祝福の鍵
早いものでこの街に来てからもう10日もの日が経っていた。
アーリアとジークフリードはいよいよ明日、この街を出て行く事に決めた。
この10日間、誰からの追撃も無く追手にも出くわさず過ごせたのは、二人にとって良い休息となった。
街に来たーー連れて来られた当初は二人とも満身創痍で、ベッドから出る事も這々の体だった。宿屋のご夫婦 ーダンとテルシアー と街の住人の献身もあり、二人は体力気力共に充分回復させる事ができた。
アーリアたちは特に、ダンとテルシアの二人には何とお礼をしたらいいのか分からないほど面倒を見て貰ったのだ。この二人は嫌な顔一つせず、いきなり現れた如何にも怪しい二人を甲斐甲斐しく世話してくれたのだ。
ジークフリードなどは獣人となってから初めて人間として扱われた事も含め、安らかな時間を送れたことを心から感謝していた。
アーリアはテルシアがアーリアを実の娘のように愛情を持って接してくれることを、恥ずかしながらも、『母』とはこのようなものか、と想像してしまうほどだった。そして、初めて擬似的にでも母親からの愛情を感じることができて嬉しかった。
アーリアとジークフリードは夜になると、様々な事を話し合った。部屋の窓辺に小さな蝋燭を灯して、その蝋燭が溶けて無くなっても話は尽きなかった。
この街は『魔術医の若先生』が守護しているようで、外敵からの襲来はまったくもってなかったのだ。街の住人たちも、魔導士の加護がある事を薄々気づいているようだった。
だから、亡くなった魔術医の先生を含め、その家族である若先生をも街の住人たちが尊敬し、そして大切な人だと思っているのだと分かった。
ジークフリードは窓の隙間からの夜風に当たりながらアーリアへと視線を向けた。
アーリアの白い髪は月夜の光を受けて白金に輝いて見えた。その髪を夜風に揺らしながら、彼女は自分の師匠について話している。
この街に来てから、アーリアは自分の髪を隠すことをしなかった。逃亡中のアーリアはフードを深く被り地面を見ながら怯えて過ごしていたので、アーリアが自然体でいられる事がジークフリードは喜ばしかった。
ただ今までなら自分だけの秘密のようなものだったので、アーリアの美しさを誰でも知る事ができるのは、少し寂しかった。こんな事を思ってしまう自分のココロはなんて小さいのだと、自分自身に呆れてしまう。許量が狭いとはこの事だ。こんな事は誰にもーー特にアーリアには決して知られたくはない。
窓際の丸テーブルを挟んで左にいるアーリアがジークフリードに質問した。
『……らしいですけど、いいですか?』
「……ん?すまない。何だって?」
『え?聞いてなかったんですか?ジークさん疲れてます?もう休みますか?』
「いや、大丈夫だ。少しぼおっとしていただけだ。すまないがもう一度言ってくれ」
『私たちが明日出発するってダンさんとテルシアさんに言ったらすごく驚かれて、せめて明日の昼までは居て欲しいって。私たちが出て行く前に食事を一緒にしたいそうなんです。だから出発を明日の昼か、もしくは明後日に伸ばそうかと思ったんですけど、いいですか?』
「俺は明日でも明後日でも大丈夫だ。……俺たちが二人にもう少し前もって言えば良かったな」
ダンとテルシアはアーリアを本当の娘のように可愛がっている。特にテルシアはアーリアを街中連れ回して、茶葉の摘み取りから茶葉の加工、市場での買い物、近所の奥さんとのお茶会まで引っ張り回して構い倒した。その甲斐 (?) あってこの街ではアーリアはすっかり『テルシアの娘』として通ってしまっているくらいだ。
ダンとテルシアには娘がいたが、生まれつき身体が弱く、娘が18になる前に亡くなってしまったようなのだ。その娘にアーリアを重ねているのだろう。アーリアも生まれた時から親がいないそうなので、テルシアに『母』というものを重ねているようだった。
そんな娘が追手が待ち受けている危険な旅に出ようとしているのた。そりゃあ、親としては止めたいのも山々だろう。
だが、ダンとテルシアはアーリアを快く送り出してくれるだろう。
彼らはそういう人たちだ。
アーリアもこの街の人に迷惑を掛けたくないと思っていた。今まで運良くなのか敵の襲来がなかった。だが、敵はアーリアを諦めた訳ではないのだ。
この幸運な日々はアーリアの師匠が作り出したささやかな贈り物だ。束の間の休息を二人に与えたに過ぎない。
それがアーリアにも、そしてジークフリードにも分かるからこそ、この街を出て行くのに躊躇いはない。
この街を、そしてこの街の住人たちを愛しているから……。
ジークフリードもこのような民のいるこの国が誇らしかった。この街の人たちの為にも、闇に埋もれる悪に対抗しようと決意を新たにするのだった。
「テルシアさんはアーリアを本当に可愛がっているからな……」
『はい……。本当にこんな私に良くしてくださいました。亡くなった娘さんに、少し申し訳ないです。彼女に向けられる愛情を、私が代わりに受け取っているようなものなので……』
「そんな事はない。テルシアさんはきちんとお前自身を愛しているさ!」
『そう、だと嬉しいです……』
ジークフリードはテーブルの上で重ねていたアーリアの手をより強く握った。
アーリアの自尊心はテルシアの底なしの愛情を持ってしてもなかなか浮上しなかった。
ジークフリードもアーリアに対しては回りくどいやり方では、何の効果もない事をようやく悟ったところだった。
リュゼが乗っけからアーリアにストレートに接し、ベタベタひっついていたが、あれくらいしないと通じないのかと考えることもあった。あんな破廉恥な行動は自分にはプライドーー捨てられない矜持が邪魔してできないが、それを羨ましくは思わない。いや、絶対に少しも羨ましくなどない。
『ジークさん?』
アーリアは首を傾げてジークフリードの顔を見上げた。アーリアはジークフリードがあまりに何度も考え事をして現実からトリップするので、今夜はどうしたのかと訝しんだ。
「アーリア、『ジーク』と呼んでくれと言っただろう?」
『〜〜〜〜言えませんよ!ジークさんが貴族だって知った時もどうしようかと思ってたのに、まさか公爵家の人だったなんて!私から見たら雲の上の上の存在です。平常時ならお話すらできません。不敬罪で処罰されても文句言えませんから!それなのに況してや名前を呼び捨てにするなんてっ。今もジークさんを自分勝手にこき使っているのに、この上そんな不敬なコトできませんから!!』
「……元貴族で元公爵家の人間だ。俺は今では立派なお尋ね者だぞ?そんな人間に敬称など必要ないだろう?」
『〜〜で、でも……』
アーリアは困ったようにジークフリードを見る。その姿は耳の垂れたしょぼくれた子猫のようだ。
「じゃあ分かった。『ジーク』と呼んでくれるまで、今夜はこの手を離さない」
『!?』
「どうする?」
アーリアはジークフリードに重ねられている右手を徐々に引き抜こうと力を入れたが、ジークフリードはアーリアの手を手首ごとがっちりと掴んだ。
「……どうする?」
『ひ、卑怯です、ジークさん!』
「『ジーク』と呼んでくれ」
『…………ジーク、手を離してください』
アーリアはジークフリードの執念に陥落してしまった。ジークフリードはやると言ったらやるだろう。敬称なしで名前を呼ばない限り一晩でも二晩でも手を離さないに違いない。
ジークフリードは名残浅そうにアーリアの手を離した。
「……手を握ったままでも良かったかもな……」
ジークフリードの独り言が夜風に吹かれて消える。
『え?ジークさ……ジーク、何か言いましたか?』
「いや、何でもない。ゆっくりお休み、アーリア」
『はい。ジークさ……ジークもいい夢を』
アーリアはジークフリードに、ジークフリードはアーリアに、この街の最後の夜を幸せに締めくくって欲しいと願った。
この街を出たらまた逃亡の旅が始まる。
アーリアたちの敵はアーリアたちの都合も考えずに容赦なく襲ってくるだろう。
そこに安眠の日々はない。
この街でくらい健やかな眠りがあってもバチは当たらないはずだ。
この街は『魔術医の若先生』の加護があるのだから。
※※※※※※※※※※
アーリアが朝の支度をして一階の食堂に降りて行くと、そこにはテルシアがいた。
「おはよう、アーリアちゃん。ジークは?」
テルシアはアーリアに気づくと声をかけてきた。アーリアは二階を指差した。
『もう少ししたら降りてきます』
アーリアが話すがテルシアには口をパクパクさせているようにしか見えない。
「ああ、まだ部屋にいるのね?すぐに降りて来るかしら?え?うちの人?ええ、今朝は夜が明ける前から漁に出たわ!昼ごろには帰ってくるから、一緒に食事をしましょう?」
アーリアがにっこりと頷いた。
その後、ジークフリードが階段を降りてきた。歩く度に鬣がフサフサと揺れる。
テルシアは獅子の獣人姿のジークフリードにもう驚く事はない。
「おはようございます、テルシアさん」
「おはよう、ジーク。うちの人、まだ漁に出ているのよ。昼には帰るわ!」
「すみません。お二人ともお忙しいのに。俺たちがもう少し早く言えば良かったですね」
アーリアとジークフリードは揃ってテルシアへ謝った。その姿にテルシアは笑いながら手を振ってきた。
「いいのよ!私たちも、そろそろかしら?と思っていたのよ。アーリアちゃんたちは、初めからここに留まる気は無かったでしょ?」
『はい』
「だから、アーリアちゃんが気にすることは何もないのよ?けど、今日までは私たちの娘でいてちょうだいね?」
アーリアは少し照れてから頷いた。
テルシアは豪快にアーリアの頭を撫でると、朝食の用意がされたテーブルへとアーリアたちを案内してくれた。
「じゃあ今日は朝食を食べたら、アーリアは私とお買い物ね?嫌でも付き合ってもらうわよ〜〜」
テルシアの宣言通りに、アーリアはテルシアに街中を引っ張り回された。物に執着しないアーリアは買い物という行為を今までは必要に駆られた時だけ行なってきたが、このように買う目的だけでなく服や装飾品、日用品などを見てまわることが初めて、楽しい時間なのだ思ったのだった。
昼ごろになってアーリアとテルシアが宿屋に帰ると、一階の食堂ではダンとジークフリードが二人の帰りを待っていた。
食堂には豪華な食事とそれを囲む色とりどりの花の数々。
アーリアが驚いてダンとテルシアを交互に見た。
「アーリア、今日は君の成人のお祝いをしよう」
「この地方では葉の月に18になる子どもの成人のお祝いを家族でするのが習わしなの!この間ジークから聞いたわ。アーリアちゃん、今年が18になる年なんですってね?私たちにお祝いさせてもらえないかしら?」
ダンとテルシアの言葉に、アーリアは胸がきゅっと締め付けられた。
嬉しくないわけではない。むしろとても幸せだ。自分の為だけに、このように祝ってくれる事は本当に夢のようだった。
だけど……
アーリアはジークフリードの腕に触れた。
ジークフリードはアーリアの意図を察した。
『本当に嬉しいです。でも、私……お二人の娘さんに申し訳ないんです。それに私は親もいない下賎な生まれ。お二人にこれ以上良くしていただくことが心苦しいのです……』
ジークフリードはアーリアの言葉をダンとテルシアに伝えた。
俯いたアーリアにテルシアが近寄ると、テルシアはアーリアの頬を両手で包んで持ち上げた。
「何言ってるの?貴女は私たちの二人目の娘なのよ?知らなかった?確かに初めは貴女に死んだ娘を重ねた事もあった。でも今は『貴女自身』を心から愛しているのよ?」
『でも……』
「おーじょーぎわの悪い娘ね?いい?貴女の生まれがどうなんて関係ないのよ?私もうちの人も、ジークだって、『貴女自身』を大切に想っているの。この気持ちを貴女に与えるのは私たちの勝手なのよ。そして貴女は素直になって、ただそれを受け取ってくれればいいの!』
テルシアはアーリアを抱きしめた。
ダンとジークフリードは穏やかな表情で二人を見守っている。
「愛しているわ、私の可愛い娘」
『……は、はい〜〜。わ、私も大好きです……』
アーリアはテルシアの胸の中で涙を流した。瞳から溢れ出る涙を止める事はできなかった。嬉しくて泣いたのはこれが初めてだった。
アーリアは悲しくても辛くてもどうしようもない時も、今まで泣いたことなどなかった。泣いても仕方ないことばかりだったからだ。だが、このように嬉しさでも涙が出てくるのだと、初めて知ったのだった。
「さあ、貴女に成人のプレゼントも沢山あるのよ?」
アーリアの顔をテルシアが自分のエプロンの端でグイグイ拭く。ダンがテルシアの後ろからアーリアへ近づくと、手に持っていた小さな箱をアーリアに手渡した。
アーリアはその小さな箱を受け取る。そしてダンに促されて蓋を明けると、中には細いチェーンのついた金の鍵が入っていた。
「これはね『祝福の鍵』よ。これもこの辺りの風習でね、成人したお祝いに家の鍵を渡すの。成人して独り立ちをする我が子に、祝福がありますようにって。独り立ちしても決して一人ではない。いつも両親が見守っていることを忘れないでほしい。そのような想いがこの鍵にはこもっているの」
「だから、いつでもアーリアの幸せを私たちはここから祈っている。そして、いつでもこの家に戻ってくるといい!君は、君たちはもう私たちの家族なのだから」
アーリアはその鍵をギュッと握りしめ、胸に押し当てた。また涙が溢れ出しそうだった。
『ありがとうございます……!』
アーリアは今度は素直にお礼が言うことができた。
そんなアーリアをダンがテルシアごと抱きしめてくれた。ダンの体からは海の匂いがした。
「さあ、ご馳走が冷めてしまう!みんな今日はお祝いだ!どんどん食べて、どんどん飲んでくれ!」
ダンの言葉を皮切りに、アーリアたちは席へとついた。
アーリアとジークフリードはダンが作った海の幸をふんだんに使った料理に舌鼓をうった。ダンとジークフリードとテルシアは色んな種類の酒を嗜んだ。アーリアは祝い酒を一口だけ頂いた後は強制的にジュースに切り替えられた。
ダンはジークをからかいながら酒を飲む。ジークはそれに苦笑しながらも付き合った。その姿はまるで父親と息子のようだった。
アーリアはテルシアに勧められた料理を沢山頂いた。どれもここに来てからアーリアの好物になった料理ばかりだった。その中には一番の好物である白身の魚のムニエルもあった。
勿論食事の後は定番のティオーネ紅茶でのティータイム。
楽しいお喋りと食事と笑い声。
楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
アーリアはこの日のことを一生忘れないだろう。
胸に掛かる『祝福の鍵』を見ると、この光景をいつでも思い出すことができるのだから。
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