揃いの腕輪
「どうした?頭など下げて」
帝国へ召喚されたアーリアは、皇太子殿下の室へ着くなり頭を下げて動かなくなった。そんなアーリアへ皇太子は気軽に声をかける。
「ユークリウス殿下が私の身の安全を精霊に祈ってくださったと、お聞きしました」
具体的に言えば、エステル帝国がライザタニアを牽制した事だ。
訓練を称して国境付近に飛竜を飛ばせたこと、大軍を配備して脅しを掛けていたことなどが挙げられる。また、捕虜となったシスティナの魔女を案じて、ライザタニアの第二王子宛に親書を認めた事も挙げられるが、こちらは魔女当人の知る所ではない。
「なんだ、その事か。気にする事はない。我が国にとっても都合が良かっただけだ。お前の為ではない」
「それでも。私の生命が無事だったのは、殿下のおかげなのです」
「そうか、ならば謝意を受け取ろう」
「ありがとうございます」
受けた苦労を微塵も出さぬ皇太子殿下。温かな気遣いを前に胸が締め付けられ、アーリアは再度深く頭を下げた。
「いい加減頭を上げろ」
「はい……」
アーリアが顔を上げると紫水晶の瞳が降ってきた。
帝国千年の集大成。眩しい程整った容姿。視線が合うとふっと微笑まれ、アーリアは思わず頬を染める。
「本当にお前が気にする必要なぞないのだぞ?ライザタニアの王子らが起こした内乱。それを利用して何処ぞの莫迦共が他国へ攻め入る危険性は怏々にしてあった。帝国としてそれを牽制するのは当然であろう?」
長い指が合わさり皇太子殿下の顎を支える。
「それに立場的にシスティナが表立って事を起こすのはマズイ。システィナは小国だ、他国に隙を見せるのは悪手だからな。それに引き換え我が国には余力がある。何より帝国の威信を傷つける輩に、我々は寛容ではない」
帝国は立場上当然の措置を執った。そう言われても、帝国がーーいや、皇太子殿下が動いた原因の一つは自身にあるに違いない。そう思えばこそ気軽に「それなら」と了承しかね、アーリアは思案した末キュッと唇を結んだ。
するとそこへ咳払いが一つ。この部屋にいたもう一人の人物が声を挙げる。
「殿下、素直になられてはいかがですか?アーリア様の身が心配だったのでしょう?」
「ヒース、お前っ……」
「帝国の威信を維持する。皇太子としては当然の言動ですね。でも、そこに個人的な感情がなかったのでしょうか?」
皇太子殿下の側近にして近衛第八騎士団の団長たるヒースは、この帝宮で最も皇太子殿下の心情を読み取るに長けた人物だ。
臣下の裏切りとも呼べる言動に狼狽する皇太子殿下だが、恨みがましい視線を投げれどヒラリと躱される始末。
「チッ、この裏切り者めっ。ーーアーリア」
「はい!」
深く長い溜息の後スウッと息を吸うと、皇太子ユークリウスは直立するアーリアへ笑みを浮かべた。
「お前が無事に戻って良かった」
「っ!ユークリウス殿下……」
「ユリウスと呼べと言っただろう?」
「あ……ありがとう、ユリウス」
「ああ」
互いに落とし所を見出し胸を撫で下ろす。そんな二人を微笑ましく見守る近衛騎士も満足顔だ。
「今日はユリウスにお礼をと思ってこれをお持ちしました」
「これは……?」
コトリと卓上に置かれた木箱。上部には金の飾り細工が施され、同色の留金が封を担う。
ユークリウス殿下は差し出された木箱を手に取るとそっと蓋を開けた。
紅いベルベットの台座に鎮座する黄金の腕輪。フワリと香る濃厚な魔力の匂い。光輝く腕輪。細部に緻密な彫刻が刻まれており、中央には虹色に輝く石が存在を主張していた。ユークリウス殿下はそれを純度の高いオパールだと判じた。
「アーリア、これは?」
「こここ婚約者同士ならば、私だけが腕輪をしているのは変だと伺って。それで……」
「それはつまり、私の気持ちに応じるという事か?」
皇太子殿下のいつになく真摯な瞳が貫く。ドキリと胸を跳ねさせたシスティナの姫は言われた意味を吟味した後、自身の発言の不味さに狼狽。どうにかこうにか取り繕うように言葉を探した。
「えっ⁉︎ いや、そんな……そこまでトクベツな意味はないのだけど。そ、その!ただ何かお礼がしたくて。だからそのっ……!」
「フン!分かってはいたが、何もそんなに力強く否定せずとも良くないか?」
案の定な回答に肩を落とす皇太子殿下。この程度で絆されてくれる姫なら、とっくに自身の手へ堕ちている。
この魔女は見た目に反して強情で、簡単に自身の気持ちを折る事などない。それはとても頼もしくはあるが、この場合、喜ぶべきかどうかは悩むもの。端的に言って面白くない。が、そんな魔女を好ましく想う皇太子ユークリウスは、この日何度目かの溜息を吐いて気分を落ち着けた。
「素材は金か?にしては軽いが……」
「金でコーティングしてありますが、中身はオリハルコンです」
「はぁ⁉︎」
手に取りくるくると様相を見物していたユークリウス殿下の手が止まる。同時に背後で側近が息を呑んだのが感じられた。
オリハルコンとは別名『賢者の石』との異名を持つ鉱石で、この世界では金よりもずっと価値が高い。オリハルコンは魔力を通し易く、魔法や魔術の威力を倍増させる効力を併せ持つ。世界的に見て大変希少な金属をぽんっと差し出してきたアーリアに、皇太子殿下と近衛騎士の口が塞がらない。
「アーリアお前、コレの価値が分かっているのか?」
「ええ」
「そ、そうか……」
中程度の城ならニ三個、小国ならポンと買えてしまう程の価値がこの腕輪にはある。そんな希少金属を前にしても態度は変わらない魔女に、主従は首を捻る。
この魔女が確かな金銭感覚を持ち合わせている事を知っていた。姫生活中でも我儘など一切言わず、逆にユークリウス殿下を悩ませた程の慎ましい金銭感覚を。
「えっと、なんですか?」
「いやな、よくこの様な希少な物を前に平然としていられるなと……」
ジト目で眺められソワソワしたアーリア。ユークリウス殿下の質問に「なんだ、その事か!」と手を打つ。
「どんな素材も使わないと意味がないですよね?寝かせておいても意味がないじゃないですか。魔宝具は人の役に立つ為に生み出すのですから」
「まぁ、それは最もだが……」
その魔導王国の魔宝具職人らしい発言に納得しかけた矢先、件の職人からとんでもない発言が投下される。
「ご心配なく。私だけの判断じゃないですから」
「なに?」
「私が『ユリウスにお礼をしたい』って相談したら、皆さん満場一致で選んでくださいましたし。きちんと監修が入ってます!」
独断じゃありません!とアーリア。
だが、問題はソコではない。ユークリウス殿下は慌てて腰を浮かせた。
「ちょっと待て。その相談相手とは……?」
「システィナ王陛下とそのご家族です」
「なッ⁉︎」
システィナに帰還後、王城へと召還されたアーリアは内々にシスティナ王から謝罪を受けた。
一度ならず二度までもまんまと利用されたアーリアとしては心底面白くはないが、国王から頭を下げられては立場もない。
その後数日をシスティナの姫としてアリア姫の存在アピールに費やしたのもまた、面白くないエピソードだ。
国王陛下より、自身の救出に際し帝国からの援護があったと聞かされた矢先悩みこむアーリアへ「悩み事があるならパパに相談してごらん」としたり顔でにじり寄ってきたシスティナ国王。その横には「あらあら、ママに相談してもいいのよ?」と微笑む王妃。
最高権力者に笑顔で詰め寄られた庶民に取れる術などない。
素直に悩みを暴露させられた挙句、急遽王城に呼びつけられた商人から出される素材を片手にあーでもないこーでもないと国王夫妻に囲まれてお買い物と相成った。何故かその場には麗しの第二王子姿もあり、彼らのアドバイスにより腕輪の素材はオリハルコンに決定した。
加えて、魔宝具として加工する上で王家御用達の金属職人に依頼を出し彫刻を施したので、どこに出しても恥ずかしくない一品となった。
因みにこの腕輪には《遮断結界》、《上位回復》、《解毒》の他に、《防水》、《防塵》と五重の魔術付与が施されている。魔術的価値を含めると魔導士にとって垂涎の品になっているのだが、それについてはアーリアには関心のないこと。
魔宝具とは人の役に立ってなんぼ。人の役に立たねばガラクタと同じ。というのはアーリアの持論である。
「なんと言いましょうか、まさしく謝意が含まれてはいるのでしょうけど……」
「まあ、表立って礼など出来ぬであろうからな」
主従が顔を突き合わせコソコソ会話を躱す。
「なんです?おふたりとも妙な顔をして。効果についてはおいおい試して頂いて、生活防水が施されているのでつけっぱなしでも大丈夫ですよ?」
濡れるからといちいち外していては面倒。ユークリウス殿下から渡されたアーリアの腕輪にも同じ効力を持つ魔法付与が施されている。
そう驚く事ではないのだが、ユークリウス殿下はハハンと鼻を鳴らすとニヤリと笑み、「成る程、四六時中お前の顔を思い出せると言うワケだな?」としたり顔をした。
「ええっ⁉︎」
「何故そこまで驚く?」
「ユ、ユリウスがくれた呪いの腕輪みたいに絶対外せない物じゃないよって意味で……」
「呪いの腕輪⁉︎ お前、そんな風に思っていたのか?」
「だって、ユリウス以外には絶対に外せないんだよ?」
「そのおかげ助かった事もあるのではないか」
否定したくとも出来ない。何故か素直に是と言えない。
ウッと息を喉に詰まらせたまま葛藤するアーリアに、ユークリウス殿下は「アーリア、こちらへ」と呼び掛ける。椅子へ腰掛ける自身の真前まで来たアーリアに、ユークリウスは腕輪を差し出した。
「ほらアーリア、つけてくれ」
「え?」
「これは婚約の腕輪なのだろう?だったら、婚約者自らの手でつけるべきではないか」
「だ、だから!婚約の腕輪(偽)ですって」
「良いじゃないか、ほら!」
「きゃっ!」
ユークリウス殿下から手を引かれ前のめりになったアーリアを軽々受け止め、器用に自らの膝へと誘った。
「ほら、お前の手でつけてくれ」
「ななななっ!なんでこんな格好で……⁉︎」
「偽装であろう、私とお前とは婚約者同士なのだぞ?エステルにあって、我らの仲を見せつけておくのもまた、重要な事だと思わんか?」
「そそそそれもそうだけど、でもっ……」
頬に触れる吐息が温かい。ぴったりとひっついた背中は熱いくらいで、アーリアは視界に入った煌めきの皇太子の顔にウッ!と息を詰まらせた。
「ち、近いよ、ユリウス……」
「そうか?」
気を利かせた側近によって侍従は下げられ、側近もまた扉の外へと姿を消す。「ヒースさんの裏切り者ぉ!」と心で叫ぶアーリアの声は届かない。
「ほら、アーリア」
「ううう……」
ユークリウス殿下の大きな手がアーリアの手を包む。殿下の武骨のようで長い指がアーリアの指の間をスルリと滑る。
アーリアは背後から顔を覗き込まれ、そのあまりの近さに息を飲んだ。整った容姿、きめ細やかな肌、深い紫の瞳が間近に迫る。キラキラと輝く銀の髪が頬をくすぐっていく。
このままでは息が保たない。誰も助けに入る様子もない事にアーリアは観念すると、絡められた手を持ち上げ、その腕に腕輪を嵌めた。
「ここにユリウスの血を一滴垂らして個人を認識させれば、この腕輪はユリウス専用になる。悪用を防ぐ事ができるから……」
ユークリウス殿下はアーリアに言われるがまま親指を歯で噛むと、滲んだ血の一滴を腕輪の中心に光る魔宝石へと垂らした。そこへすかさずスキルを用いて《個別認識》をかける。するとオリハルコンの腕輪は益々輝きを帯び存在感を増した。
「美しいな」
「本当に。オリハルコンは魔力増幅の作用があるの。ユリウスの魔力に反応しているんだよ」
今の身体の状態を記憶した事により、もし怪我を負ったなら、元の状態に戻そうと《上位回復》が発動する。《解毒》にしても同じ要領だ。これが《個別認識》の作用であり、他者が使用できぬ大きな要因だった。
「俺専用という訳だな?」
「そう。だけど、腕輪の機能をあまり過信はしないで」
「何故だ?かなり万能な機能を備えていそうだが」
「魔宝具が道具である以上、壊れる時は壊れる。それにこの魔宝具には対処し切れない事態が起きるかも知れないでしょう?」
「用心に越したことはないと?」
「ええ」
ユークリウス殿下は帝国の皇太子。常に自分の身の回りには気を遣っているが、それでもその隙を突いて悪意は忍び寄ってくるもの。用心し過ぎる事はない。
「これはオマケとでも思っておいてください。婚約腕輪という外観に魔宝具としての効果がたまたまついているって」
「その方が此方も都合良い。他者はこれをタダの腕輪だと思うだろうからな」
さぞマヌケが釣れるだろう。そうほくそ笑む皇太子殿下の微笑みは悪人に近い。婚約の指輪(偽)をネタに誰を釣り上げようかと企むユークリウス殿下はさすが帝国の皇太子といえよう。
「ユリウス」
「ん?」
「そろそろ降ろして欲しいのだけど……」
膝の上で窮屈そうに身体を縮こませるアーリア。腕輪をネタに思考していたユークリウス殿下はそんなアーリアを見下ろすなり、ニヤリと口元を緩めた。
「別によかろう。急ぎの用がある訳でもあるまいし」
「そ、う、だけど……やっぱり降ろして……」
「何だ?体重でも気にしているなら、杞憂だ。お前は羽の様に軽い。一日中こうしていても平気だ」
「一日中⁉︎ ムリだよぉ」
相手の体温が移るほど身体を密着させた姿勢にアーリアが根を上げる。
帝国千年の集大成たるご尊顔が間近にあり、自分に向けて極上の笑みを浮かべているのだ。例え相手に恋愛感情がなくとも、好きになってしまうに違いない微笑。芝居だと知っていても、愛おしそうに見つめられているように錯覚してしまいそうになってしまい、耐性のないアーリアの頬は桃色から薔薇色へと色を濃くしていく。
「何がムリなんだ?ん?」
「ち、近い近い近い!」
「こら、暴れるな」
「だ、誰かに見られたら大変でしょ⁉︎」
「ソレが目的だからな」
言うなりユークリウス殿下はアーリアの頬にそっと唇を当てた。途端、ぼんっとアーリアの顔から煙が出た。
息を一つ飲み込んだまま彫刻の様に固まったアーリア。額や顳顬に降ってくる唇の柔らかさと温かさに、息の根が止まりそうだ。
「慣れんな、お前は。ま、そんな所が良いのだが」
「ゆ、りうす……、も、わたし……」
長い指がアーリアの髪の間に絡まる。
「アーリア。この可愛い唇はまだ誰の物でもないな?」
「ゅーー…………」
背中にまわるユークリウス殿下の左手にぐっと力が入る。頬から顎にかかる右手が持ち上げられ、真紫の瞳が間近に迫った。
アーリアの唇の隙間から吐息がひとつ漏れ、塞がれる。
軽く触れた唇の隙間から差し込まれたそれが口内で絡み合う。意図せず上がる甘い嬌声。微かな吐息と水音。時間が、止まるーー……
※※※
「失礼します。兄上、アリア姫が来られていると聞き及んだのですが……」
それ程刻を置かず重なった影が離れたとき扉を叩かれた。ノックの後顔を出したのは天使たちだった。ユークリウス殿下の三人の弟の内の二人、双子の皇子ラティール殿下とキリュース殿下だ。
「あ〜〜⁉︎ 何しているんですか、兄上⁉︎」
「人目がないからって、兄上だけズルイです」
「そうだよ!俺たちだってアリア姫を愛でたいのに」
皇太子の執務室へズカズカと入り込んだ双子皇子は、本音をダダ漏れさせながら兄皇子の元へ歩みを進めた。
兄皇子の膝の上にはへたり込んでいるシスティナの魔女姫。文句も言わず抱かれている事に訝しがり、顔を覗き込めば、その虹色の瞳が閉じられているではないか。
「あれ?気を失ってるよ、アリア姫」
「あ、ホントだ」
「何したんですか、兄上」
「やーらしんだー」
「煩い。良いじゃないか、コレは俺のなのだから」
「まだ兄上のじゃないでしょう?」
「そーだそーだ」
ブーブーと文句を垂れるマセた弟皇子たち。兄皇子はそれらの声を無視し、愛しい婚約者を抱き上げた。
「ほら、静かにしろ。今はゆっくり休ませてやりたい。お前たちだって、この娘が心配であったのだろう?」
「ちぇ!せっかく来たのに」
「あーあ、ここまで来てお預けですか」
言うほど残念そうではない双りの皇子。そのそれぞれの頭を撫でると、ユークリウス殿下は兄弟だけに向ける笑みを浮かべた。
※
因みにーーこの場にシスティナの姫の忠誠なる護衛騎士の姿がなかったのは、主の危機を救った皇太子殿下へ対しての囁やかな温情である。
「良いのですか?リュゼ殿」
「なんですか、藪から棒に」
「何と言われましても……」
「……。……。殿下に感謝していない訳じゃないんだ。けどさ……」
「ええ、面白くはありませんよね」
皇太子殿下の忠実なる臣下ヒース。永遠なる忠誠を誓う相手であっても、こと恋愛が絡むとなると儘ならぬ感情は起き得るものである。
魔女姫の忠実な護衛騎士の気持ちを痛いほど理解できるヒースは、室内の様子から目を逸らさんとするリュゼと並んで、深い溜息を吐いた。
お読みくださりありがとうございます!
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幕間『揃いの腕輪』をお送りしました。
システィナへ帰国したアーリアですが、仕事復帰の初めての仕事としてエステルへ赴いていました。
アーリアとしても感謝を伝えるのは当たり前で、その為に訪れたエステルでしたが、ユリウスの気遣いを受け、思いの外、リラックスして過ごせたのでした。
次話も是非ご覧ください!




