薔薇をアーチ状にしたトンネルを潜り抜ければ清水の吹き出す噴水が現れた。
その噴水の前、設置された椅子に腰掛けて、和やかに会話をしている男女がいる。
一人は金髪碧眼の美しい青年。まるで絵本の王子様の見本。真白な歯が無駄に煌めくは、アルカード領主カイネクリフ。
そしてもう一人は白髪にオパールの瞳、碧いドレスを纏う美しい少女。淡い光を放つ瞳、そして儚げな表情。精霊の化身かと思わせる彼女こそ、『東の塔の魔女』ことアーリアであった。
アーリアとカイネクリフ。二人揃う姿はまるで絵画のようで、侍女侍従中には溜息を溢す者さえいた。
だが、当の本人たちは自分たちに向けられる視線など構いませず、他愛もない会話を交わしていた。
「……クリフ様にはお子様が……?」
「いま2歳かな?私に似ているそうだよ」
「それは可愛いですね!」
「ありがとう。最近はあまり会えてはいないけれど、健やかであれば良いと思っているよ」
「会いには行かれないのですか?」
「立場上、なかなか難しいんだよ。それ以外にも色々事情があるのだけれど……」
女誑しの領主が父親の顔を見せたと思えばーー
「この歳でまだ見合いの釣書が送られてくるんだよ。父上も何をお考えなのか……」
「クリフ様のお父様ってルイス様の弟君ですよね?」
「頭の硬いオヤジでね、全く、嫌になるよ。後継後継って……。私はいつだって自由恋愛を求めているのにさ」
ーーと、女誑しの面を覗かせる。
自由奔放だと思えるアルカード領主にも避けられない事というものはあるようで、権力を持つが故の柵を改めて考えさせられた。
「クリフ様が自由にできないなんて、やっぱり貴族社会はシビアなんですね?」
「所詮、縦社会だからさ。権力は無いよりあった方が良い。政略結婚はてっとり早い権力の強化方法だからね、父上の考えも解らなくはないんだけどさ」
「縦社会ですか、騎士の上下関係のようなものですか?やはり身分や立場があると、色々とあるものなんですね」
「それに爵位も絡んでくるからね。表に見えるもの以上に裏ではごちゃごちゃとしているよ」
心底面倒だと思っているのか、領主は形の良い眉をほんの少し下げた。
「ーーそもそもシスティナは法治国家だというけれど、身分制度がある時点で土台無理があるんだ。どんな事案であっても、最終的には身分や爵位がモノをいうのだから。システィナ王宮は実力主義を推奨している。だからと云って、身分の低い者が高い者を従わせるのは容易ではない」
キッパリと言い切る領主の言葉にアーリアは肯いた。
身分差がある以上、平等な権利を得るなどあり得ず、法に於いてもまた、平等な判決は下されない。例え同じ罪を犯したとしても、平民と貴族とでは下される処罰は異なるのがいい事例だ。加えて身分制度は組織内に於いても差を与えている。
身分低き者は例えどれほど優れた能力を持とうとも要職へ就く事は難い。身分高き者はどうしても低き者を見下しがちになるのは、その様な所以がある。
「なら、ルーデルス様は本当に凄いんですね?」
「ああ、彼は確か伯爵家の出自だったね」
「そう伺ってます」
「彼は出自そのものが特殊だからねぇ」
アーリアたちから見てピッタリ20メートル離れた場所で護衛につくルーデルス団長へと、二人の視線は向けられた。
「団長は、その、亡命者でしたよね?」
「君はそれも知っているのか」
「団長ご本人から……」
「ならば話しても良いかな。ーー彼はライザタニアからの亡命後、システィナでの地位を得るべく騎士となった者だ」
どの国であれ、騎士となるのが爵位を得るのに一番の近道である。それでも国家防衛の要所ーー四つある塔の内、一番戦に近い『東の塔の騎士団』団長にまで上り詰めたルーデルス団長の道のりを思えば、それは並大抵の努力ではないと結論付く。
「長くなるから話を端折るけど、彼は王都の騎士団でメキメキ力をつけ現在の地位を得たってワケだ」
「並大抵の努力で出来るものじゃないですよね?だってこの国で異民族はーー」
「そう!国民性からして、異民族は受け入れ難い存在なんだ。このアルカードでは特にね」
「なのに、ルーデルス様はアルカードのーー『東の塔の騎士団』に……?」
「ま、そうなるように計らったのは、この私だったりするのだけどね」
あっけらかんと明かされる事実に、アーリアは小さな声を上げる。アーリアから驚きの視線を向けられたルーデルス団長は、訳もわからず首を僅かに傾ける。
「彼もさ、母国ライザタニアの暴挙に思う所があったみたいだしね。それに言っては何だけど、こんな死と隣り合わせの場所の騎士団を率いる団長になろうなんて物好き、なかなか居ないだろう?」
寧ろ、好き好んで死線へと赴きたい戦士など稀であろう。
「クリフ様はルーデルス様が『裏切り者』になるとは、お考えにならなかったのですか?」
やや危ない質問だと自覚するアーリアは緊張した。けれど領主は「その事か」と頷き、魔女の質問が意外でもないように口を開く。
「『亡命者の裏切り説』かな?そんなもの、全くもって考えかったさ。彼を知る君ならば分かる事だろう?」
「ええ……」
「そういう世迷言を言い出す奴っていうのは、どの時代でもいるものさ。そして、そのような世迷言に惑わされていては、上には立てない」
「はい」
「それに、その様な者を納得させる方法はただ一つ。その莫迦共を屈服させるだけの実力を持てば良い」
「仰る通りです」
真に実力を示す事ができれば、自ずと世迷言を漏らす者たちは文句を言えなくなる。そして、国王陛下から賜った地位を真っ当する事は、自ずと周囲の認知を深める事になる。アーリアは己も覚えのある状況だけに、肯かざるを得なかった。
「それでーー君は何の心配をしているんだい?」
領主は魔女の態度がリラックスしたのを見計らい、本題を口にした。すると、何故か魔女は忙しなくモジモジと指を動かした。
「えっと、その、最近、何だか様子が変で……」
「誰の?騎士たちの……?あぁ……」
ソワソワと身体を揺らす魔女の視線と態度から何かを察した領主は「ははーん」と相槌。その間も魔女の独白は続く。
「何かあったのって聞いてもまともに答えてもらえなくて。本当に何もないなら良いのだけど。けどもし、私の知らない所で何かあったとしたらって考えたら……」
「不安になった?」
俯く魔女に領主はフッと笑むと、成る程ねぇと手で顎を摩る。
「まぁ、そうだよね。誰だって自分の知らない所で何事か起こっていたとしたら、そして、その事を自分だけが知らされていなかったら、気持ちの良いものではないよね」
こくりと頷く魔女の「どんな些細な事でも、教えて欲しいのに」と続く弱々しい言葉こそが本音だと気づいた領主は、苦笑一つ。
領主は俯く魔女の頭にそっと手を置くと、弟妹にするように優しく撫でた。
「僕には彼のーー彼らの気持ちも分からなくないけどねぇ。中途半端な情報を与える事で、無闇矢鱈と君を不安にさせるような真似をしたくなかったんだろう。君を誰からも傷つけられたくないんだよ、彼も、彼らも、そして私も……」
ともすれば吸い込まれそうな蒼い瞳。それまでのおちゃらけた雰囲気とはうって変わって、憂いを帯びた領主の瞳に見つめられたアーリアは息を飲んだ。
何もかもを包み込む海のような慈悲深い瞳に見つめられ、アーリアの時間は僅かに停止した。ーーだから、頬に添えられた大きな手、腰に回された腕、領主の暖かな体温がすぐ側まで迫っている事に気づかなかった。
「さあて。もうそろそろ頃合いかな……?」
「そろそろって?あの、クリフ様?」
「フフフ。君って、ホントに鈍いんだね?そんなトコロも可愛いんだけど。ねぇ、やっぱり私と付き合わない?今、丁度フリーなんだ」
「は?え?ちょ、ちょっと、クリフ様……⁉︎」
女性相手には百戦錬磨を誇る領主にふんわりと抱き込まれたアーリアは、自身の置かれた状況に漸く焦りを見せた。芳しい香りがアーリアの鼻腔を擽り、甘い痺れを伴って身体を走り抜ける。首筋に埋められる領主の顔。柔らかな金の髪が頬を掠める。
「ん〜〜良い匂い。嗚呼、やっぱり女の子はイイよねぇ、フワフワして柔らかくて……」
「ク、クリフ様!はな、離し……っ」
領主はアーリアの首と髪の間に顔を埋め数度深呼吸。白い肌に柔らかな物が触れる。そのあまりの擽ったさにアーリアは領主の腕の中でもがく。すると、領主はアーリアの唇に指を置いて、ニッコリと微笑んだ。
「シッ!さぁ、来るよ。……3、2、1」
何が?と首を傾げるアーリアを余所に、ドンッ!と地響きが起こった。
ビクリと肩を揺らしたアーリアが音の鳴る方へ首を巡らせば、そこにあった筈のモニュメントの一つが粉々に吹き飛ばされており、そのすぐ側には騎士服を纏った男が鬼の形相で立っていた。
「その汚い手を離せ!そのお方は、貴様のような男が汚して良いお人ではないッ」
アーリアを己が胸に抱き込む領主カイネクリフに向かって叫ぶ騎士に、アーリアは唖然とし、呆然となった。頭上にはくっきりと「誰この人?」という疑問符が浮かぶ。
騎士服ーーそれも領主直属のアルカード騎士団の団服を纏ったその男に、全く見覚えがなかった。
アーリアは一頻り驚いたあと、事情を知っていそうな領主の顔を見上げれば、領主は「うーん、こんなトコロにまで入り込んでるとはねぇ……」と美しい眉を顰めているではないか。
「まったく汚らわしい男だ。我らが精霊姫をあのような塔に閉じ込めただけでは飽き足らず、精霊を下等種の身に堕とそうとするその所業、断じて許すまじっ……!」
男の指す『精霊姫』『精霊』といった言葉にアーリアの目が自然と眇められた。男の血走った眼、狂言じみた台詞は正に狂信者そのものであったからだ。
「嗚呼、麗しき精霊の姫よ!貴方様のその魔宝石に私ごとき一信者を写したもうとは、何たる至福、何たる幸福か!ーーさぁ、私とともに還りましょう!いえ、私がお連れします。貴女様の本来在るべき場所へ……」
この言い分、言い回し、精霊信仰ーーそれも盲信的な信者で構成されるという過激派集団で有名な『精霊神党』に違いない。エステルやライザタニアで遭遇した信者たちの妄言と酷似した男の様に、アーリアは喉を痙攣らせた。
『神から遣わされた精霊もまた神である』と信ずる彼ら精霊神党の信者たちにとって、『精霊女王の瞳』を持つアーリアは正に精霊に近しき存在。手元に置いておきたいと考える狂信者が後をたたず、アーリアはこれまでも幾度か身の危険を感じた事件に遭遇していた。
こと、このアルカードにあっては、自身を守る騎士団に身を置く事から、そのような者たちと遭遇する機会もなく、安心し切っていた頃に現れた信者ーーそれも、アルカード領主の直下機関であるアルカード騎士団内に潜んでいたともなれば、アーリアのーーそれに領主の驚きは如何許りであろうか。
アーリアは無意識の内に領主カイネクリフの腕をぎゅっと掴むと、突如、台所に現れた黒光りする害虫を見た時のように叫んでいた。
「き、気持ち悪い!こっち来ないでっ!」
「ンギャッ⁉︎」
パチンと乾いた音が引き金となり、天がピカッと閃いた。雷光。その光景はまさに天の裁き。天上から地上へと稲光が奔ると、激しい落雷が轟音と共に男へ突き刺さった。
「「「「「あ……」」」」」
その場にあった者たちは皆、その一瞬の出来事に立ち尽くした。中庭を包み込む閃光。そのあまりの眩さに視界が閉ざされ、次に視界が晴れた時にはもう、男の姿は地面にあった。
潰れた蟾蜍のように平伏す男を視認した騎士たちがすぐさま確保に動いたが、雷撃をマトモに浴びた男は白目を向いて泡を吹いており、衣服は勿論、髪の毛からもプスプスと煙が上がってる状態ーーそのあまりの惨状に、護衛騎士たちは苦い表情を隠す事ができずに呆然となった。そんな中、唯一動じなかった二人の騎士ーー彼らの呑気とも呼べる声がアーリアの耳にも届く。
「アーリア、無事?」
倒れた男に見向きもせず真っ先に駆け寄って来たリュゼは、アーリアの安全を確認するとホッと息を撫で下ろす。
「あーやっぱり、俺らの出番なかったじゃん」
「そう言うな、セイ。分かり切っていた結末だろう?」
嫌そうな態度を隠しもせず鞘のままの長剣の先で男の背を突くのはセイ。騎士団一のナンパ男だ。
仕事に優劣はない。そう言い切るのは騎士団一の良識人ナイル。何処からか取り出したロープであっという間に男を縛り上げた。
「えげつねぇ威力……」
「当然の報いだ」
「そうだけどさ。これからはアーリアちゃんへの挨拶一つにも気をつけなきゃ、俺もこうなるってコトでしょ?おー怖い怖い」
「止めれば済む話だろうが」
「それじゃあ俺の楽しみが減っちゃうーーいてぇ!なんで殴るの⁉︎」
3人の騎士が他の騎士たちに先んじて行動を起こせたのは、アーリアの持つ魔宝具の性能を予め知っていたからに他ならない。
持ち主に何らかの危害が加えられそうになった時に自動発動する魔宝具、その名も《痴漢撃退》!
持ち主の魔力を糧に、常時自動迎撃モードで起動し続けている魔宝具の威力は、数多くの人体実験を通して、現在では最適な状態に整えられている。その威力は最早痴漢防止グッズの類を超えていると専らの評判だ。
アーリアはそれをドレスのスカート、その隠しポケットに入れて持って来ていた。
「アーリア様、ご無事ですか?」
不審者の捕獲を部下に任せ、主であるアーリアの無事を確認してきたルーデルス団長。アーリアは自身の視線と合わせるように屈んだ団長の目を見ながらコクコク頷くと、団長はホッと息を吐いてその表情を和らげた。そして、まだ他に不審者が潜んでいる可能性を考慮して、アーリアの盾になるべく側に待機した。
「ルーデルス様、これは……?」
「見ての通り。君をつけ狙う者がいた。だから彼ら騎士たちは警戒を強めていた。そうだよね?」
領主の質問に短く是と答える団長。
「あとはーー彼に聞くといい。これ以上、針の筵に立たされるのは、さすがの私も辛いからね?」
領主の言わんとする事の意味が分からず首を傾げるアーリアに、当の領主は支えていた手をアーリアから離すと、その手で護衛騎士を指した。領主の手の先へ視界を向けたアーリアは、そこで眉を顰めて苦笑する専属護衛騎士たちを目に留めて、深々と溜息を吐いた。
※※※
「ごめん!アーリア」
アーリアは自室にて、リュゼからの説明をという名の謝罪を受けていた。
君の為だと思ってたけど、これじゃ全然君の為にならなかった。そう続く言葉にアーリアは眉を下げた。
「無闇に怖がらせたくなかったんだ」
精霊の瞳を持つ魔女を取り込もうと動く精霊信仰の妄信者、塔の魔女を貶めようと画策する貴族、片思いから付き纏う騎士ナドナド。
明らかな悪意なら兎も角も、そうではない者たちからの視線にはトコトン鈍感な魔女。そんな魔女の専属護衛騎士としてリュゼは、常時気を張り巡らせるのは当然であった。
魔女を『唯一無二の主』であり、『唯一の女性』と定めるリュゼとしては当然の処置だ。特に、魔女を性的な目で見る男たちには必然的に厳しい視線に成らざるを得ない。
道行く途中でリュゼが突然立ち止まり、明後日の方向へ向けて厳しい視線を向けていた理由を知ったアーリアであったが、それでも自分の知らない所で事件が起きていた事には思うところがあった。
「自分の事なら構わないけど、リュゼの事で何かあったら、きっと後悔するもの」
ーーだから、ちゃんと教えて欲しい。
おずおずと差し出されたアーリアの手が、リュゼの腕の裾を掴む。
煌く瞳。七色に輝く瞳。アーリアからの真っ直ぐな視線と想いとを受けたリュゼは呆然とした後、ハァァと深い溜息を吐いた。そして差し出されていたアーリアの両手を取ると自身の両手で包み込み、そこへ額をつけた。
「うん。なるべく知らせるようにするよ」
「なるべく?」
「うっ……!な、なるべく、ね……」
嘘を吐き慣れているリュゼだけど、アーリア相手には嘘を吐けなくになる。不思議現象。またの名を恋煩い。
「心配しないで。アーリアは僕が守るから」
「うん。ありがとう、リュゼ」
リュゼは自身が泥を被る事になっても、嘘を吐く事を止めない。それはアーリアもも同じ気持ちであった。
リュゼの為ならば幾らでも矢面に立とう。それが、リュゼを側へと望む自身が果たすべき責任なのだからと、アーリアは胸に決意を秘めた。
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幕間『日常は不穏な影を伴って2』をお送りしました。
アーリアがライザタニアより戻って以降、カイネクリフは度々、茶会という名の安否確認を行っています。
カイネクリフとしては良い息抜きの時間です。
また、騎士寮から領主館へ住処を移したアーリアですが、こちらではアルヴァンド公爵が用意した侍女たちがアーリアの身の回りの世話を担っています。
次話も是非ご覧ください!




