意外な訪問者
青々と生い茂る木々の隙間から暖かな日差しが降り注ぐ。地上には初夏の野花が咲き乱れ、蝶や蜂がせっせと蜜を集めるのに勤しんでいた。
冬の長いライザタニアとは違い、システィナでは既に春は終わりを告げようとしている。もう、綿を入れた外套を着る者はいない。国境の守護を担う騎士や兵士たちもまた、この日は通年用の外套を羽織って仕事に従事していた。
「空が青いなぁ!」
青く澄んだ空には雲一つない。降り注ぐ陽の光に手を添えながら見上げていた男は、これ以上ない呑気な言葉を放つ。
「何を呑気な。我々は仕事で来ているのですよ。それを分かっているのですか?」
「もぉーミケさんってばマジメなんだから!分かってるって」
「どうだか!」
共にライザタニアからシスティナの地を踏んだ同僚は、呆れを大量に含んだ眼差しを男へ向ける。
どちらもニ十代前半に見える若者だ。衣服は上下共に漆黒で、腰には皮ベルト、ベルトに固定された帯剣、肩章から通された金の飾緒が揺れる。ライザタニア国特有の軍服だ。
ライザタニアとシスティナとは長年敵対関係にあった国同士。一方的な侵攻を繰り返すライザタニアに対し、システィナは良い感情を持ってはいない。勿論、国家間の関係は良くはない。そんなライザタニアの軍服を纏った者がシスティナへと続く国境を跨いでいる。何事かあったのではと思案するのが普通であった。
「でも、ホントにいい天気だよねぇ」
春爛漫。そんな言葉がぴったりな男は赤茶毛をかき上げた。
見上げた先には青い瓦屋根光る三角屋根が見える。システィナの東の国境を守護する要の施設を、敬意を持って『東の塔』と呼ぶ。
「いやぁ楽しみだなぁ!どんな表情してくれるんだろう?ハッ、もしかして『感動の再会!』が待ってるかも⁉︎」
「……。そのポジティブさを見習いたいものです」
「え、なになに?どーゆー意味?」
「バカ言ってないで行きますよ!」
遠足中の子どもの様にウキウキしている男を無視し、同僚は目の前に続く道を一路西へと歩み始めた。
※※※
「塔の騎士団にライザタニア軍人が、ですか?」
アーリアはこの日、アルカード領主の召喚を受け領主館へ足を運んでいた。
太陽のようにな金の髪。海を思わせる青い瞳。整った鼻筋。白く輝く歯。絵本から飛び出した王子様の如く容姿。
本日もアルカード領主は大変煌びやかで、見慣れてきたアーリアであっても目を見張る存在感は健在だ。
「そう。『両国の交流を深めるため』というのが表立っての理由だけど、大方我々塔の騎士団が『合同演習』との名目でライザタニア王都へ押し入ったのを面白く思わなかった者たちが画策したものではないかな」
「それでライザタニアからシスティナへ軍人が派遣されて来るんですね?」
アーリアがライザタニアから帰還し一月半。およそ一月の休暇を終え、エステル訪問を済ませたアーリアは現在、アルカードへと戻ってきていた。
アルカードからは怒り心頭のまま出てきたので、騎士たちと顔を合わせるのに多少の気まずさがあったアーリアだったが、それは杞憂に終わった。
帰って早々、出迎えた『東の塔の騎士団』団長ルーデルスによる謝罪ーー「申し訳ございませんでした!」とスライディング土下座された事により、事態は収束。
これまでもルーデルス団長の行動は度々度を越す事があったそうで、他の騎士が団長の土下座を見ても「何かやらかしたんだろうな」程度の感想で終わったという。
勿論、アーネスト副団長により団長含め行き過ぎた言動をした者へのお説教(意訳)と教育済みで、アーリアは何事もなくアルカードへ受け入れられた。
「実際には交換留学みたいなものでね、システィナからも十数名の騎士を派遣する予定だよ。その辺、我が叔父に抜かりはないよ」
「さすがルイス様」
アーリアの脳裏に有能な官僚であるアルヴァンド公爵ルイスの顔が浮かぶ。
女性の前では甘いマスクのアルヴァンド公爵だが、政治家の顔に甘さが含まれる事はない。そういう点で見れば、眼前のアルカード領主カイネクリフも同じだった。
「という事で、本日我がアルカードへも件の留学生が来るんだけど……」
「わかりました。その留学生たちへ歓迎の挨拶をすれば良いんですね?」
「ご明察。なに、そんなに緊張しなくても大丈夫!私もその場には立ち会うからさ」
「寧ろ、私はご領主様のついでで構いません」
「またまたぁ!私の顔を立てたって何も出ないよ」
「立てる立てないじゃなくて……」
ーーというやり取りがあった数時間後。
アーリアは留学生たちと驚きの対面を果たしていた。
「え、なんで……⁉︎」
アルカード領主館へ招かれたライザタニア軍人たちの為に開かれた歓迎の祝典。アルカード領主からの挨拶も終わり、いよいよ次は『東の塔の魔女』からの挨拶をとなった時、アーリアは目の前にある軍人たちを前に困惑で目を白黒させていた。
目の前に整列する十数人のライザタニア軍人。ライザタニア特有の堀深さを持つ軍人たちは、皆二十代前半の若者だ。だが、アーリアは彼らがその見た目よりも遥かに年上である事を知っていた。
アーリアは交換留学生としてシスティナへーーアルカードへと派遣されて来た軍人たちを前に絶句。歓迎の挨拶もそぞろにアルカード領主の後ろに引っ込み、軍人たちの顔を右から左へと視線に収めていく。
塔の騎士、騎士寮の料理人、図書館の司書、馬房の番人、花屋の店員……。軍人の誰もが、このアルカードで出会った事のある者ばかり。それにはアーリアの背後に控えている護衛騎士や塔の騎士たちも気づいているようで、皆が皆、表面上は平静を装いながらも内心は複雑な気持ちに苛まれていた。
まさか、自分たちを陥れたライザタニアの工作員たちが今度は堂々と乗り込んで来るとは、思ってもいないではないか!
「で、なんでセイがココに?」
歓迎の式典がつつがなく(?)終わった後、アーリアはライザタニアから来た軍人ーーその中の一人をひっ捕まえていた。
「やっほー!アーリアちゃん、元気にしてた?」
「おいセイ。気軽に話し過ぎだ。我々はライザタニア軍として派遣されている。守護の対象である魔女様に対して礼儀を持って接しなければならない。それを……」
「いーじゃん、知らない仲じゃないし!もぅ、ミケさんは硬いんだから!」
式典という手前、軍人たちは皆正装を纏っている。
通常より豪華な装飾が施された黒い軍服を纏い、赤茶毛を撫で付けている彼は、黙って立っていれば有能な軍人に見えた。ーーが、口を開いた途端、その軽さが浮き彫りに出る。いつもの調子で手をヒラヒラと振る姿に、「あ、やっぱりセイだ」とアーリアはガックリと肩を落とした。
「セイたちがライザタニアからの交換留学生?」
「そ。俺たちは『東の塔の騎士団』とは浅からぬ縁もあるし、それに何かと都合が良いでしょう?」
どう都合が良いのか分からないアーリアは、口の中で言葉を濁す。
誰とも知らぬ人物が自分の周辺にいる事を考えれば、見知ったセイたちの方が緊張感はない。しかし、セイたちがライザタニアの工作員だと知っている今、また別の緊張感が生まれるのではないだろうか。
「えっと、私は構わないけど。寧ろセイたちの方がやり難いんじゃない?」
「まぁーね。正体がバレちゃってる訳だし。やり難いっちゃやり難いよねぇ」
セイは周囲を見回して苦笑。辛酸を舐めた塔の騎士たちのセイたちを見る目は、決して温かいものではない。
それはライザタニアから来た者たちも皆感じているようだが、だからと口に出して不満を言う者はいない。
「まぁでも、こっちはもう立場を偽る必要がないんだし、その分はやり易いかなァ」
「そういうものなのかな……?」
「あ、ひょっとして心配してくれてるの?嬉しいなぁ!」
セイは軽い足取りでアーリアに近づくと、屈んで顔を覗き込んだ。セイの目に自分の顔が写るほど近づいた所で、アーリアはセイの胸をトンと押した。
「セイのバカ!調子に乗らないで」
「あはは!相変わらずツレナイんだから」
セイはアーリアの騎士たちに引き離される前にアーリアの側から離れる。潜伏しながら騎士をしていた時以上に軽い態度に、元同僚のみならず現同僚すら、冷えた視線を投げかけている。
「冗談もこれくらいにして。俺たちは任務の一環として此処に来ている。だから過去にどんな経緯があろうと、どんな扱いを受けようと、気にする事はないよ」
セイはにこりと笑うと、アーリアとその周囲にある騎士たちを視界に収めた。
「ーーですから、そちらも過去の遺恨は忘れて、ビジネスライクにいきましょうね?」
セイのまるで挑発するかのような言い回しに、若い騎士の数名の顔が引き攣った。
セイは少し前まで同じ立場であったが、あの襲撃を受けて舐めた辛酸はまだ舌の上に残っている。いくらライザタニア軍人が留学生としてシスティナ入りした事が両国間で交わされた政治的な判断からであると理解できても、感情面ではなかなか割り切れるものではない。
「ええ、勿論ですよ」
「サスガ副団長様。理解がおありになる」
苛立つ若手騎士を視線一つで黙らせセイに手を差し出したのは、『騎士団の鬼』と呼ばれるアーネスト副団長であった。
セイは差し出された手を握り返すと、ニッコリと微笑んだ。やっと分かる人間に出会えたとも言いたげに。
「『過去の遺恨を忘れて』などと言われるまでもありません。我々は今回の交換留学を、とても楽しみにしていたのですから」
「それはそれは……」
「えぇ、我々は互いに国の名を背負った立場。国の名に泥を塗る様な行為は行えません。それに……もう我々は先輩でも後輩でもないのです。これからは対等に接する事ができますね?」
眼鏡の奥にある目。アーネスト副団長の目を見てしまったセイはギクリとした。口元の笑みに反して、目は全く笑っていなかった。それどころか、何故か殺意めいたものまで帯びているではないか。
セイはアハハと誤魔化す様に笑うと、アーネスト副団長と重ねた手を離した。アーネスト副団長の言う『対等』とは、『何か問題を起こせばすぐ国に抗議を入れる』と言い換えられる。
元々、素行の良くなかったセイとしてはやらかさない自信はなく、「あー、ヤバイ人を煽っちゃったなぁ」と内心冷や汗ものであった。
そんな同僚へとシラっとした目線を向けていた元料理人ミケールだが、これでも年齢だけならこの場の誰よりも年配だ。アーネスト副団長と騎士たちに向けて柔らかな笑みを浮かべると、副団長の言葉を受けて「そうですね」と口を開いた。
「我々も対等な関係には大歓迎です。問題や課題を共有する事ができるでしょうし、勉強する事も多くあるでしょう。互いに有意義な時間が築けるよう、努力して参りましょう」
年若い同僚の言葉をフォローしつつ牽制球を放つミケールに、アーリアは元料理人の意外な面を見たとばかりに目を見開き、背後に控えていたリュゼは「こりゃ一本取られたんじゃないの?」と溢し、余計な事は言うなとばかりにナイルに睨まれていた。
『何か問題を起こしたら国にチクるぞ?』
『それはお互い様だ。そちらこそ気を引き締めることだな』
そんな副音声が聞こえそうなメンチ切り。ケンカ上級者も裸足で逃げる程の空気に、周囲の騎士たちも顔色が悪い。
しかし、この場で唯一アーリアだけは、この冷え込んだ空気に気づいていなかった。男同士のマウントの取り合いに興味がなかったのだ。
「えっと、もう決まった事なんだし、セイたちが平気なら私から何も言うことはないよ」
「うんうん、アーリアちゃんは物分かりがいいね」
「物分かりが良いんじゃなくて、諦めてるの。それに、私としては知らない人たちが周りにいるよりも、セイたちの方が気楽な面もあるし」
これから新たな人間関係を築いていかなければならないと思っていただけに、アーリアとしては随分気分が楽に思えていた。ただでさえ人見知りなのだ。ライザタニア軍人相手に社交辞令をしなくてもよく、また、相手に自分を偽らなくても良いという特典つき。これ程、楽な相手も他にいない。
「ま、やり難い面もあると思うけど、今回俺たちは君の敵にはならないから安心して。それに、これも現王様の気遣いだと思って諦めてよ。あの人、あー見えて過保護なトコロがあるから」
パチリとウィンクするセイ。アーリアはセイの言葉に虹色の瞳をパチクリ。長いまつ毛が揺れる。
現王、ライザタニア王アレクサンドルは『狂乱の王』との噂に反して子煩悩で過保護。一度気に入った人物に対して一方ならぬ愛着心を見せる。
そんな歪んだ性質を持つ現王は、この度、敵対関係にあったシスティナの魔女に対して過保護を発揮したようだ。
現王の良い遊び相手である魔女を他者に傷つけさせるのを嫌い、自身の目となる者たちをシスティナへ派遣。周囲を牽制しつつ保護しようと画策した。
アーリアはライザタニア王族の偏った愛情を知るが故に、セイの言葉から内情を正確に読み取るに至った。
当然この様な意図でライザタニア軍人が派遣されてきたなど、他の者は気づかないだろう。話したところで「ウソつけ、バカバカしい」と一蹴されてしまうに違いない。
「もう!やりすぎだよっ」
他者の気持ちを無視した一方的な愛情。
ライザタニア王族の歪んだ性癖に、アーリアはがっくりと肩を落とした。
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幕間『意外な訪問者』をお送りしました。
アルカードへライザタニアから交換留学として送られてきたのは、なんとライザタニアの工作員である亜人部隊のセイたち。
従来の目的とは異なり、世話になった魔女の周辺警護にと現王の命で派遣されてきたのだというセイに、さすがのアーリアも「ライザタニア王族の愛情、重い!」と頭を抱えました。
次話も是非ご覧ください!




