表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔宝石物語  作者: かうる
魔女と狂気の王子(下)
430/498

※裏舞台9※クーデター前夜

 闇の帷が降り誰もが寝静まる頃、ライザタニアの西、隣国システィナとの国境の近く、国境線上を南北へと広がる森の中では、木々の隙間をチラチラと淡い光が揺れ動いていた。

 その光は暗闇の中、不自然な動きを見せている。深い森を右へ左へ、上へ下へ、まるで何かを探すかの様に。生き物たちは普段とは違う森の様子に、じっと息を顰めている。

 すると闇の中、ザザと音を立てて何かが飛び出してきた。小さな人影が二つ。灯りも持たず、手探りで草木を掻き分けて。


「っ、おねえちゃんっ……!」

「シッ!黙って!」

「で、でも……」

「黙って走るの!ほらっ!」

「うんっ……」


 十に満たぬ幼児と、十をいくつか過ぎた少女。少女は幼児の手を引き、草木を足速に走る。時折背後を気にして視線を向けている。息を殺しているつもりだろうが、呼吸音は案外大きい事を本人たちは知らない。


「こわいよぉ!」

「私だって怖いわ……っ!」


 普段なら、夜の森になど絶対に立ち入らない。ただでさえ鬱蒼とした森なのだ。夜ともなれば尚の事で、いつ野獣や魔物に出会してもおかしくない。武器もなく、子ども二人がどの様に立ち向かえと言うのか。自殺願望があるとしか思えない。それでも、この夜の森に立ち入らねばならない理由があった。


「あんな奴らに捕まったら、どんな目に遭わされるか……!」


 時として人は、野以上に野蛮な行為に出る事がある。それを少女は知っていた。

 ライザタニアには奴隷制度があり、買われた先によっては死よりも辛い所業が待っている。人によっては、何も考えず主人の言いなりに仕事を熟す奴隷の方が楽だと思う者もいるそうだが、少女にはどうにもその考えが理解できなかった。

 なぜ、自分の人生が他人の手に委ねられなければならないのか。貧しくても良い。自分の意思で生きたい。他人に自身の生死を左右されるなど御免だ。

 ライザタニアに於いては異質な考えかも知れない。けれど、隣国と国境を接する場で生まれ育った少女にとって、ライザタニアに蔓延る奴隷気質の方がずっと異質に思えた。


 ーだって、あの国(システィナ)には自由があるー


 国境を挟んで右と左。国が違えば価値観にも違いがあるが、これ程違う国同士があるだろうか。

 他国を行き来する行商人から見聞きした物語のような本当の話。ライザタニアと同じく貧富の差はあれど、システィナでは一人ひとりが自分の人生を生きている。男も女も、大人も子どもも、若者も老人も。一人ひとりが自分の人生を。

 特に心惹かれたのは、システィナの東の国境を守護する『塔の魔女』と呼ばれる女性の魔導士。彼女はライザタニアからの侵攻の悉くをただ一人で防いでいる。同じ女として、少女は淡い憧れを抱いた。

 ライザタニアがシスティナへ戦争を仕掛けるのは、国が豊かになる為だとは知っているが、自分たちが富を得る為に他人を不幸にするのは間違っているのではないかと。


 ー私だって、奪われたくないもの!ー


 自分がされて嫌な事を他人にするのは良いのか。そんな簡単な疑問さえ、ライザタニアでは考える者が少ない。

 少女は自分のこの様な考えを他人に話した事はなかった。

 話せば叱られるのは分かっていたし、下手をすれば非国民だと罵られ、捕らえられるかも知れないからだ。

 慎ましい生活を送っていてさえ、謂れのない理由で捕らえられ罰せられる事がある。


 今日とてそうだ。


 突然少女の住む街が武装した大軍に襲われ、家を焼き出された。しかも、その大軍は前領主シュロン侯爵、その息子が率いる元西方軍に属していた兵士たちだったのだ。

 少女の住む街は西都からは離れた街と呼ぶには小さな集落。そこへ松明を湛えた大軍がやってきたのは、夜も更け、食事も終え、誰もが夢の住人となる時間だった。

 この春、新たな領主を得た西都。新領主の評判は上々で、少女の住む街にも自ら足を運んで、街の秩序を糺していったのは記憶に新しい。小さいながら自警団も整備され、野盗や野獣の類への対策も為されていた。

 だが、そんな自警団も、元西方軍に属する兵士たちの武力には勝てなかった。

 武装した兵士くずれの集団は対峙する自警団を蹴散らし、その後、家々に火を放ち、慌てて出て来た住人たちを次々に蹂躙した。抵抗する者は容赦なく殺された。男や老人は殺され、女子どもは捕えられた。逃げた者も多数いたが、果たして逃げ果せた者はいるのだろうか。

 少女の目の前が涙で歪む。自分たちを逃す為に囮になった両親。とても無事だとは思えない。


「なんで、こんな事にっ……⁉︎」


 新しい領主、そして新たに着いた西方軍将軍。

 二人共に正義感があり、民を見捨てる人物ではない。

 彼らがこの事態を知れば、きっと何とかしてくれる筈だ。

 新しい領主のバルマン伯爵は前領主とは違い、領民に寄り添った領地経営を行っていたのは有名な話だ。

 最初は懐疑的だった領民たちも道路や水路が整備され、盗賊の類が討伐され、街中が清潔感に満ち、道端の住人であった浮浪者や病人が生き生きと生活する様を見れば、誰もが新領主を信頼できる人物だと認識した。

 また、新領主就任と同時期、新たに西方軍将軍に任命されたベルフェナール将軍は、年は若いが精錬な人物として知られている。

 キリリと引き締まる太い眉。癖っ毛のある赤茶毛。垂れ目がちの瞳。本人は童顔を気にしている様だが、それも魅力の一つとして、既に領民の中にはファンが多数いる。白い軍服を翻す姿に黄色い悲鳴が上がっているのを少女も遠目に見た事があった。困った様に手を上げた将軍の顔が何だか可笑しくて、笑ってしまったを昨日の事の様に覚えている。

 

『何か困った事があれば、遠慮なくいってくれて構わない』


 癖の様に顎の無精髭を擦りながら煙草を咥えた領主は見た目こそ強面だが、少女は一目で信頼できる大人だと感じた。現に、少女の住む辺鄙な街も街道が整備され、この数ヶ月で街が格段に住みやすくなった。鉱山で働く両親も賃金が上がったと喜んでいた。

 小さな一軒家に両親と姉妹の4人暮らし。決して裕福とは言えないけれど、食べる物と住む場所があり、毎日の仕事がある。小さな幸せがあった。けれど、その幸せは一瞬にして崩れ去った。


「なんで、なんでなのっ……」


 妹の手を引きながら、少女は小さな声を溢す。

 手を繋いでない方の手で草木を掻き分けているので、小さな傷が沢山できているが、そんな事を気にしている余裕はない。

 捕まれば、こんな小さな傷など気にならない程の目に遭わされる。逃げる際に見た光景が脳内を過ぎる。途端寒気に襲われた。あれではまだ、野獣に食べられた方がマシに違いない。


「おねえちゃん、も、はしれないよぉ……」

「諦めちゃダメ!走って!」


 泣き声を言う妹、妹を叱り励ます姉。2人とも頬は涙で濡れ、息も切れ切れで、やっとの状態で何とか脚を動かしていた。

 背後からは光が段々と近づいているのが分かる。子どもの足だ。追いつかれるのも時間の問題なのだという事は、少女にも分かっていた。それでも、逃してくれた両親の為にも足を止める事はできない。


 ーーとその時、目の前に壁が迫った。淡く光る壁だ。


「ああっ、そんな……!」


 少女は壁の前で立ち止まり頭を抱えた。

 闇夜でもほんのりと輝く透明な壁。少女はこれに見覚えがあった。

 システィナとライザタニアとの国境に設けられた《結界》。正解には、システィナの魔女がライザタニアからの侵攻を防ぐ為に施した結界魔術だ。この《結界》はライザタニアからのあらゆる攻撃にもびくともしないと聞く。それこそ物理的な攻撃も、魔法的な攻撃も、その全てに対して有効だと。

 少女の住む街からもこの《結界》を遠目に見る事ができた。

 陽の光に照らされるとステンドグラスの様に空を彩るのだ。それを日がな一日眺めていた事もある。当然、仕事をサボっていた事を両親には叱られたが、それくらい日常に溶け込んだ風景の一部となっていた。

 国境に施された《結界》は、普通に生活する上では何の障害にもならない。そもそもライザタニアからの侵攻を阻む為のもの。システィナを守る為に施された《結界》が、民間人を傷つける事はない。

 しかし、その《結界》がこうして自分たちの行手を立ちはだかるとどうだ。とてつもない脅威に思えるではないか。


「どうしよう、どうしようどうしようっ……⁉︎」


 お姉ちゃんと側で妹が姉を呼ぶが、少女は気が動転して何も耳に入らない。

 後方からは草木を揺らす音が近づく。重い足音も複数聞こえる。普段あれほど聞こえる鳥の声はおろか、獣の声すらない森の中に、複数の人間の息遣いだけが響く。

 少女は自分の腰に縋る妹を抱き締め、その場で呆然と立ち尽くした。前方には《結界》。後方には追手。逃げ場はない。


「ごめんね、ティナ。守ってあげられなくて……」


 少女は涙でくちゃくちゃになった妹の頬を撫でる。せめて妹だけでも、逃してやりたかった。けれど、どうやら自分たちはこれまでのようだ。ーーそう思った時、背後がザワと動いた。

 少女はビクリと肩を揺らすと、音の鳴る方へ顔を向けた。するとそこには、白い軍服の様な衣服を纏う青年の姿があった。


「嬢ちゃんたちこちらだ。こちらに向かって走れ」

「……え?」


 ライザタニアで白い軍服を纏うのは西方軍と決まっている。しかし、青年が纏う白い衣服は西方軍のそれとは異なり、貴族が纏う衣装かと思えるほど優雅で、何より裾に向けて広がる青い刺繍が美しかった。


「ほら、はやく」

「だ、ダメだよ。だって、そこには結界が……」


 心臓が口から出る程驚いたが、どうやら追手ではない。かと言って、味方でもない。何より、顔立ちがライザタニア人のそれではないのだ。そして、青年が居るのは《結界》の向こう側、システィナ。システィナの騎士と思われる青年が、少女たちに手を差し伸べている。


「大丈夫だから信用して!ーーって出来ないかぁ……」


 出会ったばかりの相手の言葉をどうやって信用するというのか、いや出来ない。青年は自分の言葉に自問自答して肩を落としたがそれも一時のこと、何を決意したのか顔を上げ、「なら仕方ないよな」と誰に言う事なく呟くと、少女たちの方へとズカズカと近づく。そして《結界》ギリギリでホラと手を伸ばすと、それでも顔を横に振る少女たちにやれやれと眉を下げはしたが、次は少女たちに問いかける事はなかった。ただ、実行に移しただけだった。


「ええっ⁉︎」


 ぬっと大きな手が目の前に迫り、視界が大きく回る。ふわりと肌に何か柔らかな物が触れた。何となくだが、周囲の空気も変わった気がした。

 少女が目を丸くしていると、同じように目を丸くしていた妹が「おねぇちゃん!」と呼んだ。その声に少女ははっとし、妹の顔を覗き込み、次いで自分たちの足元を確認した。


「えっ、な、なんで⁉︎」


 少女たちの背後に虹色の幕が見えた。先程まで前方にあった幕だ。それが今、視界を左から右へと移動していたのだ。

 実際に移動したのは幕ではなく、少女たちの身体だ。それは少女自身にも分かっていた。青年の手が《結界》を突き抜け、その手が少女たちを猫の様に掴み上げ、そして青年の方へ引き上げたのを、少女はつぶさに見ていたのだから。

 そんな事より何より驚いたのは、ライザタニア人の侵攻を阻むと言われた《結界》は、ライザタニア人である少女たちを拒まなかった事だ。何故?と疑問符は浮かべど、答えてくれる者はいない。

 少女はしゃがみ込んだまま、自分たちを《結界》の彼方(システィナ)側へ引っ張った青年を仰ぎ見た。

 青年は先程とはうって変わり、真剣な眼差しで《結界》の向こう(ライザタニア)側を見ている。


「ああ来たな……」


 青年の呟きに「何が?」と呟き返したその時、少女の目の前がカッ!と眩く輝いた。


 ードン!ー


 闇夜を揺らす轟音。次いで、複数の怒声が響いてきた。


「きゃあ!」


 少女と妹は抱き合うと、その場に腰を抜かす。轟音が止むと《結界》の向こう側に大勢の男たちが現れ、少女の方へ迫ってきたのだ。

 

「ーーシスティナの騎士がこんな所に何用だ!」

「その者らを寄越せ。さもなくば攻撃する!」

「そいつらは俺らが保護すると言っているんだ!」

「おい、聞こえないのか!さっさと言う通りにしろっ」


 様々な声が入り混じるが、そのどれもが耳を塞ぎたくなるような怒声として少女たちを圧迫した。小さな妹は耐えきれず、涙と鼻水とでグズグズになった顔を少女の腹に押し付け、耳を押さえている。妹を庇いつつも、少女は自分たちの暗い未来を想像して顔を真っ青にして固まった。


「……言う前に攻撃してるじゃん」


 ぼそりと青年が呟く。どう考えても絶体絶命。システィナの騎士がライザタニア人の小娘を庇う理由はない。自分たちは彼らに捕らえられ、死ぬよりも酷い目に遭うのだ。


「大丈夫。そんなに心配しなくてもいいから」


 悲観に暮れる少女の肩にポンと大きな手が置かれた。少女が涙に滲む瞳で見上げれば、青年は何故か優しい笑顔を浮かべていた。

 青年は少女の前に立ち、《結界》の向こう側で捲し立てる男たちへと対峙すると、徐に両手を広げた。

 ビクリ。男たちが開いた口を閉じ、各々の武器を構える。システィナの騎士一人に対して大袈裟なほど構えるのは、それだけシスティナに対して恐れを抱いている証拠なのだが、そんな事は誰一人として気づいていない。


「ど、どうした?応じる気になったのか……?」


 一人の男が沈黙に耐えきれず青年へ問いかける。すると、青年はニカっと笑うと、棒読みでこう答えたのだ。


「アー、ワタシ、ライザタニアゴ、ワカリマセーン」


「「「「「…………」」」」」


 痛いほどの沈黙が落ちる。


「ばっ!バカにしやがってッ!」


 沈黙の後、青年の小馬鹿にした態度にキレた男が持っていた長剣を振り上げる。怒りのままに振り下ろされる刃。しかし、その刃は《結界》に触れるや否やパキンと軽い音を立てて弾かれる。弾かれた刃は男の手を離れ、数メートル先へと跳ばされた。見れば、刃は中程で真っ二つに折れている。


「ハハッ!あの方が築いた《結界》に、そんなモノ通用する訳ないじゃないか!」


 絶句する男たちを嘲笑うような青年の笑いが森に木霊した。

 男たちは顔を赤くし、それぞれの武器を構えて突進しようと足を動かした。が、やはり《結界》の前では全てが無力。どのような攻撃も淡い虹色の幕に阻まれて、青年はおろか、少女たちに傷一つつける事はなかった。


「ーーバカが、煽ってどうする?」


 気づけば、青年の背後にもう一人、システィナの騎士らしき男が立っていた。

 歳は四十を越えているだろうか。少女の父親よりも年上に見える。赤く燃える様な髪が月明かりに輝く。筋肉は隆々で、眼力が鋭く、いきり立つ闘牛を連想させた。

 青年は「団長、お疲れ様です!」と男へ敬礼を一つ。団長と呼ばれた男はギロリと鋭い視線を青年へ投げた後、その背後にいる少女たちを見留めると、そのまま視線を《結界》の向こう側へと向けた。


「帰って来んから何事かあったかと思えば……」

「子どもたちの保護を優先しておりました!」

「それはまぁ良い。アチラとの話もついている」

「は。では、アチラサマも……?」

「時期、始末がつくだろう。この度の事はアチラの不始末でもあるからな。咎められる事もなかろう、が……」


 そこで男は言葉を区切ると青年へ向き直り、徐にボカリ!と青年の頭を拳骨で殴った。


「バカもん!調子に乗りすぎだ!」

「いったー!」


 殴られた頭を抱えて地面に転がる青年。しかも、反省するどころか「暴力反対!横暴隊長!」と罵る青年に二発目が下る。

 そんな様子をポカンと見ていた少女たちに男が向き直った。

 ツカツカと二歩で歩み寄ると、男は少女たちの前で腰を負った。


「怪我はないか?」

「う、うん……」

「怖い思いをしたな。だが、もう大丈夫だ。夜が明ければこの馬鹿げた騒動も終わる。そうすれば君たちも、家へ帰れるだろう」


 よく頑張ったな。と男は少女たちに声をかける。


「で、でも何で……?私たちはライザタニアの……」

「知っている。だが、それがどうした?助けを求める者を見捨てる訳がないだろう?」

「っ……!」

「《結界》は君たちを歓迎した。君たちの身の安全を『東の塔の魔女』様も望んでいると言う事だ」


 男は少女たちの頭をポンと一つずつ撫でると立ち上がり、未だ《結界》に向けて挑んでいた男たちの前へ立ちはだかった。


「さて、暴徒諸君。君らの所業はとても許されるものではないが、我々の関知する所ではないのも確か。だが、一度我々が保護した対象を傷つけるのならば、話は変わってくる。もし、それ以上の狼藉を行うのなら、『東の東の騎士団』団長たる私が相手しよう。なに、遠慮はいらない。アチラの許可は取ってある。存分に掛かってくるといい」


 一息に言うなり、男は腰に履いた長剣をスラリと抜いた。


「なんだ、年端もいかぬ少女たちを相手取っていた時の威勢はどうした?来ないのなら、さっさと尻尾を巻いて帰るのだな」

「クソっ!魔女(おんな)の背に隠れるだけしか脳のないボンクラが、何を偉そうにッ!」

「……なに?」

「そうだろう?今だってそうして《結界》に頼りきりじゃないかッ!」


 暴徒と呼ばれた男たちにイチャモンをつけられた男の目が鋭く細めらた。見れば、先程までチャラついていた青年までもが表情のない能面の様な表情になっている。


「……言い残す事はないか?」

「は……?」

「元より、民を傷つける者など、騎士のーーいや、いち軍人にしておく事はできない。それが例え他国の民であっても」


 ジリと地面が鳴く。男は長剣を構えた手をそのままに、足を一歩、向こう(ライザタニア)側へと踏み入れた。


「な、なぜだ……⁈」


 男の身体がシスティナ側からライザタニア側へと渡る。何の抵抗も示さなかった《結界》に、暴徒たちは唖然と佇む。


「さて、これで満足か?」

「っーー!」

「もう一度言おう。文句のあるヤツはかかって来い。但し、五体満足で帰れるとは思わぬ事だ」


 男の背後から一人、また一人と白い騎士服を纏う男たちが出現する。その数が増える毎に暴徒たちは震え上がり、忽ち、暴徒たちは蜘蛛の子を散らす勢いで森の中へと消えていった。


「なんだ、つまんねーの!」

「こら、ミシェル。不謹慎だぞ」


 静けさを取り戻した森の中、暴徒たちを見送ったシスティナの騎士たちはそれぞれの武器を収めると、続々と《結界》を越えて帰ってくる。


「あ、あの……私たち……」


 何が起こったのか分からず茫然と座り込んだまま抱き合う幼い姉妹。少女は妹を抱きしめたまま、白い騎士服の男たちを見上げる。


「安心して良い。と言っても出来ぬであろうが、あの者らはもう来ないと断言しよう。時期にこの騒動も収まる。なに、そう悪い事にはならんさ」


 団長と呼ばれた男は少女たちの前に腰を折ると、目線を合わせて話をする。体躯と同様に言葉には硬いものがあるが、態度は柔らかなものだった。


「なんで、私たちを助けたんですか?この結界だって……」


 何の思惑があって、と疑いたくなるのは人間の心情として当たり前のものだろう。少女の疑問に男は「ああ」と声をあげると、ふと空を見上げた。そこには暗い闇の中であっても淡い光を放つ天幕と、そして遥か先に天高く聳える『塔』の先端が見えた。


「……我々『東の塔の騎士団』は、魔女様の剣にして盾としてこの地に存在する。魔女様の為、魔女様が望まれるのなら、どんな敵をも打ち倒す。それこそ我らが命運尽きるまで。ーーが、実際に魔女様がそれを望まれる事はない。望まれるのはただ一つ、皆の平和な日常のみ」


 そこで一息吐くと、男は困った様に眉を下げた。


「あの方にとって、システィナ人であるとかライザタニア人であるとか、そんな事は関係がないのだよ」


 男は少女の肩にポンと手を置いた。困った様に眉を下げながらも、男は何故か嬉しそうに笑む。それだけで、男がどれほどあの方ーー『東の塔の魔女』の意思を大切に思っているかが伝わってきた。


「目の前に困っている者がいる。手を差し伸べる理由はそれだけで良い。だからーー」

「わっーー!」

「君たちは何を気にする必要もない。安心して我が騎士団の、魔女様の保護を受けるが良い」


 少女たちは片腕ずつ男に抱え上げられると、目を丸くして男を、そして白い騎士服の男たちを見た。すると、誰しもが同じような表情をして、誇らしげに《結界》と塔を見上げていた。


「さて、お前たち帰るぞ!」


 男の掛け声によって、男たちは西に見える塔へ向かって歩き出した。森の中はさっきまでとは打って変わり穏やかさを取り戻し、野鳥や虫の鳴き声も聞こえてきた。


 その後、少女たちは同じ様に騎士団に保護されたライザタニア人たちと合流した。どのライザタニア人も顔色こそすぐれないものの、互いの無事を喜び合っていた。両親はその中になく、少女たちはあからさまに落胆したものよ、同じ街の大人たちによって励まされ、朝を待った。

 夜が明けて翌日、約束通りライザタニアへの帰路に着いた少女たちは、国境の向こう側に両親の姿を見つけ、喜びの涙を浮かべる事になる。



ブックマーク登録、感想、評価など励みになります!

ありがとうございます。


『裏舞台9クーデター前夜』をお送りしました。

次話、『かくも儚き夢の跡5』も是非ご覧ください。



 ーーー《後日談》ーーー


 少女の両親たちは暴徒たちに襲われたが、その直後現れた正規兵によって助け出されたという。その正規兵こそ、ベルフェナール将軍率いる西方軍であった。

 ベルフェナール将軍は西都領主バルマン伯爵と共に暴徒と化した元西方軍の兵たちを捕縛、主犯であるシュロン侯爵の甥を拘束し、暴動を収めたとのこと。

 シュロン侯爵と云えば、前領主として西都を我が物顔で牛耳っていたが、それも領主の座をバルマン伯爵に奪われた事により憤怒。シュロン侯爵の憤怒に関わらず、侯爵には余罪ありとして第二王子殿下より王都への帰還命令があったが、これを不服として逃亡。すぐ様、王都からは罪状によりお家断絶と不正に関与した者たちの処罰が決定されたのだが、素直に応じる筈もなく。シュロン侯爵とその甥は最後の足掻きとも呼べる行動へ出る事となった。

 シュロン侯爵の甥は、前将軍の捕縛により立場の危うくなった元西軍の騎士たち数十名を仲間に引き入れ、勝手に軍団を組織し、西都を寝ぐらにしていたヤクザ者たちを加えて暴徒と化した。彼らは『自分たちこそがライザタニアの正義を行う正規兵だ』と豪語し、各街各村を襲い、徴収と称しては陵辱の限りを尽くし、そして遂には西方軍の駐屯する西都近辺へとその手を伸ばした。

 しかし、そんな暴徒たちの暴走を、西都の守護者たる領主バルマン伯爵と、ライザタニア西方の秩序維持を任された西方軍将軍ベルフェナールとが、黙って見ている訳がない。

 二人は協力し、情報を集め、暴徒鎮圧に向けて乗り出した。

 その計画の中に、領民たちの保護を求め、システィナ国境の守護者、『東の塔の騎士団』へと協力を求めた事は、驚きと共に後世まで語り継がれる事となる。塔の騎士団はこれを快諾、『東の塔の魔女』の名の下、国境を跨ぎシスティナへ逃げ込んだ領民の保護に尽力したという。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ