反撃はできるうちに9
「みんな、離れてっ!」
ードンッー
注意喚起が先か、それとも水面が弾けるのが先か、地底湖の中央付近から水柱が高く弾け上がった。
水柱は天井を軽く越え、丸く空いた穴ーーシュバルツェ殿下たちが落ちて来た落とし穴だーーから王座の間へと、豪奢な装飾の施されたシャンデリア、そして丸天井へ向けて突き上がっていく。同時に周囲には飛沫が舞い、忽ち白煙が立ち込めていった。
地震による地盤のズレにしては直下過ぎる揺れと振動。
地震を知るライザタニア人の中には、その違和感に気づく者がいた。
「これは地震ではないな?」
現王だ。振動の中、石造から腰を浮かした現王は、仁王立ちで、如何にも偉そうな態度で、しかも混乱を一部も浮かべぬ表情で、事態の成り行きを傍観している。さも観劇でも観るかの様な気軽さまである。サスガ、悪の総本山ライザタニアの親玉であるといえよう。二人の王子による計略も、大司祭による謀略も、貴族子弟による暴挙も、何もかも現王の掌の上で起きているかの様にも見えるではないか。
「ふむ、地下か……」
双つの紅玉の瞳が地底湖を素通りし、地下へと向けられた。地下から吹き出した暴風と共に精霊たちが舞い上がり、地下からの来訪者について騒ぎ立てる。しかし、そこに喜怒哀楽は存在しない。人間の事情や感情に無関心な精霊たちは、ただ目の前で起こり得る事情について騒ぎ立てるだけだ。
自身も妖精の血を多分に持つ現王は、生来より精霊の加護を持っている。その現王の紅く輝く双玉が地底湖の中央を見定めた時、吹き出した水を掻き分け、黒い影が飛び出してきた。
ゴウと暴風がうねり、観客たちの髪や衣服を乱す。たちまち水も滴る美男子が幾人か生み出された。
しかし、非常時の今、彼らに注目が注がれる事はない。彼らよりずっと注視すべき存在が目の前にあるからだ。勿論、異国の魔女も美男子たちには毛ほどの興味も持たず、ただただ事態の急展開に飲まれようとしていた。
「えぇっ、竜ぅーー⁉︎」
地底湖の奥底から這い出してきた影を見上げた魔女の瞳が一際美しく輝いた。魔女の持つ精霊を魅了する瞳はどんなモノも嘘偽りなく姿形を映しており、突如現れたそれを瞬時に『竜』であると判じた。
一対の翼を広げたそれは、王城の大広間程もある体躯があった。
光沢のある鱗が並ぶ土色の肌。開かれた口から覗く白い牙。アーモンドの様に瞳孔が縦に長く細められた黄色い眼。野生の獰猛な肉食獣か、はたまた理性のない魔物かの様な凶悪さを感じさせられ、脆弱なる人間が子兎の様に肌を産毛立て、全身に危機感を行き渡らせるには十分な脅威があった。
システィナの北部や南部に住まう青竜や赤竜とは毛色の違う竜を、アーリアは図鑑から得た知識で『黄竜』と断定する。
黄竜は地竜とも呼ばれ、字面からも分かる通り、専ら地上よりも地下で生活する竜の一種だ。鱗だと思われる表皮はどの竜族の物より硬く、文字通り岩の如く。防御力に於いては他の竜族の追随を許さないとまで書かれていた。
その黄竜が今、岩と土とを撒き散らしながら飛び上ろうとしている。狭い穴蔵から地上へ、そして空へとーー
ーグギャァァァァァアアア!!ー
耳を、鼓膜を劈く咆哮。広げられた羽は大理石の壁を砕き、床を砕き、天井を砕いて、進路を広げていく。当然、周囲には砂埃が舞い、砕かれた壁岩が頭上から降り注ぐので、不運にも同じ穴蔵にいる人間からすれば、突然現れた黄竜と同じくらい目や口に入らんとする粉塵は厄介な存在であった。
「なんでこんな場所にこんな竜がいるのッ⁉︎」
アーリアの叫びは最もで、彼女の叫びに否定の声をあげる者はいない。
尊い者たちが集う王城で竜と対峙するなど、異常事態以外の何事であるというのか。
王城とはいえ、本来ならここは尊い者たちが集う場所ではない。たまたま、偶然、いや必然的に王侯貴族が揃ってしまっただけに過ぎないのだ。
元を糺せば長い話になる。責任問題を追求するなら、王城の地下に人為的に作られた地底湖に現王を封じた第二王子殿下か。現王復活を目論んだ大司祭の所為か。それとも……?
つまりは人知の及ばぬ力によって引き寄せられた結果、彼らは狭い穴蔵の中で黄竜と遭遇を果たした。システィナからの来訪者からすれば全く予想だにしなかった状況だろう。
「アルヴァンド公!」
「うむ、皆、不用意に動いてはいかんぞ」
「はっ、しかし……」
ここでシスティナの面々がうっかり怪我を遭えば、責任問題はライザタニアにあり、国家間に更なるヒビが入る事は確実となる。それを狙っての犯行ならば、犯人はーーこの狭い地下で黄竜を呼び出した犯人は、随分と狡猾且つ無謀だと言わざるを得ない。
アルヴァンド公爵としては、今回の件をなるべく穏便に済ませたいと考えるからこそ、不用意な行動には出られない。
とは言え、自衛の為の魔宝具があっても、竜の出現は想定外であり、対処に困る事態なのだがーーチラリと横目で未だ平然と佇む魔女を捉え、「未だ焦る時ではない」と自他を落ち着かせた。焦るのはライザタニアもが恐れる『東の塔の魔女』が慌てた時で、十分間に合うだろう。
「えーと、まさか地下に巣があったとか……?」
「いや、それはない。やはり誰ぞが呼び出したのではないか?」
「だよねぇ?ーーってシュバルツェ殿下⁉︎ ふらふら歩いてちゃ危ないですよ?」
アーリアの疑問に答えたのは一番近くにいたライザタニア王族、『狂気の王子』ことシュバルツェ殿下だ。シュバルツェ殿下は粉塵から身を守るべく、目鼻を隠す訳でも、頭を下げる訳でもなく、悠然と佇んでいる。
「誰ぞって……?うーん、何にしても『呼び出す』、つまりは《召喚》でしょう?言葉で言うほど簡単じゃないと思うのだけど……」
「だろうな」
「ライザタニアには高名な召喚士がいるとか?」
「そんな話は聞いたことがない。精々呼び出せて蜥蜴人か亜竜程度だろう」
アーリアもシュバルツェ殿下同様、悠然と構えていた。
魔法と魔術の違いはあれど、身を守る術を持つ者なら、この程度の粉塵は障害にはならない。
そもそも、アーリアは竜の登場程度で恐怖に震えるか弱い女ではなかった。システィナの極東を守護する『東の塔の魔女』は、深窓の姫ではないのだ。
「魔宝具で?いやでも、竜を呼び出すなんて芸当……」
いくら『魔宝具には無限の可能性がある』と言われる昨今であっても、今の技術では限度がある。人間が造る道具である以上、人間に制御できる物しか造れないのだ。
それを知るからこそ、黄竜の登場に違和感を抱く。ライザタニアにシスティナを超える魔導士がいるから話は別だが、それを別としても、妖精をーーしかも、力ある竜を《召喚》できる魔宝具など、造れるものだろうかと。
それにしても……
「もぉ! ホント、バカなの⁉︎ よりによってこんな狭い空間で……!」
考えるのは後だ。それよりも今は、この事態を無事切り抜ける事が先決なのだから。
アーリアは周囲に満ちる粉塵に苛立ち、元凶たちに怒りを向けた。やるなら場所を選べ。こんな狭い穴蔵で巨大な竜を呼び出すなど、正気の沙汰ではない。呼び出した本人にも被害があるではないか。
先ほど迄の尊大な言動が虚言でないのなら、ゼッペル准尉が黄竜召喚に関わっている。ならば、それを成した危険な魔宝具を持つのもやはり准尉ではないだろうか。
そう決めてかかったアーリアは、舌打ちする勢いで顔を振り仰ぎ、要らぬ混乱を齎した元凶を探した。《結界》越しに右へ左へ視線を動かして。だが、先程まで舞台の中心に居た筈の男の姿は、もうそこにはなかった。
「あれ?いない?」
黄竜の出現にアーリアが意識を取られたのは僅か数十秒、いや数分か。その決して長くない瞬間に、ゼッペル准尉はアーリアの視界からいなくなっていた。
思わず焦るアーリア。首を巡らせ身体を捻り、ぐるりと周囲を見渡す。やはりいない。彼は一体どこに行ってしまったのか。
「消えた?そんな……」
焦り、逸り、首を巡らせつつも頭を過ぎるのは、やはりゼッペル准尉の動機だった。
ゼッペル准尉の身勝手な言動は常軌を逸している。准尉の言葉が本心なら、准尉は今の国家体制に疑問を持っており、思い通りにならない現実を他人の所為にして、憤っているのだ。
『戦争さえ起きれば、自分は英雄となり、思う地位も名誉も与えられた』と。
だが、どれ程憤っていようが、正常な判断力さえあれば、王族に楯突いたりしないもの。王族とはこの身分制度厳しいこの世界に於いては一国の頂点。貴族同士であっても下の者が上の者に逆らうを許さぬ制度なのだ。それを無視した者の暁は想像に難くない。にも関わらず、ゼッペル准尉はその常識を無視していた。
現に、ライザタニア王家に忠実なる騎士たちはゼッペル准尉の言動に『反逆の意思あり』との判を押し、准尉を捕らえようと行動している。ライザタニアの王族、貴族、加えてシスティナの使者の目がある状況下、准尉の言動に対する処罰は必然的に厳しいものになるだろう。国家体制に疑問を覚えられてしまう事態を、流石のライザタニアも避けるに違いなかった。
そこまで逡巡し、ふとアーリアは疑問に思う。
ゼッペル准尉なる兵士は、そうまでして王族に楯突いたのは何故だろうか。
「彼を狂気に駆り立てる何かがあるとすれば、その狂気を後押ししたのは何ーーいいえ、『誰』?」
金銭、地位、名誉。その中でも、ゼッペル准尉は誰にも及ばぬ地位を求めて、この様な暴挙に出た。あえて今、この時を選んで野望を行動に移したのだ。現王と二人の王子、そして主なる貴族たちが集まる最中に、狙いを定めて。
これまでもいくらでも機会はあった筈なのだ。なのに、これまで息を潜めており、『その時』を待っていたとしたら、今動いた理由とは、それが准尉にとって、そして准尉を後押しする『誰か』にとって、『今』というこの時が、都合が良かったからではないか。
「彼が今を選んだ理由って、あっ、そんなまさか……」
この場にこの国の未来に関わる主なる者たちが揃っているのは、皆がある一人の男を求めたからだ。
身に宿る狂気のまま暴政を極め、弱きを挫き、強きを求め、挑み、戦い、侵略し、ライザタニアを軍事国家として確立させた男。現王ーーライザタニア王アレクサンドル陛下。
ー目的なんて、そんなの一つしかない!ー
実は、この国のパワーバランスを崩すのは簡単だ。現王政権を壊せばいい。首を挿げ替えるのだ。『力こそ全て』なライザタニア気質を利用すれば、簡単に目的は達成できてしまう。つまりーー
「現王は、アレクは何処っ⁉︎」
アーリアは現王を探して首を巡らせた。
※※※
アーリアが首を巡らせ、粉塵舞い散る中に現王の姿を探していた時、現王はアーリアの右後方、地底湖のすぐ縁にただ一人で佇んでいた。
黄金の髪をたなびかせ、血の様に紅い瞳を光らせて。慌てふためく臣下たちを眺め、事態の収集に尽力し始めた臣下たちに頷き、二人の王子たち、そして他国からの使者たちの無事を確かめて、後はただその責任を取るだけだとでも言わんばかりにドッシリと構えていた。
「黄竜よ、鎮まるが良い」
荒ぶる黄竜へと現王アレクサンドルは静かに声をかける。
「思い出すが良い、其方の居場所を。存在を。心を」
唾液を撒き散らし、叫ぶ黄竜を宥める様に。静かに。
「さぁ、問いかけよ。己が、心へと」
組んでいた腕を解き、荒ぶる黄竜を導かんと手を掲げた、その時だった。現王に向かい、黄竜が長く鋭い爪を翻したのは。
ージャォ!ー
強風が起こり、現王の眼前に5本の鉤爪が閃めく。
ーパキンー
現王の頬を掠めたかと思われた瞬間、甲高い音と共に鉤爪が空気の膜を掻く。軽い衝撃。思わぬ出来事に驚いたのか、鉤爪が現王から離れた。
黄竜からの一撃を風の結界で防いだ現王。人々の視線は黄竜と、そして黄竜と対峙する現王に釘付けにされている。全ての目が、騒ぎの中心を人間から黄竜へと移される。誰もがこの一瞬、ゼッペル准尉の存在を意識の外へと追い出していた。
「そう、この時を待っていたのさァッ!」
現王アレクサンドルの背後、人々の視界を縫って、彼は現れた。その手に凶刃を携えて。
消えた風の膜の隙間を、迷いなく、凶刃は狙いを定め翻される。正確に、急所を狙ってーー!
「アレクッ‼︎」
間に合わない。アーリアは翳した手の向こうに、自身の作り出す光の膜より先にある凶刃に、ヒュッと息を飲んだ。
お読みくださいましてありがとうございます。
ブックマーク登録、感想、評価など、大変励みになります!ありがとうございます(*^▽^*)
『反撃はできるうちに9』をお送りしました。
突如反逆の意志をあらわしたゼッペル准尉。彼の目的とはいかに?
次話『反撃はできるうちに10』も是非ご覧ください!
※入院中につき、不定期更新になります。悪しからずご了承ください。




