かくも儚き夢の跡7
最初に見たのは空を埋める漆黒の雲だった。太陽の光を遮り現れたそれに、王都に暮らす者たちは皆、雨雲が迫ってきたのかと空を仰ぎ見た。しかし、次第にそれが雨雲の類ではない事に気付いた。
ーギィィ、ギィィ、ギィィ……ー
風を切り裂く耳障りなその音は獣の咆哮。漆黒くろい雲の中に疎に輝く紅は獣の眼光。蝙蝠のような黒光りする翼を羽ばたかせ、それらは集団で襲来した。
「ーーぎぃぁああああああ……」
「ーーや、やめ、やめて……」
「ーーたしゅ、たすゅけて、い、やぉ、ぁああああああっ……」
燻る煙幕。迸る血飛沫。飛び交う怒号。悲鳴。
空には目を血走らせた一匹の地竜と無数とも思える亜竜の群れ。地には大蜥蜴の大群が王都周辺を取り囲み、王城に貼られた結界に激突しては弾き返されを繰り返している。
手に取るものもなく逃げ惑う民。家財道具を持ち出そうとする富豪。ここぞとばかりに火事場泥棒に走る小悪党。妖精の国ライザタニアの王都は今まさに混乱の渦に飲み込まれていた。
「たたた退避退避っ!」
「こらっ。勝手に持ち場を離れるな!」
警邏の兵士たちが何処かから投網を持ち出してきた。網の両端をむんずと掴むと息を合わせてエイヤと亜竜目掛けて飛び込んだ。亜竜は身体に網を絡ませてた拍子に周囲にいた不幸な大蜥蜴リザードマンを巻き込んで大きく転倒し、ドシーンと音を立てて石壁にぶつかった。
「これでも食らえ!」
「俺ん家から出て行けっ!」
人間たちは家の中から使えそうな武器を持ち出し、亜竜に対し賢明に反撃し始めた。
ある者は鉄鍋を振るい、ある者はナイフを閃かせる。家に飛び込んできた大蜥蜴に椅子をぶつけた老人はガッツポーズも決めきれぬまま、その場から這々の体で逃げ出した。
「魔法だ!魔法で攻撃せよッ」
及び腰の声で齎された指示。その指示によって魔法攻撃が開始された。しかし、その命令は事態を収集させるどころか、更なる混乱を生む事になる。
『魔法攻撃』と一言で表しても、魔法には様々な効果と作用がある。そのどれも、用途に合わせた使い方をすれば、望む効果を発揮するだろう。だが、この混乱下に於いて効果的な結果を齎す攻撃が何なのかを、正確に理解して使用した者はごく僅かであった。
「やめてくれ!これじゃあ家まで燃えちまうじゃないか!」
「狙いを定めて打ってくれッ!」
亜竜を火ダルマにしたのは良いが、熱さと痛みに踠いて地上へ落下し、忽ち数軒の家を巻き込んで炎上した。大半はレンガ造りの家が多い王都だが、それでも窓枠や屋根など、所々に木が使用されており、それらに燃え移るのは瞬く間であった。
「ーーああっ神様精霊様現王様!この際誰でも良いから助けておくれっ!わたしゃ、これまで決して神の教えに忠実な信者ではなかったけれど、それでもこの様な死に方をさせられるほど不誠実な信者でもなかったはずさ。いや、神から見て不誠実な信者であったというのなら今すぐ悔い改める。これからの人生、全てを神に捧げて過ごしてもいい。だから……ッ!」
あまりの惨事に腰を抜かし、亜竜の攻撃によって崩れた壁に凭れながら、老婦人は必死に神に祈る。
足下には運悪く、亜竜の爪の餌食になった男の死体。自分もこうなるのかと思えば、心が一層冷えてくる。周囲を見渡せば、自分と同じように地面に縫い付けられたかのように座り込む者がポツポツあった。
混乱の最中焼け出される者、戸を固く閉じ閉じこもる者、勇敢にも応戦し傷つく者、泣く者、叫ぶ者、怒る者、嘆く者、そんな混沌とした状況を救ったのは、突如現れた騎士風の男たちであった。
騎士風と表記したのには訳がある。皆一様に白地に青い刺繍の施された騎士服を纏っているのだが、いかんせんその者たちが何処の所属なのか、住民たちはに見当がつかない。
ライザタニアにある東西南北、そして中央のどの軍を表す衣服でもない。かと言って、地方の一貴族が所有する私兵とも毛色が違う。何より、その騎士風の男たちの顔立ちがライザタニア人のそれとは違う事が、より一層混乱に拍車をかけた。
「もう大丈夫ですよ、マダム」
「あ、あんたら、一体何処から……!?」
今まさに亜竜の牙の餌食になる瀬戸際、助け出された老婦人は、何処の誰とも分からぬ男たちを見て、目を白黒させた。
ライザタニア軍とは明らかに異なる風を纏う男たち。手にはそれぞれ武器を携え、迷える人々を助けんと亜竜たちと対峙している。身なりから山賊や野盗の類には見えないが、味方だと断定してしまうには早急に過ぎるのではないだろうか。
疑問符を山ほど浮かべる老婦人に、一人の青年から手が差し伸べられる。青年はライザタニア人にない色白の肌を持ち、麗しい容姿には微笑みを浮かべている。常時であれば年甲斐もなく頬の一つも染めていただろうが、混乱する頭の中でも冷静な部分で違和感を覚えた。
青年のライザタニア人らしからぬ容姿から飛び出す訛りのない流暢なライザタニア語と、ライザタニア軍人らしからぬ優雅な物腰。一体彼らは何者なのかと。
「そんな事よりマダム、外は危険です。早く家屋の中へお入りなさい」
「あ、ああ……」
混乱冷めやらぬ腰の抜けた老婦人は優雅な物腰で立たされ、背を押されて、適当な家屋の中に押し込まれた。
疑問は尽きないが、彼らが命の恩人である事は確か。そもそも、この状況から助けてくれるなら誰でも良いと願っていたのは他でもない自分だと思い直し、大人しく家の中に引っ込んだ。
「副隊長!この辺りの民間人は保護して屋内へ退避願いました!」
「ご苦労。では、早速掃討作戦に移りましょうか」
部下の言葉に副隊長ーーシスティナの極東国境を守護する『東の塔の騎士団』副団長たるアーネストは、和かな表情の中に何処か交戦的な光を瞳に灯らせた。
既に諸々の許可は得てある。アルカード領主カイネクリフ卿、『東の塔の騎士団』団長ルーデルス、『東の塔の魔女』アーリア嬢、そして一番重要なお墨付きーーシスティナ王陛下の意思を受けた王太子ウィリアム殿下より。
何より、ライザタニア国王からの許可がある。軍務省長官と名乗るゼネンスキー侯爵からも王都における暴れる妖精ーーいや、野獣の討伐協力の要請が請願された。
そもそもこれば、長らく疎遠となっていたシスティナとライザタニアとが交流を測る為の『合同演習』。その実地訓練として、事前に申請されていたもの。それが、たまたま都内に現れた野獣を共同で討伐するという行事に置き換わっただけのこと。誰にも咎められる喩われはない。
「ふふっ、我々の行動は何者にも妨げられる事はない。これ程愉快な状況はありませんね」
アーネスト副団長はこの場に似つかわしくない笑みを隠すように手で口元を覆う。
これまで散々煮湯を飲まされてきた相手から頭を下げられ、自前の軍備で相手国の王都を守護するのだ。
これまでの事を思えばライザタニアの国民など守る意味も価値もないのだが、それこそが自国の価値を高め、更には『塔の魔女』の価値を知らしめる事に繋がるのなら、これ程喜ばしい事はない。
「副隊長、めちゃくちゃ楽しそうですね?」
「不謹慎ですよ、ミシェル」
「失礼しました!王都の民を思えば、早急に野獣どもを退治するのが先決でありますね!」
部下はニヤけた笑みを収め、敬礼した後、さっと武器を携えて身を翻した。その背がルンルンして見えるは、きっと気のせいだろう。
「全く、仕方がないですね……」
若い騎士の背を見ながら嘆息するも、本心から咎める気にはなれない。何故なら、自分自身もあの若き騎士と同じ様に心躍らせているのを、止める事ができないのだから。
副団長アーネストは苦笑すると、次なる指示を出すべく行動を再開させた。ーーちょうどその時、空から降り注ぐ光によって、地上を這い回る亜竜が地面へと繋ぎ止められた所だった。
※※※
『オイオイ、えらく派手にやってんなァ!』
「えっ……その声はライハーン様?」
雲のない空の上で突然影が射し、そこに聞き馴染みのある低い声が落ちてきた。顔を上げればそこには、翼の生えた大きな獅子が黄金の髪を揺らしているではないか。妖精名鑑でのみ見た事のあるそれの名は鷲獅子。鷲の翼を持つ巨大な獅子である。妖精の中でも滅多にお目にかかる事のない伝説級と呼ばれる鷲獅子。それが人間の言葉を使って話している。しかも見知った声ではないか。
『よぉ!俺んとこのモンが迷惑かけたな』
人間の姿も雄々しいものだが、鷲獅子の姿であれば、また違った雄々しさがある。
美しい鬣に紅い瞳。神々しいまでの佇まい。唖然と口を開けていたアーリアが我に返り話しかけると、ライハーン将軍はいつもの調子でニヤリと笑った。
「ライハーン様も亜人だったんですね?」
『まぁな。恥ずかしい姿見せちまったか?』
「そんな!とてもお素敵です」
『ハハ!照れるじゃねぇか。ソコの黒竜殿とはご同輩、いや、大先輩だな。まぁ、正直、面識はあまりないが……』
ライハーン将軍はアーリアたちが乗り物にしている黒竜を指して、雄々しい顔に苦いものをはしらせる。
同じ亜人だからと誰もが亜人部隊に所属している訳でも、部隊員と交流がある訳でもない。ライハーン将軍自身、亜人部隊の存在は知っていたが、亜人として認められたいのではなく、人として個人の武力を認められる事を願い、軍部に所属していた経緯を持つ。
確かに亜人部隊ならば己の立場を確立し易いだろう。しかし、かえって普通の人間として扱われ難くなるのではないか。その様な思いもあって、ライハーン将軍は亜人部隊とは意識して距離を置いていたのもあり、亜人として活動するセイたちに対面するのには、多少の気恥ずかしさがあった。
『ま、世間話はこれくらいにしておいて。王都に現れた部隊、どうやらお前んとこのモンらしいな?』
ライハーン将軍は大きな翼をバサリと一仰ぎ、地上へ視線を向ける。地上ではライザタニア軍と共闘し、見覚えのない別の部隊が亜竜に対峙している。統率の取れた部隊の姿に率いる者の信念がみえる。
自軍を置いて一足先に王城へと帰還したライハーン将軍は無事ゼネンスキー侯爵へと合流を果たし、そこでこの度の経緯と現在の状況について簡単に説明を受けた。その際、信頼する朋友にまで秘密にしていた計画について、侯爵は将軍から甘んじて一発受けたが、それについては詳細は省こう。
ライハーン将軍は簡単な経緯ーー自国の恥晒しが現王を害そうと計画し、それを阻まれて逆上。挙句、黄竜を呼び出し、亜竜や大蜥蜴といった野獣を召喚して王都を混乱に陥れたという現状に呆れ、また、現王復活を画策した大司祭によって利用されたシスティナの魔女に、逆にライザタニアが報復されるハメになった実情に笑うに笑えず天を仰いだのは、つい今し方のこと。
しかも、システィナの魔女は魔宝具を使って母国より宰相を始め高官を召喚しており、ちゃっかり現王をはじめ王子たちからも言質をもぎ取っている。最早システィナの魔女を止める事のできる者は、この国にはいない。
だが、どれだけ嘆いたとしても、全ての責はライザタニアにある。システィナの魔女を責めるのは筋違いと言えよう。
更に言うなら、国を憂う現王と第一第二王子両殿下によって何年も前から画策されていた事だと知れば、この事態は願ってもないものだとも思えた。
「ええ。事前にお知らせしておいた通り、これは『合同演習』となります。皆さんの足を引っ張らないように致しますので、どうぞ宜しくお願い致します」
アーリアはニッコリと笑うと頭を深々と下げる。その全てを知った上での言葉に、ライハーン将軍は苦虫を噛み潰す。後頭部をガシガシ掻きたい気分だが、いかんせん、この姿ではそれもできない。
『……成る程な。一筋縄にいかん訳だ』
「何か、問題がございましたか?」
『いんや。さっき長官から事情は聞いた。この凶事だ。正直、手はどんだけあっても良い。それが優秀な者たちなら特にな』
「決してライザタニア軍のご迷惑になる事はしません。我々システィナ人は正しい倫理観の下、弱き者を助けましょう」
アーリアは自国の気質を重んじた上で答えた。
『東の塔の魔女』として過ごしたのはたった三ヶ月だが、その間で『塔の騎士団』の気質を十分な程理解しているつもりであった。程度の差はあれど、国への忠誠心は度を越しており、国の為なら命を賭けられるのは当然のこと、国の名に泥を塗る行為など絶対にしない。そうアーリアは言い切れた。
『そりゃ疑っちゃいねぇけどよ。あんな現れ方されちゃ、警戒しない方が可笑しいってもんだろ?』
「アラ、仕方ないですよ。先に手を出したのはソチラですよ?少しくらいシスティナ人としての意地を見せる事ぐらい、ご容赦頂かないと!」
『おっかねぇなぁ……』
ライハーン将軍の言う『あんな現れ方』とは、白地に青い刺繍の施された衣服を纏う軍団が、突如、ライザタニア王都内へ現れた事を指す。国境を跨がず、突然王都へ武装した集団が現れたのだ。驚くなと言う方に無理がある。
本来なら無許可な越境行為に対し、抗議ないし処罰が言い渡される違法行為だが、今回に限り、現王ーーライザタニア王アレクサンドルが許可した事もあって、罪には問えない。そもそもこれまでライザタニアは、散々、システィナに対し一方的な侵攻行為を行ってきた。どの口を使って文句を言うというのか。
「ライハーン様も驚かれましたか?なら良かったです」
『……ホント、敵に回したくねぇわ』
ニコニコと言う擬音語がぴったりなアーリアの笑顔にライハーン将軍の額に汗が流れる。主が主なら騎士も騎士、類は友を呼ぶ。その様な言葉が頭を過ぎる。
アーリアも後で知らされる真相になるが、アーネスト副団長率いる『東の塔の騎士団』が王都へ召喚されるに当たり、その工作を施したのはリュゼたち『異国の行商人一行』である。行商人が持ち込んだ商品には宝石に紛れシスティナ産の魔宝具も多数あった。その中に《転移》の魔宝具があったとしても不思議はない。
行商人一行はそれらを長期滞在中の高級宿に置いておいただけ。因みに借りていた部屋は一部屋ではなく、また宿は一軒ではなく王都の各所に幾つかあった。
一足先にライザタニアの地を踏んだアーネスト副団長から母国システィナに待機中のルーデルス団長へと信号が送られ、団長からアルカード領主へ、領主からウィリアム殿下へと速やかに伝達され、最終的にウィリアム殿下から命じられたとある魔導士が予め待機していた騎士たちをライザタニアへと《転移》させた。
ライザタニアの者から見れば、騎士の一団は『突如』現れた様に見えただろう。しかし、カラクリを知る者からすれば突発的な行動ではなく、計画的な行動だった事が伺える。
何のことはない、自らの手での報復を願った『塔の騎士団』たちにより、状況は着々と整えられていたのであった。
「私としても、このまま敵に回らないでくださると助かります。いちいち相手取るのは面倒ですので」
『言うに事かいて面倒たぁ、なかなかに良い性格してるじゃねぇか』
アーリアとしても、事前にそれらの計画を知らされていた訳ではない。システィナ気質を知るからこそ、泣き寝入りなどしないだろうと予測をつけたに過ぎない。
神殿に侵入したリンク経由で渡された物が《転移》の魔宝具であったこと、そして転移されてきた者の中にアーネスト副団長が居たこと、その二つが決め手となった。案の定、アーネスト副団長は己が先駆けとなり、現在、部隊を率いて亜竜討伐の指揮を執っている。
『黒竜を乗り物代わりにするくらいだ。そんなお前が大将なんだから、これぐらいは当然か!』
「納得頂けたようで、何よりです」
『ハハッ!やっぱり俺が見込んだ女だけはある。さぁて、俺はこれからアイツらと共に蜥蜴人を蹴散らしてくるが……』
「そちらはお任せします」
『……それではアーリア殿。今しばらく、王都の民の守護をお願いしても構いませんでしょうか?』
「勿論です。私には、シュバルツェ殿下との約束もありますから」
笑顔のまま頷くアーリアにライハーン将軍もニカリと歯を見せて翼を広げた。そうして一礼すると、バサリと音を立てて空を滑空していく。
青い空を真っ直ぐに下降していくその姿はまるで綺羅星の様で、アーリアは太陽に照らされた黄金の翼を眩しそうに眺め、その背を見送った。
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『かくも儚き夢の跡7』をお送りしました。
時はきて、ついにシスティナのターン。
アーネスト副団長をはじめ『東の塔の騎士団』の騎士たちは、正式に報復の機会を得て、行動を起こしました。
ライザタニアに散々煮湯を飲まされてきた騎士たちは、ライザタニア人を助けるという状況に溜飲を下げつつあります。
ライザタニア編も終盤。
次話『かくも儚き夢の跡8』もぜひご覧ください!




