花束とケンカ2
「リュゼのバカ。イジワル。リュゼなんて、机の角で足の小指打てばいいんだ!」
ーぶち、ぶち、ぶち……ー
小声で悪態を吐きつつも、アーリアの心の内は後悔が渦巻いていた。
アーリアはリュゼとケンカというケンカをした事がなく、しかも「バカ」だなどと悪口を言った事もない。
子どもの頃から『良い子』のアーリアに同年代の友だちというのもなく、兄弟ケンカの記憶もない。
因みに、人生で初めて人に対して悪態を吐いたのはセイで、セイに「バカ」と言っても流されるだけで、ケンカになった事もない。
つまり、アーリアにはケンカした時の解決法が分からなかった。
「素直に謝って……って、なんで私が謝る必要があるの?」
勢いで部屋を出て来たものの外の風に当たって冷静さを取り戻したアーリアは、どういう顔をして戻ったら良いかを悩んでいた。
「そもそもリュゼがっ……!」
只管に、ぶち、ぶちと足下の草を抜きながら、アーリアは独り言を溢す。
場所は領主館の屋上テラス。天井は総硝子張り。天候によって天窓が開けられる仕様になっており、季節によらず温度が保たれた温室のような造りとなっていた。
職員の憩いの場ーーというより、客人や要人との会合や茶会の場として開発される為、定期的に訪れる庭師の他に人の出入りはない。
「私だって分かってるよ。ルイスさんに悪気はないってことは。これまでも知らない所で面倒事を処理してくれているって」
貴族相手の面倒事を処理できないアーリアに代わり、角が立たないように捌いてくれているのは、後見人たるアルヴァンド公爵だ。その事に感謝こそすれ、恨む事などない。例えその手段に思う事があれど。
「お見合いだったなんて。考えもしなかった」
ぶち。地面から引き抜いたのは四葉のクローバー。見つけたら幸せが舞い込むというが、本当だろうか。
「予め知らせてくれても良かったのに……」
知っていたら受けただろうか。
いや、相手に申し訳ないと断ったに違いない。
「クリスくんは知っていたのかな?」
青々と繁るクローバー。白い丸い花が揺れる白詰草。千切るばかりだった草花を編んで花冠にしていく。
「ーー僕がどうかしましたか?アーリア様。こんな所でどうされたのですか?」
「えっ⁉︎ クリスくん、どうしてここに?」
「お祖父様の公務について来ました」
暫くして花冠が三つに増えた時、アーリアの真上に影が落ちた。
ナイルが呼びに来たのかと思ったアーリアだったが、顔を上げてビックリ。そこに居るはずのない少年が立っていた。
腰が抜ける程ビックリしたアーリアはどたっと尻餅を付いた。そこへ少年ーークリスがさっと手を差し出してきた。
クリスの頭のずっと向こうにはナイルと、そしてアルヴァンド公爵家の護衛騎士の姿が見えた。
「お祖父様って、ルイス様に?」
「はい、後学の為にと。それに、アーリア様の職場も見ておきたかったので」
クリスに支えられながら立ち上がったアーリアは、「勉強になるような職場じゃないよ」と苦笑した。
「そんな事はありません。『塔』はシスティナを守る要の施設。国境線を守護する事は、国を守護する事と同義です」
クリスはアーリアの言葉を受け流す事なく、大真面目に返してきた。
アーリアは自分の仕事と役割にそれ程誇りを持っている訳ではなく、どちらかと言えば惰性で務めているだけなので、クリスの言葉には内心額に汗を流していた。
「確かに、国境を守る騎士たちの仕事は多岐に渡るわ。ただ剣を振るうだけではなく、時には外交をも熟す。彼らを見学するのは良い刺激になるもの知れないね」
「そうではなく。いえ、そうでもあるのですが、僕はアーリア様の職場だから興味を持ったのであって……」
「クリスくんってば、社交辞令が上手なんだから」
「社交辞令ではありません!」
アーリアをまっすぐ見上げてくる瞳はキラキラと宝石のように煌めいている。ムキになって反論してくる姿も可愛く、アーリアは「こんな弟が欲しかったな」とニコニコと笑う。
「『塔の魔女』なんて大仰しく呼ばれているけど、《結界》を張るだけならそう難しい事もないから。それに、魔女の代わりならいくらでもいるって聞くしね、そう大層な存在ではないよ」
常々、浴びせ続けられてきた言葉を自虐のように呟けば、クリスは「誰ですか?そんなバカな事を言う人がいるなんて!」と、自分のことのように憤る。
「アーリア様、貴女のなさっている仕事は誇るべき仕事です。貶されて良い訳がない」
アーリアはまさかその様にクリスが憤るとは思わず、驚いて目を見開いた。
「……クリスくん、君は本当に優しい子だね?」
自分のことのように憤るクリスに、それまで感じてきた胸のモヤモヤが溶けて消えていく。
自分勝手に引き受けた仕事ではあったが、アーリアはアーリアなりに国が平和であれと願ってきた。
この国には、何にも代え難い大切な人が住んでいる。彼らの日々の生活が侵されず、恒久の平和が続いていくことこそ、アーリアのただ一つの願いなのだ。
だが、この国に住まう者たちの中にはそうは思わない者がいで、彼らは自分だけが平和で豊かならそれで良いとばかりに他の不幸を願うのだ。
「貴女を悲しませた人を、僕は許せません」
「ありがとう。その気持ちだけで十分だよ」
アーリアがふんわり笑うと、クリスは恥ずかしげに頬を桃色に染めた。
「……アーリア様はどうして彼方へ?」
「あ、えー、ちょっとケンカしちゃって」
貴族紳士のように「お送りします」と言い張るクリスの申し出を受けて飛び出して来た部屋へ戻る途中、クリスは当初の問いを再度発した。
祖父の仕事について来たアルカード領主館だが、領主館には近しい親戚カイネクリフ卿もおり、世間ではアルヴァンド家の根城の一つのように考えられていた。
その考えは強ち間違いではなく、このアルカード領主館でアルヴァンドに楯突く者はいないと言い切れた。
だからこそクリスは同伴を許された。
塔の魔女アーリアが領主館で保護されている理由もまた同じである。
クリスは祖父ルイスがカイネクリフ卿との会談中、領主館内の見学を許された。自由時間はそれ程長いものではないが、これも機会だと思い、護衛の騎士と共に領主室から順に巡っている中、偶然アーリアと出会った。
会えたら良いなと考えてはいたが、こうも簡単に会えるとは考えておらず、思わず神に手を合わせた。今日はついてる。
祖父の命で受けた見合いの席。
当初は乗り気ではなく、適当に済ますつもりだった。
貴族にとって見合いは義務で、当主の命令とあらば逆らえる筈はない。アルヴァンド公爵家の繁栄の為、命令通り示された令嬢との婚姻も辞さない。
だが、まだ10歳のクリスとしては、せめてその相手は自分の気にいる相手が良いと思っていた。
だが、示された相手は平民上がりの魔女。
今、何かと話題に登っている『東の塔の魔女』だ。
クリスはアルヴァンド公爵家の一員として、魔女の内情を聞き齧ってはいた。アルヴァンド公爵家当主ルイスと、伯父ジークフリードの生命の恩人だとも。
だからと、アルヴァンド公爵家で保護しているのだと聞いても、すぐに受け入れられない。その魔女に下心がないと、どうして言い切れるのだ?
悶々とする気持ちを抱いたままついに見合い当日、クリスは件の魔女と出会った。
『初めましてクリスさま。アルヴァンド公爵様にはお世話になっております、アーリアと申します』
絹糸のように輝く白い髪、光を帯びる虹色の瞳、桃色に色づく頬に薄紅薔薇の唇。まだ子どもの自分より小さな顔。華奢な肩。折れそうに細い手首。白い肌は透けるようだ。
細い体を包む水色のドレスに露出は少ない。それなのに、どこか色めいて見えるのはどうしてだろう。クリスは僅かに見える細い足首と首筋にドキリとした。
「天使とは存在するのですね?」
「え?」
「いえ、何でもありません」
首を傾げる姿も天使だ。可愛い。
伯父ジークフリードがご執心だと聞いた時は、内心鼻で笑ったが、どうやら伯父の目は節穴ではないらしい。
クリスはアーリアをエスコートしながら、早く背が伸びないかと考えた。いくら頑張っても年は越せないが、背は追い越せる。
今のままでは、どうあがいても姉弟にしかみえず、また恋愛の対象にもならない。
「羨ましいです」
「え?」
「ケンカです。ケンカするほど貴女から想いを寄せられているのですから」
「想いだなんて。私は彼を尊敬しているだけだから」
ケンカしておいて尊敬して居ると言えるアーリアに、クリスはムッとした。これだけ想われておいて彼女を悲しませるとは、紳士の風上にも置けない男だ。
「ごめんね、情け無い姿ばかり見せるね」
「いえ、僕でよかったらいつでも話を聞きます」
「ありがとう」
いじけて草をむしっていた事は黙っておいて欲しい。花束をありがとう。そう言って二度頭を下げるアーリアに手を振り、クリスはプライベートエリアの入口でアーリアと別れた。
※※※
アーリアと別れたクリスは、アーリアの背が見えなくなると同時に振り向いた。そこにはまるでその瞬間を待っていたかのように、一人の騎士が佇んでいた。
茶髪と琥珀の目を持つ若い騎士。アルヴァンド公爵家でも度々見かけたら事があった。名は確かリュゼ。祖父ルイスと懇意にしていると聞く。
「貴方がルイスお爺さまが仰っていた騎士ですか」
「リュゼと申します」
騎士リュゼは胸に手を当てた。頭は下げない。その必要はないと判断されたのだろう。それでもある程度の礼儀を弁えて対されているのは、祖父に世話になっているからだろう。
「女性を悲しませるなんて、騎士の風上にもおけませんね」
未成年であるクリスが十以上年上の紳士に対し、臆する事なく文句を告げる。
本来、何も成していない身でそのような非礼は出来ないのだが、クリスはあえてそうした。一人の男として対峙したかったのだ。
「何のことか皆目見当つきません。クリス様こそ、お役目とはいえご苦労なことですね」
「公爵家の一員として当然のことです!」
幼なくとも貴族。クリスはアルヴァンド公爵家の一員として当然の事だと言い切る。
対する騎士は口調こそ丁寧なものの、見下ろす視線や態度は高圧的で、全くと言って良いほど相対するクリスを対等には思ってはいない。
「僕はーー私はアーリア様を尊敬しています。あの様な方を妻に迎え入れられたら嬉しいし、アルヴァンド公爵家にとっても喜ばしいことです」
クリスの言葉に騎士はハッと鼻を鳴らした。
丁寧な口調も態度もそこまでだった。
「お役目の為ってだけなら、アーリアにコナかけないでくれる?彼女が傷つく」
「傷つけているのは私ではなく貴方では?」
「は?」
「例えお役目の為だとしても、私には彼女を大切にする覚悟があります。覚悟もない貴方に言われる筋合いはありません」
騎士の態度としてはリュゼの言動はあまりにも礼を失している。
しかし、クリスはそれに対して文句は言わない。騎士は本来相手にもならない子どもの自分を『敵』として見てきているのだから。
奇しくもクリスの口撃が効いているようにも見える。
ならば、ここで退いてはならない。
「そんな中途半端な態度では、アーリア様がお困りになるのでは?出直すのは貴方の方です」
クリスの言葉に騎士は一瞬たじろいだ様に見えた。
クリスは確かな手応えを感じ、内心、ヨシ!とガッツポーズを決めた。がーー、勝利を得るにはまだ何も準備が整っていなかったのだと、この後悟る事になる。
「威勢だけは一人前だ。だけど、君は未だ土俵にも上がっていないって事を自覚すべきだ」
痛い所を突かれたクリスは奥歯を噛み締めた。
「命じられなければ会う事もなかったのに、一度見合いをしただけでもう恋人面?今時の若者は妄想が凄いね」
「っ、それはっ……!」
「王都へ帰りなよアルヴァンドの若君。君に彼女は相応しくない」
騎士はそれだけ言うと、クリスの横を通り過ぎた。
クリスは気づいていた。
騎士がクリスからの名乗りを得る前に名を当て、内情を言い当てて対応していることを。
負けていない。だが、まだ勝てない。
クリスは俯き拳を握り締めると、歯をギリリと鳴らした。
※※※
「伯父さん、アレは一本取られたんじゃない?」
「うむ。リュゼも子ども相手に容赦がないな」
「実際、大人気ないよね。余裕がないのかな?」
「アーリア嬢の事となると余裕がなくなるのは、惚れた弱みであろうな」
「なるほど。ーーで、伯父さんはクリスがアーリアちゃんに本気になるとは思わなかったの?」
「その可能性はあったなぁと後から思ったが、まさか本気で惚れるとは思わないではないか」
「アハハ。年もアーリアちゃんの方がずっと上だしね。ま、あの位の年頃って、年上の女性に憧れたりするものだし、あり得ない話ではないか」
「恋愛に年齢は関係ない。十歳の歳の差など、あってないようなものだろう」
「うんうん、そこに素敵なレディがいたら口説かなきゃ。アルヴァンドの名が廃るってものでしょ」
「アルヴァンド家の男ならば、クリスのあの態度は頷ける。アーリア嬢は大変魅力的な女性であるからなぁ」
「ジークもホの字だし?」
「今はあの愚息の事は置いておこう」
「伯父さんって、息子のことになると塩対応だよね?」
「当たり前だ。誰が楽しくて男の応援などするか!」
「同感。男の話なんて聞いて楽しい訳ないしね」
「クリスには良い勉強になっただろう。まぁ、この為に連れて来た訳ではないのだがな……」
「初恋は叶わないって言うし、仕方ないかな?」
「いや、それはこれからの努力次第。クリス次第であろう」
「違いないね!」
大の大人が壁に張り付き何事か。柱の影でコソコソ会話しているのは、アルヴァンドの名を持つ二人の紳士。アルヴァンド公爵ルイスとアルカード領主カイネクリフだ。
彼らは会談が一旦休憩となっても戻らないクリスを探し、休憩がてら散歩している途中、男同士のタイマン現場に出くわした。そしてそのまま気配を消し、二人のやり取りを影から見守っていたのだ。
「お二人とも、ムダにスキル利用してまで気配を消していないで。彼が気づく前に戻りましょう」
そろそろと声をかけたのはアルカード領主の補佐官。
少し離れた所では、アルヴァンド公爵家の護衛騎士たちが無表情ながらも何か言いたげな目で、主人たちを見つめていた。差し詰め「いい大人が子ども相手に何しているのですか?」とでも思っているのだろう。
「そうだな。あれも年頃、見られていたとあれば恥ずかしくも思おう」
「ですかね?あー、甘酸っぱい」
腕を背で組んだアルヴァンド公爵と手を頭の後ろで組んだアルヴァンド領主。二人のやり手紳士は、何事もなかったかのように会談へ戻って行った。
ブックマーク登録、感想、評価などありがとうございます!励みになります(^o^)/
幕間『花束とケンカ2』をお送りしました。
あまりせがむのでアルカードへの同行を許したルイスでしたが、クリスの目的など聞かずともわかっていました。
ルイスとカイネクリフ、二人がクリスに当たりがキツイのは、クリスが無意識に平民や騎士を軽んじる発言をしている事が原因です。
奢りを持つなど万年早い。アルヴァンド公爵家の人間としつあるべく人格を持つべく、ルイスは今後の再教育を検討していました。
次話もぜひご覧ください!




