反撃はできるうちに10
「アレクッ‼︎」
間に合わない。アーリアは翳した手の向こうに、自身の作り出す結界より先にある凶刃に、ヒュッと息を飲んだ。
ーーパッと鮮血が宙を舞った。
その光景を、アーリアは息を止めて見ていた。ゼッペル准尉の振るった凶刃が現王アレクサンドルの首を正確に捕えた瞬間を。血が飛び散る瞬間を。身体が傾ぐ瞬間を。
だが、現王は倒れなかった。
それどころか、現王はアーリアに視線を向けるなりふっと笑ったのだ。嬉しそうでいて悲しそうな笑みを浮かべ、その赫い眼で、確かにアーリアを見つめ返した。
「えっ……?」
アーリアが呆然と見つめる先に弾ける小さな火花。
現王を捕らえたと思われた凶刃は、刀身を半分残してポキリと折れていた。
切先は重力に逆らい空に舞い上がり、そして重力に応じて地面に落ちていく。
「ーーなッ⁉︎」
驚愕の声をあげたのはゼッペル准尉。
いつ怪我を負ったのか、血の滴る腕を押さえて後退る。
「何故だ⁉︎ お、おま、あ、貴方は、剣をっ……⁉︎」
言葉を待たずヒュン!と風が鳴り、長剣が宙を閃めく。右へ左へ。前へ後ろへ。その動きはまるで演舞。舞姫の如き、優美な剣の舞。眼前の脅威である黄竜、その存在を上回る存在感でその場を制したのは、現王の愛する息子の一人。
「貴方は剣を振れない筈だ、イリスティアン殿下ッ!」
猫の様にしなやかな身のこなしで現王とゼッペル准尉との間に割って入ったのは、第一王子イリスティアン殿下。妖精王子と名高い麗しの第一王子殿下は、長剣を片手に妖艶な笑みを浮かべた。
「だから、『恩人』だって言ったのよ」
「誰が……っ、ま、まさか、そんな……あり得ない!」
後退り、距離を空けて、目の前の現実に大きく狼狽するゼッペル准尉。その目は、優美に剣を踊らせる第一王子殿下から離せずにいる。
第一王子イリスティアン殿下はかつて『賢王の再来』とまで言わしめた現王の写鏡にて、当代随一とまで謳われた類稀なる剣舞の才の持ち主であった。
しかし王太子時代に起きた不幸な事故で利き腕を負傷し、以来、剣を振るえぬ身となったのもまた、周知の事実であった。
当然、ゼッペル准尉もその出来事を知っていた。
『剣を振るえない』、つまり『戦場に出られない』という事実は、この軍事大国ライザタニアに於いて致命的な欠点であり、いくら知力知謀に優れていようとも、ライザタニア王族としてーーいや、王太子として及第点とは言い難かった。
同時期、現王と第一王子とが不仲説が流れた時も、他者は第一王子殿下の怪我が原因だとの憶測が上位にあったからこそ、よりその噂に信憑性を持たせたのだから。
事実はどうであれ、不幸な事件の後、第一王子イリスティアン殿下は王太子位を剥奪され、療養という名目の下王都から離され、国政からも距離を置くようになったのは確かであった。
そして今からおよそ三年前、イリスティアン殿下はシュバルツェ殿下とも対立した。現王を追いやり、政権を恣にする第二王子殿下から玉座をーー延いては国を取り戻さんと、声を挙げた。
ライザタニアを東西に分けての内乱状態となって幾年か経つが、『元王太子』で『第一王子』にも関わらず支持を表明する貴族が第二王子殿下よりも少ないのは、彼が戦士としては一流ではなかったからだと、推測されている。
「あり得ない!そんな、何年も前に負った傷をーーその後遺症を、取り除く事など……⁉︎」
「そう、有り得ないわね」
最初に治療に当たった医師は態と治療を怠った。
繋ぐべき筋を、血管を、神経を元通りに戻さず、態と捻じ曲げた。
第一王子殿下の存在を疎ましく思う『誰か』の指示があったのだろう。
当時躍進していた第一王子殿下を支持する者がいる一方、現王の政権下で暗躍し美味い汁を啜る反支持者がいる事はイリスティアン殿下も当然知っていたので、自身に起きた事態に意外性はなかった。恨まれても、嫉まれても、自分はただライザタニアの王子として正しい道を歩んでいると信じていたからだ。
けれど、まさか剣を振るう利き腕を奪われるとは、予想外でしかなかっただけでーー……
「まさか、自分がこんな目に遭うなんて思いもしなかったわ。剣が握れなくなるなんて、悪夢かと思った。何より誇りにしていた剣を奪われたのよ?『剣士として終わった』だなんて、認められると思う?無理よ。だって、ここはライザタニアなのよ。戦えない王子に存在意義なんてない。だから……お父様からの寵愛を失う事、何よりシュバルツェからの信頼を失う事を恐れた。怖かったの、家族から距離を置かれる事が……」
幾人もの医師が匙を投げた。当時、ライザタニアに存在する名医を訪ね歩いたイリスティアン殿下は、ついに他国の高名な医師まで呼び寄せたが、それでも、腕が元通りになる事は叶わなかった。
「私自身、医術を学んで痛感したわ。『これは人の手には余る』ってね」
現王から療養という名目で王都を出され、北都へ、そして東都へ送られて間もなく、イリスティアン殿下は医術を学び始めた。『他人に治せぬなら自分が』と単純な考えではあったが、学べば学ぶほど、ライザタニアの医療技術には問題があると言わざるを得なかった。
「当時からライザタニアは魔法による治療には懐疑的だった。自然治癒こそが最良であると、極力魔法には頼らず、人間の体に本来備わる治癒力に重きを置いていたの」
狼狽するゼッペル准尉を他所に、イリスティアン殿下の独白は続く。
「この考えが悪いだなんて思ってないのよ?治る傷ならーー治せる傷なら、自然治癒に任せるべきだもの。だけど、ライザタニアの医術って自然治癒を推すくせに、人体の仕組みのすらまるで分かってないのよ?解る?この矛盾!ライザタニアの山奥じゃ、まだ怪しげな呪いや神頼みに縋っているとこもあるくらいで!」
これは現在のライザタニアでも変わりのない考えで、イリスティアン殿下が医術を学び始めてから、殆ど進歩していない。
「だから、これは『奇跡』なのよ」
全てを諦めて行き着いた異国。神に叛く『魔術』なるモノを操るに長ける隣国システィナ。ライザタニアからの侵攻止まぬ東の国境の軍事都市。内乱の為の生贄として接触を図った『東の塔の魔女』。魔女との出会いが、第一王子イリスティアン殿下の運命を変えた。
「そんなバカな⁉︎ 聞いてない……俺は聞いていない……!」
美しい純白の髪と、虹色に輝く瞳を持つ美しい少女。隣国の魔女が自身の腕を治したあの瞬間を思い浮かべうっとりするイリスティアン殿下だが、一方、狼狽激しいゼッペル准尉には、傷を負った経緯、治った経緯の話などは、少しも耳に届いていなかった。
「誰にも言ってないもの。そりゃ知らないでしょうよ」
「ッーー⁉︎」
「これでもリハビリは大変だったのよ?もぅ、ホントに鈍っちゃってて。そうね、今も元通りとは言い難いわね」
こともなげに事実を告げるイリスティアン殿下。軽く振り上げた右手が、まるで羽扇を翻すかの様に空を切る。トン、トトンと地を叩く足はリズムを刻み、ゼッペル准尉との間合いを詰めていく。
「何故だ!傷が完治しているなら、何故貴方は現王をその手で討たなかったんだ⁉︎」
手っ取り早く王座を手にしたければ、王の首を挿げ替えれば良い。そう、今、ゼッペル准尉が行動したように、王の首を取れば良いのだ。
そうして現王の首の次は第二王子を手にかける。王族の数を減ればとやかく言う貴族はいなくなる。必然的に玉座が第一王子殿下へと転がってくるであろう。
元々、昔から『優秀な王子』として人気があるのだ。現王家の正当な血筋を持ち、賢王の再来とも言わしめる剣の腕があれば、誰もが忠誠を捧げる王として王冠を戴く事ができる。
それなのに何故、イリスティアン殿下は自らの存在を他に知らしめなかったのか。
「あんなのでも私たちの親なの。こんな所で死んでもらっちゃ、寝覚めが悪いのよねぇ」
ゼッペル准尉の質問には答えず、麗しの第一王子殿下は首を竦めるとチラリと現王へと視線を送った。
現王はというと、殺されかけたにも関わらず顔色も変えず、ただ、己が愛する息子を誇らしげに見ていた。
「あ、貴方は誰よりも現王陛下を恨んでいた筈だ!」
「そうね。でも、ソレとコレは別よ。アナタにだって経験あるでしょう?何かと比べられてムカついたり、それで親に歯向かったり……」
思春期特有の感情の揺れ。例え、どれ程教育を施されていても、感情の波を抑えるには並々ならぬ忍耐が必要だろう。儘ならぬ感情を弄び、身近な大人に歯向かう事は往々にしてある事だ。時間が経ち、精神的に大人になれば、それが過ちだったと気づく事もある。
現にイリスティアン殿下は父親である現王に楯突き、憤りを覚え、反発し、弟シュバルツェ殿下と共謀して内乱を引き起こした。つい今しがたまで、現王の本質を知ろうともせず、現王を倒そうとしていたのだ。玉座をシュバルツェ殿下にーーそれこそが国の為と信じて疑わず、ここまで来た。
「イヤね。私ったら、あの時からなんにも成長してないんだもの……」
困った様に眉を下げる麗しの第一王子殿下。
「話し合えば良かったのよ。嫌がられてもしつこく対話を重ねれば、そうすれば、もっと早く気づく事ができたのに。こんなに遠回りをしてしまったわ」
仲違いをしてから早十数年。勝手な憶測で相手の心を測り、勝手に憤って、反乱まで起こした。相手がどう思っているかなど、話してみなければ分からないのに、勝手に分かった気でいた。なんと愚かな事だろうか。後悔しても仕切れない。
けれど、あの遠回りがあったら今があるとも思う。
イリスティアン殿下自身、未だ、割り切れない思いを抱えていた。信じていた全てが覆ったのだ。内心、穏やかではなかった。けれど、不思議と知らないままでいたかったとは、思わなかった。
「でもね、兵を挙げた事だけは間違いじゃないと思ってる。この国が好きだから、この国に住む人々が好きだから、しょうもない人たちにめちゃくちゃにされて、無くなってほしくない」
そう独白するイリスティアン殿下の表情は晴れ晴れとしている。その何か吹っ切れたその様子に、ゼッペル准尉の理性はブチギレだ。
「アンタらの事情なんて、知ったこっちゃないんだよっ!」
顔を真っ赤にして叫ぶゼッペル准尉。
「綺麗事を並べて同情させようってか⁉︎ 好きとか嫌いとか、ンなもんで国が治まるか!」
ゼッペル准尉は折れた長剣を振りかぶると、イリスティアン殿下に向かい闇雲に突っ込んでいく。精細さが欠ける攻撃は、言わずもがなイリスティアン殿下には届かない。軽く受け流され、避けられるので、益々ゼッペル准尉の機嫌は悪化の一途を辿る。挙句、「逃げるな!この卑怯者ッ!」と怒鳴りつける始末。
「卑怯者?卑怯者はアナタでしょう?ヘイト・ハン・ゼッペル。ドサクサに紛れて王の首を獲ろうなんて、一体誰に唆されたのかしら?」
「何をっ……俺は誰の指図など受けてはいない!自分の意思で此処に立っている‼︎」
イリスティアン殿下の挑発に激昂するゼッペル准尉。
「何処まで見下せば気が済む?王族とはそこまで偉いものなのか!」
余程ゼッペル准尉の琴線に触れたのか、頭に血を昇らせ顔を真っ赤にして叫び続けている。
ゼッペル准尉は己が誇りが傷つけられ、見下され、愚弄されたと感じ憤っていた。
己の行動理念は自分の意思であるにも関わらず、この麗しの第一王子殿下は誰かに唆されたものだと決めつけて弾弓してくるのだ。確かに同じ思いを共有する同志は存在するが、決して誰かに命令されて動かされている訳ではない。なのに眼前の男は、己の何を知ってか、決めつけにかかってくるではないか。とても許せるものではない。
そんなゼッペル准尉の憤りに同調する気は、イリスティアン殿下にはサラサラなかった。立場的に、ゼッペル准尉の主義主張を認める事も支援する気もないのだから。
「ーーだ、そうよ?ルスティアナ大司教」
「な、なにを……」
ゼッペル准尉から目を離さぬまま、イリスティアン殿下は目の端に純白の司祭服を纒うルスティアナ侯爵を捉えた。
名指しされたルスティアナ侯爵はあからさまにギクリと肩を跳ねさせ、顔を曇らせた。黄竜からの被害を受けぬ様にか、こそこそと壁際に避難しようとしていた矢先の指名。様子を伺っていた他者からも視線を受け、動揺したのだろうか。顔色はすこぶる悪い。
「なによ、呆けた顔しちゃって!」
「な、何を申されます?殿下」
「無知ってやぁね、自分が操られているかどうかも判らないのだもの」
空惚けるルスティアナ侯爵。惚けられると予想していたイリスティアン殿下に驚きはない。ただ、憎々しげな表情の中にも怪訝な表情を滲ませるゼッペル准尉を横目に、首をすくめて見せただけだ。
「アナタでしょう?この坊やに悪知恵を授けたのって」
「何を根拠に、そんな憶測を……?」
「あらやだ、気づいてないの?初めからアナタの行動には不審点が多いってコト」
寧ろ不信感しかないが、当人の感覚としてはそうではないのだろうか。態々説明する必要があるかは微妙な所だが、本人がーー何よりゼッペル准尉が納得せねば、この馬鹿げた惨劇は終わらない。仕方なくイリスティアン殿下は説明を始めた。
「私たちが此処へ落ちて来るより前に、アナタはアーリアちゃん……システィナの魔女を連れて現王が封じられたこの場所へ訪れていた。彼女を使って現王を復活させようとしていたんでしょう?」
まず一つ。と指を折るイリスティアン殿下。
「現王復活の立役者として今後の保証にしようと画策しようとしたのでしょうけど、ま、結果は見ての通りよね。でも、こんな行き当たりばったりの計画なんて、最初から成功するなんて考えてなかった筈よ。どれだけ綿密な計画を立てたって、予測の付かない事は起こるもの」
現に現王の復活は叶ったが、当の現王にルスティアナ侯爵を重用する気はゼロだ。これでは骨を折った甲斐がない。
「だから魔女を使った計画は現王暗殺の為の伏線。黄竜を呼び出した。これもまた伏線の一つかしら?」
また一つ指を折るイリスティアン殿下。まさか黄竜の登場までルスティアナ侯爵が裏で動いていたとは、予想だにしていなかった者たちからは、少なからずの動揺が生まれた。
「憶測で物を言うのは控えられよ。殿下、いくら貴方であっても、許されるものではありませんよ?」
聞き捨てならないと憤るルスティアナ侯爵。自身の名誉、いや今後の進退が関わる事態に、弁解を図ったとしても不思議はない。証拠もない事で罪に問われるを善としなかったのか、先ほどまでの動揺が嘘のように毅然としていた。
「だから、無知ってやぁねって言ったのよ」
けれど、イリスティアン殿下からすれば、ルスティアナ侯爵の行動全てが道化に見えていた。自身が踊らされているとも知らぬ役者は、どうやらこの劇を作った脚本家を知らぬらしい。
「アナタが此処にシスティナの魔女を伴って来ようと思ったキッカケは?本当に、自分だけの意思でこの劇を準備したのかしら?」
「なに……?」
「それに!何よりココに現王陛下が封じられているって、誰から聞かされたのかしらねぇ?」
トップシークレットなのよ、と唇に人差し指を添えるイリスティアン殿下。
そんな表情にも艶のある第一王子殿下を他所目に、ルスティアナ侯爵の目がハッと開かれた。そして「まさか、そんな、ばかな……」と切れ切れに言葉を紡ぐと、緩やかに頭を振って後退りを始めた。
『イリスティアン殿下が兵を伴って王城へ?確かな情報なのか、それは』
『ええ。お忘れですか?私の本来の身分を……』
それはルスティアナ侯爵がこの馬鹿げた計画を遂行しようと思い立った夜のこと。ある司祭がルスティアナ侯爵の司祭室を訪れた時の事だった。
ブックマーク登録、感想、評価など、ありがとうございます!大変励みになりますヽ(´▽`)/
『反撃はできるうちに10』をお送りしました。
アーリアをはじめ、それぞれの反撃にも目処が立ってきました。また、この馬鹿げた惨劇をつくりだした脚本家が存在するようです。それは一体誰なのか……?
次話『裏舞台:反撃は時間差で』も是非ご覧ください!




