帰る場所3
「ああ、ようやく落ち着く所に落ち着きましたか」
脱兎の如く逃げ出したアーリアを追って行ったリュゼ。その後をつかず離れずつけていたアーネスト副団長は、同じく距離を取りつつ見守っていたナイルに声を掛けた。
「良かったですね、ナイル」
「ええ、本当に」
アーネスト副団長が思わせぶりな視線を向ければ、ナイルはその視線をサラリと躱し、素直に頷いた。そんなナイルにアーネスト副団長は目をパチクリ。意外とばかりに口を開く。
「……へぇ、君には思う所はないのですか?例えば嫉妬とか」
「とんでもない。私は馬に蹴られたくはありませんので」
ナイルは視線を遠く、大切な主と相棒とを見つめる。
リュゼはアーリアを立たせると涙で濡れた頬をハンカチで拭っている。アーリアはリュゼにされるがままになっている。アーリアのまるで幼子の様な表情に、警護中のナイルの顔にほんの少しの笑みが灯る。あんな表情を引き出せるのは、リュゼしかいない。
「二人の間に割って入ろうなど、初めから思ってもいません。リュゼがアーリア様を諦めるような男なら考えなくもありませんでしたが、ああ見えて彼は諦めの悪い男です。それでいて、なかなかに執着心が強い。そんな隙はありませんよ」
この数ヶ月の旅で、ナイルはリュゼと向き合う時間が多くあった。その分、互いの事がよく知れたと思う。それこそ好きな食べ物から苦手な人種まで。その中で、ナイルはリュゼを『信頼の置ける人物』だと判じた。
ナイルがアルカードでリュゼと出会った時、リュゼが本筋の騎士とは違うルーツを持つが故に、周囲にいるどんな人物とも似か寄る所のない点に驚いた。その後ずっと、ナイルはリュゼという人物を計りかねていた。
正直、騎士としての所作や技術は中の下。焼き付け刃とも取れる動作も多い。しかし、ふとした時に見せる視線や身のこなし、咄嗟の判断力は並の騎士の上を行く。
貴族出身が殆どが騎士団の中で、リュゼがそれほど侮られずに居たのは、アーリアと並び立った時の騎士としての姿勢が自然だったからだ。まるで太陽と月のように主の影となり寄り添う姿に、誰もその間に割って入れぬと思ったからに違いない。
「アーリア様が幸せなら、それで良い」
ナイルにとってアーリアは、忠誠を誓った主。
『東の塔の騎士団』に所属する騎士として『塔の魔女』に捧げる忠誠ではなく、アーリアという魔女個人に捧げる忠誠。
主の幸せが、騎士の幸せ。心からそう思う。
アーリアがアルカードへ訪れるまでは、国と国王陛下に忠誠を置く騎士として存在してきたナイルだが、アーリアと出会い、騎士としての在り方を変えた。
所属はと問われたならば『東の塔の騎士団』と答えるだろう。しかし、忠誠を置いているのは国でも国王陛下でもなく、アーリア個人である。嘘偽りなく、真実、ナイルの意思であった。ーーが、それを今、他者に漏らす事はない。
「模範的な騎士の回答ですね、それは」
「……何が仰りたいのですか?」
「いえ。主に忠誠を誓う騎士ならば、貴方にも主からのご褒美という物があっても良いのではと思いましたのでね」
アーネスト副団長の眼鏡越しの思わせぶりな視線に、ナイルは眉を僅かに上げた。
「そういうならば、貴方もでしょう?副団長」
ナイルは右目の端でアーネスト副団長を見た。ナイルからは逆光となっており、アーネスト副団長の表情は見えない。そもそも貴族は感情を表に出さない訓練を幼少時より行なっているので、この年までくると、最早、顔芸の一種。何人にも内心を暴く事はできないだろう。
「……アハハハハ!面白い事を言いますね?騎士がーーこの私が、主からの褒美欲しさで仕えていると思いますか?」
「まさか。貴方は誰よりも国と陛下に尽くす騎士だ。そんな安い想いで騎士をなさっている訳がありますまい」
アーネスト副団長は、近衛騎士という華々しい職を辞して、わざわざ試験を受け直し、辺境の地であるアルカードに来た変わり者。『忠誠心の化け物』と比喩される程の人物なのだ。
アーネスト副団長とは三年程の付き合いだが、副団長が名ばかりの職を得た人物とは思っていなかった。
この初春、クビを切られた不良騎士たちならいざ知らず、アーネスト副団長程の男が、いちいち主からの褒美を欲しがるとは考えられない。
アーネスト副団長は『塔の魔女』救出劇にあたり、違法と合法ギリギリの隙間を掻い潜り、ウィリアム殿下と宰相閣下を味方につけて、自らここライザタニアにまで出張ってきた。それは何も忠誠を違う国王陛下からの、そして主と仰ぐアーリアからの褒美欲しさではない。単に、『アーリア』という個人を救いたかったからではないか。
ナイルからの視線を受けて、アーネスト副団長はハハハと笑い声をあげた。
「失敬。君はこの数ヶ月で随分と態度が砕けましたね?ああ、悪いとは言っていませんよ。きっと、誰かから良い影響を受けたのでしょう」
ムムとナイルの額に皺が寄る。誰ぞの影響を受けて表情が読み易くなったとしたら、大問題だ。気を引き締めなければならない。
明日には主を連れて帰国するのだ。あらぬ誹謗に晒されるであろう主を守らねばならないのだから。
「……あのまま帰国しても、蟠りが残ったでしょう。それは何もアーリア様とリュゼ殿だけに留まりません。我々騎士との溝も大きく深くなっていたに違いありません」
無自覚なナイルに苦笑しつつ、アーネスト副団長は手をリュゼに引かれて帰ってくるアーリアへと視線を向けた。
「そもそも、我々騎士団とアーリア様との間には、さほど信頼関係は築けていませんでした。まぁ、その原因が我が騎士団と騎士たちにあるのですから、アーリア様に対してとやかく思う権利はございませんが。兎に角、築けてもいない信頼関係を持つ者同士、どうしたって蟠りはできます」
ナイルはアーネスト副団長の言葉に、神妙な面持ちで顎を下げる。副団長の言わんとする事が、理解できたからだ。
「そんな中、唯一信頼し合っていたアーリア様とリュゼ殿の関係が崩れてしまったら?……きっと、アーリア様は『東の塔』を去られてしまうに違いない。その後にもう一度、我々騎士団と信頼を育める機会があると思いますか?ないでしょう」
アーリアの立場と立ち位置を考えれば、それは容易に想像できる事だった。
アーリアは所謂『平民』で、貴族のような縛りも柵もはない。家を存続させる義務もなければ、国へ忠誠を示す必要もないのだ。
王侯貴族としてアーリアへ命令する事はできよう。システィナも他国と変わらず身分制度があり、基本、平民は王侯貴族からの命令には逆らえない。
しかし、その手段を使い、アーリアを『東の塔』へ縛りつけたとして、その上で信頼関係を築けなどと命じられて上手くいく保証は皆無だろう。それどころか、今以上に距離と溝の深い関係になるに違いない。
「幸い、騎士団の中には数名、アーリア様の信頼に足る人物がおりますが、その者は最早騎士団の為になど行動しないでしょう。ねぇ?ナイル」
「何を仰られているのか、意味が分かりかねます」
「そうですが。まぁ、そう言う事にしておきましょう」
視線を戻ってくるアーリアたちに戻して答えるナイルの顔からは、既に感情は読めない。先程指摘を受けて、早速改善に努めているようだ。アーネスト副団長としても明確な答えを必要としていないので、今回はあっさりと引き下がった。
ナイルが騎士団の中で最も早くアーリアを主と認め、忠誠を尽くしてきたのは周知の事実。元々、生真面目を絵に描いたような騎士なので、『塔の魔女』として現れたアーリアへ対し忠実なる騎士として仕えるのに不思議はなかった。しかし、アーリアがライザタニアへ連れ攫われた事によって、ナイルの持つ忠誠心が他者が思うより程度が重い事が明るみになった。
そんな中、ナイルはリュゼと共にライザタニア行きに手を挙げたのだが、その時アーネスト副団長はナイルの持つ忠誠心、その変化に気づいた。アーネスト副団長以外にも気づいた者は数名いるだろうが、それを表立って言う者はいないだろう。
「何はともあれ。期待していますよ、ナイル」
「は。ご期待にお応えできるよう、努めます」
アーネスト副団長が自身に『何』を期待しているのか分からないが、とりあえずと模範的回答を返すナイル。
この辺りに誰ぞの影響を受けているのだが、それをナイルが自覚しているのかは謎である。ともあれ、ナイルはライザタニアで過ごした数ヶ月で良い意味で成長を遂げたという事で、この話は締め括ろう。
「……ぐず、ご迷惑を、心配をおかけしました」
ナイルが見守っていると、アーリアがリュゼと共に戻ってきた。まだ、瞳を潤ませ鼻を鳴らしている。目はいつもの虹色から兎のように赤くなっている。
「何も、迷惑などかけられていません」
心配はしたが今となっては過ぎたるものだ。
ナイルは表情を緩めるとアーリアに微笑みかけた。
「……ほんとに?」
「ええ、本当に。アーリア様のご無事な姿を見れただけで、私は幸せです」
ナイルは恭しくアーリアの手を取ると、繊細な硝子細工を扱うような手つきで両手で包み込んだ。アーリアの手はほんのり温かく、確かに血が通っていた。生きて目の前にいる。そう思うだけで、ぐっと詰まるものがあった。
「本当に、ご無事でよかった」
ナイルはアーリアの手を押し抱いたまま膝をつくと、視線を上げ、アーリアの瞳を真っ直ぐに覗き込んだ。
「アーリア様。貴女は何も、何一つ、心配する事はありません。降り掛かる火の粉は私が払いましょう。髪の毛の一本も焦がさせはしません」
アーリアはナイルの言葉に目を見開いた。ポロリと一粒涙が溢れる。
「どうか私を信頼してほしい」
アーリアの赤い瞳が溢れ落ちそうなほど見開かれた。
「ナイル……わたし、わたしは……」
「いいえアーリア様、私は今すぐの答えを求めてはおりません。主からの信頼を得るのは私の仕事次第。これからの私の仕事振りを見て判断してくだされば、それで構わないのです」
『信頼して欲しい』と言われて『はい、します』と言える人は稀だろう。信頼とは、その人の為人や人や仕事に向き合う態度から発生するもの。しかも、信頼の度合いは互いの感情による所も多い。一朝一夕で培われるものではないのだ。
「ですが、私の忠誠心だけは疑わないでください」
ナイルの真摯な言葉にアーリアは思わずコックリと頷いた。リュゼと同様に、これまでアーリアはナイルの言葉を疑った事なとなかったのだ。それはこれまでも変わらないだろう。
「融通の利かぬ私ですが、これからもお側でお守りしても宜しいでしょうか?」
ポロリ。アーリアの瞳からもう一粒、瞼から涙が頬を伝い流れた。その涙は重力に伴い、ポタリとナイルの腕に落ちる。
「はい、ぐす、はい、ナイルさえよければ……」
人の好いアーリアはナイルの真摯な言葉に触れ、ついそう答えていた。背後でリュゼが苦笑している。こうなる事を予見していたのだろう。
「ありがとうございます。我が主」
アーリアの答えに微笑みを浮かべると掴んでいた手を引き、甲に唇を落とすナイル。アーリアはふいに浮かべられたナイル笑みに、惚けた顔をしている。
「……そういう所ですよセンパイ。そーゆーとこ!」
背後にいたリュゼがアーリアからナイルの手を引っぺがす。ナイルは特段気にした様子はなく、「何か問題でも?」と、しれっとした様子で立ち上がっている。
「そうですよナイル。抜け駆けは良くない」
それまで黙っていたアーネスト副団長は言うなりリュゼからアーリアを奪い、その手を取ると、腰を折った。
「アーリア様、私の忠誠心もお疑いなきよう」
「あ、アーネスト様……」
「もし、再び騎士団にて無礼を働くような者がおりましたら、真っ先に知らせてくださいね。即刻、対処致しますので。アーリア様には何一つ迷惑などお掛けしないと誓いましょう」
「ご安心ください」と微笑まれたアーリアの表情が固まる。ごくり。安心していいのだろうか。
口から飛び出す過激な言葉とは裏腹に、アーネスト副団長はとても良い笑顔だ。銀フレーム眼鏡の奥ーーアイスブルーの瞳が怪しい光を湛えている。固まった後、顎を高速で下げたアーリアの顔は若干青い。
見た目に反して過激な発言と行動のある事を知るが故に、アーネスト副団長の言葉が嘘で無い事は確か。有言実行は確実。アーリアの一言で追い込まれる騎士がいると思えば、迂闊な行動はかえってできない。安心なような不安なような、複雑な感情に苛まれた。
「副団長サマは過激すぎ!アーリア、このヒトのことは気にしなくて良いからね?」
「そうです。お気になさらず」
「……いい度胸してますね?2人とも」
リュゼはアーリアをアーネスト副団長からベリッと引き離すと、己の腕の中に抱き込んだ。ナイルはアーリアを隠すように立つと、アーネスト副団長へ冷たい視線を投げた。
上官と部下という関係。不敬に当たりそうな二人の態度にアーネスト副団長は憤る事はなく、反対にハッと声を上げると、高らかに笑い始めた。
「アハハハ、君たちは本当に良いコンビですよ!その調子でアーリア様をお願いしますよ?」
腹を抱えて笑うアーネスト副団長に、アーリアはポカンと口を開け、リュゼとナイルは眉根を下げて目を細めた。
「当たり前じゃん。誰に言ってんの」
「言われずとも、アーリア様をお守りするのは、我々の役目です」
目尻の涙を拭いつつ顔を上げたアーネスト副団長の言葉に、リュゼとナイルは間を置かず断言した。その言葉に、アーネスト副団長は満足気に頬笑むと、「では、そろそろ帰りましょうか?」と言い、答えを待たずに背を向けた。
「なーんか、計られた気がするなぁ〜」
「侮れない人だ」
「味方にいる分には心強いんだけどねぇ」
「油断は禁物だ。誰に対しても」
「だねぇ……」
アーネスト副団長の背が遠くなる中、ボソボソと交わされる会話。アーリアは頭上で交わされている会話に、リュゼとナイルの仲が急速に接近している事実に気づいた。
誰にでも気安い口調と態度のリュゼだが、他者との間には見えない壁が作られている。また、誰にでも平等に接するナイルの態度は、親しい者とそうでない者を隔てる壁だ。二人は同じような壁を持っていて、その中に踏み込める人間は稀である。
アーリアの体感では、ライザタニアへ来る前のリュゼとナイルの間には壁があった。だが、今はそれがない。
「いつの間に仲良くなったの?」
気づいた時には、アーリアは口に出して聞いていた。
リュゼは「えっ?」と声を上げ、ナイルは「……」と押し黙った。どうやら無自覚に気安い会話をしていたようだ。
「仲良いか悪いかと言われたら、良いんじゃないかな」
「悪くはないだろうが……」
「そだね、男が男と仲良し★なんて言われるのはちょっとさぁ」
歯にものが挟まった様な2人の回答。アーリアはそれらを聞く内頬が緩み、口元がニマニマした。
「そっか。良かったね」
アーリアはリュゼとナイルに微笑み掛けると、2人の間を抜け出し、アーネスト副団長の背を追って歩き始めた。その背は誰が見ても機嫌が良く、るんるんという擬音語が付きそうな程だ。
「あ、あの、アーリア?」
「何か、誤解されていませんか……?」
顔を引き攣らせる2人の護衛騎士。手を伸ばした先でアーリアはうふふと笑うのみ。益々不安になったリュゼとナイルは顔を青くし、慌ててアーリアを追いかけた。
「ちょ、ちょっと待って。ね、話し合おう!きっと何か勘違いしてるからさっ……!」
「そ、そそそうです。アーリア様、今一度、お話をお聞きくださいッ」
声を揃えて呼び止める2人に笑みを一つ向けると、アーリアは「待たなーい」と言い放ち、足取り軽く駆け出した。
空は茜色に染まりゆく。もう間も無く、帷が降りるだろう。そんな中、一羽の紅い鳥が葉の茂る木の幹から飛び立った。
翌日、システィナ一向は予定通りライザタニアを後にした。現王アレクサンドル陛下、第一王子イリスティアン殿下、第二王子シュバルツェ殿下、そして主だった高位貴族たち見送られながらーー……
ブックマーク登録、感想、評価など、ありがとうございますヽ(^o^)励みになります!
『帰る場所3』をお送りしました。
これにて、ライザタニア編は完結です。
本っ当に、ここまで長くなりました。
予想外に。予想以上に……。
皆さま、お付き合いをありがとうございました!
この後は、暫くの間、幕間をお送りします。
小話もちらちら挟む予定です。
ライザタニア編は恋愛成分が足りなかったので、これからは盛り盛りに盛っていきたいです。(希望!)
次話も是非ご覧ください!




