帰還、そして2
ルーデルス団長の言葉に、アーリアの表情は目に見えて曇った。
「え?謝罪、ですか……?」
ウィリアム殿下が王都へ帰還し、あの場が解散になったその後、場を塔の騎士団の駐屯所へ移し、再びアーリアはルーデルス団長と向き合っていた。
団員全員が入れる広さのある講堂には今、ルーデルス団長をはじめ、各隊の隊長格が揃っていた。先程の面子がそのまま場を移した形となる。
アーリアは塔の騎士団の中枢を担う人物たちに囲まれた時点で、嫌な予感に苛まれていた。改まった雰囲気で「謝罪をしたい」などと言われたら余計にである。
「謝罪ならもう頂きました」
先程、アーリアはウィリアム殿下から謝罪を受けた。
そこにはルーデルス団長たちも在席していた。
「は、しかし、改めて私からの謝罪をさせて頂きたく」
やはり目に見えて眉を顰める。しかし、ルーデルス団長は真面目な顔を崩す事なく、アーリアの是非を待たずにその場に膝をついた。ルーデルス団長の背後では、そこに集まっていた騎士が追随していく。
「アーリア様を御守りすること叶わず、御身を危険に晒してしまったことをお詫び申し上げます。誠に、申し訳ございませんでした!」
一斉に下げられた頭。
「この度の過失、全ては騎士団長たる私の不得の致すところ。何卒、私の首一つで収めて頂ければ幸いであります」
アーリアはルーデルス団長の旋毛を見ながら、何とも言えない気持ちでいた。
何故、騎士というのはこれ程までに自分の人生を軽く思っているのだろうか。
ルーデルス団長の言う『首で収める』とは、単純に『辞職』の意味ではなく、首を切るイコール『死』の意味であるなら、不快でしかない。
「首をとは、辞職を請われているという事でしょうか?それとも……」
「は。お望みとあればこの命を貴女様へ」
小さな声が静間に落ちれば、次いで出たルーデルス団長から平然と続けられた言葉に、アーリアの目はすっと眇められた。
ルーデルス団長の旋毛を見つめたまま、アーリアは苛立ちに駆られていた。同時に、吹き出しそうになる感情を必死に抑えようとする。ぐっと掌を握り込み奥歯を噛み締めると、やっとの思いで息を吸い込んだ。
「今、ここに、アーリア様の命あるのは奇跡的なもの。偶然でしかありません。騎士団内部に入り込んだ工作員の存在に気づかず、アルカードのみならずアーリア様の御身を危険に晒してしまいました。私如きの首一つで収められる事態でない事は分かっておりますがーー」
ルーデルス団長が、主を守るに及ばなかった自身を責めているのは理解できた。しかし、その責任を取る為に自らの首を差し出すという言葉には全く賛同できない。
ルーデルス団長の言葉が重なる度、吹き出し続けるアーリアの感情は、一気に氷点下まで下がるようだった。
「……なんで、そんな事言うんですか?」
「何故とは?ですから、私はアーリア様の御身を……」
「私はそんな事望んでません」
ルーデルス団長の言葉を遮り、ピシャリと告げたアーリアの声は冷たく、それでいて鉄をも溶かす熱の籠るものだった。
「貴方たち騎士の責任の取り方にケチをつけるつもりはありません。王宮からの処罰が気に食わなのなら、辞職なり何なりすれば良い。けれど、それを私に委ねるのだけはやめてほしい」
「アーリア様……」
「私は貴方達の上司ではないわ。ただ、あの塔に《結界》を施しているだけの雇われ魔導士。主と仰ぐのは勝手だけど、強要を強いるのはどうなの?貴方たちにとって、私の気持ちなんて関係ないのね」
ポタリ。磨かれた大理石の床に落ちた雫。
ルーデルス団長がハッと顔を上げれば、そこにはアーリアの涙にくれた顔があった。
「ルーデルス団長。貴方は未だ、ポーラ様の言葉の意味が分かっていなかったのね?」
「ッーーーー!」
アーリアの絶望に満ちた言葉に、ルーデルス団長は慌てて腰を上げようとした。しかしその途端、頭上から全身を押さえつけられるような威圧がのし掛かり、床に膝を強く押し付ける事になる。
視線だけアーリアへと向ければ、輝く虹色の瞳と目が合う。長い睫毛を湛えた瞳が瞬きする度に、威圧が益々強くなるように感じた。
「貴方の首なんていらない。貴方たちの謝罪なんていらない。処罰が気に入らないのなら直接王宮へ抗議して」
アーリアはルーデルス団長とその背後で同じ様に首を垂れる隊長格たちに向けてそう告げると、ルーデルス団長に背を向ける。
その両脇を守る護衛騎士2人が、そして副団長が、何とも言えない表情をしてルーデルス団長を一瞥した。
茶髪の専属護衛騎士はやれやれと首を竦め、黒髪の護衛騎士は感情を削ぎ落とした表情に怒りを滲ませ、鬼の副団長との二つ名を持つ騎士は銀フレームを鼻上に押し上げて無言の抗議を投げつける。
帰国前からの課題であった『騎士団との信頼関係の再構築』は、初手から挫かれる事となった。それも団長自らの行動によって。
アーリアは自分にも責任の一端がある事を自覚していた。自分の曖昧な態度が、騎士たちの行動に拍車をかけたのだと。だから、『次』があれば、自分の態度をこそ変えねばならないと考えていた。ーーが、これ程自分と騎士団との価値観に差異があれば、それも無理からぬもの。
「……っ、なんで簡単に首をとか言えるの!?」
信じられない。アーリアは首を振る。
たかが小娘の生命一つ守れなかったからと、自らの首を軽々と差し出す騎士道精神が理解できない。
「……団長に、悪気があった訳ではありません」
「悪気がないなら余計に悪いよっ!」
「アーリア様を守れなかったのは騎士団の過失。騎士団を率いる団長の過失である事は確かなのです」
「だからって!死んで詫びようなんて、前時代的過ぎるよ!」
騎士団員として、アーネスト副団長は一応のフォローを入れれば、余計にアーリアの怒りの炎に油を注いでしまった。
悪気がないこと。善意からの言動が、相手を思う言動になるとは限らない。
アーネスト副団長には、アーリアの気持ちがよくよく理解できた。
漸く、自国に帰還できたと思えば、すぐに王太子からの謝罪会見場へと駆り出され、次いで休む暇無く騎士団長からの善意からの謝罪を受けるハメになったのだ。
王太子からの謝罪は政治的パフォーマンスが多く含まれるもので、それにはアーリアも素直に従った。
しかし、ルーデルス団長からの謝罪は、あくまでも団長をはじめ騎士たち個人の感情によるもの。自分たちの罪悪感を薄める為だけの謝罪だ。そんなものを受けて良い気分になる訳がない。
「兎に角、ルーデルス団長には勝手に首を差し出さないように釘を刺しておいてください!」
「はい、それは勿論」
主と仰ぐアーリアの怒りを受けて、今度こそ勝手に首を差し出して来ないとも限らない。アーリアはアーネスト副団長へ命じると、講堂から繋がる幾つ目かの扉に手をかけた。その時ーーーー
「……っ、アーリア!」
ぐらりとアーリアの身体が背後へ傾いだ。
咄嗟にリュゼが手を差し出し、その身体を支える。
リュゼが「アーリア」と再び声を掛ければ、アーリアは朦朧とした目で一度リュゼの顔を見た後、ゆっくりと瞼を閉じた。
※※※
アーリアを運び入れた先、以前は麗しの治療士が使っていた医務室に居たのは、それはそれは背の高い男だった。
歳の頃は二十半端。システィナ人としては堀深い目鼻立ち。髪色は深緑。頸から耳の下辺りまで剃り込みを入れ、上部を少し長めに切り揃えた髪型は斬新で、おまけに耳には金のピアスが輝いている。
街中で会えば、十中八九、お近づきになりたくないタイプだろう。だが、その強烈な存在感を出す男をリュゼは知っていた。
「えっ、何でエルさんがココに!?」
「やっ!久しぶりダネ、リュゼクン」
エルと呼ばれた男は軽く上げた手をヒラヒラと振る。
リュゼは目を白黒させて、男の出たちに眉を寄せた。
軽薄そうな見た目にミスマッチする白衣は勿論、医師や研究者などが身につけるそれだ。
「白衣?エルさん、まさか……」
「そのマサカ。ボク、ここの臨時治療士になったんだヨネ」
エルーーエルンストは怪しげに微笑む。
彼の正体がアーリアと師匠を共にする魔宝具技師だと知るリュゼからすれば、エルンストが塔の騎士団の臨時治療士なるものになった理由に疑問が湧く。
エルンストはアーリアの兄弟子の中でも特に個性的で、我が強く、他者に強要される事を嫌う。例え王侯貴族からの命令だろうと従う気などサラサラないだろう。
ならば、ココにいるのは、そんな彼を動かせる『誰か』の言葉があったからに違いない。
「あーこりゃ精神がボロボロだわ」
サテと言うと、エルンストは寝台へ寝かせられたアーリアへと手を翳した。
魔術方陣が浮かび、淡い光が発せられる。
「どう言う意味だ?もう少し詳しく教えてくれ」
アーリアの手首を取り、脈を測っていたエルンストへそう詰め寄ったのは、雄々しい肉体を持つ騎士団長ルーデルス。アーリアが倒れたと知りすっ飛んできた。
「どう言う意味って言葉の通りだケド?彼女の精神がこれでもかってくらい擦り切れてる。ボロボロのボロ雑巾の方がまだマシ。アンダスターン?」
「なっ!?」
筋肉隆々たる体躯に詰め寄られながら臆さず、それどころかルーデルス団長にガンつけ返したエルンストは、機嫌の悪さを隠さずに言い切った。
「ま、状況考えりゃ無理ねぇわなァ。三ヶ月だぜ?彼女が囚われてたの。そりゃ参るって」
「う、うむ……」
「なのにそんな状態の彼女に何をしたって?」
「何って、詫びをだな……」
「カァ!これだから脳筋騎士は!更にストレス与えてどーするヨ?テメェら、一体彼女ん事どー思ってんだ?塔の魔導士だからって鋼の精神でも持ってるとデモ?」
「うぐっ!」
思っていても言えなかった事をズバズバ言うエルンストに、自然とリュゼの溜飲も下がる。
何があってもアーリアを守ると意気込んで帰ってきたリュゼだが、まさか初っ端から騎士団長自らがやらかすとは思ってもいなかった。
それはナイルも同様で、上司である騎士団長がアーリアに対して謝罪と言う名の身勝手な要求を突きつけるとは考えておらず、だからこそ後悔した。それこそ、連れ戻さなければ良かったのだろうかとも思えた。
「さぁ、もう良いだろう!全員出た出た」
「な、なに?」
「彼女は絶対安静ダヨ。少なくとも一月は休業だ。何があっても業務を回してくんじゃねーぞ!テメェらで対処しろ。分かったな?」
「いや、あの……」
「あ、そこの副団長サンも。初めましてかな?そして今すぐお引き取りください」
「……」
エルンストは尚も言い募ろうとしたルーデルス団長を側にいたアーネスト副団長共々、医務室から追い出しにかかる。
体躯自体はルーデルス団長の方に分があるが、背丈はエルンストが勝る。アーネスト副団長と比べても頭一つ分は高い。エルンストは両手を大きく広げてルーデルス団長とアーネスト副団長の背を押し、否応なしに扉の外まで退がらせた。
「えっとあんた、副団長のアーネストサンだっけ?君だって未だ治療が必要でしょ?」
「っ!」
「その怪我が完治するまでツラ見せないでくれるカナ?彼女には時間が必要なの。分かるでしょ、君なら」
初対面の臨時治療士の言葉に、アーネスト副団長は唇を噛んだ。
治療を受けた覚えもないのに、エルンストはアーネスト副団長の不調を言い当てた。それほどの神秘眼を持つ者が、只者とは思えなかったのだ。
「護衛すんなって意味じゃない。そんなのは影からいくらでも出来るデショ?」
眇められた瞳がアーネスト副団長を見下ろす。
「彼女は君ら専用の鎮静剤じゃあない。安心枕が欲しいのなら他に作りな。それに、今の君らじゃ彼女を守れない。いや、守らせないよ」
ついに、扉の外へ追い出されたルーデルス団長とアーネスト副団長。
エルンストは扉の縁に手を掛けると、シッシと手を振った。そして、言いたい事だけ言うと問答無用で扉を閉めてしまった。
パタンと軽い音がして、中にはアーリアと2人の護衛騎士、そして臨時治療士の4人だけになる。
しんと静まり返る医務室に、エルンストが歩く足音だけがいやに大きく響いた。
「ボクもさ、師匠や君ら程でないにしろ、アーリアのコトを大切に想っているんだよね?」
「エルさん……」
「面白くないっしょ?この状況。ボクのーーボクらの気持ち、汲んでくれないかな?」
静かな怒りを含んだエルンストの眼光、言葉に、リュゼが口を閉ざした時、不意に窓際のカーテンが揺れた。
人の気配にリュゼが視線を向ければ、そこには長い黒髪を棚引かせた美しい青年が、静かに佇んでいた。
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『帰還、そして2』をお送りしました。
アーリアの兄弟子のひとり、エルンスト兄さん登場。
そして、もうひとり、この人も……
次話『帰還、そして3』もぜひご覧ください!




