王都からの指導教官
アルカードでの窮屈な日常が始まって数日後、アーリアの前に一人の壮年の紳士が訪れた。
身長は高く体つきも良い。元騎士だと言っても憚られないほどの体躯。髪は銀に近い白髪。瞳は深い青。目尻に皺こそあるものの元から整った容姿も相まって、それ程年嵩がある様には感じられない。特に眼光は鋭く、その辺の新兵なら向けられた視線だけで威圧されるのではなかろうか。
口元は笑んでいる割に、目の奥は笑っていない。対峙する者の言動から為人を見定めている。いかにも頭の良さそうな雰囲気が滲み出ていた。
「お初にお目にかかります、塔の魔女アーリア様。この度アーリア様の教育指導教官を務めさせて頂く事となった、ラドフォード・フェリペ・ガナッシュと申します。以後、お見知り置きください」
胸に手を当て優雅に下げられた頭。九十度に曲げられた背。教本通りの美しい所作は正に貴族の見本。教育指導教官を名乗るだけはある。と一瞬納得しかけたアーリアだが、いやいや、問題はソコではないと頭を振った。
「教育指導教官ですか……?」
「ええ。私が貴女様を一人前のレディへと導きましょう」
「一人前のレディ?あのそれより、私、貴方の事を知っているようなーー」
「気のせいです」
「……」
食い気味に言葉を被せられたアーリアは、堪らずエーという顔をした。
「あの、見間違えでければ、元宰相のサリアン公爵では……」
「気のせいです」
「……」
顔を上げた老紳士は真顔で言葉を重ねる。
「あの……」
「気のせいです」
半眼のアーリアと、今度は満面の笑みの老紳士。
見つめ合うこと数十秒。折れたのは意外にもアーリアではなく、老紳士の方だった。
「いやはや、私としてものんびり隠居と参りたかったのですが、なかなかそうも行かず。まぁ、それも『お前のまいた種なのだから自分で片をつけんか』と言われてしまえば、嫌とも申せぬものでね」
老紳士は当然のようにアーリアを応接セットの椅子へエスコートした後、自身も向かいの椅子へ座ると、湯気香る紅茶片手に語り出した。その居住まいは、まるでこの部屋の真の主のようだ。
老紳士の名はラドフォード・フォン・サリアン公爵。システィナ先先代国王の実子で元王族。システィナ王から見て大叔父に当たる人物である。
数ヶ月前、国への叛逆を起こし、王族を害そうとした罪により投獄。処罰を受ける為に獄中生活であったはず。そんな老紳士が、何故か罪を逃れ、この様な辺境の地へ飛ばされて、平民魔導士の教育指導教官なるものに任命されたのか。アーリアにはその経緯が全く検討つかなかった。
アーリアは「はあ、そうなんですか」と適当に相槌を打ちながら、カップ越しに老紳士をチラ見した。カップを傾ける姿勢すら様になる。妙な色気と大貴族たるオーラがダダ漏れして、何故かドギマギした。
「元より、このアルカードには我が娘が入る予定であったのでね、娘の代わりに貴女を守るのも一興かと。それに、私はそれなりに顔が効きますからな、アハハハ!」
それはそうだろう。サリアン公爵と言えば、このシスティナで長年宰相を務めた人物。宰相になるまでも様々な部署を経験し、知らぬ制度はない。王宮勤めで築いた人脈は数知れず、その手は自国はじめ他国にまで及んでいる事は想像に難くない。
何より、アーリアはサリアン公爵の策略に巻き込まれ殺されかけた事さえある。油断ならない人物だと思えど、未熟な自身が太刀打ちできるとは到底思えない。さてどうするべきか、とアーリアは考えてみたものの妙案は浮かんではこなかった。
「あの、一人前のレディに、というのは?」
アーリアは早々と諦めの境地で老紳士へ質問をした。
「いえなに、貴女がレディでないとは申していないのです。ですが、貴女には隙が多すぎる。貴族令嬢はああ見えて強かなので、噂ひとつ、言葉ひとつでその隙を突いてくるでしょう。かと言って、貴族の、それも女性相手ですから無闇に手を挙げる訳にもいかない」
これまで出会った『貴族令嬢』たちを思い返して、アーリアは成る程と顎を下げた。皆が皆、華麗な見た目に反して内面は強かだったと。元公爵令嬢リアナからは、見習う点が多々あった。
「そういう状況での対処方を教えてくださると……?」
「ええ。勿論、テーブルマナーやダンスなど、一通りの修練も必要ですがね」
「ダンスも⁉︎」
「社交界は男女の駆け引きの場。女性の身体磨きは必須事項。身体の美しさから相手を油断させ、言葉巧みに情報を引き出すのもまた、貴族女性の役割なのです」
エステル帝国での姫教育でも、同じ様な事を習っていたとはいえ、それも時間が経てば忘れてしまう事もあるもので。アーリアは既に忘れ始めたマナー等を思い浮かべて、冷や汗を浮かべた。
「それで、『ガナッシュ』という姓は……?」
とりあえずダンスレッスンは横に置いておこう。
アーリアは苦手分野を視界の外へ追いやり、目先の疑問に目を向けた。
「まさか大罪を犯した者が元の姓など名乗れますまい。これは母方の性。母は諸国津々浦々漫遊を行なっていた父に見染められ、半駆け落ち的にシスティナへ嫁ぎましてな。母方も相手が王族とあっては無碍にできず、そのまま娘を嫁がせたのです」
大罪を犯した者を野放しにした挙句、偽名で別の役職に就かせるのはどうなのか。そう思えど迂闊に突っ込めない。既に、サリアン公爵は堂々とアルカードへ乗り込んできているのだ。
アルカード領主含め、王宮からの正式な書類を携えている公爵を咎める事の出来る者はいない。書類には現宰相の判も押されており、誰からも見ても不正がない。
言うなれば、公爵が此処に居るのは、王宮にいる『誰ぞ』かの思惑があってのこと。しかも、それは国王に近しい者、或いは、国王本人の意思であると考えた方が良い。
「公爵さまのお父様って、まさか先先代国王様の……」
「貴女が偽名を名乗るに決めた経緯と、然程変わりません」
「……。恋多き方だったのですね……」
アーリアはサリアン公爵が自分のもとへ遣わされた理由は問わず、差し障りない話題を口にしたつもりだったが、先先代国王の名が出た事で一気に気分は降下した。
システィナの先先代国王はそれはそれは恋多き男だったと、記録にも記憶にも残っている人物。視察に赴いた先々で出会った女性と恋をしては王都へと連れ帰り、中には側妃として召し抱えられた者もいるという。当然、子沢山で、継承問題でも一悶着も二悶着もあったとかなかったとか。王族が増えすぎるのは問題と取捨選択、養子に出された者や一代限りの爵位を賜る者など、精査されたという。
その中で、サリアン公爵は政治の才能を開花させ、宰相にまで上り詰めた。公爵の手腕と才覚から、未だに縁故採用であった等と指差される事はないという。
「ハッキリと『女誑し』と言っても構わないのですよ?」
「と、とんでもない!」
サリアン公爵改めガナッシュ侯爵の意地悪な言い回しに、アーリアはブンブンと首を振る。すると、ガナッシュ侯爵はアハハと再び笑った。
「母の実家は母以外に後継がなかったようで、今までこの姓は宙へ浮いていたのですよ」
「名を受け継ぐには何の支障もなかったと?」
「寧ろ、祖父も祖母も喜んでおりました」
「ご存命なのですか⁉︎」
「ええ。ライザタニア産は何かと長命な種が多いですからね」
「え、ライザタニア産って……な、成程……」
ガナッシュ侯爵はシスティナ産にしては彫りが深い。その理由がライザタニアの血にあるのなら、納得しかない。
ライザタニアは妖精の宝庫。数多の妖精が住まう地が点在しており、妖精族と交わり子をなす人間も多くいる。妖精族と人間のハーフを亜人といい、人間の姿から妖精の姿へと変化できる事を、アーリアは知っていた。亜人たちは総じて長生きで、妖精族の特性を宿すが故に自由な発想を持つ者が多かった。
「もう質問はございませんか?」
「え。その、理解が追いついていないので、また後日に改めます」
「そうですか」
本当なら聞きたい事は山ほどある。だが、その全てを問う事はない。口に出さないーーつまり『気づいていない』という事は、身を守る上で必要な策だ。迂闊に口に出して何かに巻き込まれても困るし、命を狙われる事態になっては元も子もない。
知らぬ存ぜぬで通せるなら、それに越した事はないのだ。国や貴族を相手取るならば、慎重に慎重を重ねても過ぎないというもの。
奇しくも、目の前にあるのは一度は自身の命を欲した相手。公爵はアーリアの命を狙い、魔導士バルドにつくられた半獣たちをアーリアへ差し向けた事があるのだ。
どうやら今は命こそ狙われてはいないようだが、事態がどう転ぶかは分からない。信頼を寄せる相手にはなり得ないからこそ、用心するのは当たり前だった。
「貴女は嫌がらないのだね?」
「何をです?」
ティーカップをソーサーへ置いたガナッシュ侯爵は、アーリアの顔を真っ直ぐに見据えた。
「生命を狙われた過去があればーー。突然、その相手が目の前に現れたなら、警戒して然るべきではないかと」
アーリアは深い海の底を思わせる青い瞳を見つめた。表面上は澄んでいる様に見えて、いざ、顔を水面へつければ、奥底を見通す事はできない。喜怒哀楽、全ての感情を織り交ぜた上で作り上げられた平静は、奥が知れない。とてもじゃないが、歳若く未熟な自身には手に負えない。
「……ガナッシュ侯爵様は此方へはお仕事で参られた訳ですよね?システィナ王陛下がお決めになられた事なら、貴方もーーそれに私もそれに従うのは当然ではありませんか」
出自も知れぬ魔導士如きに礼を払い敬語を使うガナッシュ侯爵。言動や所作、どれを取っても嫌味がなく、寧ろ敬う気持ちすら感じる公爵の言葉は、公爵が自身に課せられた仕事に納得している証拠ではなかろうか。だからこそ、アーリアに対してある一定の敬意を持って相対している。それが分かるからこそ、アーリアも公爵を『かつての敵』だとは思わずに対峙していた。
「合格です。案外、見込みがありそうで安心致しました」
暫くの沈黙の後、ガナッシュ侯爵はにこりと微笑んだ。
その表情は既に、生徒を見る教師のそれ。ダメだと思っていた生徒が、思わぬ高得点を出して驚いているようなそんな雰囲気に、アーリアは再びエーと思った。既に勉強は始まっているのだと分かって。
「ハハハ!表情に感情を出すのは感心しませんな。付け込まれる隙を作る事になりますぞ?」
「貴方相手に表情を隠した所で意味がないように思います」
「何を仰います?普段から感情をコントロールしてこそ非常時に対応できるというもの。いざという時の為に、日頃から訓練しておく事は大切です」
ニコニコと笑うガナッシュ侯爵。笑顔が真顔より怖く感じたアーリアは、エーと上半身を仰け反らせた。ひょっとしたら、めちゃくちゃ苦手な相手かも知れない。
「もう勉強は始まっているんですか?ヤダなぁ……」
好きな分野の勉強は夜通しできるが、苦手な分野の勉強には寸分の食指も動かない。頭は悪くないアーリアだが、他の魔導士と同じく、偏った才能の持ち主だった。
対社交界対策が身を守る上でいくら大切だと語られた所で、興味がないものは興味がない。しかも、教育内容には最難関たるダンスも含まれている。
先程からずっと視界に入れないように心がけていたが、その影がチラリチラリと見え隠れすれば、もう見ないふりはできない。
あーやだやだ。ヤサグレ境地のアーリアが冷えかけの紅茶を喉へ流し込めば、何故か眼前から笑い声があがった。ぎょっとアーリアが目線を上げれば、そこには腹に手を当てて笑うガナッシュ侯爵の姿があった。
「あははははは!そこまで嫌がるとはっ……」
「え、えぇー……」
「ルイスに聞いた通り、面白い女性だ!」
「……」
ルイスという覚えのある個人名にアーリアは半眼。アーリアの知る高位貴族でその名を持つのは、現宰相くらいしかいない。二人が面識のあるのは当然としても、自分を話題にされたとなると、面白くはないもの。しかも、眼前の老紳士がやはり現宰相の思惑で送られて来たとなれば余計にだ。
一方、益々膨れっ面になったアーリアを見て、ガナッシュ公爵は目尻に涙まで浮かべる始末。首輪付きのつまらない仕事だと考えていたが、どうやらそうでもない。自分の生徒となる人物は曲者で、一筋縄ではいかないようだ。
「いやぁ、面白くなりそうですな?」
ガナッシュ侯爵が目尻を拭いながらアーリアへ笑いかければ、アーリアはプイッと横を向き、「知りません!」と言い捨てるのであった。
これが仇敵サリアン公爵との再会であるが、この先、この師弟がなかなかに良いコンビになるとは、この時、当人らも予想だにしなかった。
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幕間『王都からの指導教官』をお送りしました。
王都から指導教官が来ると身構えた先に現れたのは、元宰相サリアン公爵。反逆という犯罪を犯した公爵が何をどう取り引きしたのか、名を変えアルカードへと派遣されてきました。
アーリアとサリアン公爵。2人はどの様な師弟となっていくのでしょうか?
注釈:
サリアン公爵は目と髪色は魔宝具で変えています。
一応の変装だそうですが、案外、本人は楽しんでいるようです。
次話も是非ご覧ください!




