かくも儚き夢の跡3
「リアナ!」
アベルとソアラ、二人の子どもを庇い立つリアナ。
頭上から落ちゆく埃や瓦礫から守る為の障壁はリアナによる魔法だが、風の精霊を媒体にするそれに、アーリアの施す魔術程の強度はない。
ゼッペル准尉が振るう爪は簡単にリアナの魔法を打ち破り、凶爪はリアナと子どもたちへ向けられた。
リアナは子どもたちに覆い被さろうとするが、その行動を嘲笑うようにゼッペル准尉は腕を軽く振るう。それだけでリアナは簡単に地面へ転がらせてしまった。
「ー風……」
「遅ぇよッ!」
焦りを浮かべるアベルがソアラを背に庇い立つ。手を翳し、風魔法で防御を試みたそれをゼッペル准尉は失笑。無造作に腕を振り上げた。ガッ。衝撃。アベルの身体が大きく傾ぐ。
「っーーリュゼ、ナイルも、あの子たちをッ!」
この場で自由に動ける者は少ない。それは子どもたちの親であるゼネンスキー侯爵も同じであった。
守るべき王族を置いてその側を離れる訳にはいかない。それでもゼネンスキー侯爵の葛藤を知ってか、シュバルツェ殿下は子どもを助けるように側の騎士に命じてはいる様だが、いかんせん今から駆け寄るには時間が掛かり過ぎる。現状、子どもたちに最も近いのはアーリアであり、そしてアーリアには手足となる者たちがいた。
一人はナイル。ナイルは眉を顰めはしたが、「は」と一言了承を口にするなり命に従ってゼッペル准尉を追った。
そしてもう一人、苦い表情を浮かべるのはリュゼ。アーリアはその横顔に「お願い」と声がけると、リュゼはフッと嘆息一つ。「了解」と手首を翻し背を向けた。
「《銀の鎖》!」
護衛騎士たちの背を見送るなり、アーリアはゼッペル准尉を捕えるべく拘束魔術を再構築した。
今度こそ逃がさない。ゼッペル准尉の周囲に四つの魔術方陣を展開させる。淡い光を放ち魔術方陣から銀の鎖が飛び出す。鎖はまるで蛇のように空中を這い、ゼッペル准尉の背後から迫り行く。
シュル!軽い音を立て、魔術の鎖がゼッペル准尉の身体に巻きついた。よし。確かな手応え。
いよいよゼッペル准尉を捕えたかと思ったその時、ゼッペル准尉はグルリと肩越しに振り返り、ニヤリと嘲笑った。
「オイオイ、コイツの命がどうなっても良いってんのか?」
魔術の鎖により捕えられたゼッペル准尉は、振り向き様に左手を掲げた。そこには小さな肢体がぶら下がっていた。
「やめてっ!」
アーリアの悲鳴に近い声が響く。しかし、身体中に魔術の鎖を巻き付けられながら、ゼッペル准尉は捕らえた獲物を離さない。ソアラの細く柔らかな首に巻き付く獣の手。ソアラは苦しげに顔を歪め、呻きをあげた。
「このクソ野郎!ソアラを離せっ」
床を転がったアベルが即座に立ち上がり、ゼッペル准尉に体当たりするが、軽く翻った脚により再び床に尻餅をついた。
転がったアベルを背後からナイルがさっと抱き起こす。その側でリュゼはリアナを抱き起こしていた。
「その娘を離しなさい」
「ヤダね」
瞳を赫く染めたアーリアがゼッペル准尉へと迫る。
亜人となったゼッペル准尉の身体強度は人間の比ではない。
元来、妖精族が持つ力を有しているが故に『亜人』と名指される。無駄に強度の上がったゼッペル准尉は身体中を這う魔術の鎖をものともせず、それどころか強度が上がればそれだけソアラを締め上げる力をも上げたのだ。
「っあ……っ、い、あ……」
苦しげに呻くソアラ。
「さぁ、このガキの命が欲しくば、大人しくテメェの首を差し出すんだな!」
「なにをバカな……」
「バカだと思うか?それならそれで良いぜ。俺はこんなガキ一人の命なんて、どうとも思わねぇ。ーーが、そっちはどうも違うみたいだなァ?」
ゼッペル准尉の脅しにアーリアは無意識に下唇を噛んだ。
本来アーリアにとって、ライザタニアの子どもがどうなろうと関係はない。自分にとって『大切な人』さえ無事平穏であれば、それで良いのだ。
元々、この度の騒動はライザタニアの者たちが解決すべき問題で、だからこそ然程の興味もなく、終始無関心でいられた。ーーが、ここで問題なのが、アーリアがライザタニアの者であるアベルとソアラという存在を放り出せない点だ。
記憶を取り戻したアーリアは、記憶を失っていた時の記憶を有していた。アベルとソアラの義姉として過ごした記憶があったのだ。
アベルとソアラはアーリアが赤の他人だと知りながらも、記憶を失くしたアーリアを実の姉のように扱った。また、ゼネンスキー侯爵家にて共に過ごした時間は、アーリアにとって心休まるものであった。
だからアベルとソアラを見捨てる事に躊躇する。
元より自他共に認めるお人好しのアーリアは、困っている女子供を見捨てられる性格ではない。
「っ……!」
アーリアの魔術によって、ただゼッペル准尉を倒すだけならできた。だが、同時にソアラをも巻き込む可能性も高く、それをゼッペル准尉は計算しているようでーー
「おっと、テメェらも動くなよ」
武器を手に足を踏み出そうとした騎士たちを、そして今にも噛み付かんばかりに歯を剥き出しにするアベルを一声で牽制する。
「卑怯者!子どもを盾に取るなんてっ」
「常套手段だろ?」
「その娘を離して」
「ダメだ。離して欲しけりゃ、俺の言葉に従うんだな。そうだな、とりあえずこの拘束を解いてもらおうか」
最早アーリアに拒否権はない。軽く手を振ると、ゼッペル准尉の身体を拘束していた銀の鎖が空気に溶けて消えた。
ゼッペル准尉は首を一回し。自由になった身体に満足した。
「ソアラを離しなさい」
「は?誰がそんな約束したよ」
「なっ⁉︎」
いけしゃあしゃあと言い放つゼッペル准尉に、アーリアは唖然と口を開ける。卑怯にも程がある。
「俺は、テメェの首を差し出せっつったよな?そうしたら、このガキを自由にしてやるよ」
「……アナタってほんっとクズね!」
「なら、お前はほとほと愚かだな!王子たちの都合で攫われておきながら虜囚の身を甘んじて受け、あまつさえ自国にすら都合良く使われてるのにも関わらず怒りもせず、今度は敵国の子どもの身を案じているってか?」
推し黙るアーリアを見てゼッペル准尉は鼻を鳴らす。
「なんだ。自覚はあるのか」
「……アナタに何が分かるの……?」
「分かんねぇよ。分かりたくもねぇ」
吐き捨てるゼッペル准尉。「おっと、動くなよ」とソアラを盾に他者の牽制も忘れない。ナイルとリュゼ、殺意を隠さぬゼネンスキー侯爵を目線で静止し、再びアーリアへと向き直る。
「……ソアラを離しなさい。私は逃げも隠れもしないわ」
アーリアは身を守る結界魔術すら解き、無防備な姿を晒す。
「ハハっ!お前ってホント愚かだな?こんな子ども一人の為に自分の生命を差し出そうなんて。こんなに簡単なら最初からこの手を使えば良かったぜ」
魔導士が求められる道徳心。魔術を習う上で最も求められるものが、魔導士の生命を縮めている。前任の『東の塔の魔女』然り、アーリア然り。
「お、おねぇ、さま……」
「ソアラ!」
「わ、わたく、し、のことは、すておい、て、くだ……」
「ーー!」
手の力が緩んだのだろう。ソアラがゼッペル准尉に抗いながら言葉を紡ぐ。幼い身体を震わせ必死に抵抗する姿に、アーリアの感情が揺すぶられた。
「もう一度言うわ。私の大切な妹を離しなさい」
「ハンッ、どの立場で……っ⁉︎」
アーリアの七色の瞳が揺れ動く。魔力を、感情を、そして生命力を糧に。精霊の力を外部から取り込み。
ピリピリと空気が振動を起こす。空気中に漂う精霊。精霊素子。導く者の意思に触れ、呼応し、因果を操作する。精霊は愛を、死を謳い、乱れ舞った。これには黄竜までもがその黄色い瞳を瞬かせ、身体を静止させた。
「なんっ、だ……⁉︎」
ゼッペル准尉はこの不可思議で不可解な現象を引き起こした原因であろう人物ーー敵国の魔女を見た。
システィナの東の国境を守護する『塔の魔女』。魔女が単独で施した《結界》により敵国ライザタニアからの侵攻を悉く退けた事から、ライザタニアでは悪様に呼応される。曰く、『悪女』、『地獄の門番』、『魔王の手下』。魔女が平民の出自でありながらその地位を得た事から、『尻軽女』、『売女』などとても口にできないものまである。
確かに、魔術を手足のように使う魔女は人間離れしていると言えなくもない。魔王に仕える女悪魔というのも強ち外れてはいないかも知れない。ーーが、虹色の瞳を輝かせ、白く長い髪を棚引かせる魔女を、ゼッペル准尉は恐ろしいと感じる同時に美しいと思ってしまった。
整った鼻筋。白く澄んだ肌。けぶる睫毛。朝露に濡れた赤薔薇の唇。様々な色に移ろう瞳に魅せられ、引き込まれる。自身に流れる妖精の血が疼き、抗い難い衝動を覚えた。
「あれが『精霊女王の瞳』か……くそっ……!」
ガクガクと震える膝を抑える。ゼッペル准尉は抗い難い力を前に、奥歯を噛み締める事で耐えた。その時だ。左手首に鋭い痛みが疾ったのは。視界を向ければ、そこには短刀が深々と刺さっていた。
「ッーー!」
痛みで子どもを掴む手が緩む。
アッと思う間もなく、視界に影が射した。
ーザムッー
目の前に鮮血が飛ぶ。それが自身の身体から出た物だと気づいた時には、身体が傾いでいた。
手元で小さな悲鳴が上がる。だが、そんな事を気にしてはいられない。痺れる手を庇い、もう片手で床に手をつくと傾ぐ身体をどうにか立て直すが、そこで膝裏に衝撃を受け、ガクンと力なく折れた。膝から床に身体が叩きつけられる。酷く痛む胸から血が滲んだ。
「《銀の鎖》!」
アーリアはゼッペル准尉の身体が前のめりになり、床に叩きつけられたのを見届ける前に、魔術を発動させた。
その隙を見てナイルがソアラを保護し、リュゼは立ち上がろうとしたゼッペル准尉へ短刀を投げつけた。
一、ニ、三。両の手の甲、そして背中。急所を避けて穿たれる。そこへアーリアの展開した魔術の鎖がゼッペル准尉の身体へ巻き付いた。
「ー空の戒め 光の矢ー《雷針》!」
畳み込むように魔術を構成する。《力ある言葉》。ピカッ!小さな光が虚空から現れたと思えば、それは目も止まらぬ速さで地上へと落ちる。すると、ぐぎゃっと蛙の潰れたような鳴き声があがり、同時にゼッペル准尉の身体から小煙があがった。
「ソアラ!大丈夫か?」
「おにい、さまっ……!」
こほこほと咳をあげるソアラへアベルが駆け寄る。
ナイルは二人の子どもを伴ってゼッペル准尉から距離を取ると、急ぎ駆け寄ってきたゼネンスキー侯爵へと受け渡した。
すかさず、ゼネンスキー侯爵に命じられた騎士がゼッペル准尉を取り押さえにかかる。
魔術による拘束があるとはいえ、油断はならない。騎士たちは背中に膝を乗せ、両腕をガッチリと押さえ付けた。
アーリアはソアラを、そしてアベルの無事を確認するなりホッと息を吐いた。ソアラの首筋には僅かに血が滲むものの、生命には別状がないようだ。
リュゼとナイルの連携で、子どもたちを無事保護できた事に心から感謝した時、その場にそぐわない笑い声があがった。
「……く、あ、あは、アハハハハッ!」
ゼッペル准尉は騎士たちに拘束されながら、狂ったような笑い声をあげ始めた。騎士たちはより強く押さえつけるが、それでも笑い止む事はない。
「っ……やっぱり、そうだよな……!くくっ、そうでなくちゃ、あれ程の、報酬が、用意される訳が、ないよなァ……!」
長い鼻を床に擦り付け、犬歯覗く口端から涎を流しながら呟かれる言葉。独り言を溢すゼッペル准尉の姿は異様そのもの。とうとう可笑しくなったかと周囲が眺める中、アーリアも同様にその異様さに顔を顰めていた。
ザワザワと心が騒ぐ。何か未だ隠している事があるのではないか、そう思われた。その時、ゼッペル准尉が鼻首を大きく上げた。そして叫んだ。
「今だ、やれ!」
ブックマーク登録、感想、評価など、ありがとうございます(^人^)励みになります!
『かくも儚き夢の跡3』をお送りしました。
何者かにより提示された報酬に目が眩んだのか、子どもを人質にする外道っぷりを披露しました。
他者を貶める事によって自尊心を高めるゼッペル准尉には、流石のアーリアも嫌悪感を抱いています。
ライザタニア編も佳境に入ってきました。
次話『かくも儚き夢の跡4』も是非ご覧ください!




