好きなんだ
※(リュゼ視点)
正直、こんなに執着するとは思わなかった。
これまで物にも人にも、何にも興味を惹かれるものはなかったし、これからもないと思っていたんだ。
特に人には興味のカケラもなかった。
人は醜く汚い存在で、信用するに値しない。信頼を寄せるなんて以ての外だ。他人を当てにしてもロクな事がないのだから。
そんな僕が自ら望んで彼女の側にいる。
信用を、信頼を得たいと心から思っている。
あわよくば好かれたいとも。
側にいるだけで幸せでそれ以上は何もいらない。そう思っていたのに……。
少し前の僕には、こんな感情、理解できなかったに違いない。
人なんて、男も女も皆自分勝手な生き物だと心の底から思っていたし、どんな美談を聞いたって、それには裏があると考えていた。美談も醜聞と同じで、金になるからね。
金持ちに雇われて態とウワサを流した事もあった。その時、ウワサとは人為的に作られるものだと知った。
残念にも思った。つまらないとも。結局は金か権力かその両方か、つまりは人間とはそういうものに左右されて生きているのだ。しかも、それらは全てが人為的に捏造し、捏造されたモノ。
本当に人とは、なんてつまらない存在なんだろう。
絶望だけが募っていった。
そんな僕が他人にーー彼女一人に繋がれたいと思っている。
なんなら一生、死ぬまで、ずっと、側にいたいと思っている。
信頼されたい。
心を、想いを受け取ってほしい。
好きになってほしい。
彼女が好きで、たまらなく好きで、ずっと側にいたくてーーけれど、この想いは『恋』なんて可愛いもんじゃない。絡みつくような醜い『執愛』だ。
エステル帝国からシスティナへ帰国し数日、アルヴァンド公爵邸を訪れた先、執事によって当主の執務室へと案内された。
アルヴァンド公爵家当主ルイスは僕の直属の上司。いくら気安い関係を許されようとも、公私を混同する事はない。
「リュゼ、君にカミネタリア伯爵からご息女との縁談をとの話があるのだがーー」
「断ってください」
「そう思い、すでに断りをいれた」
「ありがとうございます」
執務室に入るや否や、初っ端の話題は自分への見合い話。正直面倒でつい表情に出そうになった。
食い気味に答えれば、アルヴァンド公爵は間髪入れずに言葉を続けた。こういう時、心底やり手だと思う。
護衛騎士となってから、この手の縁談が増えた。
あのボンクラ騎士をノシてからは特に。
平民上がりが由緒ある貴族子息に手を出したというのに、批判よりも高く評価される事が多かったのは、確実に目の前の男の仕業に違いない。
「次に、君の貴族後見人に名乗りをあげた者がいるが、どうする?悪い話ではないが」
「誰です?その物好きは」
「軍務省長官殿だ」
「え、あー、それきっと揶揄ってますよね?」
「真意は分からぬ。が、口から出まかせを言う方でもないので、正直、判断に困っている」
相手が相手だけに、流石のアルヴァンド公爵も困り顔だ。あの軍務省長官、冗談なんて言うタイプには見えない。
「お守りのひとつにと考えるなら、受けても損はないだろう」
一呼吸分思案した後、アルヴァンド公爵はそう結論を出した。冗談でないなら、本気という事だ。思った以上に目をかけてくれているらしい。今は有り難く受け取るべきだろう。
自分の話が終わり、今度は護衛対象であるアーリアへと話題が移る。今度の話は余程面倒なのか、アルヴァンド公爵の整った眉間に皺が寄った。
「まだ本人には話していないが、エステルの宰相ブライス閣下より君の主アーリア嬢へ、養女への誘いが来ている。こちらは『囲い込み』の可能性が高いが、受ければ良い虫除けになるのも確か。並の貴族では太刀打ちできない」
エステル帝国の宰相を務めるブライス公爵レイは、千年の歴史を保つ帝国を支える重鎮中の重鎮。帝国皇太子とは派閥違いだけど、特段対立はしていない。在国中は何かとアーリアを気にかけていた御仁で、帰国の際にはピンクや黄や水色などパステルカラーの可愛らしい花束を贈り、アーリアを喜ばせていた。
帝国と比べたらシスティナは歴史も三百余りと小国の部類に入る。大陸随一の国土と国力を保つ大国と事を構えたい者はいない。
「政略的にもアーリア様を手に入れておいて損はないですからね。帝国は精霊至上主義。精霊女王の加護を持つ彼女を喉から手を出すほど欲している者もいる。帝室もそうだ。仮のと言ってはいるけれど、あわよくばと皇太子との婚姻を願っている。その際の後見人として、公爵家でもある宰相閣下のもとへ養女へ出すのは理にかなってもいる。要はどちらもの益になるという寸法ですね」
エステルでの生活で培った経験で大凡の見当はつく。特に、皇太子殿下と対立傾向にある政党と派閥は頭に叩き込まれている。
「今は要望の段階だが、あちらが本気になればそう悠長に構えてはいられなくなる」
「それは僕も、それにアーリア様も分かっていますよ。これは殿下の温情だということは。惚れた欲目ですからね。だから宰相閣下も強くは出られない」
大魔導士の養女とはいえたかだか平民の娘。本気で帝国皇太子が望めば、断る事は容易ではない。
それはアーリアにも分かっている事で、だから今の状態が皇太子殿下の温情である事も理解している。
皇太子ユークリウス殿下がアーリアの気持ちを何よりも大切にしており、それは側で見てきた僕もよくよく分かっている。
「楽にしてくれ」
「お言葉に甘えます」
アルヴァンド公爵の言葉に、背中で組んでいた手を解く。場所を執務室から談話室へと移した。
「彼女ーーアーリア嬢はどうするつもりだろうか?」
「ユークリウス殿下のこと?そうだねぇ、案外本気で来られたら断らないんじゃないかな」
「というと……?」
「ユークリウス殿下はアーリアの初恋の相手だから」
アッサリと暴露すれば、アルヴァンド公爵ーールイスさんは目元を険しくさせた。
「……てっきりうちの愚息だと思っていたのだが?」
「違う違う。アーリアがジークを見る目は完全に憧れ。絵本の中の王子様に持つ感情と同じだよ」
机に並べられたのは茶器ではなくグラス。
美しい彫りの入れられたグラスには琥珀の液体が注がれる。
アルヴァンド公爵がグラスを手にするのを確かめた後、自分もグラスに手を伸ばした。
「そもそもジークが悪いんだからね?」
「なに?」
「契約という関係を結んだ以上、アーリアはジークを客としか思えない。初めからジークにそういう意図があったかは知らないけど、アーリアがジークへの想いを育てなかった理由は十中八九、それだろうね」
「ジーク自らがそうさせたと?」
「残念ながらね」
グラスの中身は年代物のウイスキー。サスガ、システィナ随一の大貴族アルヴァンド公爵家。出てくる酒も最高級だ。
「では何か。契約主でしかないジークは恋愛の対象にはならなかったというのか?」
「憧れの対象ではあったと思う。けれど恋愛には発展しなかった。ジークが公爵家令息と分かって余計に遠慮したんだろうね。それは彼が騎士としての復帰を願い果たした事で、更に遠くなった」
「復讐が叶い、近衛騎士としての復帰も叶った。己が欲ばかりを求めておいて、更には欲深くもアーリア嬢の心までもを求めているとは。そこまで情け無い男だったのか?我が愚息は」
「本当に都合が良すぎるとは僕も思う。ーーと、これは僕が言えた事じゃないんだけどサ」
諜報活動を主な任務に充てられていた経緯もあり、あの時のアーリアとジークの関係はバッチリ把握済みだ。
プライバシーもあったもんじゃないけど、それは仕方ないよね。彼らーー特にジークの感情はダダ漏れだったんだから。
「それで、リュゼはどうしたいのだ。アーリア嬢とどうありたいと思っている?」
ルイスさんは暫く低く唸った後、ズバリ、切り込んできた。
「それがよく分からないんだよねぇ。アーリアを嫌いになったとか興味を失ったとかじゃなくて、その逆。好きすぎて困ってる」
「惚気か?」
「そんな可愛い感情じゃないよ」
アーリアさえ幸せなら本当にそれだけで良いと思っていたのに、どういうワケか、今はアーリアの心を手に入れたいと思うようになってしまっている。欲望のまま高まる想いをぶつけてしまいたいという、ともすれば危ない思想まである。
思い留まらせているのは騎士道精神、忍耐力。
それもいつまで保つことか。
「リュゼ、お前……」
「やだなぁ、前みたいなバカな真似はしないよ」
「だと良いのだが」
ルイスさんには呆れたような顔をされたが、嫌われる様な真似をするつもりは毛頭ない。
ただでさえ、アーリアはこの手の話題に鈍く、それでいて敏感で、大変デリケートな問題なのだから。
「アーリア嬢に、想う者はいないのか?」
「いないんじゃない?と言うより、無意識につくらないようにしていると思う」
「無意識にか。それはやはり出自に関わる事を気にしているのだろうか?」
「まぁ、そうだね」
アルヴァンド公爵ルイスの言う『出自に関わる事』とは、アーリアが庶民で、しかも産みの親が分からない事だと推測できた。ーーが、それは誤りだ。
実情を語る事のできないアーリアの表向きの素性は、『身寄りのない庶民』で『大魔導士の養女』。まさか『人工的に造られた複製人間』であるなんて言える訳がないし、言ったところで信じてもらえるかもあやしいけどさ。
特殊な生まれ故にアーリアは孤独で、そして人間社会に溶け込む事を拒む。造られたモノと創造主。人造人間と人間。自分と他人とを隔てる壁は高い。
だから、何事にも執着しない。人間と同じ目線で見ない。自分と他人とは違う生き物だから、とーー。
「アーリアにとって何より大切なのは家族。養父である師匠と実の姉兄。それ以外はミジンコみたいなもんなんだよ」
「それは、何というか……」
「極論だけどね。あ、勿論ルイスさんの事は『信頼できる大人』というカテゴリーに入っている筈だよ」
苦笑してみせれば、ルイスさんも「そうか」と苦笑いした。人を分類分けして認識しているのはお互い様だからね。
「人によっては幼い考えだって思うかもね。家族が一番大切だなんて」
「いや、境遇を鑑みればそうおかしな事ではない」
ルイスさんは想像でしかない『境遇』に同情を見せている。
生まれも育ちも貴族でしかも公爵家なら、貴族以外の生活はまるで想像つかないだろう。それを悪く言うつもりはない。僕だって、正直、貴族の生活は分からない。
「リュゼ、お前の立ち位置はどこなのだ?」
「……。……家族の輪には入れてもらっている、と思う」
「なるほど。家族が最愛だとするアーリア嬢のその輪に入っているとすれば、それ以上を望むのはなかなかに難しく思えるな。ーーリュゼは家族以上の情を求めているのだろう?」
アーリアにとって師匠は最愛で最上。兄姉は特別だ。
家族の輪に入れて貰えているだけですごい事だし、それ以上を望むのは強欲というものだ。そんな事は分かっている。けれどーー
「……まぁ、ね」
本当は望むべきではないんだ。
だけど、アーリアへの想いは膨らむばかりで薄れゆく気配はまるでない。
笑った顔は勿論、怒った顔も、沈んだ顔も、叫んでいる顔も、地団駄踏んで拗ねている顔だって。どんな姿顔を見たって嫌いになんてなれないし、寧ろどんな表情も可愛いと思う。それこそ、幼子のようにべそべそ泣いていたって。
「好きなんだ」
と、無意識のうちに口から溢れ出す想い。
ふと見れば、ルイスさんは呆然と青い瞳を大きく開けている。
「諦めるのは早い。可能性は大いにある!」
くしゃりと前髪を掻き上げそっぽ向いた僕からグラスを取り上げたルイスさんは、高級ウイスキーを並々と継ぎ足した。
「そうかなぁ?彼女は僕の気持ちなんて、ちっとも気づいていないと思うけど?」
「だからどうした!気づいていないのなら、気づいて貰えるまで努力すべきだろう。なんだリュゼ、本気ではなかったのか?」
「本気も本気、マジも大マジだよ」
「ならば、やるべき事は一つではないか!」
ほれ、と突き出されたグラス。視線を上げれば、アルヴァンド公爵家当主はそれは良い表情をしていた。
「一度や二度フラれたからと諦めるなら、それは本気ではなかったということだ。リュゼ、お前はアーリア嬢にキチンと告白したことはあるのか?ないのであれば、それはまだ何も成していないのと同じ事だぞ?」
告白まがいな事なら何度かした。
けれど、一度として伝わっていないのは確かだ。
ちょっと感の良い者ならすぐに気づきそうなサインを幾つ織り交ぜようとも、彼女アーリアは気づかない。それはもういっそ清々しいほどに。
「アーリア嬢を想う相手ならジークやユークリウス殿下の他にも、まだいそうだな。その者らに先を越されても良いのか?」
「ヤダ」
「ならば、その者らよりも頑張らねばならぬ!」
ルイスさんはまるで同窓生に笑いかけるかのようにニカッと笑うと、カツンとグラスを打ちつけた。
僕はと言えば、愚痴を吐き出したおかげか幾分か気持ちが楽になった気がしていた。
僕の思いに青臭いと揶揄うでもなく、真剣に向き合ってくれたルイスさんは、やっぱり懐の深い男だと思う。
ぐいっと酒を煽る。スルリと通り抜ける熱。琥珀の液体は見る間に喉奥へと消えていった。
「さて、具体的にどのようなアピールに出れば良いか、対策でも立てるか?」
「えー、やだよ恥ずかしい」
「恥ずかしがっている場合か!手を拱いていて先を越されてでもしたら、後悔するのはお前なのだぞ」
「うっ!でもさぁ、一体何すれば正解なのさ?」
アーリアが何を好むか、知っているようで知らない。
気持ちを伝えるにも、時と場所、タイミングが重要だろう。それでも上手くいく確率は円周率並みだ。
「やはりここは花に手紙でも添えて贈るか?それとも演劇にでも誘うか……。儂が若い時など、惚れた令嬢に振り向いてもらう為に毎日のように贈ったものだ」
「へぇ、毎日!ルイスさんでも手こずる時があるんだね?」
「容姿が通用する相手ではなかったのでな。三度続けてフラれた時など、心がぽきりと折れたわ!」
ルイスさんの亡き奥さまは、かつて社交界の華と呼ばれた才女で、彼女を廻り、数多くの男たちが競い合ったのだという。その中には前宰相サリアン公爵や現軍務尚書なども居たとか居なかったとか。
その後もルイスさんはあれやこれやと女性を振り向かせる方法を考えてくれた。
酒の肴にされているような気がしないでもないけど、こうして相談できる相手がいる事は心強い。
「ところでさ、僕の相談ばかりに乗ってくれちゃって良いワケ?君の息子ジークも彼女を好きな一人だけど」
夜も更けた頃、チーズ片手にそう問えば、ルイスさんは口端を歪めつつ首をすくめた。
「息子が父親に恋の相談など、あやつは口が裂けても話さぬだろう。儂も別に聞きたくない」
生まれてこのかた父親という存在を知らない僕にはどうにも分からない。「そんなもん?」と首を撚れば、ルイスさんは「そんなものだ」と肯定し、続けて苦虫を噛み潰したような顔で付け加えた。
「アルヴァンドの名を持つ男児たるもの、女の一人や二人、振り向かせられなくてどうする!そもそも、女を振り向かせたいなら、男が自らを磨かなくてはならぬだろう?」
あやつにはその努力が足りない!そう、息子ジークについて力強く語るルイスさんに、知らず目からポロリと鱗が落ちる。
自分からは何もせず、相手ばかりをどうにかしようとしている。そう言われてハッとなった。それは僕も同じだって。彼女にばかり変わってもらおうなんて、虫の良すぎる話じゃないか。
「違いないや」
あははと笑って空いた左手で顔半分を覆った。
そうだ。努力しよう。
ずっと彼女の側に居られるように。
信頼してもらえるように。
好きになって、愛に愛を返して貰えるように。
僕の側にいる事が幸せだと思ってもらえるように。
僕自身が彼女に釣り合う男にならなければ。
そうしなければ、この話は始まらない。
「ルイスさん、ありがとう」
憑き物が落ちたかのようにサッパリした気分だ。
ルイスさんはそんな僕の表情に気づいたのか、爽やかに笑むと、「なに、友として当然の事をしたまでだ」と今度は瓶ごと寄越してくれた。
まだ半分以上入った瓶を受け取ると、僕はそれをルイスさんに向けて傾けた。
「友だちなら、付き合ってくれるよね?」
「ああ勿論だとも」
「ははっ。めちゃくちゃ心強いね!」
僕はもう一度グラスを掲げると、同じくグラスを掲げたルイスさんと軽く打ち合わせた。
アルヴァンド公爵家当主自らが友と言い、味方となってくれたんだ。これほど心強い事はない。
次の日、僕は割れるように痛む頭を抱えて街へ繰り出した。友から貰った花屋のリストを持ってーー
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幕間『好きなんだ』をお送りしました。
エステルからの帰国後、一時的にシスティナ王城へ立ち寄った帰りの出来事です。
アーリアとリュゼ、ナイルの3人は、アルヴァンド公爵の好意を受け、アルヴァンド公爵邸へ滞在しました。
この日、アーリアはリディエンヌと城下町へスイーツ巡りをしていて、お供にナイルとジークがついています。
リュゼはもう一人の上司軍務長官など、挨拶まわりをしていました。
次話もぜひご覧ください!




