現王と王妃たち
長らく静けさに満ちていた後宮に、穏やかで軽やかな声が響いている。久方ぶりに後宮の住人たちが戻ってきたのだ。
「おほほほほ、まぁまぁ!お可愛らしい姿になられたこと」
「ほんに、お可愛らしゅうございますね」
現王アレクサンドルを囲み、正妃ディアナと側妃リャハンティーニャの二人の妃たちは、ひと時の団欒を楽しんでいた。
暗く閉じられていたカーテンは開けられ、清らかに履き清められた室には温かな日差しが差し込んでいる。色とりどりの季節の花が飾られ、テーブルには瑞々しいフルーツが並ぶ。
暖色系の長椅子には麗しい華が二輪。深雪の中に凛と花開く椿の様な美女と、夏の日差しの中に天を向いて花開く向日葵の様な美女。そして、二輪の華に囲まれてチヤホヤされているのは、柔らかな長毛に覆われた一匹の猫。茶黒毛の黄色い眼を持つ猫は、上質のベルベットの生地で仕立てられた紳士服を纏っており、まるで人形のような愛らしさがある。
紅い紳士服の猫は美女二人に囲まれて嬉しがるどころか、どこかアンニュイな雰囲気で、諦めを体現していた。
『……久方ぶりに戻ってきたと思うたら、それを言いに来たのか?』
紳士服を着た猫ーー妖精猫に姿を変えた現王アレクサンドルは、久方ぶりに会った王妃たちをじっとりとした目で見つめた。
愛する王妃たちに会うのを楽しみにしていなかった訳ではないが、それでもこの扱いはナイのではないかと内心複雑である。
「あら、拗ねておいでで?会わない間に随分とお変わりになりましたのね?」
不貞腐れている現王に正妃ディアナの容赦ない言葉が突き刺さる。ウッと現王が息を呑んでいると、畳み掛けるように側妃リャハンティーニャが言葉を重ねてきた。
「それにしても、王家の血がどの様に作用したのか、貴方様程のお方がよもや妖精猫となられるとは」
『我にも開目検討が付かぬ、が……そも、本来、権力者たちは己が血脈をより発展させる為に強い力を欲してきた。我がライザタニアは妖精族の住まう地なれば、妖精の加護を取り込むべく交わりを深めてきたのだ』
検討が付かないと言いながらも、これまで考えてきた予想を話し始めた現王アレクサンドル。王妃たちも現王を撫でていた手を止めて話に聞き入る。
「なれど陛下、弱き者が強き者を畏れるのは当然。亜人と呼ばれる程力ある者たちは忌避の対象となり、今でもその意識は根底に残っておりましょう」
『馬鹿げた事だ。自分たちの中にも多かれ少なかれ妖精の血が混じっているというのに』
ライザタニアは建国から150年と歴史は長くないが、ライザタニアの民の多くは、遥か昔からこの地で生命を営んできた。
国の代わりに部族があり、部族が納める地にはそれぞれの文化があり、権力者がいたのだから、妖精族とも少なからず関わりがあって当然なのだ。
だからこそ、現ライザタニア国民の多くは他の国民と比べても長寿で頑丈な身体を持っている。その事実があるのに、自分たちより妖精族の血が濃い力ある者を忌避するなど、愚かとしか言いようがない。
『兎も角、権力者の多くがそうしてきた様に、我が王家にも妖精族の血を取り込んできたのは周知の事実。ただ……』
「そうですわね。なぜ、そのお姿なのでしょうか?」
再び押し黙る現王。天を向いた二つの耳、黒茶毛に覆われた身体、短い手足……自身の身体を見下ろしてウムムと意味のない呻きをあげる。自分こそが問いたい。様々な妖精の中、よりにもよって何故妖精猫の姿になるのかと。ライハーン将軍など雄々しき姿を持つグリフォンだというのに。
『……仮説にしか過ぎんが、特性上、王家には数多くの血が流れておる。であるからして……』
「要するに、『王家が無節操に妖精族の血を取り込んだばかりに、思わぬ隔世遺伝を起こした』と?」
『う、うむ……』
「あらあら」
「うふふ」
雑多に取り込んだ妖精族の血の成せる神秘。良い様によってはプラスに聞こえるが、要するに『神のみぞ知る』という現象に矮小なる人間が何を言える事もない。ーーが、扇に隠されているとはいえ、こうもあからさまに笑われては、沈んだ気持ちが更に傷つくもので、元々気の長くない現王はプルプル身体を震わせて怒った。
『笑うなら遠慮なく笑うがよい!』
「あらあら、本当にお可愛らしい」
「ほんにのぉ、愛い姿でございます」
『っ……』
逆効果だった。許可が出たとばかりに、王妃たちは現王の頭を撫で、肉球を摘んでにこやかな笑顔を浮かべ始める。
流石にイラッときた現王アレクサンドルは、今度は自分の番だと言わんばかりに正妃ディアナへ向き直った。
『そ、それにしてもディアナ、ソナタ随分と肌艶が良くなったのではないか?』
「あら!正直に仰ってくださってもよろしくてよ?」
『気のせいでなければ若返った様に見えるが、何ぞ秘薬でも使ったか?』
正直すぎる質問に、ディアナ正妃はオホホ!と高笑いを挙げた。口元は笑みながらも目元が冷ややかに開かれる様に、現王アレクサンドルはビクッと肩を揺らす。
「オホホホ、エルフの秘薬ですわ!」
『ほ、ほぉ、エルフの……』
「だって、貴方たちばかり若くて、羨ましいではありませんか!私も女ですもの。隣に立つには自信が必要なのですわ」
亜人族の特性としての長寿、それに伴う長い青年期。何時迄も若々しい姿を保つ伴侶の側に立つには、人間の年齢の取り方では対抗できない。少しくらいズルをしても構わないだろう。
ただでさえ先に年を取り死んでいくのだ。いくら伴侶が生涯の愛を尽くそうとも、嫉妬というものは少なからず存在するもの。
「いつの時代も女にとって老化は天敵!私、何時迄も若くて美しいお二人の側に自信を持って立ちとうございますの」
「お可愛らしいでしょう。私、ディアナ様の想いに打たれ、お父様にお願いしたのですわ。エルフの秘薬をお使いしても宜しいですかと」
正妃ディアナに寄り添う側妃リャハンティーニャ。側妃リャハンティーニャの言う『お父様』とは、東都の更に東にある深淵の森に住まうエルフ族の王である。側妃は『エルフの血を引く妃』と認識されているが、実際にはエルフの王と人間の娘との間に生まれたハーフエルフであり、特徴的な長い耳を魔法で隠している。
勿論現王アレクサンドルはその事実を知っており、妃に迎える際には挨拶にも赴いている。
お父様に頼んだ『エルフの秘薬』。側妃リャハンティーニャの言葉に現王は「ほう」と眼を細める。すると、すかさず側妃は微笑んだ。
「安心してくださいまし。エルフは争いを好みません。エルフの秘薬をばら撒く事はないとお誓い致します。まぁ、そもそも数がそれほどありませんから、寄越せと言われたところで無理な話なのですけど」
「それに、エルフの秘薬を求めて人間が攻めてくる様な事態になれば、エルフの矜持を示す為、徹底抗戦するでしょう。その時に後悔するのは、果たしてどちらでしょうね?」
うふふ、おほほ、と笑う正妃ディアナと側妃リャハンティーニャの二人の笑顔に背筋が凍る。戦鬪凶と評される現王アレクサンドルも「なるほど」と呟いたまま押し黙った。触らぬ神に祟りなし。この年になってのヤケドは重症になると知ってしまったからこそ、迂闊に手など出せないものだ。
『女の年齢や肌艶に対して面と向かってどうこう言う輩がいるとは思えぬしな。まぁ、問題ないだろう』
現王は知らぬ存ぜぬを通そうと心に誓い、この話題を打ち切った。
どの世界でも共通認識である様に、ライザタニアでも女の年齢や肌艶にとやかく言う者に開ける未来は暗い。もし、正妃ディアナに楯突いた者がいたとしたら、その者の自己責任。現王としては愛しい妃を侮辱された事を憤りさえすれ、侮辱した者を庇う事はないだろう。
「それにしても、丸くなりましたね?陛下」
「ほんに、あれほど生い茂っていた棘を何処に置いてきたですか?」
世界広しと言えど、ライザタニア王にこれ程言いたい放題できるのは、この二人しかいない。
『シュバルツェらと共謀し、我を封じ込めたのはソナタらであろう?我が居ない間どこに行ったかと思えば、エルフの地で療養とは。少しは我の心配をしてくれても良いものを……』
プイッと顔を背けた現王の後ろ姿に王妃たちは益々笑みを深める。
自分を封じ込めた王妃たちに憤りを持つのではなく、独りぼっちにされた身を少しは心配してくれなかったのかと憤る姿に、愛しさが込み上げてくる。
「あら、寂しかったのなら素直にそう仰ればよろしいのですよ、陛下」
『さっ、寂しかったなど……我はちょっぴり冷たい思いがしただけで、その……』
「なかなかない経験であったでありましょう?氷の中に封じられるなんて。ええ、心配はしていましたよ。死んでしまっては困りますからね」
心配されていた理由が理由だけに、ウヌヌと声をあげる現王。
「久方ぶりにゆっくりと休めまして?陛下は随分とお疲れの様でしたからね」
「どうでしたか、精霊の目を通して見る世界は?」
現王アレクサンドルの苦悩を知っていた王妃たちは、王子たちの支援をする傍ら、ついでに現王の苦悩を取り除けないかと画策していた。それが、現王アレクサンドルを玉座から引き離す事であったのだ。
強制的休養を押し付けられた現王は、当初こそ困惑したものの、休養期間、実にゆっくりとした時間を過ごせた。妖精猫の目を通して人間たちの思惑、世間の評価、そして愛する息子たちの苦悩を知る事ができた。それらを『悪くはない時間だった』と総評する。
『ああ。実に新鮮であった。人間とは何と些少な生き物かと痛感したものよ。それに、我がどれほど人を見る目がないのが良く分かった。人の心を分かろうとするならば、きちんと向き合わねばならなかった。それを失したからこそ、あの状況であったのだと理解した。奢っていたのだ。妖精族の血があるからと、強者であると他者を見下して。そして見誤った。あの魔女がいい例だ。あの者は一見強者ではないが、実に強かな心を持っておる』
これまで無惨に刈り取ってきた人間たちにも、一人ひとり言い分があり、それぞれの生き方があった。それを認めず、話し合う事なく力ずくで奪ってきた。そのなんと浅はかな事か。
「実に良い時間をお過ごしで、よろしゅうございました」
愁を帯びた瞳で現王を見つめる王妃たち。
『ソナタらにも感謝を。我を封じても後宮の女狐どもが騒いでは、王子らの邪魔になった。それら一切を排除し、ソナタらも後宮を退いたからこそ、いらぬ諍いが起きなかった』
「オホホ、私たちは自分たちの為に少々状況を整えただけですわ。五月蝿い者たちが残っていては、ゆっくり療養もできませんでしょう?」
王子たちの邪魔になりそうな者を排除してから隠棲した王妃たち。政治の世界に女のイザコザは無用とばかりに、好き勝手していた妾たちを後宮から追放し、賄賂を送り合い足を引っ張り合う侍女侍従召使いたちを解雇した。そうして自らも王宮から身を引き、人間たちの力の及ばぬエルフ族の里へ身を隠したのだ。
王妃たちが事の全てを語る事はない。現王は『そういう事にしておこう』と言うと、王妃たちの言を真実とした。
「そうまでしても、我々の後宮で好き勝手したお馬鹿さんが発生したようですけど……」
「魔女様には随分と迷惑をかけてしまったようですわ。彼女らにはキチンと罰を与えませんと」
自分たちの後宮を我が者顔で闊歩され黙ったままでは『後宮の主』としての矜持はどうなろうか。既に、第二王子シュバルツェ殿下の名の下に裁きは受けたとは聞くが、それで許せる筈はない。
王城内の事とは言え、後宮の管轄は王妃たちの領分。例え王と言えどその領分に口を出す事はない。
『あの者には世話になった。魔女への謝罪と共に全てをソナタらに任せる。良き様にするがよい』
現王の言葉に王妃たちは両の手を重ね臣下の礼をとる。
「魔女様には両殿下共々、お世話になったようですもの」
「ほんに。現に、魔女様のおかげで随分と王宮がスッキリしました。私たちからも直接お礼を申し上げたかったのですが、生憎その時間はありませんでしたので……」
王妃たちが王城へ帰って来たのは、王子たちの内乱が幕を閉じ、城内外の騒ぎが収まり、不穏分子を排除し、王宮が浄化されてサッパリしたころ。システィナからの客人たちは早々に帰還し、魔女も帰った後で、王妃たちは魔女をもてなしたという侍女長に話を聞く限りとなっている。
『魔女へは帰り際、シュバルツェからは何ぞか礼をしたらしいが……』
騒動の最中、『タダ働きはしない』と明言した魔女に対して第二王子シュバルツェ殿下が褒賞を何点か挙げていた。或いは、王宮所蔵の書であるとか、或いは第二王子殿下が趣味で集めた魔法書であるとか、とても貴族同士では褒美となるとは思い難い物であったが。
「まぁ!シュバルツェ殿下が?」
『ああ。イリスティアンもまた、魔女に何かと気にかけておったし……』
そこで、ふたりの妃は手を口に当てておほほと笑った。
「両殿下とも、随分と魔女様にご執心のようで。あのシュバルツェ殿下がどんな顔をして魔女様の相手をしていたのか……」
「ええ、それにあのイリスティアン殿下も……」
第一、第二王子共に未だ婚約者はなく、色事より政治を優先する性質を持つ。
無駄を嫌い、華美を嫌い、およそ一国の王子らしくはない堅実な生き方をしていた。何より父親の姿をずっと見てきただけに、ああはなるまい、と自身を律していたのだろう。特に女が絡む事象を避けてきたきらいがあった。だからこそ、「あの二人に執着されるなど、それは幸せとは言えぬのではないか?」と親心に思うのだ。
「まぁ!やっと新しい恋に踏み出したのかしら?」
『む?もし懸想しておったとしても、生憎と魔女を娶るには何かと問題がある。何より、システィナが手放さぬであろう』
「身分の問題ならば、問題にもならぬでしょう。けれどそれ以外の問題ならば、我々にそれを解決するだけの力はございませんわ」
「魔女様程の力があれば身分や種族の差など些細なこと。けれど……」
「相手の心を欲するならば、此方もそれなりの物を用意せねばなりませんね?」
金品には金品を。地位には名誉を。愛には愛を。地位や名誉で釣られぬ相手ならば、愛を説き、言葉を尽くして、相手の心を自分の方へ向かせなければならない。
『本当にあの者を欲するなら、アヤツらが誠意を見せねばならぬな。まぁ、それを望んでいるかは分からんが……』
現王アレクサンドルは顎に肉球を置いたまま髭をピクピクさせる。
その顔は一国の王のものではなく、息子たちの行く末を見守る父親のもの。そんな稀なる姿を見せた現王に対し、王妃たちは目を丸くさせる。
「あらあら、まあまあ!陛下も人の親でしたのね?」
『なッ!我は、アヤツらの心配などしておらん!あの者ーー魔女の心配をしておるのだ!あの者は見た目通りボンヤリしておるからして……』
「ええ、ええ。そういう事にしておきましょうか?」
「ほんに、良い日が訪れましたね、陛下?」
フン!と赤い顔を背ける現王アレクサンドルの姿に、王妃たちは微笑みを深め、望んだ日が訪れた事を感謝した。
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幕間4『現王と王妃たち』をお送りしました。
何かとゴタていていたライザタニア王宮にもやっと静けさが戻ってきました。
王城に王と王妃という主たちがいるのですから、早々、バカな事をする者はないでしょう。
まだまだ問題は残っているものの、望んだ未来の為、二人の王子たちが仲良く手を取り合い奮闘すると思われます。
次話も是非ご覧ください!




